天職と呼ばれるような
魂の喜ぶお仕事は
毎日毎日が新鮮で魂が喜びを
感じるかも知れません
けれども
それだけでは生きていけないことのほうが多いですね
趣味も天職になりますが
それで生計をたてるのは
なかなかむつかしいこともあります
ある方は歌手を目指して
突然脚光を浴びメジャーデビューして売れました
魂が喜び同時に多くの見返りとしてのお金も入ってくる
人に感動を与え自分も感動し
地位も名誉も財産も入ってくる
なんていう方はホンの一握り
この成功したご本人が
天涯孤独だったり
家族に恵まれなかったり
この経験があるからこそ
だからこそ
人を感動させる歌がうたえたり
共感できるような歌詞が書けたりできるのですね
亡くなられた森光子さんが
"女優はさみしくなくっちゃできないの"
と言ってらっしゃったのが印象的でした
波乱万丈の人生の経験があったからこそ
人柄から溢れる演技が人の心に響いたのですね
多くの経験が何にもかえがたい
財産になるのですね
今しんどいと思えることは
大切な経験をさせてもらっている
そんな簡単に思えないって…
人に感動を与え自分も感動し
地位も名誉も財産も入ってくる
なんていう方はホンの一握り
この成功したご本人が
天涯孤独だったり
家族に恵まれなかったり
この経験があるからこそ
だからこそ
人を感動させる歌がうたえたり
共感できるような歌詞が書けたりできるのですね
亡くなられた森光子さんが
"女優はさみしくなくっちゃできないの"
と言ってらっしゃったのが印象的でした
波乱万丈の人生の経験があったからこそ
人柄から溢れる演技が人の心に響いたのですね
多くの経験が何にもかえがたい
財産になるのですね
今しんどいと思えることは
大切な経験をさせてもらっている
そんな簡単に思えないって…
それはそうですが
先日のことです
いつものクラクラのあと
阿弥陀さまがおこしになりました
その阿弥陀さまはのちに
家の近くの光明寺蔵の
阿弥陀三尊来迎図の
阿弥陀さまだとわかりました
その日
家に帰って何気なく京都新聞を手に取りましたら
お越しいただいた阿弥陀さまが載ってらっしゃっしゃいました
阿弥陀三尊ですから
図では三体いらっしゃるのですが
私のところにおこしになられた阿弥陀様は一体でした
その阿弥陀様の足元に
金貨が少しばかり散りばめてありました
{これはあなたがたの金貨です}
『私たちはお金がほしいわけではないのです…が』
{これは人のつくった通貨のお金ではありません
あなたがたの働きがお金以上の価値となった分の現れなのです
光の金貨なのです
あなたがたが
お金以上のことが出来たら増えていきます
この光の金貨をたくさんにして
こちらへ還ってきてください}
『あ、ありがとうございます』
当然のことながら私たちの光の金貨はまだ少しばかりでした
あの世へ還るのはまだ先なので猶予はあります
その阿弥陀三尊来迎図は
大きな一体の阿弥陀さまの足元に
二体の小さな阿弥陀さまが描かれていました
ああこの小さな阿弥陀さまは
私たちなのかなと思いました
"三位一体"
キリスト教が語源ですが
三つのものが一つのものの三つの側面であること
とありますが
ピラミッドをイメージしてくださればわかりやすいかと
三つの別々のものが緊密に結びつく
三者が心を合わせて一つになる…
ですので
神と私とあなたは一体なんです
私たちはみんな阿弥陀さまにつかわされたのかもしれないですね
それにおこたえできるような人生にしなければなりません
光の金貨をいっぱいにして
あの世に還るのです
お金は簡単に楽してえられるものではありません
人からみれば
楽そうに見える仕事
楽しそうに見える仕事
天職とて
厳しく辛いことが伴います
上に還ったときに
どれだけの光の金貨がためられたか
着ぐるみを脱ぎ捨てたあとは
魂だけの存在ですから
お金や物がいっぱいあっても
あの世にはもっていけず
光の金貨だけをもって還るのですね
その光の金貨をつくれたかは誰が評価するのか?
