神話でなかった古事記

日本の歴史を知るために、いろいろ考えてきました。古事記に残されていることから、思いついた事を書いてみようと思います。

中大兄皇子の大津京遷都について

2016-05-26 09:46:33 | 古事記
 大津京の遷都について、日本書紀では、どのように書かれているかを見て頂きます。
 
 次の3つの文章は、既に、見て頂いたかも知れませんが、次の所に掲載しました。

 これは、田村誠一著『壬申の乱は日唐戦争』の各ページに、私の読後感を書き加えたものです。
 日本書紀に書いてあることをそのまま読めば、大津遷都の事が書かれているのですが、田村氏の読み方をすると、遷都をしたのは、藤原氏であって、中大兄皇子は、御所と称する所に、閉じ込められていたと云うことになり、タイトルの「島流し」と云うことになります。、

中大兄皇子大津京に島流し(1)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-17

中大兄皇子大津京に島流し(2)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-19

中大兄皇子大津京に島流し(3)
http://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-21

島流しにあったのは、中大兄皇子だけではなくて、天智天皇の弟の大海人皇子も、長男の大友皇子も幽閉されていたので、中大兄皇子が亡くなられた後に、壬申の乱となります。

 この壬申の乱は、皇位継承の戦いではなくて、『壬申の乱は日唐戦争』だったという、田村誠一氏の本の出版となりました。

このような流れから、上記の三つのページを読んで頂ければと思います。

中国偏向の日本書紀 (9)

2016-05-03 05:04:04 | 古事記
崇神天皇の御世が魏志倭人伝の時代である。この天皇がおられた大和を包囲していたのは高句麗人だった。このため天皇の代行として伯母の夜麻登登母母曽姫が備前におられた。
この備前の北の美作の久米郡が、神武東征で活躍した久米のつわものの本拠地で、狗奴国と魏志倭人伝に書かれ、ここの王が崇神天皇の義弟の日下坐王である。
 丹波の伊勢大神宮を拝き祭っていたのは、古事記で崇神天皇の妹だと明記されている。従ってこれらの天皇一族は、不比等に取って最も好ましくない人物だ。日下坐王は仮空の丹波道主命を登場させていた。
 夜麻登登母母曽姫は、倭トド百襲姫と、百人も襲った名前に替え、夢に大物主神を登場させて神話的結婚をさせている。更に手がこんでいるのは、この姫が自殺したかの印象を与える作文を行っていて、この姫ではなしに倭トド姫が自殺し箸墓に葬られたと記した。
 この倭トド姫も開化天皇の妹で仮空の人物だった。崇神天皇一族は、魏軍を破った好ましくない人物で日本書紀は抹殺したのだ。

第19話 壬申の乱は日唐戦争  61ページより、転載

私からの一言
夜麻登登母母曽姫の名前が出て来る辺りの、古事記と日本書紀に書かれているなまえを書きだしながら、較べて下さい。