からくり出張所

様々なからくりを徒然なるままに書くつもりです。
明るく楽しい趣味Blogが目標。
毎日ほっこりと。(^0^)

桜見物

2006年03月31日 11時12分32秒 | ぶらり旅

 胃カメラの結果に気をよくしていたものの、その一方でカミさんは骨密度が低くなりつつあるとの結果。水泳のように重力から逃れるスポーツのみでは宇宙遊泳と同様に骨密度が下がるのではと周囲から云われたこともあり、一昨日ウォーキングを思い立ったのでお付き合いしました。

折角なので桜見物としゃれ込んで、まずは四谷から飯田橋まで内堀沿いを歩きました。寒かった今年の冬ですけど桜前線は一気に進んで早六,七分咲と云うところです。

Dc033013 四谷駅すぐそばの雙葉学園前はご覧のような様子です。これが市ヶ谷駅を越えて飯田橋駅まで続いていました。正午前というのに早くも場所取りの人が散見されましたが、花冷えのこの日、大変寒そうでした。ご苦労様(笑)

飯田橋の鰻屋で昼食後、靖国神社へ向かいました。境内は殆ど花見の体勢で参道には露天がずらりと並んでいます。が、今日は飲まない花見を誓っていましたので横目で見るだけにして本殿参拝へまっしぐらです。 今話題の靖国神社ですけど何故まあ政治問題化するのか不思議です。素直に手を合わせる人も数多く、この場所を恣意的に利用している人や国々に胡散臭いものを感じてしまいます。

Dc03301651 実はこの櫻は、十数年前に亡くなった義父が上京して同期生とともに植えた櫻です。海軍十三年櫻(ひとみさくら)と呼んでいますが、この場所に来る度に同期に会った気がすると云っていた櫻です。このような思いが境内の桜の木々に込められているようで静かにそっと鎮魂する場所だと思います。

Zero52  折角参拝したので改築なった遊就館へも行ってみました。これまで雨ざらしだった参考品がすべて室内に取り入れてあります。入り口には零戦五十二型の復元機が置いてあります。生まれて初めて見る実機に感動しました。 この飛行機だけでも凄いのにこれを数十機搭載した空母を運用していたと思うとそのシステム構築技術は並大抵のことではないと技術的観点で驚きました。そのような国を二度と立ち上がれぬようにするのも相手国から見ると当然かなと思わされた一瞬でした。 遊就館の出展物を見ると涙無くして見ることの出来ないものも多いのですが、今回は足早に失礼してしまいました。

人でごった返す千鳥ヶ淵に入りましたが、しばらく身動きが取れません。櫻は今からが見頃です。お堀にはボートが沢山出ているのでカミさんは乗りたがっていましたが、待ち行列を見て断念し写真に専念しました。

Dc0330191 数年前に酔考さんと出かけた千鳥ヶ淵は、雪模様で水面からは水蒸気が上り、その上に櫻が覆い被さるという異様な花見でしたが本日は誠にいい景色です。やはり日頃の行いが勝負のようです。(笑) この先皇居のお堀沿いを半蔵門まで桜見物し、麹町から引き上げました。この間14,000歩を数えたのでまずまずの収穫でした。

私はその後昔の仕事仲間と室内花見で宴会だったので歩いたことは帳消しです。酔っぱらった歩いたのか帰宅後の万歩計は二万を越えていました。(汗)


胃カメラ

2006年03月28日 21時21分23秒 | 健康・病気

 昨年9月末に人間ドックで胃カメラを食べるようにと指示されていたのですが、「あんな不味いものは食べたくない。」と逃げていました。というのは嘘で受検日が会社を辞める5日前だったので送別会続きでそれどころでなかったのです。 確かに胃がキリキリするような辞める前のストレスが続いていたのでバリウムで引っかかったのも当然かも知れません。

で、やっと検査日が確保できたので、本日行ってきました。結果は慢性胃炎でとりあえずご放免。腫瘍風に見えたのは胃がストレスで萎縮し皺になっていたせいとのことでした。 明日は昔の仲間と屋内花見なのでホッとしました。しかしながらやっぱり胃カメラは美味しいものではありません。少しアレルギーか風邪気味で喉が痛いにもかかわらず強行したところ、苦しくて涙が出てかないませんでした。まだ喉に異物感と送り込まれた空気でお腹に膨張感が残っています。 従って本日は自主禁酒です。(笑)

これを機会に暴飲暴食を控えるようにしようとこっそり誓いました。(汗)


花見間近

2006年03月27日 15時36分05秒 | 偶成

 午前中所用があって渋谷まで出かけ、用が終わったところで遠回りして帰りました。櫻も二,三分咲になっており、場所によっては満開に近いものもあります。花見をやらなければと思いつつ電車に腰を下ろすとすぐに眠たくなってしまいます。普段の不摂生のせいなのか、季節のせいなのか、やっぱり季節柄の春眠であろうと思いながら居眠りを続けて駅に着きました。

