昨日の夜、テレビをつけてたらNHKである番組が放送されていた。
心の傷を持つ若者たちのことについて。
あたしも1・2年前は自分の存在自体が許せなくて、もちろん遺伝子も嫌いで…。
遺書なんかも書いたりする程下がってました。
でも、行動を起こすほどの勇気がなかったので、現在こうやって生きていたりする。
たまにとてつもなく自分を傷つけたくなった。
でも、これはリストカットのように肉体を傷つけるものではなくて、精神的な方。
だって、腕を切ったら痛いじゃん

それに、肉体を傷つける時は最終手段だという変なこだわりを持ってたから。
今でもそうだけど…。
大学へ歩いて通う時にいろんなことを考えて(妄想)たのだけど、1度「自分を傷つけてやろう」と思った後に無意識に顔がにやりと笑ったことがあった。
それに気づいてすぐさま「いや、いかん!」と思ったのだけど、あの時は自分の中に違う自分がいるんじゃないかって思ったりもした。
ちょっと怖かった。
1・2年前は「あなたは何のために生きているんですか?」って聞かれると即座に「親の為」って言える自信があった。
あの頃は自分のために生きてるなんて毛頭思ってなかったし、親の意思に反して生きていくという荒業をやるなんて…って感じだった。
反抗期の時は教師にはむかったりしていたけど、親には特に何かをした記憶はない。
中学校3年生の時にクラス全員3分間の最終進路面接があったけど、あたしだけ面接時間が
30分間で、当時の担任に「お前が高校に受かろうがすべろうが自分には関係ないんだ」と本音を漏らされたりしたこともあった。
母親がいろんな家庭内のゴタゴタで苦労してるのを見てるから、親に向けられない反抗を教師にぶつけていたんだろうな。
そういえば、ゆきちゃんが「あたしはあんまり笑わなくなってた」って彼女の過去のブログに書いてあったけれど、意外に大学では笑ってたんだよ。
仲のいい友達と話す時は、ちゃんと笑ってたけど、同級生と話す時は口は笑うけど目が笑っていない状態だった。
「ここで喋っていいのかな?」とか「笑っていいのかな?」って笑っている時は考えていた。。
同時に違うことができない自分なので、今思うと、よくそんな器用なことができたもんだなぁって。
昔のことを思い出していると、一つ不思議なことがあった。
高校3年生になりたての頃、あたしは自律神経失調症になった。
でも、原因がよくわからない。
というか、そのころのことはあまり覚えてない。
その頃に書いた日記を読んで「そういえばそんな事があったのか」ってくらい。
日記によると、進路のことでかなり悩んでいたみたいだった。
本当に辛いことはすぐに忘れてしまうものなのかも。
とにかく、ちょっとした昔はいろんなことがあったけど、生きててよかったなって思える。
大学の先生が「生きてれば2・3度は良い事がある」って言ってたのが今になってよくわかる。
でも、逆にあと人生の中で良いことは最多で2回しか起こらないのかって思ったりもするけどね
前向きになろう。
せっかく、彼に出会えて「自分はココにいていいんだ」ってわかったんだから。
でもね、やっぱり親には自分の問題や弱さは見せたくないな。