昭和55年から旧山川図書館で行われてきた一坪図書館は、33年の歴史を持つ図書館における遠隔地サービスです。
何か情報ないかとネット検索していたら、ここにいきつきました。
この本もうちにはなかったので、検索したら、鹿児島県内いくつかありました。
まずは借りてみたいと思います。
http://blog.livedoor.jp/hanaichisan/archives/51503269.html
伊藤松彦・川添正人著「地域生活と生涯学習 中野哲二教授退任記念論文集」(鉱脈社)を読んでいると、第7章「公民館図書館の発見 社会教育行政の現場から」に松下尚明さんが山川町の「一坪図書館」を紹介していました。
なお、鹿児島県山川町は、現在の指宿市山川になっているようです。
面白かったので、要点を掲載します。
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山川町における図書利用者は、図書室のある山川港周辺地域に限られていた。
これではいけないと、夏休みに私有車を使っての移動図書室事業を展開した。
この結果、毎年の貸し出しが500冊アップした。各地区で、差し入れのジュースをいただきながら、図書室の存在をPRしえたことは有意義だったといえよう。
ある日、子ども会指導者達と語っていると、次のような発言が飛びだした。「一坪あれば読書運動が出来るのだが‥‥…」。私は「ハッ」とした。思わず手をうって、「それだ、それだ」と叫んでいたのである。
この発想を具体化したのが、山川町の一坪図書館である。しかし、その際、「配本所」ではだめだと考えた。配本所には、上から押しつけられた感じがまとわりついている。しかも、静的な印象が強い。
私達が目指したものは、そうした旧来のものではなくて、その拠点を地域文化振興の核にしようというものであった。そうするには、しかし、条件があった。人を得るということである。
そこで、一坪図書館長には、社会教育活動家が選ばれた。つまり、子ども会・婦人会・PTA等の役員の経験者で、しかも、そこで培った力を更に地域に還元したいとの志をもった人々である。
場所は、そうした方々の玄関口であったり、縁側であったりした。謝金は月3,000円であった。配本する図書は、一館当たり200冊。館の数は、年によって違うが、平均13館である。ここにニケ月に一回、図書をローリングするのである。
かくして一坪図書館は、学校から帰ってきた子ども達のたまり場になった。絵本を求めてやってきた若い母親の社交の場になった。農村地区では、お父さん達が顔を出して、農業図書を借りていく姿もみられるようになった。
1981年度には、一坪図書館だけの貸し出し冊数が6,000冊。町民会館図書室を含めた全体では、10,468冊となった。念願の1万冊の大台にのった記念すべき年であった。
~~松下先生の手記はここまでですが、私が小学3年生の頃(今から42年前か?年がばれる・・・)にも家庭文庫しているお宅がありました。玄関先に本棚があり、そこの本を読むことも借りることもできました。そういうものが変化したのだろうか・・・と思うことでした。一番多かった時期は15か所にも上っていたようですが、現在では6か所になっています。館長さんの高齢化や、少子化もあるでしょう。
ただ、全国でも珍しいこの制度がここまで生き残った背景には「一坪図書館は山川の知の財産」だと思う社会教育関係の皆様の思いがあると思っています。その方々が不在になられた時、この制度は風前の灯のようにも見えます。もう一度、この制度が生まれた背景、現在の状況、これからの施策、そういうものを総合的に捉えた見直しが必要な時期なのかもしれません。また、図書館は指定管理者制度になり、その社会教育実践者の直のbackboneとしての役割を果たせうるのかの疑問も出てきました。市の社会教育課と直で業務シェアができていない中、その意味をきちんと話せる職員がだれだけ居らして、その思いがどう引き継がれるのか。一度消えたものは、そうおいそれとは還らない。ただ、財産、財産と声高に言っているだけの時代ではなくなりました。本当に財産なら、それをどう活かしていくのかの具体策が必要だと思っています。
shimo