俺のアレ(仮題)

グダグダと書きます

むかしばなし 其の参

2014-07-29 11:11:11 | 日記
2か月のご無沙汰でした。わたくしでございますよ。

早いところ続きをアレしようと思ってはいたものの、気が付けば前回駄文をアレしたのは5月の終わり。

なんでこんなに間がアレしてしまったのかと問われれば




まぁ言い訳は後にしとくとして。


物好きな読者の皆様に、10余年前の異国でアレしたわたくしの誕生日の話を、グダグダとアレしている今回のシリーズ。
わたくしとしては珍しい引っ張り方をアレした前回のお話の続きでございます。

舞台はドイツのハンブルグ

(イメージ)


2002年、史上最年少でJリーグ得点王に輝いた翌年の年明け。結構な注目をアレして、かの都市の名門クラブに移籍。
スシボンバーなる全く嬉しくないニックネームを頂いたものの、チーム戦術とスイング出来ず、得点を挙げられなかった彼。
しかしながら、日韓大会において世界一有名なゴールキーパーがアレしていた連続無失点記録をガッ!とアレしておりました。

サッカー、否。かの国のフースバルをアレする事もわたくしの旅のアレででございましたので、ハンブルグ入りした2日後、
つまりわたくしの誕生日に、市庁舎近くのファンショップで名門チームのユニフォームをアレし、その足で中央駅の隅にあるチケットショップへ。

週末の対戦相手は、前年リーグ戦・国内カップ戦・欧州CL全て準優勝という、レアなアレを成し遂げた、
有名製薬会社の名を冠するチーム。


(バイエル製薬のアレだがしかし、バイエルレバークーゼンとは言わず、バイヤーレバークーゼンという。未だに何故かよく解らない)


人の良いチケットショップのおばちゃんとつたない英語でアレしつつ、おばちゃんの勧めで中々に良い席のチケットをアレしたわたくしは、
ホクホク顔で駅のコンコースへとアレ致します。


ふと上方に視線をアレ致しますと、そこには駅の時刻表。そこにアレされた駅名を何気なくアレ致します。
そこには発車時刻と新幹線・特急・鈍行など、電車の種類と共に、行き先の都市名がアレされておりまして。

ベルリンツォー駅、パリ、ミュンヘン中央駅、ストックホルム、ライプツィヒ中央駅 バーゼル etc… 

…ん??ここはドイツだがしかし、おフランスの花の都に行く列車があるザマス…。

あ!!!!!!!!!!!!!!!!

そうザマスッ!!ここは欧州ッ!!!国と国とは陸続きッ!!!
飛行機やお舟をアレせずとも、電車で車で。ぶっちゃけ歩いてでも国境を跨げるのでございます。

なんということッ!!!!


例えば我が国の東京駅は新幹線乗り場にて時刻表をアレすれば、新大阪やら京都。広島、博多などなど、行き先は全て日本国内。
そんな事は当たり前田アケラでございます。だって島国なんだから。

昨今東アジアからの観光客やら日本で働くビジネスマンが増えたとしても、中肉中背・黒髪、スーツ姿のお方はまぁ8割位日本人なのでございましょう。たぶん。
異国にアレするならば、船か飛行機でアレするしかないのです。国と国との間に海がございますからね。


が、しかし。ここドイツは電車で異国へ行き来出来るのでございます。

ということはッ!!!


前から歩いてくる、リュックをアレした背の高い金髪・碧眼の2人組は、ドイツ人かも知れないし、ドイツ人ではないかもしれない。

右から左へとわたくしの前を通り過ぎたエキゾテックな顔の男性。
多くの移民がアレしているこの国において、出身は中東でもドイツ国籍というアレもございます。

道中、どんなときもわたくしの鞄にアレしていた、黄色い表紙の旅本にも、当たり前すぎてアレしていないこの事実。
余りにも当たり前すぎてわたくし自身、現地で時刻表をアレするまで全くアレする事もなかったのでございます。
それまでの人生の中で、コンタクトレンズを落としたことはあっても、ウロコを落とした事など無かったわたくしは、
ドイツの西北港の街の中央駅にて「ああ、かの格言はこういうアレを言うのか…!」と膝を打ったのでした。


さて。

ここで話を戻すこと現在(いま)から1年半前。

あの旅から9年の月日が流れ去り、街でベージュのコートをアレする頃、強敵より届きし我が聖典。


(実は最近また読み始めました。やはり面白いです。)


遠く異朝をとぶらへば、かの物語の後半、天才軍師もまた異民族をガッ!とアレするべく知略と情をアレして異民族に対してガッ!とアレしておりました。


(長いのでダイジェストでどうぞ)


