俺のアレ(仮題)

グダグダと書きます

むかしばなし 其の参

2014-07-29 11:11:11 | 日記
2か月のご無沙汰でした。わたくしでございますよ。

早いところ続きをアレしようと思ってはいたものの、気が付けば前回駄文をアレしたのは5月の終わり。

なんでこんなに間がアレしてしまったのかと問われれば




まぁ言い訳は後にしとくとして。


物好きな読者の皆様に、10余年前の異国でアレしたわたくしの誕生日の話を、グダグダとアレしている今回のシリーズ。
わたくしとしては珍しい引っ張り方をアレした前回のお話の続きでございます。

舞台はドイツのハンブルグ

(イメージ)


2002年、史上最年少でJリーグ得点王に輝いた翌年の年明け。結構な注目をアレして、かの都市の名門クラブに移籍。
スシボンバーなる全く嬉しくないニックネームを頂いたものの、チーム戦術とスイング出来ず、得点を挙げられなかった彼。
しかしながら、日韓大会において世界一有名なゴールキーパーがアレしていた連続無失点記録をガッ!とアレしておりました。

サッカー、否。かの国のフースバルをアレする事もわたくしの旅のアレででございましたので、ハンブルグ入りした2日後、
つまりわたくしの誕生日に、市庁舎近くのファンショップで名門チームのユニフォームをアレし、その足で中央駅の隅にあるチケットショップへ。

週末の対戦相手は、前年リーグ戦・国内カップ戦・欧州CL全て準優勝という、レアなアレを成し遂げた、
有名製薬会社の名を冠するチーム。


(バイエル製薬のアレだがしかし、バイエルレバークーゼンとは言わず、バイヤーレバークーゼンという。未だに何故かよく解らない)


人の良いチケットショップのおばちゃんとつたない英語でアレしつつ、おばちゃんの勧めで中々に良い席のチケットをアレしたわたくしは、
ホクホク顔で駅のコンコースへとアレ致します。


ふと上方に視線をアレ致しますと、そこには駅の時刻表。そこにアレされた駅名を何気なくアレ致します。
そこには発車時刻と新幹線・特急・鈍行など、電車の種類と共に、行き先の都市名がアレされておりまして。

ベルリンツォー駅、パリ、ミュンヘン中央駅、ストックホルム、ライプツィヒ中央駅 バーゼル etc… 

…ん??ここはドイツだがしかし、おフランスの花の都に行く列車があるザマス…。

あ!!!!!!!!!!!!!!!!

そうザマスッ!!ここは欧州ッ!!!国と国とは陸続きッ!!!
飛行機やお舟をアレせずとも、電車で車で。ぶっちゃけ歩いてでも国境を跨げるのでございます。

なんということッ!!!!


例えば我が国の東京駅は新幹線乗り場にて時刻表をアレすれば、新大阪やら京都。広島、博多などなど、行き先は全て日本国内。
そんな事は当たり前田アケラでございます。だって島国なんだから。

昨今東アジアからの観光客やら日本で働くビジネスマンが増えたとしても、中肉中背・黒髪、スーツ姿のお方はまぁ8割位日本人なのでございましょう。たぶん。
異国にアレするならば、船か飛行機でアレするしかないのです。国と国との間に海がございますからね。


が、しかし。ここドイツは電車で異国へ行き来出来るのでございます。

ということはッ!!!