春眠暁を覚えず 處處啼鳥を聞く ・・・・・・・

このまま終着駅まで寝て行けたらどんなに幸せだろうという気持ちになってしまいます。無理に目を覚まして降りたところが、まだ何となく眠り足りない心地です。 目覚ましにこれらの漢詩について名訳を思い出したのでホームページに載せてみました。 この漢詩の話だけでなくブログに書いた記事はいつの間にか過去に飛び去るのですが、HPでは書いたものを何処に置いてあるか意外に覚えているものです。今回はブログをメモ代わりに使ってみました。両者の使い分けもまだ究めておりませんが、少し分かってきたような気がします。ふと思いついたとりとめもない春の午後の戯れ言でした。


武雄市長選と公開討論会

2006年03月26日 22時03分32秒 | 佐賀のこと

 佐賀県武雄市の市長選挙があと一ヶ月弱と迫ってきました。若き畏友の樋渡啓祐氏が職を投げ打ち、生まれ故郷の再生に人生をかけて帰郷したのが昨年末です。地盤も知名度もない出発から3ヶ月、鬼気迫るような講演会と地元の挨拶回りの甲斐もあって次第に認知されてきているようで嬉しく思います。

2月上旬に武雄を訪問した際は、樋渡氏がどういう人物かまだ知られておらず、恩師や知人に彼の人となりを紹介することに努めました。 政策論争などはまだまだで、名前をいかに知ってもらうかの時期でした。「若すぎる。」とか「霞ヶ関の人間では武雄は無理」という屁理屈で排除しようとする雰囲気も今よりも更に強かったと思います。

ところが、最近では具体的な未来の武雄市の姿を描いた38項目の政策提言集、連日の講演会等によって新武雄市をどのように創り上げるか樋渡氏の考え方を分かってくれる人が増えてきたように思えます。となると対立候補の現市長は、これからをどのような政策で進めていくのかを公開し、同じ土俵の上で樋渡氏の政策と討論して選挙に臨んでいただきたいと思います。

「まだ若い者には任せられない。あと一期やらしてくれ。」では武雄市は座して死を待つことになると思います。 古い市民の私にはこれまで武雄の姿は殆ど見えてきませんでした。県庁も佐賀県の温泉として推薦するのは嬉野です。聞こえてくるのは温泉街を始めとする旧市街地の衰亡の話ばかりで、武雄は一体どうなってしまったのだろう。・・・・・

この現状のなかで従来と同じ政策を採る限り更に事態は悪くなるばかりです。 大きく舵を切って次世代へ引き継げるような新武雄市を創り上げる時期にあると思います。 一昨年の湯陶里市騒動にすっかりあきれはて、合併協議会等々の不甲斐なさは私の紀行文で書いたとおりです。

インターネットで探しても現市政が今後武雄をどうしたいのか各論がさっぱり見えません。もし、具体的な政策討論のないまま現市政が継続すればこれまで以上に地盤沈下することは目に見えています。ここは若人に胸を貸すという大物の立場で公開討論会に望んでいただきたいものです。

同じ高校の先輩でもありますので衷心よりお願いする次第です。

と、還暦近い東京在住の古い市民は選挙戦の新たな展開と日本のみならず世界に誇りうる新武雄市の誕生をワクワクしながら待っています。


彼岸の中日

2006年03月21日 18時15分22秒 | 地元ネタ

今日は春分の日で彼岸の中日です。昨日お寺へ出かけて管理費やら塔婆代を納めてお墓をきれいにしてきましたが、今日あらためてカミさんと倅で出かけました。

Dc032108 駅前の経堂山・福昌寺です。

 晴れ上がった空と暖かくなった空気の下での墓参は心落ち着くものがあります。 娘は今日から別の姓になりました。(汗) お墓にこんな報告をしておりました。 あっという間に春のお彼岸、最近は時の経つのが早くてなりませんが、年のせいでしょうか。(汗)

帰宅後、お彼岸は庭仕事に一番であることを思い出して草取りや枝切りをして過ごしました。手始めにとげの痛い草木瓜(ぼけ)から。昨年は剪定ミスで収穫ゼロでしたが、一昨年は2kg近く実がなったので木瓜酒を仕込みました。

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一冬手を着けていなかったのでよく見ると雑草の芽吹きだらけです。例年これを見過ごして痛い目に遭っているのですが、今年は今のところ時間もほどほどにありそうです。農業実習に精を出そうかと思うこの頃です。

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 とはいえ適度の暖かさは眠気を催します。 「春眠暁を覚えず」、寝床から離れたくないこの頃です。(笑)


