学生時代の思い出と今日。
教員3校目教育大学附属高校時代の学校新聞の自己紹介-40歳の私、当時を思い起こすと何故か気恥しく、あまりにも純粋であった自分が懐かしいばかりです。中でも、現在と当時の私を取り巻く環境差が一番大きいと思います。当時多くの場合、学生時代と言えば苦学を余儀なくさせられたものですが、私は、衣・食・住で苦労なくスポーツに没頭出来たことが当たり前のように思っていました。今思うと大変ありがたいことです。親をはじめ多くの理解者に対して感謝の気持ちで一杯になります。私の学生時代は、文字通り、明けても暮れても走る事ばかりと言っても過言ではありません。(陸上競技・ハードル種目)猛暑に勝ちたい気持ち大きく、とにかく人の2倍、3倍の練習を消化する事で満足感を得ていたようです。素質(体格)的に恵まれている方では無かったのでがむしゃらでした。理論や科学トレーニングと言うより、要するに速ければ良い式の考えが強かったのです。
爆発的なパワーを必要とする短距離種目では、大きなダッシュ力がものを言うわけで、振り返ってみると高3~大学2年にかけて、片足屈伸をやり続けたことで自信のつく切っ掛けになったと思います。それに私は、ものに取りつかれたように練習するタイプであり、素質の無い者が勝負に勝つためには、毎日頑張るしかないと言う理論だったのです。誠実に努力すれば、必ず良い結果が生まれると常に自分に言い続けそれを支えにしてきました。私の場合は、一人で練習する事が多く、自分との葛藤の毎日であり、100mのインタ―パルトレーニングが好きで、40本、50本、60本と本数を増していったことも鮮明・脳裏に焼き付いてます。当時の練習日記を開いてみると、いつも身体が熱くなっていくのを覚え、そして、又やらねばと意気込む私です。現在の生活を思うとき、当時のあの環境にあった事が、なんともありがたいことであったかと感謝するばかりです。そして今、私が子供たちの環境づくりの立場あることを思うと、改めて深く考えてしまいます。我が子もいつの日か信念を持って事に向かってくれる人となることを願っています。
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おくる言葉 3年9組担任就職希望クラス 45歳の私
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前任の教育大学附属高校3年間から4校目新設5年目の京都府立莵道高校に転勤しました。新入生のいきなり学年10class主任、保健体育科教科主任、教職員親睦会代表といきなり、右も左も知らずに、校長は前任校・前々任校の様に思う存分に活躍を願います。とプレッシャー!どちらかと言うとワンマン校長で反論はもとより意見が出しにくい雰囲気で、私だけが、こんな状態では成果はもちろん生徒達がダメになりますよ!と初年度夏休みに提案を致しました。『石の上にも三年』もうちょっと様子を見ればと・・引き下がるも・・2年目は、理数系進学コースの担任、3年年目には就職希望者クラス(いわゆるやんちゃクラスの担任)職員会議では吉田学年はテスト学年で他学年や他教科は参考にしない様にと"おふれ"が出るまでになった。それと言うのも学校長へいちいち注文を付けた。スタートで任したぞと言ったものの、これ程迄に異論を唱えるとは思わ無かった様だ、・・私へのバッシングも徐々に強まり、いよいよ3年生・・・答えは出た。そして校長定年退職の歳!平成4年(1992年3月末日)
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【歩きメモ】
8823歩・6.4km・27g・1785kcal
日記風川柳
「気に入って 過去のブログで 振り返る」
断捨離や老前整理は当時の再現が良い
「自分なの 今の私では 出来ないね」
私の現役時代と後期高齢の今とは違う人
「全霊で 創作出来て ホントなの」
今の私が、過去の私をリスペクト
「追い込まれ 必死でないと 生きられぬ」
―1年前今日のブログ記事ー
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