ちょっとあいてしましましたが、『待機児問題』について書きます。
前回は待機児とは何ぞやをかきました。
児童福祉法が子育ての最終責任を国及び自治体としていることから、「保育に欠ける」子どもは認可保育園(公私立問わず)で措置(今や死語となっていますが)しなければならない。社会福祉法人立の保育園も行政からの委託事業としておこなわれています。
その措置の対象でありながら、放置されているのが、正確に表現すると「認可保育園入園待機児」なのです。
待機児解消はいわば行政に課せられた義務なのです。予算があるないの問題ではなく、道路予算など公共事業予算を削ってでも、しなければならないのです。
待機児解消策は、いろいろです。
今はやりは、保育の産業化による定員確保です。企業の保育事業への参入を促すやり方です。これはある意味「禁じ手」だったんですが、東京などの大都市圏での待機児放置がはなはだしく、待機児解消になるならと広がってきました。横浜市がとった待機児解消策はこの手法でした。
保育の産業化の問題点は、どこまでいっても企業が利潤・儲けを生まなければならない存在であるということ。そうでなければ参入してきません。儲けを前提としない社会福祉法人立であっても企業立であっても、保育の質が同じならば経費はほとんど同じです。それは当たり前のことです。JPホールディングスの山口社長は『合理的運営と、スケールメリットをいかして経費節減で』利益を生むといいますが、それで大きな差が出るはずはありません。
保育の質を変えるからこそ利益が生まれます。人件費比率が80%の保育事業で、横浜市の株式会社立は50%程度といわれています。ここにこそ利潤のもとが存在します。人件費圧縮は保育の質の低下そのものです。
保育は人=保育士であり、経験がおおきな力となる職種です。成長する子どもに、ゆたかな愛着関係をもとにしたきめ細やかな心遣いやさしさをもって、経験・体験をし、それを共感をもって受け止めるそんな保育が求められます。無駄こそ命であり保育に『合理化』は必要ありません。
つづく