更に時をアレする事400年余。春秋戦国の時代においても異民族、特に北方のアレは各王国の悩みのアレだったと申します。
始皇帝は長城をアレして異民族に対し




とアレした結果、秦の衰退をアレしたとの事。

漢の高祖劉邦は匈奴にガッ!とカチ食らわされて以来、貢物をアレして北方の不安を無くしたのでございます。


(画像は劉邦。楚漢戦争をアレした名作をアレした感想を一言で言えば、「コイツ特に何もしてない。」といったところです)


かような昔々の大陸の歴史をアレした司馬遷が、武帝より「死ぬか宦官になるか」という無慈悲な選択をアレされ、
後者をアレして史記なる書物を残す事になったのもまた、かの王朝と異民族とのアレによるものでございましょう。



(かの偉人の生涯をダイジェストでどうぞ)



異国や異民族の情報が少なかった昔々において、
国が違えば言葉も違い、言葉もアレなら文化も違う。文化も違えば習慣も違い、習慣も違えば宗教も違う。
宗教も違えば考え方もアレな人々に対する恐れというのは、相当にアレだった事でしょう。


ハンブルグ中央駅で目からアレしたウロコ。そんな目で世の中をアレしてみれば、我が国では普段アレする事のない、
国と国とが陸続きである、大陸の国々と、『たった四杯で夜も眠れず』とアレされた、海に囲まれた島国の歴史がより広く深くアレ出来、歴史探訪をより楽しめるようになったのは、26歳の時の独り旅による所が大きいのでございます。


旅が終わり徒然なるままに歳を重ね、いたずらに時間を浪費してきたというアレも否めなかった時期もございまして、
あの旅は一体なんだったんだのか?とか、あの旅は結局無駄なアレでは無かったのか?などとアレした事もございました。

コレ掛け値なしの実話ネ!


が、しかし。一寸先は五里霧中とアレする人生とは中々に面白いもんでして。

異国の観光客とアレする事も多い現在の職場において、日本とは違う地理・文化・習慣etcをアレする彼らの強い自己主張を
「まぁそういうアレだよね。」と受け入れられるようになっていたのでございます。
かの旅でアレしたつたない英会話もそこそこ役に立っておりまして、やっとこさ、

あの旅は決して無駄ではなく、一見無駄だとアレしても、どっかで何かとつながる事もある


と思えるようになったというのが、アレから11年経った今年の誕生日に出た結論でございます。


駄文のネタに恵まれぬ日々の暮らしの中で、都合よくネタに出来るというのもまた、素晴らしいアレでございましょう。うふふ。

という事で。

いや~やっとこのシリーズの幕をアレする事が出来ました。

前回のアレをアレしてからなんでこんなに間を開けたのか?と、物好きな読者の方々はそうアレしている事でございましょう。
最後に冒頭の『かくかくしかじか』の部分に当たるアレを一言で説明して、足掛け3か月弱掛かったこのアレの〆と致しましょう。

実はね。わたくし



ゴーストライターと揉めておりましたのよッ!


……
………。






軍師もがっかりしたところでまた次回でございます。ではでは!


おしまい

むかしばなし 其の弐

2014-05-23 12:13:14 | 日記
10日間のご無沙汰でございました。わたくしでございます。

わたくしの記憶がアレならば、前回は

旅先のドイツはハンブルグにて、かの国の見知らぬ衆道士さんに追われ、鴻門の会へのお誘いを受けそうになったので逃げた。

という所でアレ致しましたかね。
さて。そんな昔話の続きでございます。

帰国途中モロッコに立ち寄り、宦官になる危機をアレしたわたくしは無事ユーベントヘアベルゲ…

おっと、得意のドイツ語が。

旅の宿であるユースホステルへチェックイン。6人部屋は多国籍なアレでございました。
昨年の冬でしたかね。駄文でアレしたアルジェリアの方とアレしたのは、この港町の宿での事でございます。

初めて訪れた異国の街を歩けば、見るもの全てがアレ。


(ハンブルグ市庁舎)


(アルスター湖)


(霧はそんなに出ないらしいよ)


建物を探訪し、ため息交じりに感動をアレする、あのお方の如き感嘆詞をアレしつつ徒歩、電車、バスをアレして名所をアレ致します。


(海外編も是非お願いしたいしたいものですな)



