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My Life

いつからか・・・喜びがなくなった。

JW活動から離れて1年8か月

2021年10月16日 | 日記
 早いもので、自然消滅をはじめてから1年8か月も経ってしまいました。今は特に言いたい事は無くなったのですが、自分の生活環境も変動が激しく、仕事が変わったり、入院を二度したり、コロナで行動制限したり、あっと言う間の20か月でした。
 今のJWも集会、大会、奉仕と活動が制限されてオンラインで行っているようですね。ズームの集会やビデオ視聴の大会には一度も参加していませんが、みなさん本当に楽しんでいるのでしょうか?まあ、終わりの日に向かって、うすっぺらな嘘でかためた真理に浸っていることに気づいてほしいものです。
 信者のみなさんが神を崇拝しているのではなく、組織を崇拝していることに気づいてほしいと願います。中には教理に矛盾を感じていても家族や友人の為に組織に留まっている人もいることでしょう。それは精神的に苦痛を伴っていると思います。自分を偽って生きなければならないからです。
 いずれにしても、宗教は人々を救いながら、人々を苦しめている相反する状況をつくり出している存在となっています。それは、人間が宗教組織を動かしているために、その根底には欲望と金と権力があり、人の心を狂わせているからだと思う。JWを含めそこに神の意志など存在しない。
もう宗教はこりごり。

人間のJW組織

2020年10月09日 | 日記
組織とは、
 人間が一人で出来る事は限界がある。その限界を飛躍的に拡大できるのが組織と言えます。
 聖書によれば
伝道4:12 そして,だれかが一人だけの人を打ち負かすことができるとしても,二人が一緒になれば,これに立ち向かうことができる。それに,三つよりの綱は素早く断ち切ることはできない。

 一人より二人そして三人と増えればより多くの事が成し遂げられると言う教訓です。
 その様な意味で組織は個人より多くの事を成し遂げる事が出来る。だから組織の存在意義は十分ある。
かつて日本は、軍国主義でした。その教育はお国のために命を捧げる事が正しく、それに賛同しない、または従わない者は非国民と呼ばれ忌避された。
国民は学校で国のために命を捧げる事がどれだけ名誉なことか、敵を殺すための思想をたたきこまれ多くの若者が志願して命を落としていった。それを栄誉ある日本を救う行動と信じていたからでした。
 JW組織もそれと同じではないかと思う。神の王国はすぐそこまで来ている。そして間もなくこの事物の体制は滅び地上に王国が設立されイエスが王となって地上を統治する。こうした思想をたたきこまれ聖書教育と言う名の基に信者を教育し宣教の業に志願するようになって行きました。その業は人々の命がかかっていましす。この命を救う業は神に喜ばれ祝福され永遠の命を得て楽園での生活の里程標でした。そして、この思想教育「聖書の理解」に疑問を持つ者は排斥され背教者と呼ばれる。このルールは組織から離れない為の罰則であり信者たちは罰を恐れ組織の言いなりになる。ようするに軍国主義もJWの組織絶対主義も同じ手法を取っていることになる。
 このように信者(国民)個人の思想や価値観を,物理的,社会的圧力を加えるなどの操作によって必ずしも本人の欲しない方向へ急速かつ大幅に改変させること。共産主義国家などで行われた強制的な思想改造が知られている。感覚遮断や賞罰の操作などの反復による学習の手法を洗脳と呼ぶ。

JW組織は何を成し遂げて来たか?
1.正しい部分、誤った部分があるものの聖書の理解を促進した。
2.大勢の人々を洗脳してきた。
3.誤ったJW独自のルールによって命を落としていった人々がいる。
4.大勢の生活困窮者が生まれた。
5.誤った予言を何度も修正し信者を混乱させてきた。
6.虐待を隠蔽してきた。貴重な寄付を賠償金にあてていた。
7.他にも沢山ある(ネット上の情報をお調べください。)

◎Jw組織は正しく機能しているか?
 統治体の都合の良い様に機能している。結局、ごく一部の人間によって組織全体を統制され、外部からの情報を遮断してきた。統治体の思惑通り機能していると言う点では正しく機能していたのだろうが、情報統制してきた歪のため衰退が始まっている。