仏蘭西料理

2006年03月19日 11時02分29秒 | 食・レシピ

最近はデブからの脱却のために滅多に西洋料理を食べなくなっておりますが、突然倅が美味しい仏蘭西料理というものを食べたいといったものですから、カミさんの隠れ家へ連れて行ってもらいランチをご馳走になりました。

広尾にあるプチポアンという知る人ぞ知るお店であります。 チーフソムリエとの会話も含め久しぶりに美味しくリラックスできた時間でした。ランチメニューは、幾つかのお皿を自分で組み合わせるようになっています。 特に美味しかったのは前菜の京野菜サラダに手長エビをフリッター状のものでくるんだお皿でした。(名前失念) ホワイトアスパラの冷製スープも絶品でした。

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普段食べていないものばかりでいささか面食らいましたが、カミさんや倅の取ったメニューも実に美味しそうでした。当然ワインもなのでお昼というのにいい気分になってしまいました。が、今日は父兄同伴なので叱られません。(笑) 料理の写真は撮ったものの名前が分からずあれ、それ的で恐縮です。(汗) 今日の収穫は、あるレベル以上の食べ物・接客を経験した上で色々評価しなければいけないなと思わされたランチをいただいたことです。 若いので味の感性がある倅はすっかり気に入ったようですが、自分の小遣いでは足りないでしょう。(笑)

お店を出る際にはオーナーシェフのKさんが挨拶に来られたので恐縮してしまいました。 ご夫妻共々実に感じのよい店でした。 ソムリエのIさんとは料理以外の話で盛り上がってしまいカミさんの顰蹙を買ったかも知れません。隠れ家を紹介してくれて、ありがとう。でもお小遣いが足りないのできっと行けないでしょう。


四十九日法要

2006年03月15日 20時33分00秒 | 交友

 一月下旬に突然亡くなった鶴田稔君の四十九日法要に八王子へ行ってきました。毎秋の高校同期会には必ず出席してみんなを盛り上げてくれた鶴田君がいなくなったことがまだ信じられません。秋の同期会にひょっこり現れるような気がしています。今日出席した友人らも皆同じ思いです。 お母さんのご挨拶に思わず涙をこぼしてしまいました。  「五月の連休に武雄へ帰省し温泉宴会やるばい。」と前回の同期会で語り合ったのに残念です。重ねてご冥福を祈ります。

ここを見ている同級生も少ないかも知れませんが、岩永、辻、御厨各氏と出席いたしました。武雄の古瀬さんからの御霊前も届けました。


久しぶりのセミナー

2006年03月14日 09時35分22秒 | 偶成

 知人のお誘いで久しぶりにセミナーに出席しました。有楽町の東京国際フォーラムで(株)けいはんな主催のけいはんなの新産業革命というセミナーです。予備知識無しで話を聞きましたが、けいはんなとは東京で云うとつくば学園都市、そこに京阪奈の頭脳や企業群を集め新しい産業創出をするという官主導の試みのようです。内容は予想通りのお話でした。やはり恵まれたところは総花的になりがち、突出したものは排除されるので結果は月並みのような気がしました。(おまえやれと云われても出来ませんけど)

ただし、驚いたのは唯一、吉岡紘二さんという方が自分の理想実現に立ち上げた会社が凄いいことになりかけていることです。SUS21という企業ですが、その自転車用サスペンションが航空機の足回りまで変えるのではないかという状況です。日本の国内では見向きをされなかった発明が米国の関連学会でNo.1に評価され航空機用の特許まで取得していたのです。もちろん自転車用では日米英仏独他で取得だとか。きわめて冷静に戦略性を持って取り組まれている姿に感銘を受けました。併せて日本企業の体質にも「日本で出来た独創性には評価無いのです。」とチクリ。 「一介の中小企業でも良いものとなると絶賛してくれる米国は凄い。」とも。 吉岡社長の淡々としたお話を聞けたのが収穫でした。

お話を聞きながら流鏑馬(やぶさめ)の騎手の頭は上下にぶれず一直線に流れる様をイメージしていました。あの動きを実現するサスペンションです。私の自転車にも欲しい。でも、国内ではまだ販売できる構図が出来ず、アメリカでもてはやされている模様です。残念。


試運転

2006年03月08日 21時31分27秒 | ライブスチーム

 今日は確定申告の仕上げの日で税理士さんと打ち合わせ。何とか無事終了したので待望の試運転を明るいうちにじっくり実施できました。4日前に取り急ぎの試運転をやりましたが、今日の運転は改めて新車の慣らし運転という位置付けのもので長距離運転の想定です。燃料を満タンにしてみると、分かってはいたものの、燃料用アルコール一本(500cc)をタンクが飲み込んだのには驚きました。 さて、水と潤滑油も規定通り満たし運転開始です。 前回より慣れたので余裕を持って操作し、ドレイン弁、注水いずれも問題なくコントロールできました。 それでもまあ何とか安定して動かすことができたと云うところです。今日は、安全弁が絶えず噴く状態でしたから軽負荷なのは間違いありません。前回は圧力が下がりすぎという状態でしたが、今度は快調そのものです。 運転時間をきちんと計っていませんでしたが、50分程度動いていたような気がします。この長さだと北裏鉄道では満タン運転禁止令が出そうな予感がします。 実に力強い走行を見せてくれそうなバークシャーに乾杯です。