前から歩いてくる、リュックをアレした背の高い金髪・碧眼の2人組は、ドイツ人かも知れないし、ドイツ人ではないかもしれない。

右から左へとわたくしの前を通り過ぎたエキゾテックな顔の男性。
多くの移民がアレしているこの国において、出身は中東でもドイツ国籍というアレもございます。

道中、どんなときもわたくしの鞄にアレしていた、黄色い表紙の旅本にも、当たり前すぎてアレしていないこの事実。
余りにも当たり前すぎてわたくし自身、現地で時刻表をアレするまで全くアレする事もなかったのでございます。
それまでの人生の中で、コンタクトレンズを落としたことはあっても、ウロコを落とした事など無かったわたくしは、
ドイツの西北港の街の中央駅にて「ああ、かの格言はこういうアレを言うのか…!」と膝を打ったのでした。


さて。

ここで話を戻すこと現在(いま)から1年半前。

あの旅から9年の月日が流れ去り、街でベージュのコートをアレする頃、強敵より届きし我が聖典。


(実は最近また読み始めました。やはり面白いです。)


遠く異朝をとぶらへば、かの物語の後半、天才軍師もまた異民族をガッ!とアレするべく知略と情をアレして異民族に対してガッ!とアレしておりました。


(長いのでダイジェストでどうぞ)


更に時をアレする事400年余。春秋戦国の時代においても異民族、特に北方のアレは各王国の悩みのアレだったと申します。
始皇帝は長城をアレして異民族に対し




とアレした結果、秦の衰退をアレしたとの事。

漢の高祖劉邦は匈奴にガッ!とカチ食らわされて以来、貢物をアレして北方の不安を無くしたのでございます。


(画像は劉邦。楚漢戦争をアレした名作をアレした感想を一言で言えば、「コイツ特に何もしてない。」といったところです)


かような昔々の大陸の歴史をアレした司馬遷が、武帝より「死ぬか宦官になるか」という無慈悲な選択をアレされ、
後者をアレして史記なる書物を残す事になったのもまた、かの王朝と異民族とのアレによるものでございましょう。



(かの偉人の生涯をダイジェストでどうぞ)



異国や異民族の情報が少なかった昔々において、
国が違えば言葉も違い、言葉もアレなら文化も違う。文化も違えば習慣も違い、習慣も違えば宗教も違う。
宗教も違えば考え方もアレな人々に対する恐れというのは、相当にアレだった事でしょう。


ハンブルグ中央駅で目からアレしたウロコ。そんな目で世の中をアレしてみれば、我が国では普段アレする事のない、
国と国とが陸続きである、大陸の国々と、『たった四杯で夜も眠れず』とアレされた、海に囲まれた島国の歴史がより広く深くアレ出来、歴史探訪をより楽しめるようになったのは、26歳の時の独り旅による所が大きいのでございます。


旅が終わり徒然なるままに歳を重ね、いたずらに時間を浪費してきたというアレも否めなかった時期もございまして、
あの旅は一体なんだったんだのか?とか、あの旅は結局無駄なアレでは無かったのか?などとアレした事もございました。

コレ掛け値なしの実話ネ!


が、しかし。一寸先は五里霧中とアレする人生とは中々に面白いもんでして。

異国の観光客とアレする事も多い現在の職場において、日本とは違う地理・文化・習慣etcをアレする彼らの強い自己主張を
「まぁそういうアレだよね。」と受け入れられるようになっていたのでございます。
かの旅でアレしたつたない英会話もそこそこ役に立っておりまして、やっとこさ、

あの旅は決して無駄ではなく、一見無駄だとアレしても、どっかで何かとつながる事もある


と思えるようになったというのが、アレから11年経った今年の誕生日に出た結論でございます。


駄文のネタに恵まれぬ日々の暮らしの中で、都合よくネタに出来るというのもまた、素晴らしいアレでございましょう。うふふ。

という事で。

いや~やっとこのシリーズの幕をアレする事が出来ました。

前回のアレをアレしてからなんでこんなに間を開けたのか?と、物好きな読者の方々はそうアレしている事でございましょう。
最後に冒頭の『かくかくしかじか』の部分に当たるアレを一言で説明して、足掛け3か月弱掛かったこのアレの〆と致しましょう。

実はね。わたくし



ゴーストライターと揉めておりましたのよッ!


……
………。






軍師もがっかりしたところでまた次回でございます。ではでは!


おしまい