眺めを何に例うべき。
江戸の有名な川を歌った名曲のアレを、遠く離れた異国の港町にてアレするとは思いませんでした。

そして迎えた26歳の誕生日。

天気も良く、ひたすら街をアレして日が暮れる前に宿に戻り、受付にて、ユースホステルの会員証をスタッフにアレしたところ、

「Oh!ユーはきょう誕生日じゃないか!!」とアレし、横にいた女性スタッフに会員証をアレ。
わたくしは差し出された彼の右手をグッ!とアレしておりますと、横の女性スタッフとも握手。
すると同じ時間に宿に戻ってきた見知らぬ旅人達も、右手を差し出しわたくしの誕生日を祝ってくれたのでございます。

異国でのまさかの握手攻めにあっておりますと、先ほどの男性スタッフ曰く
「明日の夜から港で祭りがある。誕生日だって言ったらユーはアレだぜ!」とアレしてくれたのでございます。

明日は港で握手攻めか…

(ハンブルグ港)


わたくしはその場にいた皆さんにお礼を述べて部屋へアレ致しますと、イケメン消防士さんが着替えている横でアルジェリアの御仁は東に向かい、祈りをアレしておりました。

我が安息の地は、非常に多国籍なのでございます。

「今日はどんなアレだった?」
「きょうはミーの誕生日で、さっき受付でみんなにアレして貰ったよ。」

そう告げますと、消防士さんは祝いの言葉と共に右手を差し出し、わたくしの手をグッ!とアレしたのち、「明日港で祭りがある。誕生日だって言ったらユーはアレだぜ!」と言いつつ、「プレゼントだ!」と、ロッカーからアレした瓶のビールをアレして下さいました。

祈りを終えたムスターファ氏も物凄い笑顔で右手をアレ。わたくしの誕生日を祝ってくれたところで、消防士さんにビールを渡されますと、
一瞬で笑顔が消え、必死に手を振って飲酒のお誘いを断っておりました。

宗教とはげに難しいものでございます。

頂いたビールをアレしつつ、しばし3人で話しておりましたら、ほぼ同じタイミングで残りのメンバーも部屋にアレして参りまして、
自室でも握手攻めにあったのでございます。

ありがたいことです。

で、翌日。
結論からアレしますと、わたくしは港でアレされたお祭りには行きませんでした。

何故か?

戦隊モノの被りモノ持ってくるの忘れちゃったからね

(昔は後楽園で握手攻め。今はどこで握手攻めになっているのやら。)



否ッ!!!!!!!


ハンブルグの港の近くにはレーパーバーンなる、色んな意味で有名な歓楽街があり、そこは夜はおろか、昼間でさえ独りでアレするのはおよしなさいと言われる、エキサイテングなアレ。


(船旅を終えた海の男たちの性地なのですよ。エロス!!)



祭りともなれば、いい人と同じくらい悪い人もアレする訳でございまして、そんな人々の前で「誕生日なのよ」とアレすれば、
多くの人からアレして貰えると同時に、何かよからぬアレが起こる可能性も増えるのでございます。

光が強ければまた、影も濃くなるというもの。

それに加えて、港やら波止場なんてところは昔から荒くれ者が集う場所。


(実際ベルリンツォー駅前にはこんなパンクスが沢山アレしておりました。ヒャッハー!!)



無事に家にアレするまでが旅。なのでございます。

いつも通りハンブルグ中央駅までアレし、市庁舎前の広場で衆道士のアベックが熱い口づけを交わす様を見、
言葉に出来ないアレを心に抱えつつ、アチラこちらをアレ。

夕刻宿へアレしますと、受付のスタッフたちより、「祭りには行かなかったのかい?」とアレされ、
つたない英語で理由をアレして部屋に帰り、スニッカーズとコーラという豪華な晩餐をアレ致します。

暫く部屋でアレしておりますと、この祭りの警備にやってきたという消防士さんがご帰還。
「祭りはどうだったかえ?」と尋ねれば

あちらこちらで酔っ払いが喧嘩騒ぎをアレして、刃傷沙汰も起こって大変だったよ。と肩を竦めておりました。


(イメージです)


その話をアレしたわたくしは、心の中で
まさに血祭りッ!!とアレしつつ、
笑えない事件に出くわさなかった幸運をそっと噛みしめたのでございました。


それでも旅人ですか!軟弱者! 


