2/25 精神状態3/10
診察の日だった。ミルタザピンを処方された。
躁転するといけないからか、ちょっとやそっと、うつが辛くても、
なかなか薬の処方が変わることはない
(抗うつ剤を出してもらえない)という印象。
お薬手帳を見ると、ミルタザピンは最初の入院時に処方されて以来の約2年ぶり。
あまり合わない薬だったような気がする、と、
薬の一覧表にメモ書きがしてあった。
月一回の注射(エビリファイ)との兼ね合いもあって、
来週また受診することになった。
主治医の先生はとても忙しそうで、
こちらの答えにややかぶせ気味に返事をするのもあるんだけれど、
それよりも、自分が言いたいことをどこまで言っていいのか、
あまりよく分からないのが問題だと思った。
あまり言葉が出てこないからか、
体重が減ったことや、しょっちゅう泣いていることを伝えたからか、
とにかくうつに対する薬を出してもらえたことは、支えになった。
「薬があるからまだなんとかやれる」なんて、
いっときは副作用がひどくて、薬を飲むことが苦痛で仕方がなかったのに、
すごい進歩だと思う。
先生と探しながら、自分に合う薬を処方してもらえる安心感、
それは、病院と主治医を変えるまで、なかなか感じられないことだった。
今の先生には特に、足を向けて眠れないとつくづく思う。
そう思うのに、どこかで、例の理想の先生(以下、Q先生とする)の姿が浮かんでしまう。
普段は薬のことを考えることが少ないから、
ゆっくり診てくれるQ先生に分があるのは仕方がないのだろう。
帰り、目の前で交通事故があった。
車同士のぶつかる、物凄い音。
幸いにも運転手はどちらも無事だったように見えた。
事故に巻き込まれたわけではないけれど、
自分が生きている不思議、生かされている不思議を感じずにはいられなかった。
彼氏とは昨日別れた(この話も先生にしていない)。
別れ際に言われた、「謝るくらいなら付き合わなければよかったのに」
という言葉に、謝ることも許されないのか、と思いながらも、
躁やうつの時は、普段なら絶対にやらないこともしてしまうんだ、
と言ったところで伝わらないだろうな、と思って言葉を飲み込んだ。
彼はうつに対する知識がほぼなくて、
「うつの人には焦りを呼ぶ言葉だから、言っちゃダメだよ」と断りを入れても、
しょっちゅう「頑張れ」と励ましてくれる人だった。
病気に理解のある恋人を求める方が酷なのか?
でも、言いたいことをほとんど遠慮せずに言える関係って久々だったな、
と感謝の気持ちが湧いた。
短い間だけど、付き合ってよかった。
向こうはそう思ってないと思うけど。
もうしばらく、一人を満喫する。