続けて二つ目の感違いしたことを書いてみます。
綾部市は、昔の行政区分に置き変えますと、何鹿郡に相当します。其中で、私市円山古墳は、一番大きな古墳ですから、どうしても、誰のお墓であるかを考えますと、物部氏だろうと思いこんでいましたが、違いました。
だれか分りませんが、絹を生産していた人という思いは有りました。
それは、JR綾部駅は、北側に「グンゼ」という絹織物を作る大きな工場が有ります。絹織物の会社は、昭和38年頃は、元気でしたが、その後は、衰頽しました。
しかし、当時あった会社は、現在でも、大きな駅の近くに残っています。 従いまして、グンゼという会社は、綾部駅ができたと同時に、出来たと思いこんでいました。
しかも、古い会社だと思っていました。
それどころか、日本に鉄道が出来た時は、イギリスからの援助で、明治五年頃には、どんどんと日本中に線路が敷設されたのではと思っていました。
どうしてそう思ったかと云いますと、鳥取県の古い地図を見付けて購入した時に、その地図には、JRは記されていなかったように記憶します。その地図は昭和5年の制作だったように思います。確かめようと探しましたが見つかりません)
と云うことで、グンゼが何時頃出来た会社かを調べることにしました。
インターネットから抜粋した資料を次に記します。
• 社名の「グンゼ」は創業時の社名「郡是製絲株式會社」に由来する。「郡の是」とは、国の方針である国是、会社の方針である社是のように、創業地の何鹿郡(現・京都府綾部市)の地場産業である蚕糸業を、郡(地域)を挙げて振興・推進していこうという趣旨に基づいている。
• 綾部駅北口一帯はグンゼの社有地で、研究所、工場のほか、1933年(昭和8年)築の本社、1917年(大正6年)築の旧本社(現グンゼ記念館)、大正初期築の繭蔵(現・グンゼ博物苑)、1917年(大正6年)築のグンゼ本工場正門、大正後期築の郡是製糸蚕事所本館など、グンゼの歴史的建造物が並ぶ。
一方、綾部駅の歴史は、
• 1904年(明治37年)11月3日 - 国有鉄道の駅として、福知山駅から新舞鶴駅(現 東舞鶴駅)間の開通と同時に開業し、即日阪鶴鉄道に貸与される。客貨取扱を開始する。
• 1907年(明治40年)8月1日 - 阪鶴鉄道が国有化される。
とされ、山陰本線よりもずっと、後の明治37年に出来た駅であることが分ります。
駅が1904年、グンゼが1917年ですから、13年ごに、グンゼが出来たことになります。
グンゼは、どうして急に絹織物を作ろうという気になったかは、創業時の社名「郡是製絲株式會社」に由来しますが、この織物の知識は、群馬県で勉強をしたようです。
近代的な養蚕は、群馬県仕込みですが、元々、蚕糸は行われていたようです。
その歴史の糸口を見つけるために、阿須々伎神社に行ってみようと思いました。
神社のある所在地が、綾部市金河内町東谷だったからです。
私が気にしている私市円山古墳と由良川とは離れているのですが、地図をみますと、
http://www.its-mo.com/map/top_z/127388468_486911586_13//#osusume,1,,,
山を越えたところは、舞鶴市ですが、「桑飼上」という地名が見えます。桑を買うというのはおかしいですが、大々的に桑の生産がおこなわれていたから付いた地名でしょう。
この地図を左の方へ移動しますと、由良川が見えます。 私市円山古墳の上から眺めていた由良川は、福知山で、90度以上カーブをして、ここに流れています。
川にそって、地名を見て行きますと、天津、河守 など天皇家に関係のありそうな地名が現れます。
地名の金河内町ですが、どう見ても、河内に位置しないのに、河内に金が付いています。
金河内はカネカワチではなくて、カネゴチと呼ばれています。
一向に古事記の話が出てきませんが、その内に、私の頭は、この神社の為に、ごちゃごちゃになります。
途中ですが、次回は、阿須々伎神社のタイトルで、どうして、この神社に行きたくなったかを書いてみます。国は、どうして、山陰鉄道と、舞鶴を結びたかったかなども考えながら・・・・。
