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いつからか・・・喜びがなくなった。

ものみの塔 2020年 研究記事14

2020年06月17日 | 日記
ものみの塔
研究記事14
『北からの攻撃』
ヨエル書の理解が変更されました。
本文中にこの様な質問がありました。
質問「2. 聖書の預言を理解しようとする時に,どんなことで間違いが入り込むことがありますか。」

2 聖書研究者たちはやがて,ある教理に関する聖書の教えを理解するよりも,聖書の預言の意味を正確に見分ける方が難しいことに気付きました。なぜ難しいのでしょうか。1つとして,預言は多くの場合,実現の途上にあるか,実現した後でなければ十分に理解できないからです。もう1つの点として,預言を正確に理解するには文脈を考えなければなりません。預言の一面に注目してほかの面を考えないなら,間違って解釈してしまうかもしれません。今回,この点を踏まえてヨエル書の預言が再考されました。その預言を振り返り,これまでの理解をなぜ調整する必要があるかを考えましょう。

この記述から見えるのは、聖書理解は難しく特に預言に関しては、起こった後、または起こる直前くらいにならないとはっきりと分からないと、はっきり言っている。
では、今まではっきりわからないことを公式な見解として発表してきたのだろうか?
と疑問が湧く。

もう一つの理由。文脈をよく考慮しないといけないと言ってます。
では、いままで文脈をきちっと精査してこなかったのだろうか?
と疑問が湧く
何故過去の調査で「北から来る者たち(バッタ)」について考慮しなかったのだろうか?
当然、とても気になる一文ではないだろうか。
なんだか過去の調査がとても浅い適当なものに思えたのは私だけだろうか。

じゃあ
この世代(もう何度も変更されている。)
1914年(もう何度か変更されている。)
輸血、その他
もろもろの理解も今後、
同じような理由で理解を変更していくのだろう。きっとそうなるに違いない。
今回、ここにこの様な文を掲載したのは今後も、理解の変更があったとしても
信者たちに理解の変更を受け入れ易くする意図があることを容易に理解できる。
今回の理解の変更も含めて、今まで理解の変更を「新たな光が増した」と言う
惑わしの言葉を使って信者を誘導する便利な言葉を今後も使っていくのだろう。
組織の間違った解釈を容易に正当化出来てしまうのだから........

こんな、うすっぺらな理解にどうやって信仰を持てるのだろうか?
当たることのない預言(解釈)をいつまで続けるのだろうか?
今回の記事もまた、滑稽な組織の自己満足と思ってしまった。