聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

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5 出現の言葉遣い、態度(霊の識別:3-5)

2017-03-03 23:55:49 | 聖母マリアとその出現について
第3部メジュゴリエ・続(霊の識別:3-5)

5 出現の言葉遣い、態度

 ファチマでは、御出現の言葉、態度、身の振る舞いなどには、尊厳、天的な天主からのものであるという威厳がありました。ところがメデュゴリエでの出現では、ゴスパの態度は私たちを躓かせるものであって、私たちはこれにショックを受けます。

 第2の出現は、6月25日でした。「イワンカと私とミリヤナとは、最初の日にゴスパを見たところに同じ時間に行こうと決め合っていました。もしあれが本当にゴスパだったら、もしかしたらゴスパはまたやってくるでしょう。」(Bubalo)

 しかし、第1の出現は全く沈黙のうちになされ、どうしてもしそれがゴスパだったらまたやって来ると信じていたのでしょうか、奇妙です。翌々日、すなわち1981年の6月27日には、クヴァロ師に、ヴィッカはこう答えています。彼らの周りにいた人々は皆ルルドの御出現では聖母が18回来られたことを話していた、と。実際ミリヤナはルルドの本を読んでいました。

 ヴィッカがブバロ師に話すところによると、「ほとんど同じ時刻に、私たちは石だらけの道を歩き、最初の出現があったあの高いところを見ていました。突然、光が輝き、ゴスパがそこにいました。」

 最初に見たのはイワンカでした。次にミリヤナとヴィッカが見ました。マリヤと、マリヤの従兄弟で10歳になるヤコブもすぐに来ました。

 ヤコブはルプチッチ神父にこう言っています。「僕たちはマリヤの家で仕事をしていました。すると、ヴィッカが走ってきて、『ほらあそこにいるわ』と言いました。すぐに僕たちは丘の方に走って出かけ、そこでお祈りをし、涙を流して泣きました。」(ロランタンP102)

 ヴィッカによると、「私たちは丁度空中に引き寄せられているかのようでした。私は怖かった。私も裸足でしたが、足は茨で全く傷を受けませんでした。・・・私たちがだいたいゴスパから2メートルぐらいのところに近づくと、私たちは跪かなければならない感じを受けました。ヤコブは茨だらけの茂みのようなところで跪きました。私は、あの子は傷だらけになると思っていましたが、何の傷も負わずに出てきました。」

 これは、少し大げさだったようです。と言うのも翌々日の質問で、イワンカは彼女たちが勿論、傷を受けて血を出したと答えているからです。但し、その時には誰もそのことに気がつかなかったといいます。

 ゾブコ師が翌々日に質問したところによると、ヴィッカがブバロ師に話したよりも、本当はもう少し大変だったようです。村の人々もヴィッカのあとを着いてきており、ヴィッカはゴスパが見つけられずに、道をすぐ迷ってしまいました。後ろの人たちは、彼女たちに『左に!左に!』と叫びました。村の人たちには何かが見えていたようでした。しかし、何かに不思議に導かれたように、彼女たちは真っ直ぐに進み、同じところに止まります。

 ヴィッカがブバロ師に答えるところによると、ゴスパと話をする前に、「ミリヤナとイワンカは気絶をしました。でもこれはほんの少しだけのことでした。・・・私たちは、気が動転し、怖くもありました。ゴスパの前でまっすぐ立っているのは楽ではありません。でも、私たちは膝をついて祈り始めました。・・・きっと、天にましますとめでたしと栄唱だったでしょう。」(しかし、ロランタン師はその本の中で、ヴィッカがヴラシッチ師とブバロ師にした宣言を忠実に一つずつ従おうとせずに、ヴィッカが「怖かった。私たちは恐ろしかった。」と言っている2カ所を省略し、その反対に、「彼らの恐れは消え去った」と書いている!)

 ミリヤナもその後に、ルプチッチ師に「私はとっても怖かった。私たち女の子は皆気絶しました」と説明しています。(これはロランタン師の本にも載っています。p104)

 ミリヤナは最初の質問をします。彼女の母はその前の月に病院でなくなっていました。ミリヤナは母のことを知りたくてゴスパに聞きます。ゴスパは短く「あなたのお母さんは元気です」とだけ答えました。その後のいろいろな本ではこの後にいろいろな言葉が続いたことになっていますが、出現の翌々日にミリヤナのした証言によれば、ゴスパはこれしか言いませんでした。

 ヴィッカはこう言います。「私たちはゴスパに触っていました。私たちがゴスパに抱きついたりしますと、ゴスパは笑っていました。」

 彼女たちの証言は、厳と存在しています。ミリヤナとイワンカは、興奮し恐れ失神したにも拘わらず、幻視者らはゴスパに馴れ馴れしく近づきベタベタと触るのでした。彼女たちがゴスパを撫で回したことの証言は公に録音されています。ロランタン師はメデュゴリエについて十数冊本を書きますが、『メジュゴルイエにおける聖母マリアの出現』1984年で、ただ一回だけそのことに触れます。

「質問:マリア様に触りましたか?