今回は、負荷をかけて走行した訳でなく、運転コロ上で走行なので牽引走行では新たな問題も出てきそうです。次は力行運転を実現したいものです。


九州漫遊・食べ物

2006年03月07日 22時53分41秒 | 佐賀のこと

 九州から帰還して二週間以上たつとそろそろ記憶が曖昧になります。先日の佐賀での記憶と九州の味について即興でまとめ今回の締めくくりとします。もともと佐賀は食べ物に質素というか質素にさせられた土地柄で天領の唐津とは全く違うのではないかと思います。色々小難しい話はありますが、武雄中心に美味しいものを考えてみます。

とはいえ、今は無くなってしまったと思われる懐かしい味は。唐香(とうこう)です。この文字で良かったかどうか曖昧でありますが、醤油の搾り滓に紫蘇の実、胡麻などを混ぜて固めたものを農家の小母さんが町屋に売りに来ていました。これをぱらぱらと崩し、ご飯にかけて食べると美味しいこと、お茶漬けにしても味わいのあるものであった記憶があります。ちょうど石鹸ぐらいの大きさ、もう武雄には無いものでしょうね。と無い物ねだりです。 佐賀にはこのようなご飯の添え物が多いようです。たとえば塩辛い蟹漬けやあみ漬け、これだけでおかずなしでご飯が進みます。一説には鍋島藩では贅沢を許さなかったので一汁一菜で済ますことの出来るものが名物だとか。

 話は変わりますが、宿泊したペンション・ピクニックで美味しかったのは若楠ポークのしゃぶしゃぶとソテーでした。いくらでも食べられるという馬鹿な気分になりました。これ以上デブになったら困るのですが、やっぱりデブになって帰りました。(汗)

 武雄では忘れ去られかけていますが、有明海の海産物が昔からの武雄の味の一つでしょう。 まずはムツゴロウ、高橋の町には一畳ほどの生け簀にムツゴロウを入れてその場で蒲焼きにしてくれる魚屋がありました。次は正月の生牡蠣、これは美味かった。武雄ではセッカといった記憶があります。海のもので一番好きなものは海茸です。元はといえば貝の一種だと思いますが、普通は干し物です。スルメの味わいですが香りがいいと思います。一昨年武雄で生のバター炒めを食べましたがこれも良かった。あとはグロテスクなワラスボマテ貝などを懐かしく思います。

 忘れ去られたものはです。赤身鯨の刺身は日常のものでしたが、我が家のご馳走は祖母と母の実家の有田から買ってきた百尋(ひゃくひろ)でした。大根ほどの塊を薄くスライスするとまるでロースハムです。親父の酒の友でありました。白長須鯨の小腸をボイルしたもので有田の魚屋にいつもありました。今や浅草では高級品として鰯鯨のものなどが売られていますが、昔のものほど美味しく感じません。ノスタルジィなんでしょうか。今回は九州の地で鯨を食べることはありませんでした。

武雄は温泉です。東京で目にするのは温泉豆腐ですけど大抵は嬉野版です。嬉野の温泉が豆腐をよく溶かすと聞いています。武雄のお湯はいかがなものでしょうか?

有田では呉豆腐が名物のようですが、武雄では泡雪豆腐といいましたっけ?片栗で固めた豆腐でしょうか、お寺でいただく胡麻豆腐の味わいです。

このあと熊本へ回りました。やっぱり馬刺しを堪能しました。デパートで買っ  てカミさんの実家でたらふく食べました。これ以外に買ったものは馬ロースカツ、ビーフカツ。これらがさりげなくデパートの食品売り場に並んでいます。油濃いことはなくあっさりとしていたのはやっぱり馬肉です。当然辛子蓮根もつまみとして頂戴した次第です。 そして東京へのお土産は、森の辛子蓮根とカリンゼリー?の古来のお菓子加勢以多(かせいた)でした。

加勢以多は昔から製造していた山城屋が倒産したので香梅が引き取って作っていました。昔のものより洗練されすぎかも知れません。

今回は博多、武雄、熊本と動き回りましたが、結局これはと云うものを食べたような気がしません。ラーメンも食べずじまいです。もう少し計画的に九州の食を回りたいものです。今回のテーマを選んでちょっと反省しています。(汗)