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シニアの徒然、銀ぎつねがコーンと鳴いて、 「金のなる木」に花が咲き、香炉峰に雪を観る

写真付きで日記や趣味を書き、時々時事放談して、往く行くは晴耕雨読の生活に入りりたいと思っている、仕事中毒のシニア

海外主張に行ってきました。日本国内ですが。

2018-03-26 21:41:38 | 日記

3月初旬から、海外出張に行ってきました。とはいっても、日本国内ですが。

鹿児島県の離島である徳之島と、沖縄に行ってきましたから、海外には違いはないと思うのですが。

この、徳之島や沖縄は、東北の宮城県から比べると、10℃~15℃違います。温かかった。おかげで帰ってきたら、気温の変化が激しいので、風邪をひいてしまいました。そのうえ、花粉症で悩まされております。

徳之島や沖縄は、温かで花粉症がないから楽園でした。それが、東北に帰ってきたら、寒くて雪が降っていて、そくせ花粉が舞っています。阿武隈川沿いの道路の脇は、杉の木の実が鈴なりになっていて、花粉で道路が黄色くなっていました。これは初めて見てビックリしました。余計に花がムズムズしてきて、クシャミと鼻水が止まらず、目は痒くて最悪です。

この鹿児島県の南西諸島や沖縄諸島の方言は標準語からかなりかけ離れているので、土地の人たちの話を聞いていると、解らないので、ここは日本なのかと最初は思ってしまった。でも、この方言は、万葉集に出てくる大和言葉と、平家の落人と土着の人たちの言葉が合わさった言葉なのです。だから、よく聞けば、何となく旧い言葉だということが解るといわれていますが、やっぱり、私には解らなかったというのが本音。

だから、そのくらい解りづらいので、反日左翼や無知な芸能人や自称文化人と称する人たちは、沖縄=琉球は日本ではなく、独立国だとか、中国のものだったのを日本が奪ったなどと、たわごとを言っている。最近も朝生で無知な芸能人が沖縄は中国のものだ、などという輩がいましたが、これは、とんでもない誤解です。

南西諸島や沖縄は、一度も中国に支配されたことはありません。尖閣諸島と同じく中国のでっちあげなのです。では、何故でっちあげなのかといえば、先述したように、万葉集に出てくる大和言葉を使うということは、大和飛鳥時代から奈良時代、平安時代初期まで続いた遣隋使、遣唐使に行った人々が難破して土着し、また、源頼朝に追われた平家の落人の人たちが土着して京言葉も合わさって出来た方言からいっても、もともとは日本の国の一部だったのです。いまでも、平姓が南西諸島や沖縄に随所に見られます。

その後、尚氏の琉球王朝が建国されて、初めて当時の中国王朝に対して朝貢したけれど、中国に支配されたわけではありません。江戸時代に薩摩藩の保護下にはいり、沖縄は、明治維新後日本の県になって現在に至っております。

南西諸島や沖縄の人たちは敗戦後米国に一時統治されたときには、熱心に返還運動をして日本に復帰されたときは、全島民、全県民は大いに喜びました。

処が、今では基地反対運動などをする反日左翼の運動家の巣窟となり、本当の沖縄県民はこういう余所者に大迷惑をしています。その運動家を裏で操っているのは、何故か中国、北朝鮮、韓国、ロシアなのです。

チョット、政治的になりましたが、歴史を紐解けば、日本の万葉集の時代にまで遡れるということは、想像しただけでも面白いとは思いませんか。

そして、海岸はサンゴ礁、熱帯魚みたいなタイやヘラの仲間の魚。陸にはパパイヤ、バナナ、マンゴー、パイナップル、サトウキビなどがあります。

島の人たちは、パパイヤを果物として食べないで、漬物や野菜として食べます。私たちはパパイヤを果物として食べるのにです。そして、熱帯魚みたいな魚を食べたよ、と、娘に言ったら、熱帯魚を食べたのか、と、軽蔑の眼で見られてしまったりと楽しみました。こういうことは核と、仕事の出張ではなく観光と思われるかもしれませんが、観光をする間もない程仕事で忙しかった。チョットした息抜きをしましたが。

 


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