と日本語が堪能なパツキンのお姉さんにガッ!とアレされようとも、

こういう時、臆病なくらいが丁度いいのよね。


と飄々とアレ出来る方が良いのでございましょう。

そんな訳で今から11年前。わたくし26歳の誕生日は、短い間一つ屋根の下で共にアレする皆様にアレして頂きまして、その想ひ出はオッサンになった今でも鮮明にアレしているのでございます。

そして。

その日わたくしはドイツはハンブルグという街で、その後の人生をアレすると言っても過言ではない、大事な事をアレしたのですよ。

これまでの駄文にはない、妙な引っ張り方をアレするのは、何だかチョイと恥ずかしいアレがございますが、
一つだけアレさせて頂きたいのは

本当に大したアレじゃないんで、くれぐれも期待しないでいただきたいという事だけでございます。

っちゅーでまた次回!!


つづく

むかしばなし 其の壱

2014-05-13 20:21:22 | 日記
ひと月のご無沙汰でございました。わたくしでございます。

コンスタントに駄文をアレ出来ればと思ってはいるものの、中々に時間がアレ出来ず日々をアレしております。

鉄板の上のたい焼きの如き日々をアレしておりますと、たま~にぼんやりとアレする、取り留めのないアレを少し掘り下げてみたり、
どうでもいい事を敢えてアレしてみるという、心のしなやかさといいますか、そういったアレが無くなって参ります。

悲しい事です。


それなりに楽しく日々をアレしておりますが、何となく閉塞感をアレしているというのもまた事実。
こういうのもまた贅沢なアレなのでしょうが、中々に寂しくもあります。

昨年秋よりアレし始めた文庫版三国志。
今月初めにめでたく全巻アレする事が出来まして、五丈原の秋風に吹かれて散った天才軍師の如く、春の空をアレしながら




などとツイートしているのでございます。

そんな事をしておりましたら、いつの間にか37回目の誕生日を迎えてしまいましてね。

流石に37回目。

10代20代の若者ではございません。間もなく40に手が届くお年頃のオッサンでございます。
そんなオッサンが「今日俺誕生日なんだよね」なんてアレしたところで、



とアレされてしまうのがオチ。

両親はわたくしの誕生日なんぞアレしている訳もなく、職場に行っても誰からも何も言われません。
当たり前でございます。だって誰も覚えてないし知らないんだから。

でもね、これ実は結構寂しいもんですよ?マジで。

良く晴れた5月の空を見上げ



と呟いてみれば、何とも寂しい秋風が心の五丈原をスッ!とアレして行くのでございます。

昼下がり。

寂しさに負けたわたくしは、たまたま隣に座った同僚の女性にこうアレ致しました。

実はわたくし、きょう誕生日なのよね。と。

驚きのアレを見せた優しい同僚に「おめでとうございます!で、いくつになったんですか?」と祝われ問われたわたくし曰く

二十歳ハタチ!!

それをアレした同僚の



こうアレしたそげな同僚の表情を見、我に返ったたわたくし。JAROにアレされる前に正直に年齢をアレしますと、



とアレされてしまいましたので、免許証をアレして身の潔白をアレしたのでございます。

「どう見ても40手前には見えないですよ。30代前半って言ってもアレなんじゃないですかね?」そんなお世辞をアレされれば自販機にお金を投入し、「どれでも好きなのアレしなさい」と気前よくアレしてしまうというもの。

ご馳走して貰う立場のわたくしがご馳走している

そんなアレに幾ばくかの違和感をアレしておりますと、同僚更に問うて曰く、

「どうすれば見た目が若くいられるんですかね?」

わたくしは誰でも簡単に出来る若さの秘訣を、同僚にアレしたのでございます。


(実は最近特に朝がツライ)


アホなおっさんの答えを聞いた彼女の表情は、まるでガラスの仮面を被ったようなアレでございました。
どうやら同僚は、かの名作をアレした事が無いようです。

まぁ多分、わたくしの見た目の若さというのは、小学生並の精神年齢によるアレが大きく、若いというよりは幼いのでございましょう。

困ったものです。

そんなこんなで今年も無事、誕生日をアレする事が出来たのでございますが。

一番印象深かった誕生日というのはいつか? と問われれば26歳の誕生日でございましょうか。

何故か?

ドイツにいたからでございます。

GW明けの良く晴れたある日、日本の空の玄関口よりロンドンへアレ致しまして、ロンドンはヒースロー空港にてハンブルグ行きの飛行機にアレ致しました。

時は2003年。世界の警察をアレする国家が『テロをアレする』という大義をアレしつつ、どさくさに紛れイラクに侵攻。
そんなアレは4月に終わりましたがしかし、まだまだキナ臭さが消えず、遠く離れた我が国においても、連日テロリストが画面を飾っておりました。


(黒船来航によってポイされた感が否めないテロリスト。今いずこ…)


