心は秘密

仏心に住して菩薩のように語るブログ

生死は人生の一大事

2020-04-14 11:00:11 | 仏教
道元を指して「いまだ仏境界に非ず」と批判した鈴木正三。江戸時代初期に出家した禅僧だが、その鈴木正三に死期が迫ったころ、ある僧が「お脈が悪いとのことですが、ご気分はいかがですか」と見舞うと、正三は「わしは三十年前に死んでおいたわい」と答えた。


また曰く「この糞袋を何とも思わず打ち捨てることなり。これを仕習うより他の仏法を知らず」と。


この二句を読むだけでも、正三の悟りの心髄が伝わってくるようです。つまり正三の解脱法に関わる信念ですね。


更に彼の『盲安杖』を読むと、「とりわけ武士の生涯は、生死をしらずば有るべからず」とあり、「侍という字は、生死の二事を知るを以て云うとの説有り」などとも語っていて、そのまま「武士道と言うは、死ぬことと見付けたり」という『葉隠』の言葉なども連想させるような響きもあります。


また『盲安杖』には、「心を滅ぼして心を育てよ。明々たる心を朦々たる心に覆われて苦しむことなかれ。時々に滅ぼせ。古語に曰く『殺生せよ殺生せよ。刹那も殺生せざれば、地獄に入る事矢の如し』」との言葉が見えます。


解説すれば多岐に及びますが、概略すれば「解脱の心に立ってこの世の処し方を育め。悟りの心を迷いの心で覆って苦しむことなかれ。時々に妄心を滅ぼしなさい。古語に曰く『妄心を殺せ、妄心を殺せ、一時だにも妄心を殺さざれば、即座に地獄堕ちするのだから』」というような意味ですね。


彼の言の如く、生死の問題を克服するということは、己に打ち克つということですから、未だ生死の問題に滞りがあれば、大いに彼の言を参考に利したいところですね。