綾部市は、昔の行政区分に置き変えますと、何鹿郡に相当します。其中で、私市円山古墳は、一番大きな古墳ですから、どうしても、誰のお墓であるかを考えますと、物部氏だろうと思いこんでいましたが、違いました。
だれか分りませんが、絹を生産していた人という思いは有りました。
それは、JR綾部駅は、北側に「グンゼ」という絹織物を作る大きな工場が有ります。絹織物の会社は、昭和38年頃は、元気でしたが、その後は、衰頽しました。
しかし、当時あった会社は、現在でも、大きな駅の近くに残っています。 従いまして、グンゼという会社は、綾部駅ができたと同時に、出来たと思いこんでいました。
しかも、古い会社だと思っていました。
それどころか、日本に鉄道が出来た時は、イギリスからの援助で、明治五年頃には、どんどんと日本中に線路が敷設されたのではと思っていました。
どうしてそう思ったかと云いますと、鳥取県の古い地図を見付けて購入した時に、その地図には、JRは記されていなかったように記憶します。その地図は昭和5年の制作だったように思います。確かめようと探しましたが見つかりません)
と云うことで、グンゼが何時頃出来た会社かを調べることにしました。
インターネットから抜粋した資料を次に記します。
• 社名の「グンゼ」は創業時の社名「郡是製絲株式會社」に由来する。「郡の是」とは、国の方針である国是、会社の方針である社是のように、創業地の何鹿郡(現・京都府綾部市)の地場産業である蚕糸業を、郡(地域)を挙げて振興・推進していこうという趣旨に基づいている。
• 綾部駅北口一帯はグンゼの社有地で、研究所、工場のほか、1933年(昭和8年)築の本社、1917年(大正6年)築の旧本社(現グンゼ記念館)、大正初期築の繭蔵(現・グンゼ博物苑)、1917年(大正6年)築のグンゼ本工場正門、大正後期築の郡是製糸蚕事所本館など、グンゼの歴史的建造物が並ぶ。
一方、綾部駅の歴史は、
• 1904年(明治37年)11月3日 - 国有鉄道の駅として、福知山駅から新舞鶴駅(現 東舞鶴駅)間の開通と同時に開業し、即日阪鶴鉄道に貸与される。客貨取扱を開始する。
• 1907年(明治40年)8月1日 - 阪鶴鉄道が国有化される。
とされ、山陰本線よりもずっと、後の明治37年に出来た駅であることが分ります。
駅が1904年、グンゼが1917年ですから、13年ごに、グンゼが出来たことになります。
グンゼは、どうして急に絹織物を作ろうという気になったかは、創業時の社名「郡是製絲株式會社」に由来しますが、この織物の知識は、群馬県で勉強をしたようです。
近代的な養蚕は、群馬県仕込みですが、元々、蚕糸は行われていたようです。
その歴史の糸口を見つけるために、阿須々伎神社に行ってみようと思いました。
神社のある所在地が、綾部市金河内町東谷だったからです。
私が気にしている私市円山古墳と由良川とは離れているのですが、地図をみますと、
http://www.its-mo.com/map/top_z/127388468_486911586_13//#osusume,1,,,
山を越えたところは、舞鶴市ですが、「桑飼上」という地名が見えます。桑を買うというのはおかしいですが、大々的に桑の生産がおこなわれていたから付いた地名でしょう。
この地図を左の方へ移動しますと、由良川が見えます。 私市円山古墳の上から眺めていた由良川は、福知山で、90度以上カーブをして、ここに流れています。
川にそって、地名を見て行きますと、天津、河守 など天皇家に関係のありそうな地名が現れます。
地名の金河内町ですが、どう見ても、河内に位置しないのに、河内に金が付いています。
金河内はカネカワチではなくて、カネゴチと呼ばれています。
一向に古事記の話が出てきませんが、その内に、私の頭は、この神社の為に、ごちゃごちゃになります。
途中ですが、次回は、阿須々伎神社のタイトルで、どうして、この神社に行きたくなったかを書いてみます。国は、どうして、山陰鉄道と、舞鶴を結びたかったかなども考えながら・・・・。