神話でなかった古事記

日本の歴史を知るために、いろいろ考えてきました。古事記に残されていることから、思いついた事を書いてみようと思います。

イザナギとイザナミの国生み(1)

2014-11-07 07:31:42 | 古事記
 長いこと、高御産巣日神がどのような神であるかを 京都府綾部市金河内町東谷1に鎮座する阿須々伎神社のことを調べて考えてきました。同じ、高御産巣日神が、山城国綴喜郡の高神にも祀られているので、こちらの事は、
綴喜郡の式内社 『古事記を考える』
http://obitikuoosaka.blog.fc2.com/page-2.html
に書いている所です。
 しかし、いつまで調べても切りがありませんので、中断しようと思います。

古事記では、高御産巣日神の後、天之常立と宇摩志阿斯訶備比古遅神を記し、計五人を別天神と書いています。
 天神ではないが、自分達、天皇家には、大切な神々でしたから、最初に記したと理解しています。この人達は、独神と書かれ、高天原に止まらないで、下山したと思われます。どこへ行ったかは、他の所で、神社に祭られていますから、探してください。

古事記では、次に、神世七代と書き、数多くの神が登場しますが、最後に、伊邪那岐神と伊邪那美神が登場します。

 古事記に書いてある通りの場所やできごとがあることを地名と歴史に残されている事を田村氏は書かれました。
今日から、伊邪那岐神と伊邪那美神のことを書こうと思いますが、このことを念頭において読んで頂ければと思います。
 古事記は、神話許と思われていますが、神話ではなく、実際にあったお話を太安万侶は、焚書に遭わない様に、書きあげたと考えています。


 イザナギとイザナミは、オノコロ島を造り、そこに八尋殿という建物を建て、新婚生活を始めました。
 儀式が間違っていたために、水蛭子が生まれたので葦船に入れて流したと書いてあります。当時は、埋葬しないで川に流すということがあったのでしょうか。
 川は書いてはありませんが、旭川になるでしょう。 この川は、瀬戸内海まで流れます。
蒜山高原の中蒜山の写真をごらんください。
http://www.hiruzen.info/ 真ん中の山です。

この蛭子を祀る神社は、柳原蛭子神社があります。兵庫県の西宮市にある西宮神社(にしのみやじんじゃ)は、夷を祀ります。古事記に書かれている水蛭子は、西宮に流れ着いたことになります。日本に約3500社ある、えびす神社の総本社(名称:「えびす宮総本社」)です。

 こんな話を信用出来ますか。一度、西宮神社を訪れてください。毎年繰り広げられます年賀の本殿一番のりのエネルギーは何だろうとテレビで見るだけで思います。ここを元にして、全国、3500ヶ所に散らばって行ったことになります。


 太安万侶は、こんな話を書きとめたかったのではありません。
 
イザナギとイザナギは、オノコロ島を初めとして、次は水蛭子を生みました。次に、淡島を生みましたと書きました。
 「これも又、子の例にはいれませんでした」と書きました。
 ここの意味が重要なのです。
 
 イザナギとイザナギが生んだ物には、水蛭子と淡島は、本当の子ではありません。
 其後に、次々と生まれる「淡道の穂の狭別島、伊予の二名島」等は、イザナギとイザナギが手を下したところですよと、次々、征服した所の名前が挙げられています。
 水蛭子など生むは出来ますが、淡島など生める訳がありません。太安万侶は、構わず、日本にある島の名前を全部書きました。実際に生まれる水蛭子と生む事が出来ない淡島をならべて書いて、此の後にかいてあることは読みたくもないように読者に思わせたのだと思います。 
 このように考えれば、その前にかいてあることも納得できます。
 
イザナギとイザナギが「天の浮橋」に立って、天の沼矛を書き回して、出来た島がオノコロ島です。

 これも本当の島でないから、子の例にはいれませんでした。

 水蛭子と淡島は、本当の子ではありませと書いたと云うことは、淡島は、高天原にやってくる前に、イザナギとイザナギが、落ち着いたところだと思われます。 その地には現在、一の宮である伊弉諾神宮があります。それは淡路島のことです。上に在る淡島は、淡路島のことになります。

 イザナギとイザナミは、御所が出来上がると、自分達の仲間を呼び寄せて全国に入植させました。仲間は、北京の近くにいましたが、趙の国に滅ぼされて山東半島に移動していました。
 イザナギとイザナミとその仲間たちは、北京の50km程の所に在った中山王国にいた白狄人で、日本を征服することになります。これを太安万侶は、国を生んだと表現しました。
 
 イザナギとイザナギが、国生みをはじめる前に、古事記に、次のことばがあります。

ここに天つ神 諸の命もちて、伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱の神に、「この漂へる国を修め理り固めなせ」と詔りて、
 という文章があります。
此の後に、「天の沼矛を賜ひて、言依さしたまひき」と書いてあります。

この天つ神とは、誰かと云いますと、この時、既に、天つ神が日本に居て、その人達から、
「天の沼矛」を貰って、オノコロ島を造ったことになります。

少し、古事記の筋書きがお分かりになられましたか。 
しかし、間が抜けすぎていて、歴史の流れに、少し、無理があるように思われます。

 古事記には、このように意味が不明のところがあります。
この部分は、だれかが、削除したのではと推察しています・

 これまでの内容は、田村誠一氏の著書から拝借しました。
 
「自分達の仲間を呼び寄せて全国に入植させました」など、どうして言えるのだと云いますと、イザナギ一族を祭った神社が、全国に分布しているからだと書いて居られます。

イザナギ・イザナミを祭った神社
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page154.html
分布だけではなくて、全部調べようとして書き始めてのが、《詳細を知る》 
余りにも多過ぎて、諦めました。 
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page155.html

次回も、国生みの話題を書いてみます。
生める子は、「淡道の穂の狭別島」からです。どこの島かお解りですか。



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