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ファミリーストーリー

平凡な一庶民のファミリーヒストリーを架空の私小説として紹介し、昭和を生きた青春の回想です。

青春自衛隊 その6

2025-05-23 09:53:01 | 小説

続・ファミリーストーリー(青春自衛隊 その6)
(登場人物・場所などはすべて架空です)

青春自衛隊(野営訓練)

 大規模な演習となると作戦本部、炊事炊飯、病院テントや隊員用の中規模から個人テントまで野営地に多くのテントが張られる。大勢の隊員の生活では排泄処理も大切で、今は知らないけど、当時は細長い穴を掘り竹で囲い筵をかけて仕切りをした中で用をたすのだけど、後始末は石灰を撒き埋めて元通りにする。その時、僕は石灰が手元に無かったのでカソリンを撒いた。誰も用を足していない事を確かめ火をつけた、ところが一番端っこで個人用に作られた幹部用の筵の囲いの中で隊長が用を足しいた‥、僕は隊長のお尻にヤケドを負わせ

てしまったが幸い軽くて済んだものの、こっぴどく叱られたのは当然で、それから毎日、隊長のお尻にチンク剤を塗りに通うことになり、その都度、隊長のお尻を拝まされる羽目となった。

ある夜、隊長のお尻にチンク剤を塗りに行く途中で回り道をして夜間訓練地の中に入ってしまった。暗闇の中から、鋭い誰何(すいか)が···、"止まれ! 誰か!"、
 その鋭い威圧に足がすくんだ、僕も誰何の訓練を経験していたが、この時ほどビビった事はない。これが本物の誰何だと思った。

次回に続く(青春自衛隊 その7)

 


青春自衛隊 その5

2025-05-20 10:00:55 | 小説

続・ファミリーストーリー(青春自衛隊 その5)

(登場人物・場所などはすべて架空です)

青春自衛隊(災害派遣)
 近年のコロナ渦ではワクチン接種や医療支援でなどで医官・看護官・衛生隊員などの災害派遣が発動されている。
 僕にとって強烈な記憶に残っているのは”伊勢湾台風、1959年(昭和34年)9月26日”だろう。 
夕刻に紀伊半島に上陸した台風15号(伊勢湾台風)によって、その被害は死者・行方不明者数 5,098名を出した。次いで、第二室戸台風、昭和36年(1961年9月6日発生)で9月16日に室戸岬に上陸し、その後紀伊水道北部から大阪の西部を経て近畿地方を通過した。

 この台風による被害は46都道府県に及び、大阪府内では、死者32人、負傷者2392人、家屋の全壊・半壊・流失24の大被害をだした。この台風の最中、連隊の車両は大阪方面に向かい災害派遣が出るのを待った。
 台風が通り過ぎた大阪市中は瓦礫が軒下まで積み重なる惨憺たる状況であったが、自衛隊施設部隊の重機が投入されると通路が開く、そこに自衛隊員が投入され瓦礫が搬出されて行く・・、その活躍を目のあたりにした市民から歓声が挙がると共に、見物していた市民たちも瓦礫の撤去に協力しだした。

 衛生隊員は作業中にケガを負った隊員の手当など、また、破傷風の予防接種など後方支援に当たった。そんな現場で一人の隊員の治療を終えた僕が所属氏名などを確認していると、チョット厳つい兄い達が数人集まってきて、僕に詰め寄り、こう言った・・”ちょっとくらい許してやれヤ~、この隊員は一生懸命やってたで~”・・、
どうも僕が隊員を叱っているように見えたらしい・・、事情が分かると、兄い達が”ケガした者が大勢いる、診てくれるかと・・”、ちょっとの治療ならしてあげたいけど、医官でない僕には出来ない。

 そこで消毒液やガーゼや包帯などを渡して辞退したが、その後、救護テントが張られ一般市民の治療も日赤と共に行なわれ感謝された。

 この災害派遣には問題があった、何故、自衛隊車両は大阪を目のあたりにして待機となったのか・・? それは、ある左派系の県知事が自衛隊の災害派遣を良しとしないなかで自衛隊独自の判断で災害地に向い待機していたのだ。県民・府民の生命財産を守るべき自治体の首長が己の偏った思想?で災害派遣を要請しなかったばかりに被った県民・府民の損害は大きく、次の選挙で落選し県政史上最低最悪の首長として歴史に名を残した。

次回に続く(青春自衛隊 6)

 


青春自衛隊 その4

2025-05-14 09:24:21 | 小説

続・ファミリーストーリー(青春自衛隊 その4)

(登場人物・場所などはすべて架空です)

青春自衛隊(医務室)
 僕(三名金作)は医務室の業務であった。診療は内科・外科・歯科が主な診療で、国立病院などの医師が派遣されて来ていた。僕達、新米は先輩の指導を受けながら、診療開始までに医療器具などの消毒や薬剤の点検・補充、病室(大部屋20ベットくらいと個室の点検と清掃)や患者食堂での配膳などを行う。それが済むと診察の補助に当たる。僕の主な仕事は先輩から臨床検査を教わりながら、「臨床検査提要」をみて多くの検査方法を学んでいた。
 真夜中に叩き起こされ、急患の血液検査・・と言っても当時の事なので白血球・赤血球・血色素(ヘモグロビン)、尿や糞便の検査など簡単なものであった。当時の腹痛で最も多いのが回虫などの寄生虫や虫垂炎などであった。特に、急性虫垂炎が疑われる患者(隊員)は衛生隊の救急車で契約している外科病院に搬送した。もちろん、病気によっては自衛隊の地区病院への入院となる。