ヒースロー空港では突然非常ベルがなり、全員が小一時間ロビーの外へアレされたり、ハンブルグ行きの飛行機にアレしようと思ったところ、何故かわたくし1人だけが厳しい手荷物検査をアレされたりと、のっけから色々とありましたが、夜遅くに無事ハンブルグに到着。

空港から宿へ向かうべくタクシーに乗れば、運ちゃんは3月まで日本の大学にアレしており、日本語がペラペラだったというナイスなサプライズ。

「日本で一番楽しかったアレは何ですか?」との問いに「パチンコ~♪」とアレする、中々にアレなお方でございました。
かの国出身の有名なレーサーに似た若者が、ハンドルをアレするのは高級車メルツェデス・ベンツ。


(見た目いかにもドイツ人っていうアレでしたが、すごく良い人でした。)



ドイツはハンブルグにおいて、碧眼のかの国の運転手がアレするメルツェデスの後部座席に座り、堪能な日本語で会話をする。


チョイとスイングしないアレがございますがしかし、異国で夜遅くにタクシーに乗り、車中での不安が少なくなるというのも、またありがたい事でございます。

宿に着き、時差ボケでアレする身体を大きなベッドに横たえながら、旅の始まりという恍惚と不安をアレしていた事を、今でも鮮明に思い出します。


翌朝宿を出て街を歩き、ユースホステルを探して人通り少なめの通りに迷い込んだところ、かの国の『衆道士』のお方に追われ、『改衆』を迫られそうになるという場面もございまして。

日本人男性は西洋人男性からモテモテ

出立前にそんなアレを聞いてはいたものの、まさか旅の2日目、しかも昼間に身をもって知るとは思いもしませんでした。

恐ろしいものです。

貞操の危機を逃れたわたくしですが、もしあの場で貞操をアレしていたらば、きっと今頃は宦官にでもなっていたかも知れない。


(紀元前の大陸にてアレしたおバカさん)


そんな馬鹿な事をアレしつつ、どうでもいい昔話は次回へ続きます。

づづく

いいことばかりはありゃしない

2014-04-07 18:19:20 | 日記
3か月のご無沙汰でございました。わたくしでございます。

前回駄文をアレしたのが正月明けでしたかね。

この冬は寒い寒い冬でございました。わたくしの住む地域に数十年ぶりの大雪がガッ!とアレしましたし。


(庭に積もった雪でこしらえたかまくら)


近く今朝をアレすれば、人々を感動させたらしい作曲家の耳は、正常な機能をアレしていた事が判明。
世間は「世の中に耳の不自由な悲しい人アレを持つ人が1人減ったのだ!」と喜ぶ事など無く、国中にロックンロールの名曲、
ロールオーバーベートーベンが鳴り響いたり。


(色んな意味でロック)



そんな世知辛い、寒い寒い冬を、昨年に続き冬眠に費やしておりましたら、いつの間にか1年の3分の1が過ぎておりました。

どうやら派手に寝過ごしてしまったようですな!

そんなイントロでアレしてみた、久しぶりの駄文。

しばらく来ないしもう桜は散ったし潮時かしら

全く更新されないこのアレをご覧になった物好きな読者の方々はそうアレしていた事でございましょう。

わたくしはと言えば雪にも風邪にも負けつつ、朝8時から夜10時までせっせと働いておりまして。

金が欲しくて働いて 眠るだけ

かの名曲を地で行く日常をアレしておりました。
三ヶ月ぶりとなる今回のアレは、この冬の出来事をガッ!とアレしてみようかと思います。


人はパンのみに生きるに非ず。

そんな暮らしの中で出来る、ささやかな変化をアレしたいと考えたわたくしは、カリスマのもとへと赴き、念願だったフォークの神様の如き巻き毛をゲット。



イメージとしてはこんなアレですが、髪の長さが足りず、カリスマの手によりロッドを外された際の髪型はこんな感じに



何か違和感をアレしつつも、「初期のディランはこんなアレじゃん!」と自分を騙して翌朝出勤。


(セカンドアルバム。これまた名盤)



職場の女性陣からは、「わたくしさん、前の髪型のほうが似合ってましたよ」とのお褒めの言葉。
「何を求めてそんなアレにしたのか?」という問いに対して、職場のPCでイメージ画像をアレしたところ、
「コレは外人のミュージシャンだから許されるアレです!」と諭されてしまったのでございます。

手に入れたものが自分の思っていたアレと違っていた哀しみ。
心の中に木枯らしよりも冷たいアレが吹き抜けるのを感じたわたくしは、

吹雪吹雪氷の世界~ッ!!!!

