私小説 新・ファミリーストーリー(9)
(病気をつきとめよ!)
(登場人物・場所などはすべて架空です)
(Web page より引用)
病気をつきとめよ(第8話:ガス中毒)
1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件から間もないころに、工事作業中の作業員6人が意識不明との救急電話が入った。サリン事件からまもないことから“すわ”事件かと色めき立った。当院には3名の意識不明者が搬送されて来た。救急医から脳波測定の指示があった。
検査スタッフ:
脳波が出ません・・・?
三名(僕):
脳波計のゲイン(増幅)を最高にして・・。
検査スタッフ:
はい・・、わずかに脳波が見られます・・。
三名(僕):
そのまま、脳波を録り続けて下さい・・。
作業現場の様子から、“ガス中毒“と思われたが、何のガスかは分からない・・、一酸化CO、硫化水素、青酸性(シアン)物質など、いろいろ考えられが、特定する分析機器が地元の大学病院にもないと言う。
救急医:
三名技師長は自衛隊の衛生学校出ですね・・、ガス中毒の経験はありませんか・・?
三名(僕):
確か・・、東京に“ガス中毒センター” があったと思いますが・・?
救急医は早速、“ガス中毒センター”に電話したが、一向に繋がらない・・、後で分かったことだが、担当者は居らず電話だけが置いてあったらしい?
そこで僕(三名金作)は、自衛隊衛生学校時代にお世話になった“生物化学防護隊”に電話してみた。すると運よく隊長が在籍しているとのこと・・、
三名(僕):
先生・・ご無沙汰しております。
隊長:
おおー、金作か・・、どうしておる?
三名(僕):
先生、実は“かくかくしかじか”でと、挨拶もそこそこに手短に今の状況を伝え、対処方法などを尋ねた。
隊長:
分かった・・担当の医者と代わってくれ・・、金作は用手法(手仕事)でガスの特定を急ぎなさい、
簡易方法を衛生学校で教えた筈だぞ・・!
三名(僕):
はい分かりました・・、担当医と代わります。
担当の救急医との電話の後で、
救急医:
解毒作用は確認されていないそうだが、”〇〇マグネシウム” の静脈注射を試す価値がありそうですので、
すぐにやってみましょう。
そして、意識不明の3名に静脈注射を行ったところ、脳波がハッキリと見られるようになり意識が戻った。治療に当たっていた医師・看護婦(師)・検査技師など医療スタッフから歓声があがった。
その頃、TVニュースで別の病院に搬送された患者の現況について記者会見する様子が放映され重篤な”肺水腫” だと言っていた。たった1本の静脈注射で生死を分けたのだ・・、この事は県議会で与党の議員から衛生局長に、ガス検査装置の不備が質された。この議員は、県議会での質問にあたり、僕(三名金作)に当時の実情を聞きに来ており、その事実をもとに議会で質疑に立ったのだ。
この議員による質疑は地方紙(新聞)に取り上げられたが、議員の質問のあった翌日、僕に県庁の衛生局から電話があり、「民間(私立)病院の一介(取るに足らない)の検査技師がどうして与党の有力議員に今回の事故のことを話したのか・・?、 議員とはどういう関係か・・」と詰問された。さすがに、この詰問に僕は腹がたったので、議員会館に赴き質問者の議員に、この様な電話があったことを話した。議員も怒った様子で卓上の電話をとり語気も強くどこかに電話すると、すぐに衛生局長と部長が飛んできて、部下の担当者の勝手な振る舞いだと議員に謝ったが、立ち去る際に僕に一瞥(相手を軽蔑する)を投げて部屋を出た。
議員は僕に「誠にすみません・・、これが役人の実態ですよ」と言った。しかし、僕はこの県庁の役人が“官尊民卑”(官史を尊び民間人を軽視する)であることは、すでに経験していた。それは、何年か前にタンカーによる重油流失事故があり、港湾内が重油で汚染されたときの事で、人工衛星の画像解析で港湾内を調査するために、大学の准教授と一緒に県庁の港湾局に許諾を取りに行った時のことである。名刺を差し出すと、担当者は「民間の方」(僕のこと)は廊下で待っている様に言われ、「先生はどうぞ部屋の中にお入り下さい」と丁寧な態度であった。
数か月後、病院正面の車寄せ(駐車場)に数台の自衛隊のジープが止まった。そして、出迎える病院長・医長・総看護婦(師)長・事務長の前にジープから降り立ったのは、“生物化学防護隊”の隊長(医官)だった。僕にとっては恩師であり、隊長の肩章が眩しかった。
(イメージ画像)