My Life

いつからか・・・喜びがなくなった。

組織の間違い

2020年03月31日 | 日記
ある友人(Aさん)と話をした。
⒈輸血拒否は正しいか?正しくないか?
2.バビロンの捕囚の始まりは紀元前607年は正しいか?正しくないか?
今、自分には正しくないと言う結論が出ている。

Aさん曰く、組織は今まで間違いを訂正して来た事実がある。統治体は自らも不完全な人間であり間違いをすることを認めてもいる。だから、間違いをする事を認めている組織が今現在も訂正できない間違いがあったとしても必ずいつかは正されると思っている。
上記の2つの事柄が間違いだったとしても今はそれを受け止められる。と言った。
理由を尋ねると、組織が間違える事を前提にしているので、あり得ない事ではない。と言う答えが帰ってきた。エホバは、そうした間違いを行う組織であったとしても必要であればいつでも是正される、それを待てば良い。そこには神に対する信仰が必要だと。
要するに組織の間違いを一つ一つ取り上げて一喜一憂するよりエホバとイエスに対する信仰が重要と言う訳である。
結局、組織に属する事は、不完全さも間違いも含めて受け止める寛容さと、エホバとイエスに対する強い信仰を持ち続けられる人、それがいまのAさんなのだろうと思いました。
Aさんは今までに様々な辛い経験をして来たのを見聞きしたのを知っているのでAさんの言葉には重みが感じられました。
今の自分は、組織とは距離を置き、エホバとの距離を身近に感じていることが出来るかどうかと言うジレンマがあると言う事、組織から離れる事は大切な友人も失うことになる。そうはなりたくないなあ。と心が反応してます。
そうはいっても、自分がJWとして歩んで来た数十年は辛い事が多く、日本支部、巡回監督、長老に対する信頼を失う結果になってしまいました.……集会で益を得るより毒をもられてしまう気分ってわかりますか?疲れてしまったんですね。
簡単に結論は出せません。

宗教って

2020年03月24日 | 日記
自分の病気による影響もあって、まったく気力が出ないことが増えていると感じています。正直言って、自分の思いや考えを文字にするのはしんどいです。
ずっと、JWには教祖が無いと思ってきたけど実は統治体が教祖的な存在だと気づいた、または感じたのはほんの最近のことです。どうして今まで何も感じなたっかのか自分でも不思議なのです。でも、よく考えてみると、ずっと、どこか違和感を感じていたと思います。ものみの塔の誘導的な本文から答えさせる質問、これは人々の思考を停止させていると思います。バプテスマの時の宣言『エホバの組織に属すること』は崇拝の条件として組織に服従することでした。これらは一見聖書的な側面をみせつつ、気づかないうちに組織崇拝に導かれていたということになっていたと今は思います。
本来、宗教とは何なのでしょうか?
広辞苑には「神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰 」と定義されています。
ウィキペディアでは、宗教とは、超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)についての信念、超越的なものと個人の関係、超越的なものに対する個人の態度(信仰など)、信仰に基づいた活動(礼拝、巡礼など)、組織・制度(教会、寺社制度など)、信者の形成する社会、施設(教会堂、モスク、寺院など)等々である。 
このようにどちらの定義にしても、そこから人間の喜び、幸福、愛、というものは全く出てこない。ようするに人間の創った組織は感情的、精神的なものは二の次になってしまう、つまり神の組織や教祖の組織を守ることに主眼がおかれてしまうのではないかと思うのです。神の奴隷と言う皮をまとった組織、教祖の奴隷になっているのが実態なのだと。
そんな世の中にあって個人が神との関係をどうやって保てばよいのだろうかと.....
孤立した人間は弱いし、誰かと寄り添って生きる事も誰もができる事ではない。


今、思う事

2020年03月09日 | 日記
時間は止まらない。
当たり前の事。

過去を変える事は出来ない。
当たり前の事。

神は存在する
分かっている。

真実を知ること
大切な事だ。

何故真実を語れない
何を守っている
組織か?
統治体か?
お金か?
名誉か?
対面か?
見栄か?
間違いを隠す為か?

理解の調整だって?
それは、間違いを訂正すると言うべきです。

真実を隠し続けていても
もう、歪みが調整出来なくなっている。
それを、もう分かっているはずなのに。

終わりの日の前に
気づいてほしい。