と、かの名曲をアレしたとかしなかったとか。


自らのアレを『養殖パーマ』とアレしつつ、変わり映えのない日常をアレしていたプロの独身。
縮れ毛が伸び、だいぶ柔らかい感じになった頃でしたか。



(画像はイメージです)



周囲のセミプロの独身に誘われるままにアレした、とあるアレにて1人の素敵なおなごと出会いまして。
集いの終盤に連絡先を交換。翌日より、


(矢文・狼煙・伝書鳩)

という文明の利器をアレしてやり取りを重ねるうちに、お互いの気持ちのベクトルがガッ!とアレいたしました。


(分かりやすくアレすれば『水魚の交わり』みたいな?)



数十年ぶりの大雪は、モテないわたくしの身に、かような僥倖がアレしてしまったが故なのかもしれない。


関係各所に謝罪したいアレに駆られつつ、そのおなごとお食事をする運びになりまして、中々合わないお互いの日程を、文明の利器をアレして、コレでもかとすり合わせます。

逢えない時間がアレ育てるのさ

そんな歌をアレして過ごすこと2週間余。
少し寒さも和らいだ或る夜、マジでアレする5秒前くらいに胸をアレさせたわたくしと、
わたくしを見染めてしまったらしき物好きな女性は、某駅の改札前で再会を果したのでございます。

やっと逢えたね

いつか機会があったらアレしてみたいと、ずっとアレしていた某作家の名台詞。
いつ言うのか?と問われればこの時以外にはないであろうという絶好のアレ。

が、しかし。

プロの独身であるわたくしの口から、そんな台詞なんぞ出てくる訳もなく、
「お、おー!ひ、ひさすぶり…!」
などという、非常にぎこちない挨拶を交わしてお食事処へ。
緊張もほぐれ、冷静と情熱の間の適度なアレを持った2人での食事。そりゃもう楽しい時間でございました。

が、しかし。

お互いを取り巻く如何ともしがたいアレはどうにもならず、結局わたくしはそのまま独身のプロとして道をアレする事に決めたのでございます。

ロマンスの神様はかなり残酷な一面をアレしていたようです。

悲しいことです。

かなしみに心を閉ざしかけていたわたくしをアレしてくれたのは、日々の忙しさでございまして。
物事を考える暇が無く、いつの間にか時間がアレしているというのは、悪いことばかりでもないのだと、
この時ばかりは心を亡くす日々も、悪いことばかりじゃね―なとKANSHAしておりました。

その後暫くして。

縮れ毛がさらに伸び、周囲の方々の優しい心遣いに、ぺっこり45度のお礼をアレ出来るようになった頃。


(画像はイメージです)


わたくしが所属するバンドのリーダーのお強敵達(ともだち)の方より、病気のリハビリ終了という召集が掛かりまして。

久方ぶりに対面したリーダーは、綺麗なお花と愛器のギターが2本飾られた祭壇の前にて、ぐっすりと眠っておりました。

クラプトンが大好きだったリーダーは、最後のリハーサル時よりも顔が細くなっておりましたが、
トレードマークの髭がいい感じに整えられており、こんな感じになっておりました。



憧れのお方に似たお化粧で旅立てたリーダーは「へっへ~、い~だろ♪」と誇らしげに向こうで大好きな酒と音楽をアレしているのでしょう。

それにしても。

また来週。とか、またそのうち。また今度。

そんな軽い別れの挨拶を交わしてアレした人と、次回も普通に「久しぶり!元気だった?」と挨拶をアレ出来るというのは、
中々に難しい事なのかもしれない。
久々にお会いした音楽仲間の皆様方と、ノンアルコールビールと寿司をアレしつつ、リーダーの想ひ出をアレしながらそんな事を考えておりました。

通夜振る舞いの席にて、「いつかもう一度アレしたいものだ」と思っていた人々とアレする事が出来たのは、リーダーの粋なアレだったと思う事に致しましょうか。

しかしまぁ

リーダーはもうこの世にはいない。
お通夜・葬儀からひと月が経ちますが、時々ぼんやりとリーダーの事をアレしてみれば、未だに何とも言葉に出来ないアレに襲われます。
どうやらまだ心のどこかで、リーダーが亡くなったというアレを受け入れられないのかもしれません。


そんな事をアレしながら心を亡くす日々をアレしていた或る晩。
仕事からアレして自室に戻りましたら、自宅隣室の兄が身体の不調をアレしおりまして、その尋常では無さそげなアレに、
わたくしは急いで寝ていた両親を起こし、兄の様子がアレしたところで白いワンボックスカーを自宅に召集。

