前回までは、日本書紀において、大津京に関連すると思われる語句を含む記事を16回に分けて見て頂きました。
どの記事も、大津京と云うよりは、大津宮と関連する記事でした。
別に、これだけあるということを確認することは、悪くは有りませんが、日本国の代表する歴史書に書かなければならないのかという事柄ばかりでした。
この16個の記事は、林 博通氏がご自分の著書『大津京』に於いて、大津に大津京があった証拠として、書かれた文章から転記し、検討を加えました。
私は、日本書紀の作者が、大津に都が有った様なことを匂わして、読者に、華やかな『京 みやこ』が有った様に細工をしたのではと考えました。
これは、一杯書く事によって、日本書紀を読んだ人は、全員、騙されたのではと推理します。(それにしても、見事に日本人を騙したものですね。江戸時代以降だけでも、100%の人が騙されていたことになります)
しかし、その逆のことも行われたのではと思われることが有ります。
沢山書いてあるから本当の様に思わせるのとは逆に、記事を少なくして、この天皇は、少ないので、このような天皇は、居なかったのだと思わせる細工です。
次のフレーズは、古事記の推古天皇の記述です。
原文
妹、豐御食炊屋比賣命、坐小治田宮、治天下參拾漆歲。戊子年三月十五日癸丑日崩。御陵在大野岡上、後遷科長大陵也。
翻訳
妹、豐御食炊屋比賣命、小治田宮に坐しまして、天の下治らしめすこと、三十七歳なりき。戊子の年の三月十五日癸丑の日に崩りましき。御陵は在大野の岡の上にありしを、後に科長の大き陵に遷しき。 (倉野憲司校注)
僅か、これだけの記事です。ついでに、その前の崇峻天皇の記事もご覧ください。
原文
弟、長谷部若雀天皇、坐倉椅柴垣宮、治天下肆歲。壬子年十一月十三日崩也。御陵在倉椅岡上也。
この余りにも少ない記述をどの様に考えるかです。
古事記が出来たのは、701年です。日本書紀は720年に出来ています。 これは、間違いで、古事記の方が、ずっと、後から出来たから、古事記を書いた太安万侶の捏造と見る人がおられます。
私は、古事記の方が、先に完成したのではと考えています。その証拠は、有りません。古事記の序文に、序文を書いた月日が書いてありますから、これは正しいのではと思いますが、これも、ねつ造だと云われる方が居られます。
私は捏造では無く、其の後にも書かれていた記事は、日本書紀の作者によって、削られたのではと推理しています。
このようなお話どころではありません。神武天皇から9代天皇までは、無理矢理書いて、天皇が居られた様に書いたのだと云うことが、普通の古事記の解釈とされています。
これらの天皇は、欠史10代と呼ばれています。
24. 仁賢天皇
25. 武烈天皇
26. 継体天皇
27. 安閑天皇
28. 宣化天皇
29. 欽明天皇
30. 敏達天皇
31. 用明天皇
32. 崇峻天皇
33. 推古天皇
どの記事も、大津京と云うよりは、大津宮と関連する記事でした。
別に、これだけあるということを確認することは、悪くは有りませんが、日本国の代表する歴史書に書かなければならないのかという事柄ばかりでした。
この16個の記事は、林 博通氏がご自分の著書『大津京』に於いて、大津に大津京があった証拠として、書かれた文章から転記し、検討を加えました。
私は、日本書紀の作者が、大津に都が有った様なことを匂わして、読者に、華やかな『京 みやこ』が有った様に細工をしたのではと考えました。
これは、一杯書く事によって、日本書紀を読んだ人は、全員、騙されたのではと推理します。(それにしても、見事に日本人を騙したものですね。江戸時代以降だけでも、100%の人が騙されていたことになります)
しかし、その逆のことも行われたのではと思われることが有ります。
沢山書いてあるから本当の様に思わせるのとは逆に、記事を少なくして、この天皇は、少ないので、このような天皇は、居なかったのだと思わせる細工です。
次のフレーズは、古事記の推古天皇の記述です。
原文
妹、豐御食炊屋比賣命、坐小治田宮、治天下參拾漆歲。戊子年三月十五日癸丑日崩。御陵在大野岡上、後遷科長大陵也。
翻訳
妹、豐御食炊屋比賣命、小治田宮に坐しまして、天の下治らしめすこと、三十七歳なりき。戊子の年の三月十五日癸丑の日に崩りましき。御陵は在大野の岡の上にありしを、後に科長の大き陵に遷しき。 (倉野憲司校注)
僅か、これだけの記事です。ついでに、その前の崇峻天皇の記事もご覧ください。
原文
弟、長谷部若雀天皇、坐倉椅柴垣宮、治天下肆歲。壬子年十一月十三日崩也。御陵在倉椅岡上也。
この余りにも少ない記述をどの様に考えるかです。
古事記が出来たのは、701年です。日本書紀は720年に出来ています。 これは、間違いで、古事記の方が、ずっと、後から出来たから、古事記を書いた太安万侶の捏造と見る人がおられます。
私は、古事記の方が、先に完成したのではと考えています。その証拠は、有りません。古事記の序文に、序文を書いた月日が書いてありますから、これは正しいのではと思いますが、これも、ねつ造だと云われる方が居られます。
私は捏造では無く、其の後にも書かれていた記事は、日本書紀の作者によって、削られたのではと推理しています。
このようなお話どころではありません。神武天皇から9代天皇までは、無理矢理書いて、天皇が居られた様に書いたのだと云うことが、普通の古事記の解釈とされています。
これらの天皇は、欠史10代と呼ばれています。
24. 仁賢天皇
25. 武烈天皇
26. 継体天皇
27. 安閑天皇
28. 宣化天皇
29. 欽明天皇
30. 敏達天皇
31. 用明天皇
32. 崇峻天皇
33. 推古天皇