◎神に是認されたJW組織か?
 統治体がそう言っているが何の証拠も提出できない。確かめることもできない。自然界には全て法則が存在する。その法則に従わなければ正しい結論を導き出せない。組織が衰退、消滅を繰り返して来たのは組織の法則(人間にはまだ解明できていない。)に従わないからだと思う。JW組織もやがて消滅すると思う。神が組織を是認することはない、組織の法則に従えば神が意図した方向へ導かれるのかもしれない。いいや、組織の法則ではなく神の法則と呼んだほうがいいかもしれない。

良心の危機を読んで

2020年09月26日 | 日記
私はJWの教えを受け入れた。何故受け入れたのか?
それは、
第一に神が存在する事を認識した。
第二に全ての人間には原罪がある。(イエスの贖いの必要性)
第三に神の目的を理解した。(人類の罪を取り去る、神の王国)
第四にJW組織は政治、商業、軍事の影響から離れている。
この四番目の理由で、この宗教組織は非常に健全な組織だと言う印象を受けました。

 しかし、実際に信仰の道に入るという事は単に神を信じるだけではなく、そこには多くの人間関係が構築されていくわけで、様々なトラブルが起こり嫌な経験をすることになる。(実際、私の経験も大勢のJWがネット上でつぶやいていることと変わりはない。)
 今回、読んだ『良心の危機』の筆者レイモンド・フランズ氏の述べているように、人間が神の組織を運営し、ごく少数の個人の考えや意見が組織の見解として外部へと流れていき、何百万人もの人々に組織の見解が浸透していくのである、フランズ氏も組織の中枢に居て大きな影響を及ぼす決定を見聞きしてその責任の重さを痛感し、かつ心を痛めていた事を赤裸々に語っていました。
 私が驚いたのは組織の中枢に居る少数の人間が重要な教理や組織の見解を決定するときに多数決を行っていた事だった。多数決は民主主義の基本であり神権組織の採用すべき方法ではないと思ったからでした。真の神権組織であれば聖書の原則にあてはめて満場一致で採択されるべきだと思う。つまり反対者が一人でもいれば反対する理由を検討し議論して反対者がいなくなり全員が納得するまで決定すべきではないと言う事だ。民主的に物事を採択していたら世の政治となんら変わらないことになる。
この事からしても、JW組織は、ただの人間の組織であり、神の導きなど微塵もないという事が明らかだと確信出来ました。
 また、フランズ氏は組織の採択に疑問を持ちつつ、明らかに間違っていると感じている調査も出来るだけ組織の見解に合わせる努力を続けて良心の痛みに耐えながら執筆委員の責務を果たしていました。やがて、彼はベテルを去り、その後、断絶した友人と1度だけ食卓を共にしたという理由で排斥になってしまいました。彼は上訴しましたが、その決定が覆ることはありませんでした。そしてフランズ氏の友人や知り合い達も組織の教理に個人的な意見を述べただけで排斥になってしまいました。組織に同調できない考えを持つ人たちは一気に排除されていきました。まるで魔女狩りのようです。
 教理面に関しても『1914年』、『この世代』、『輸血拒否』、『羊と山羊』など、これら代表的な教理決定の背後には霊の導きは無く統治体の独断と偏見による多数決という民主的な世の政府となんら変わりのない手法によって採択されてきました。そこには神の導きなど微塵も存在していない事は明らかです。要するに少数の人間たちの独自の聖書解釈によって教理が作られていった訳です。
 もちろん、導き出された数々の教理は時代と共に『新たなる光』と称していかにも霊感を受けた聖書の言葉と同等の意味を持たせて教理の変更を公然と行ってきました。過去の教理の間違いを反省することもなく、忠節心と言う言葉で信者たちを惑わし組織の見解が正しいものであるかのように圧力をかけていたのでした。
組織はものみの塔を通してこんな言葉を掲載しました。
塔96 3/15 15–20ページ
わたしたちにはエホバの組織に忠節を示す義務があります。「忠実で思慮深い奴隷」はその組織の一部であり,この奴隷を通してクリスチャン会衆は霊的に養われています。仮に,ものみの塔協会の出版物に載せられた事柄がその時点でよく理解できない,あるいは同意できないとしたらどうでしょう。わたしたちはどうするでしょうか。憤慨して組織を離れますか。何十年も前のことですが,「ものみの塔」誌が新しい契約を千年期に適用したとき,一部の人たちは組織を離れました。また,「ものみの塔」誌がかつて中立の問題に関して述べた事柄に憤慨した人たちもいます。そうした事柄につまずいた人たちは,もし組織と兄弟たちに対する忠節を保っていたなら,エホバがそれらの事柄を明快に説明してくださるまで待ったはずです。実際,エホバはご予定の時にそうされたのです。ですから,忠節ということには,より明確な理解が忠実で思慮深い奴隷によって公表されるまで辛抱強く待つことも含まれます
 組織の見解が理解できなかったとしても辛抱強く待つと勧めていますが、そうではなく、自ら調査して、納得できるまで調べることではないでしょうか?
待っているだけでは思考が停止してしまうだけです。