深夜に起きたいきなりのアレ。苦しむ兄の横にはテンパった両親。
三者を自分でも驚くくらいにとんでもなく冷静にアレしながら、駆け付けた隊員の方に事情をアレして、生まれて初めて99車にアレ致しました。

病院に着き、諸々の処置が終わって夜が白み始めた頃でしたか。担当の女医さん曰く


(実は病院には色んな喜びがあるのですよ。)



「『朝起きてこないと思って様子を見に行ったらアレしてた』っていうケースは大体コレ」との事で。

幸いにも兄は一命を取り留め、本当に幸いな事に後遺症も皆無というアレでございましたが、暫く可愛い看護婦さんがアレする桃源郷に逗留する事になりました。

普段ならば、わたくしは仕事から帰るとそのまま風呂にアレ致しますが、その夜はたまたま自室に戻ったしていたのでございます。
もし帰宅があと1時間アレだったら とか
いつも通り風呂にアレしてたら  とか


今でもあの晩の事をアレすると背筋がアレ致します。ほんの少しタイミングがアレしただけで生死がアレしてしまうという、
一寸先は五里霧中な、何とも不条理で理不尽なアレについて、深くアレしてしまうのです。


(明日の事など誰にもわかりゃしないのですね)



おっと、長くなってしまいました。そろそろ冬眠中にアレした出来事のまとめに入りましょうか。

①金が欲しくて働いて 眠るだけの暮らし。
②わたくしにアレしたロマンスの神様、残酷な天使のアレを熱唱して去る。
③バンドのリーダーが他界
④兄が棺桶に片足をアレした



寒い寒い冬にわたくしの身に起こった中々にヘビーなアレ。

が。しかしその反面。

①安月給だがしかし、暮らしに幾ばくかの余裕がアレする。
②この先また独身のプロの引退を決意させる、素敵なおなごとのナイスな出会いがある(かも知れない)
③&④普段あんまり深く考えない生と死について深くアレする
ついでにわたくし以上に女っ気がない兄に、看護婦の恋人でも出来ようもんならばそれはそれでアレ。


そんな風にアレすれば『いい事ばかりはありゃしない』と口ずさんだ後に、『嫌な事ばかりはありゃしない』とアレする事が出来るのです。


ものは考えようでございますな。


寒い寒い冬にわたくしを襲った如何ともしがたいアレは、わたくしを結構凹ませたりしましたがしかし、
その凹みをグッ!とアレ出来る、したたかでしなやかなアレを手に入れられた気がします。

決してありがたくない、出来るならばもう味わいたくないようなアレですが、考えてみりゃありがたい事です。


冬が終わり春が来ましたので、またぼつぼつと駄文をアレ出来るように致しましょうかね。

さて、最後の〆でございます。

実は今回のこの駄文。書き始めたのは3月10日だったりするのでございます。
以前ならばせいぜい2日もあればアレ出来た愚かしい文章を皆様の目にアレするのは、書き始めて約ひと月のち。

わたくしが今一番欲しいものは駄文を綴れる時間と心の余裕

ではなく



優れたゴーストライターでございます。

なんていうベタなオチをアレしたところで、お化けのロックでも聴きながら、散りゆく桜をアレする事に致しましょうかね。


っちゅー訳でまた次回!

おしまい

とーきょーけんぶんろく 其の参

2014-01-10 18:18:18 | 日記
18:40

東京メトロ銀座線の広大な地下鉄の駅の改札を抜けたわたくしは、迷い子になっておりました。



広すぎるっちゅーの。

パンデイロ入りのかばんが肩にグッ!とアレしている上、脚も鉛の如く重くなっております。
普段からもっと歩かねばいけませんな。

やっとこさ地上にアレしたらば、そこはザギンの4丁目。
流石はザギン。表参道や渋谷とは違う、アダルトな雰囲気でございます。




思ったよりも人通りが少ないものの、街ゆくアベック達の数はそれなりに見受けられました。
表参道よりも大人な雰囲気をアレしたアベック達が多いというのも、ザギンという土地柄でございましょう。
同じ東京でも棲み分けされているところに、何やら面白いものを感じておりましたら、
四丁目交差点の信号待ちにて、わたくしの前後左右斜めは全てアベックという、何ともアレなフォーメーションをアレされておりました。

が、表参道で禅定をアレしたわたくしには、そんなアレは効きやしないのです。

強くなったな…。


それよりも。

表参道のアウトドアーなお店で買い忘れたものがございまして、それをどうしたもんかとアレしておりました。
アベックの数も少なく、そんなに光もアレしてないザギンにはこれといって用もない為、
晴海通りをチョロっとアレするだけ良いかも知れない。ぶっちゃけ疲れてるし。

