震災より7週目に被災地の宮城県の沿岸部と介護避難所を訪問しました。
テレビや新聞等で見てはいたものの実際にその現場を目の当たりにすると
ニュースでは伝わりきらない様々な事に気付かされました。
石巻市内から車で20~30分の小高い丘の上にある避難所は介護を必要とされる方々と
その御家族が100名近くで生活をされていました。
私が行った時は段ボールで作られたベッドが支給されており、少し介護が楽になったとのこと。
支援物資としてお送りした杖も役に立っていた。
特に喜ばれたのはビーズクッション類で、膝を曲げたり体位変換にとても欲しい物資だったようです。
背上げ、膝上げができればご本人はもとより介護する方ももっと楽になるだろうに・・・。
必要な物の優先順位も刻々と変わっています。
空き地にはブルーシートを掛けた粉ミルクが高く積まれていた。
一輪車(台車)も何百台と積まれ、サビが出ているものもありました。
きっと現場は混乱しているのだろう。本来コーディネートをするべき役所の人達も皆、被災者なのだから。
避難所に向かう前に訪れた被災地ではボランティアの人達がバケツリレーをしている光景を見ました。
この積まれた一輪車が海岸沿いの家に行き届いていれば泥を運び出すのも楽だろうに…。
この一輪車の宝の山がもったいなくてたまらなかった。
石巻漁港も防波堤には船が何隻も乗り上げたままで、冷凍庫から流出した魚介類が漁港に打ち上げられ、
そこに地面が見えないほどに海鳥が群がっている。
数分立っているだけでも目まいがするほどの悪臭。小型飛行機も道端に放置されている。
道一つ隔てただけで天国と地獄のような別世界。
津波を受けた土地はまるでモノクロの世界でした。
誰もがこの光景を目に焼き付けたほうが良いと実感しました。
受け止め方は人それぞれであっても、心に留めるべき記憶であることは確かだと思います。
支援の方法は様々あります。
近所の奥様は裁縫セットを集めて送ることにしたそうです。
避難所のお母さん達は針仕事ならすぐにできるし、また裁縫をしていると気も紛れるのではないかと、
思いついたそうです。
また、住改をしている大工さんたちは大工道具を集めて送りたいと申し出て下さっています。
とにかく最高のボランティアは「関心を持つこと」
相手を思いやる最高の愛情も「相手に関心を持ってあげること」
6月10日の朝日新聞にとても共感する記事が載っていたので、抜粋して御紹介します。
「核ノー貫くべきだった」
カタルーニャ国際賞授与式での村上春樹氏のスピーチ
東日本大震災と福島第一原発の事故に触れ、
原爆の参加を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と述べた。
「非現実的な夢想家」と題したスピーチで
広島、長崎に原爆を投下された日本にとって「2度目の大きな核の被害」として
今回は「自らの手で過ちを犯した」という見方を示し、過ちの原因は「効率」優先の考えだと。
政府と電力会社が「効率の良い発電システム」である原発を国策として推進した結果、地震国の日本が世界第三の原発大国になってしまった。
原発に疑問を持つ人々は「非現実的な夢想家」として退けられたと批判した。
その上で、「我々は持てる叡智を結集し原発に代わるエネルギー開発を国家レベルで追及すべきだった」とし、
それが広島・長崎の犠牲者に対する集合的責任の取り方になったはずだ」と述べた。
復興に際し、建物や道路と違って簡単に修復できないのは「倫理や規範」だと指摘。
「倫理や規範の再生は我々全員の仕事だ」とした。
「夢を見ることを恐れてはいけない。『効率』や『便宜』という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはならない。
我々は力強い足取りで前に進んでいく『非現実的な夢想家』でなくてはならない」とスピーチを締めくくった。