 ある時、いつもの様に、大食堂で食事をし終えて、食後のお茶を一杯飲もうと、僕らのテーブルのヤカンをとると空になっていたので、隣のテーブルのヤカンを“一寸拝借”とことわってから、コップにお茶を注いでいると、突然、後ろから頭を何発か殴られた、振り向いた僕の鼻頭にゲンコツが飛んできて、鼻血が出た、血を見た僕は我を忘れて反撃・・、何発か殴り返したところで、双方の所属隊員たちの止めが入り、その場は収まった、どうも、勝手に自分たちが淹れてきたお茶を飲もうとしたことに腹を立てたらしい。
 翌朝、医務室に行くと、喧嘩相手の隊員が上官と一緒に診察を受けに来ており、左瞼が青く腫れあがっており痛々しい・・。僕の上司である上官が、“金作・・、お前が治療しろ・・”と言われ、僕は相手に“いや~ どうも・・”と頭を掻きながら言うと、相手も“イヤ~”と言って、何となく仲直りしたって感じで、相手の上官は“こいつは輸送隊でも剛のものやで・・” 衛生隊にも意気のイイのがおるのう・・” などと僕の上司と話し合っていた。それから、食堂でのヤカンには面倒でも自分で淹れに行くように心掛けた。

  現在では考えられないが・・、少々の切開や縫合は医務室勤務の衛生隊員がやっており、僕の縫合は外科医なみだとの評判で、町のチンピラに刺された傷だとか、事故死などの整形も、何故か当然の様に僕にやらされた・・(当時の町の医院や病院の夜勤には医学生や研修医などもいた、もちろんい正規の医師も待機していたと思う)。

次回に続く(青春自衛隊 その5)

 


青春自衛隊 その3

2025-05-08 07:38:04 | 小説

続・ファミリーストーリー(青春自衛隊 その3)
(登場人物・場所などはすべて架空です)     

 

休日の駐屯地
 通常、土曜日は半ドン(午後から休み)、日曜日は1日休みなので外出して町に出かけることもあった。隊内で食事しない外出者には“乾パン”が支給された。この“乾パン”をためて、田舎の家族に送る隊員もいるほど、当時は貧しかった。
  僕(三名金作)は、仲の良い同期の隊員と一緒に外出して、午前中はパチンコをして遊び、午後は映画をみて、夜は居酒屋の焼き鳥屋で赤ワインで割った焼酎をスズメの串焼きで飲む・・、当時の焼き鳥といえば“雀”で“鶏肉”になったのは、もっと後の時代である。
  
夜が更けると、駐屯地のまわりに多くの屋台の日が灯る・・、その屋台の酔客(多くは自衛隊員)を相手に演歌の流しがやって来る、その流しの中に小学低学年と思われる幼い少女がいた。
  少女は母親の伴奏(三味線など)で民謡などを歌い終わると小さな竹籠を差し出してお金を貰うのだが・・、現在なら児童虐待になりそうだ・・そうやって演歌歌手デビューした少女もいると言う。


((画像はイメージ)

 僕は気取って、町のバーで粋に洋酒(トリス・ウィスキー)をホステスを相手に飲むこともあったが、それは給料をもらった時くらいである。酔っぱらっていても、門限(24時)までに帰隊しなけれならない。飲みすぎて酩酊した隊員を門限までに駐屯地内に入れないと門を閉められてしまう、その夜の門衛は優しい人だったのか、門を半開きで待っていてくれた。

次回に続く(青春自衛隊 その4)

 


続・ファミリーストーリー(青春自衛隊 その2)

2025-05-06 07:18:32 | 小説

私小説 続・ファミリーストーリー(青春自衛隊 その2)
(登場人物・場所などはすべて架空です)

駐屯地の1日
 青春自衛隊はある青年の人生ドラマで、名もなく貧しい青年が自衛隊で国旗・国歌に対する礼節を知ると共に、高度な技術・技能を身に付けて行くまでの人生ストーリーである。

自衛隊は完結した組織ですべての機能が備わっており、防衛技術学校・防衛医科(看護)大学や研究機関など、まさに小さな国家そのもである。

このストーリーは1青年が組織のなかで特殊な技術・技能を習得しその分野のプロフェッショナルになるまでの人生ドラマである。1青年の自衛隊入隊から生体電気現象の伝送など遠隔医療技術の開発、そして情報処理としてのデータサイエンスや人工衛星や合成開口レーダの画像解析などに至る自衛隊での青春時代を回想するエッセイであり、1957年(昭和32年)頃の自衛隊である。
***

 僕(三名金作)は衛生隊に所属していた、当時(現在もと思うが・・)、起床ラッパ(午前6時)と共に隊舎前に整列し点呼を受け、健康状態などの確認を受け、隊舎内外の清掃や整理整頓の点検を受けたのち、大食堂で朝食をとるために一目散に駆け出さないと、長蛇の列ができてしまう。朝食後は、医務室の勤務に出かける。当時の僕は衛生・臨床検査や業者が納入した食品サンプルの検査などを担当していた。勤務が終わっると、入浴が先か食事が先か・・迷いながら、それを済ますと午後10時までの自由時間をTVなどを観て過ごすことが多かった。

 ある時、隊舎のスピーカーから流れてくる消灯ラッパの音色が、まるでトランペットのような響きでウットリと聞きほれていた。そこで、アホナ僕はアンコールの電話をかけると、ラッパ手もアホだったのか、消灯ラッパを何回も繰り返し、駐屯地内がざわつきはじめた。こっぴどく叱られたのは当然である。


(合成のイメージ)

次回に続く(青春自衛隊)