
それから1週間ほどかけて諸々の手続きを済ませ レッドドラゴン/ジョンマウス(懐かしい!)/ローリー/それに3人を取りまとめるマネージャーに自分を含めた5人でジャマイカを飛び発った
契約時点で1/4
ニューヨークで1/4のギャランティーを渡すことにした(残り半分はツアー終了後)
途中ばっくれられることが一番恐かったからだ
ケネディ到着後は すぐに4人のパスポートを預かったりもした
無事成田へ降りたった時の安堵感は 今でも忘れない
海外からのアーティスト招聘など百戦錬磨のプロフェッショナルがやる仕事で サウンドマンなんかの手に負えるものてはない
と 多くの人達に助言を受けていたからだ
が キラサンはやり抜いた
サウンド面でのハイファイのサポートも 成功の鍵だっただろう
とにもかくにも その時初めて本場のダンスホールが日本で再現されるに至ったわけである
さて 話をレッドドラゴンに戻そう
ジャイアン体質というか 元々ぶっきらぼうな性格とおぼしき彼
初来日にバイブスの上がる他の3人とは裏腹に ホテルや移動の最中も何故か押し黙った姿が目についた
心配し声をかけると 蜂蜜(ジャマイカでは強壮剤としても使われる)を買ってきてくれという
思えば全盛期の真っ只中でもあったわけだし その時も疲れがたまっているのかな?というくらいで それ以上のお節介は自重することにした
現にどの会場でもステージは完璧
というか 登場のバスタブランクのバージョンだけでマショップ!
ポゥポゥ!ポゥポゥ!の大盛況だったからだ
ところが ツアー終盤の赤坂のホテルで
SAKi… Com Wit Me
と なにやら深刻な顔つきで部屋へ呼びつけられる
行くと 照れ隠しに股間を手でかく仕草を見せながら 小さな声で
Ganaria Yu Know?
と呟いた
あの女か!
Bombo Claaat, Dat Mi a Seh
出国前に寝た例の彼女は なんとガナリア種という性病持ちだったわけだ
まさに
Gun inna Buggy
ジャマイカ流の笑えないジョークである
計ってみると 熱はなんと40度を超えていた
さぞ苦しかったことだろう
急遽英語の堪能な医師に往診を仰いだことは 言うまでもない
ちょっと下世話な裏話になってしまったが もうあれから20年の年月が流れたわけだから 充分時効も成立だろう(笑)
この時間の間に 随分日本のダンスホールも成長した
それをドラゴンにも実感してもらえれば何よりだと思う
‐追記‐
そういえば今週末は鹿児島なんだな…
待ちきれず 高速走ってしまうかも知れない(笑)