★夫婦珍道徒然日記★

2ヶ月の準備期間で日本を脱出し、漂着した楽園ニュージーランド。その後の人生を語ります。

ラーナック城ツアー

2006-01-09 13:48:28 | 旅日記


ダニーデン公立美術館を堪能し多少疲れたので、その建物の隣の一階にあるカフェで休憩することにしました。

お正月なのに、いやお正月だからか中は人で一杯。よ~見渡すと、やっぱりいたいた・・・・学校の生徒・・・・これが、語学学校カウンセラーとしての宿命みたいなもの。窓際のカウンターに座り、帽子を目深に被り、そ知らぬよう外の通行人を眺めておりました。

嫁さんには、よく言われます。生徒の前では、急に顔つきが変わるらしい・・・・厳しい表情になるようなので、休日くらいはリラックスしたいもの。

ビールを一杯飲んだ後、お楽しみの「ラーナック城」のツアーを申し込みに行きました。街からは約10キロ。オタゴ半島の端っこにあります。路線バスは走っていないので、タクシーかもしくはレンタカーを以外に、行く手段はツアーだけ。

このお城、宿泊施設も兼ねておりました。実は、何度かBookingを試みたのですが、時既に遅し。これも次回のお楽しみにすることに致しました。

ここでラーナック城のことをちょっと解説しておきましょう。

ラーナック城(Larnach Castle)とは、ニュージーランドに建造された2つの城の内の1つであります。同じダニーデン市に建設されたカールギル城は、現在は廃墟。ニュージーランドに現在1つしか城は現存していないとのこと。沿革1873年、大富豪であり政治家でもあったウィリアム・ラーナックが妻、エリザ・ジェーン・グイズと共に暮らすために建造。

ラーナック氏はこの城の建造後に度重なる不幸に見舞われ、1898年10月にニュージーランド議会で自殺しました。娘のケイティも病気のため21歳で死去し、この城の大広間にケイティの幽霊が現れると言われてるそうです。

ラーナック城の到着まで、以上な内容をバスの運転手が丁寧に解説してくれます。実は、もっと詳しくラーナック氏の浮気話など、逸話がたくさんあったのですが・・・・忘れました。スイマセン。

想像はしていましたが、本国のスコットランドのエディンバラ城と比較しますと、規模は相当ちっぽけなものでありました。しかし、その時代に、この規模のお城を建造することは、多大な資金・専門職人技術が必要だったことでしょう。ヨーロッパで見られない、木造建築様式もいくつか見かけられたので、地の職人の知恵も多分に取り入れられたことだと想像します。木材も“カウリ”がふんだんに使われています。色調は、極めて明るい。この木の良さが最大に発揮されています。



城内のツアーでは、お城に住んでいるガイドの女性が案内してくれました。日本人は我々二人。大勢のお客さんの中、彼女は私たちに気遣って、説明のあとか何度か「すべて、わかりましたか?」と尋ねてくれる気配りは、とてもありがたく嬉しいものでした。片言の日本語も知っているようで、「Silk」を「キヌぅ」とか、わざわざ訳してくれていました。

とても、ありがたく思いました・・・・が、余計に聞きづらく話しがややこしくなりました。

小学生くらいの子供達もたくさん参加していました。日本の子供と違って皆、元気に質問します。「なにあれ?」「どうしてそうなるの?」。彼らの凄い好奇心と物怖じしない姿勢は、幼い頃から育まれているようした・・・・

30分ほどのガイドも終了。私達二人とも十分満喫。

外に出てお庭を散策し、素晴らしい海岸線が一望

もしラーナック城に訪れられたら、このお庭まで是非お見過ごしなく。

ではまたまた。







最新の画像もっと見る