そうアレしつつ、通りをアレしておりますと、



突然光溢れるスポットが。




気になる木の下にはやはり夢中で頑張る人たちがいるのだろう。



心の中でエールを送り再び地下鉄の駅へ向かいます。

しばし電車の中で眠りこけ、たどり着いたは御徒町。
アメ横を歩いておりますと、聖夜にも関わらず、通りにはおじさん達のダミ声がアレしております。

時刻は19:40。間もなく閉店するであろうお店に滑り込んで目的のものをアレして御徒町を後にします。

緑の電車と黄色い電車を乗り継いで錦糸町へ。そこから地下鉄に乗って向かう今宵最後の戦場。
それはバベルの塔がアレする地、押上。

20:15

真新しい地下鉄の駅の改札を抜けたわたくしは、迷い子になっておりました。
だって初めて来たんだもん。

とりあえず人が歩いてゆく方へアレしておりますと、ソラマチなるアレにたどり着きました。

ええい街はいいッ!塔を出せ塔をッ!!!


酸素欠乏症にアレしたニュータイプの少年の父の如く苛立ちながら、長いエスカレーターをアレして地上へ。
何故か強風が吹き付ける広場を抜ければ、眼前には光で彩られたバベルの塔。



間違えたこっち




鮮やかな光に彩られし、空にそびえるくろがねのアレをバックに、アベック達はスマートなアレで写真をアレしておりました。
それを横目にスマートじゃないケータイでくろがねの搭を連写するプロの独身。

数枚写真を撮り終えたわたくしの心に、

クリスマスイブの夜に、俺は独りでこんなところで何やってんだろう?

そんな素朴な疑問がアレして参りました。

疲れていたのです。疲れ果てていたのでございます。風強かったし。

刹那横でスマートなアレで塔を撮影していた若いおなごの3人組から、「上手くアレ出来ないね。」「誰かに撮ってもらおうよ。」との声がアレして参りました。

その声に反応し、一瞬そちらをチラリとアレしますと、1人のおなごと目があったのでございます。


つづく







つづき





わたくしはどうしたもんかと心の軍師に相談。師のたまわく



視線をそらし、ソラマチへと続く光溢れる階段を登り始めたのでございます。

だってね?

「御嬢さん、わたくしがアレ致しましょう。」と名乗り出て、写真をパチリ。
御嬢さんたちに可愛い笑顔で「ありがとうございま~す。」とアレされます。
そこでわたくしのナイストークがガッ!とアレして、カワイ子ちゃんたちと仲良くなってしまい、「えーお兄さんひとりなんですか~」とかいうアレになり、「私たちと一緒にご飯食べましょうよ~。」とかいう展開に。
アハハウフフと美味しい料理をアレして連絡先を交換し、そのうちの1人と後日再びアレして、二人の間に恋が始まる。


なんていうアレが出来るならば、わたくしは今頃プロの独身じゃありませんよ?

プロの独身である理由をアレしてくれたバベルの塔の光の階段。

そう、それはそれはつまり



というアレだったのでございますなッ!!!

少しばかりソラマチの中をフラフラとアレして、どっかで食事でもとアレしたものの、プロの独身という男坂を登り始めたばかりのわたくしは、
聖夜の晩餐をお洒落な場所でアレをするわけにはいかないのでございます。

プロって厳しいのね。

ソラマチを出て再び光溢れる男坂を下ると、先ほどの3人組が2人組の男性と、アハハウフフと楽しそうに話をしながらソラマチの中へとアレして行きました。

そんなもんでございます。

地下鉄で錦糸町へ戻り、お腹の虫がアレして参りました。

駅からチョイとアレした所にプロの独身ご用達のお店がひとつ。そこで聖夜の晩餐をアレします。



勿論オーダーしたのは失恋までのフルコース。(卵もアレした)

満腹になったわたくしは、黄色い車に乗り込み一路自宅へ向かいます。



こうしてプロの独身としての高みを目指すアレを終え、翌日は何とも言えない疲れで動けなかったわたくしは、
年末年始をそれなりに忙しく過ごし、2014年を迎えたのでございました。

そのアレはやら2014の抱負などは、また後日アレさせて頂きます。うふふ。

という訳で皆様、遅ればせながらご挨拶をアレさせて下さいまし。

新年あけましておめでとうございます。
思い起こせば旧年中は恥ずかしきことの数々。
わたくし深き反省の中に新しき年を迎えております。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
筆末ながら本年の皆様のご健康とご多幸を祈念しております。


っちゅー事でまた次回ッ!

おしまい