それは自分です
高次の自分イコール神です
ハイヤーセルフとは高次の自分
誰でもなく自分なんですね
ですから仕事で評価してもらえなくても
それ相当の見返りがなくても
自分が出来ることを精一杯したなら
光の金貨がひとつもらえているはず
あの世にもって還るための光の金貨です
せっかく光の金貨がたまっても
人をおとしめたり
ののしったり
ネガティブな言動ひとつで
光の金貨が減ってしまいます
光の金貨はお金をいただく仕事に限らず
色々な場面で増やせることができます
それには1人ではなりたちません
自分のまわりにいる方すべて
自分以外のすべての方が必要なんですね
誰かがいるからあなたは"光の金貨"が増やせます
あなたがいるから他の誰かが"光の金貨"を増やせるのです
皆さまが笑顔でありますように☆
先日のことです
いつものクラクラのあと
阿弥陀さまがおこしになりました
その阿弥陀さまはのちに
家の近くの光明寺蔵の
阿弥陀三尊来迎図の
阿弥陀さまだとわかりました
その日
家に帰って何気なく京都新聞を手に取りましたら
お越しいただいた阿弥陀さまが載ってらっしゃっしゃいました
阿弥陀三尊ですから
図では三体いらっしゃるのですが
私のところにおこしになられた阿弥陀様は一体でした
その阿弥陀様の足元に
金貨が少しばかり散りばめてありました
{これはあなたがたの金貨です}
『私たちはお金がほしいわけではないのです…が』
{これは人のつくった通貨のお金ではありません
あなたがたの働きがお金以上の価値となった分の現れなのです
光の金貨なのです
あなたがたが
お金以上のことが出来たら増えていきます
この光の金貨をたくさんにして
こちらへ還ってきてください}
『あ、ありがとうございます』
当然のことながら私たちの光の金貨はまだ少しばかりでした
あの世へ還るのはまだ先なので猶予はあります
その阿弥陀三尊来迎図は
大きな一体の阿弥陀さまの足元に
二体の小さな阿弥陀さまが描かれていました
ああこの小さな阿弥陀さまは
私たちなのかなと思いました
"三位一体"
キリスト教が語源ですが
三つのものが一つのものの三つの側面であること
とありますが
ピラミッドをイメージしてくださればわかりやすいかと
三つの別々のものが緊密に結びつく
三者が心を合わせて一つになる…
ですので
神と私とあなたは一体なんです
私たちはみんな阿弥陀さまにつかわされたのかもしれないですね
それにおこたえできるような人生にしなければなりません
光の金貨をいっぱいにして
あの世に還るのです
お金は簡単に楽してえられるものではありません
人からみれば
楽そうに見える仕事
楽しそうに見える仕事
天職とて
厳しく辛いことが伴います
上に還ったときに
どれだけの光の金貨がためられたか
着ぐるみを脱ぎ捨てたあとは
魂だけの存在ですから
お金や物がいっぱいあっても
あの世にはもっていけず
光の金貨だけをもって還るのですね
その光の金貨をつくれたかは誰が評価するのか?
それは自分です
高次の自分イコール神です
ハイヤーセルフとは高次の自分
誰でもなく自分なんですね
ですから仕事で評価してもらえなくても
それ相当の見返りがなくても
自分が出来ることを精一杯したなら
光の金貨がひとつもらえているはず
あの世にもって還るための光の金貨です
せっかく光の金貨がたまっても
人をおとしめたり
ののしったり
ネガティブな言動ひとつで
光の金貨が減ってしまいます
光の金貨はお金をいただく仕事に限らず
色々な場面で増やせることができます
それには1人ではなりたちません
自分のまわりにいる方すべて
自分以外のすべての方が必要なんですね
誰かがいるからあなたは"光の金貨"が増やせます
あなたがいるから他の誰かが"光の金貨"を増やせるのです
皆さまが笑顔でありますように☆