マリヤ:私はマリア様のドレスに触りました。触るときはいつも手のひら全体で触りました。他の人も大勢触っていました。

ヤコブ:はい、僕はドレスに触りました。

ヴィッカ:はい私はドレスに触りました。けれど、金属のような抵抗感がありました。それはこういう意味なんです。マリア様が手とか頭を動かされると、ドレスも動きます。それは普通の場合と全く同じです。でも触ったら、まるで金属のようにびくともしないのです。

イワンカ:はい。

ミリヤナ:私は触ることが出来ます。・・・はじめは何か近づきにくいもののように眺めていました。が、今は、マリア様が一緒にいて下さるときは、私はお母様のように、または私を助けてくれる最良の友人のように見つめます。

イワン:僕はドレスに触りました。」(P108-109)

 しかしロランタン師は、メデュゴリエを扱ったその他の15冊の本の中では一語もそれに触れようとしません。或る本の中では、ロランタン師は、幻視者のいかなる証言にも基づかずに、彼女たちがゴスパをさわったり抱きついたりしたことを否定しています。Medjudorie, recit et message des apparitions, editions de l'O.E.I.L., 1986, p19、また、このことを取り扱った場合にしても、ロランタン師はこれについてゴスパが笑ったことや、何度も触れられたことを省略し、事実を隠そうとしています。またその他の著者のいろいろな本でも、これについては沈黙が守られています。

 ヴィッカはゴスパに不平を漏らします。「ゴスパ様、人々は私たちを信じません。私たちが家に帰りますと、皆私たちが狂っていると言うでしょう。」ゴスパは微笑むだけでした。

 そこで、ヴィッカはミリヤナに今何時?と尋ねています。

 第2の出現のこのことについて、ヴィッカはブバロ師にこう語ります。

「ミリヤナは、人が私たちについていい加減なことを言わないように、聖母に私たちに印を残すように頼みました。・・・そしてミリヤナの時計の針が回ったのです。」

 これが、何のことを意味しているかは説明を要します。別のところで、ヴィッカはもっと詳しく説明します。「私はミリヤナに『今何時?』と聞くと『3時15分よ』と答えました。『あんた何言ってるのよ、3時15分だなんて。時計を反対に付けてるの?』

 Kraljevic神父によると、時計の9の字が12に変わっていたといいます。ロランタン師によると、時計の小さい方の針が文字盤を4分の1回っていたのだそうです。ともあれ、これが幻視者にとっての奇跡的な「印」だった!・・・一体これが何を印そうとしているのでしょうか、私たちは理解に苦しみます。

 勿論、メデュゴリエを擁護する人はこのことに口をつぐんで、説明を拒みます。ロランタン師は、長い間このことを語ろうとしませんでした。この6月25日の出現はこうして終わり、ゴスパは翌日も来ると約束して消えました。

 出現の翌々日にされた質問で、マリヤはこう答えています。彼女の両親は、彼女が出現の後に家に帰ってもいませんでした。「ずっと後に、両親が夕食を出してくれると、彼らは私に食べるかどうかを聞きました。私は恐ろしかった。私はとても食べることの出来る状態ではなかったのです。私の手は真っ白でした。私が初めてゴスパを見たときに、輪たちの両手は冷たくなっていました。丁度氷のようでした。」

 1983年の6月25日の大巡礼の後で、トミスラヴ・ヴラシッチTomislav Vlasic師にこう質問がありました。どのくらいの巡礼者が来たのでしょうか?と。「幻視者たちはゴスパに正確な数を聞きました。ゴスパは100万人だと答えました!」と師は答えています。しかし、何故そのような突拍子もないことをゴスパに聞かなければならなかったのでしょうか?

 最初の出現から第4日には、幻視者は、ゴスパが、人々がゴスパのベールを踏みつけるので消えてしまったと証言しています。

 ブバロ師はこのことについてヴィッカに尋ねました。

「この日には、人々がゴスパを踏みつけたそうですが。」

「いいえ、聖母の上をこうやって歩くものではありません。でも彼らはその服、と言うよりもそのベールの上を歩いたのです。」

「ゴスパは怒りましたか。」

「あのですね、聖母は怒ることを知りません。聖母は私たちのようではありません。」

「では、何故ゴスパはそんなにも長いベールを被っていたのですか。」

「そんなこと私が知っていると思いますか、私が?」

「その日に、聖母があなた達に何度も現れたというのは本当ですか。」

「はい、3回続けて。」[最初の時期にはこのような現れては消え、消えては現れるという出現が何度も続きました。]

「これは何故ですか。」

「知りません。あの人に聞きに行って下さい。人々が本当にじゃまだったというのは本当です。」(Bubalo)

 証言によると「ゴスパは彼女にさわりに行くことをそうしたい人全てに許していた」。

 幻視者たちは彼らに「さあ、あなた達はゴスパのベール、頭、手、服を触りなさい」と引導していました。このように、ゴスパに触ったり抱きついたりするのは、10回以上ありました。ロランタン師はこれについて何も語ろうとしません。このことを咎められた師は、1985年に自著の中でこう書きました。「それは根拠が無く、あまりに些細なことなので、私はそれを記録しなかった」と。

 まだあります。例えば1981年秋に、ゴスパは、マリンコ(自動車工で、当時焼酎を醸造中であった)に、来るようにと言いますが、それは彼を抱くためだった!マリンコは「正確にはキスを感じませんでしたが、ある種の風を感じました。」(Bubalo)といっています。

 丘の上で真夜中に、出現したゴスパは自分を触りたい人を招きました。しかし、人々は「ゴスパの服を、ある人はそのベールを踏みつけ」ゴスパは去りました。(Bubalo)

 8月2日にはヴィッカはブバロ師にこう言います。「おかしかった。誰かがゴスパを触るとそこに、何か痕のようなものが付いていました。ですから、最期にはゴスパは痕だらけで汚れたようになりました。」

 9月2日、イワンへの出現の途中で、ゴスパは教皇ヨハネ・パウロ2世の大きな写真にキスをします。

 ヴィッカによると11月、教皇様の写真にまたゴスパはキスをします。

 以上のような、聖母らしくない態度を見て、カリスマ運動の指導者たちだけは、驚きもせず、ショックも受けません。


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