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My Life

いつからか・・・喜びがなくなった。

忠実で思慮深い奴隷

2020年02月15日 | 日記
『主人が,召し使いたちに適切な時に食物を与えるため,彼らの上に任命した忠実で思慮深い奴隷はいったい誰でしょうか。』 ,マタイ 24章46,47節
ものみの塔 2013年7月15日では、忠実で思慮深い奴隷の理解が改訂されました。
要点として二点
●いつ任命されたのか?
結論:1919年,イエスは有能な油そそがれた兄弟たちを選んで,忠実で思慮深い奴隷とした。
【個人的な見解】
1919年という年は1914年にイエスの臨在があったという土台があっての話ですが、
この1914年が確かにBC607年にエルサレムが陥落しイスラエル人がバビロンへ捕囚された年であるというのが前提となっています。
しかし、1914年の根拠には誤りがあると私は理解しました。
下記を参照ください。
「第一部 ものみの塔2011年10月号」
https://www.jwstudy.com/ja/bc607_1914/special1_wt2011_10/ 
「第二部 ものみの塔2011年11月号」
https://www.jwstudy.com/ja/bc607_1914/special2_wt2011_11/ 

以上のことから、忠実で思慮深い奴隷の任命に関しての記事の信ぴょう性は無いと言わざるを得ません。また、1914年以降も新たな統治体の任命があり、誰が任命の権限を行使したのか、聖書的根拠が示されていません。

●いつイエスと同じ権限があたえられる任命があるのか?
結論:天的な報いを与えられる時にこの任命を受ける。つまり、イエスが来るとされている大患難の時である。
【個人的な見解】
これに関しては、マタイ 24章46,47節と矛盾はなく大患難の時にあてはめても良いと思いました。

この記事で以前の理解と変更されたのは
一世紀当時の使徒たちは忠実で思慮深い奴隷として任命される必要がなかった。つまり忠実で思慮深い奴隷とは言えないということでした。
忠実で思慮深い奴隷がいつ任命されるにしても、問題なのは誰にも任命された事実が客観的に識別する方法が無いことです。ですから、その部分に関しては当事者以外の人々は信仰によって信じるしかないのです。組織が神の経路であることを確信するためには、個々の信者が自分自身で提供される記事の是非を真剣に調査する必要を認識することではないでしょうか。



信仰とは

2020年02月09日 | 日記

聖書には信仰の定義があります。

「信仰とは望んでいる事柄が実現するという確信」

自分は神の存在は確信しているし、自然界に見られる秩序からその存在が偶然によるものではなく創造者がいることを示していると思う。いわゆるインテリジェントデザインを信じています。でも、何故自分は神を身近に感じられないのだろうと思っている。実際、信仰のある人は神を身近に感じていると思けど自分はそう感じていない。聖書に書かれている歴史、奇跡、予言を読んで理解出来るけど、感動や現実性というものを感じられない。

だから、理解はしていても実感出来ないのは心の欠陥があるのではないかとさえ思う事があります。でも、決して自分を偽ってきたわけではなく、自分の信仰と真摯に向き合ってきたつもりです。ただ、心おだやかで、平安に生活したいと望んでいるのに、それ以上の事柄を強いられていると感じているからなのかもしれないです。だから、信仰とは自分が望んでいる事柄ではなく神が望んでいる事柄が実現するのを確信することなんですね。自分の事は後回しです。忍耐と辛抱と自制の日々を過ごしなさいと.......

「見えないものが実在するという証拠」

目に見えない物で存在している物は沢山あります。私たちはそれらの存在を知識で理解し認識して活用しています。

同様に、見えない神が実在する証拠は無限にあるのです。


神を崇拝、組織崇拝

2020年02月07日 | 日記
JWの組織には忠実で思慮深い奴隷がいます。
その奴隷を通して霊的食物が供給されます。
忠実で思慮深い奴隷を任命するのは、イエスです。
実際、それが本当だったとしても、確かめる術はないです。
失礼な言い方かもしれないが、忠実で思慮深い奴隷と
言ったもの勝ちとなります。
また、忠実で思慮深い奴隷を中心とする組織を構成する
のは不完全な人間であるので、間違いを犯すこともあると
組織は認めています。
そのような組織だったとしても、神は忠実で思慮深い奴隷を
通して霊的な食物を供給しています。
これは神と人間の間に不完全な組織が仲介していると言う構図
が出来上がることになります。つまり間違った指示が出たとしても
末端では神の指示と認識されることになるわけです。
当然、組織内部の役割を任命するのは人間が行い、誤った人物が
任命されることになり、その人物が会衆の整員を正しく導ける
保証はないので、会衆の誰かが不当に裁かれ苦しむことになります。
『指導の任に当たる兄弟たちに従順と協力を示す 』と言う指示が
反論を許さない不自由な組織にしているのです。さらに、
長老は、巡回監督に逆らえず、巡回監督は支部に逆らえない
組織構造が出来上がっているのです。
JWは神=組織
組織絶対主義つまり組織崇拝となっています。

実際、神を崇拝する為の組織(神>組織)は存在しないのでは
ないでしょうか。
不完全な人間は、まず目に見える物(組織)に目を向けないと
歩んで行けないのでしょうねえ。



裁くということ

2020年02月05日 | 日記
人が人を支配してこれに害を及ぼした。(伝道8:9) 
人が人を裁くことは出来ない。
裁くのは神だから!!
でも、実際にJWは、人を裁く
どんな調査が行われたのか被告人にはせつめいされない。
弁明は反抗の精神として受け止められる。
だから反抗はしないほうが良い。
審議された結果を受け止める事が従順な人とみなす。
冤罪もあるらしい。
これじゃあ、世の裁判の方がいいかもしれません。

人が人を裁いてこれに害をおよぼした。
こんな事でいいのか?

永遠の命

2020年02月05日 | 日記
高校の時に、祖父と兄を亡くした。
兄の死は、悲しすぎた。白血病でした。
その後、死というものを受け入れた。
死は恐怖だったが、それが消えていた。
人間は必ず死ぬということを受け入れたのです。
20代のとき祖母が亡くなった。
そして
父が亡くなった。(認知症だった。)
そして、母が亡くなり
最近、妻が亡くなった。(開拓者でした。)
楽園で会える希望は、失われた悲しみでかき消されてしまった。
将来の希望は、今この時に支えてくれる者を与えてはくれないのです。
将来の復活と永遠の命の希望は、支えにならなかった。

事物の体制が終結するとき、救われるのはJWだけではないだろう
それを決めるのは神であって、地上の組織ではないのだから......
永遠の命は神の手の中にある。