さらにこんな言葉も、ものみの塔に掲載されました。
塔13 11/15 p. 20 
エホバの組織から与えられる指示は,奇妙で異例なものに思えるかもしれない。しかし,わたしたちは皆,同意できるかどうかにかかわらず,どんな指示にもすぐに従うべきである。それらの指示に従うことは命を意味するからである
どんな奇妙な指示でもすぐに従うと勧めていますが、これでは命令に従うロボットと同じですね。そうではなくその指示の背後にある意味を理解できるように努力する必要がありますし、組織は信者達に対して指示の意味を理解できるように説明する努力をしなければなりません。

 私自身、過去の記事で分からない事は極力、組織の出版物で調べる事はしていましたが、組織外部の資料を調査することまではしませんでした。ですから、でうしても分からない場合はあきらめてました。当然ですが、組織の資料だけ調べても組織の都合の悪い物は見つけられません。

 ご存じのように、組織は外部の資料に極力接することのないように、組織外の見解が書かれたものは背教的な文書として信者から遠ざけようとしていました。今思えば、私もその指示に乗せられていたんですねえ。

 結局、問題なのは、JW組織の中枢である統治体が少数の正しい意見を飲み込んでしまう事です、先ほども述べましたが、少なくとも、神権組織であれば、そこから出される見解はきちっとした聖書的根拠があり、それを審議する関係者全員が多数決で決めるのではなく、満場一致で決定しなければならないと思います。
 それが出来ないのであれば、神権的な経路に、人間の組織は不必要なのかもしれません。所詮、人間組織には正しく人々を導くことは出来ないのですから、神と人間との関係が良好になれば、おのずと人間関係も円滑に平和になっていくように思います。そもそも聖書にある地上の人間組織(部族や王国)に関する記述は、うまく存続できた組織の例はまったく無く、滅んだり消滅した組織ばかりですよね。
次回、JWの組織の特徴を考えてみたいと思います。

再開します、ものみの塔 研究​記事​29

2020年09月22日 | 日記
自分のペースで時々つぶやく事を再開します。
つぶやきの基本内容はJW組織を痛烈に批判せずに出来るだけやんわりと記述するようにしたいと思っています。可能な限り自分の見解、意見、時には経験をおりまぜて記載します。

さて、9月20日の研究記事でちょっとした矛盾を感じた写真が気になりました。
「私が弱い時,私には力がある」
15節
兄弟は同僚の誕生日を祝わないかとしきりに誘われている。


本来、JWは誕生日を祝わない、それに準ずる行為も行なわないはずなのですが、写真に写っている人たちはJWのはずです。誕生日を祝う行為をしているのではないでしょうか?
JW組織の基準と矛盾していないでしょうか?


休みます。

2020年08月03日 | 日記
 ここ最近、記事のネタをため込ん来たのですが、モチベーションが下がりっぱなしで気力が湧いてきません。ネタの整理をしていたら全てがむなしく思えてきました。記事を書くことによって自分の正体が公にさらされることにも躊躇いがあり、自分が何をしたいのか目的も持てない状態です。考えや気持ちの整理をしたいと思います。
ちょと休眠します。