NASAのエウロパ重大発表もつつがなく済み、27日木曜日になりました。
さて、新しいケントロール(ケント紙の巨大なロール巻き)を注文中で、大作を描き始められず、少々暇な今日この頃。
ダラダラ、ブツブツと思うところを述べさせていただきます。
まず、物議を呼んでいるウナギのCM。
率直な意見としては、世間はもう少し表現というものに寛容であってほしい。
ちょっと目障りなだけで簡単に文句を言われてしまう。
しかし一方で、あのCMのセンスが良いとも思えない。
意図的にイヤらしくしすぎだ。
もし、制作者が炎上商法を狙っていたとしたら、もっとセンスがない。
炎上して話題になったらCMを取りやめる。
なんて安っぽくて古くさい発想だろう。
行政はCMを取りやめる必要もないし、CMの制作者は表現者として堂々と戦うべきである。
行政側は慎重を期して制作したとコメントを出しているが、もしそれが本当なら、もっとセンスがない。
誰が見ても炎上しそうなCMなのに、それに気づかないとは広告制作者の能力を疑ってしまう。
実に中身のない騒動で、表現者の端くれとして悲しくなるばかりだ。
それから、県北芸術祭。
「いったい何匹目のドジョウだよ!」
と言いたくなる人々のご意見に共感しつつも、芸術を志す者として興味を持ってしまうのも事実。
全てを見るのは大変なので、数日前にちょっとだけのぞきに行ってみた。
ほんの一部をみただけだが、その時にみた、ある作品(1日の活動をカラフルなバーで表現した作品)はとても面白かった。
いろいろ回れば、もっとたくさん楽しい力作があるのだろうが、今回見てまわった中で感じたことがある。
呉越同舟というか、同床異夢というか、これまたどことなく悲しくなってしまう雰囲気。
ゴールデンウィーク中や夏休み中のみ、動物園やテーマパークの近くの空き地が、その時だけ臨時駐車場になっているのをよく見かける。
こういう人たちは、その施設が動物園だろうと遊園地だろうと何だろうと、儲かればどうでもいいのである。
「動物園は教育の場としても重要な施設だから、駐車場が満杯になってしまうときは我が家の空き地を駐車場にして、少しでも多くの人に動物園に行ってほしい」
などという高い志を持って駐車場にしている人などほとんどいないはずだ。
今回、芸術祭の会場になっているある町を歩いたが、どことなく似たような雰囲気があった。
アートでも、音楽でも、萌えキャラでも何でもいいから人が来て商売が上向けばそれでいいと言う人が少なくなさそうだ。
同床異夢というべきか、なんというべきか、行政と作家と住民の間になんとなく温度差を感じるのである。
それでも、参加アーティストのみなさんは、自分の作品で町を盛り上げていこうという思いもあるのだと思う。
もちろん、これでさらに名を売ってやろうという野心を持っている人もいるだろうが、それはそれでよし。それでも、表現者として良いものを世に出すべく、作品と真摯に向き合っているはずである。
しかし、お膳立てしている行政側の、芸術に対するリスペクトのようなものがあまり感じられない。
もちろん、外野から見ただけの感想ではあるが、行政の心の内は、地域振興8割、芸術振興2割くらいの熱量に感じてしまう。
芸術が、地域振興、宣伝のアイテムとして利用されているように感じてしまい悲しかった。
県北芸術祭に限らない話かもしれないが、その一つが、無駄に広い会場。
過疎化に悩む地域が多い山間部を盛り上げたいのだろうが、それでも、芸術の祭典であることを忘れてはいけない。
いったい、県北芸術祭を計画した人の何人がまともに美術館等を巡ったことがあるのだろうか。
作品を鑑賞しに来たのに、見たい作品を全部見ることができない状況が生まれるのを容易に想像できる。
確かに、巨大で全てを見るのが大変な美術館もあるが、それでも、見たいものを優先的に見て回ることはできる。
しかし、一つの美術展、企画展で物理的に見れない作品があるなんてひどいものである。
県北のここに行ってほしい、あそこにも行ってほしい、ここにも知ってほしい観光資源があった、などという地域振興8割的発想に感じてならないのだ。
これから定期的に続けるのであれば、山側と海側を交互に会場にするなど、他にもやりようはあるだろう。
そうは言っても、文化、芸術が盛り上がるのはとても良いことである。日本中に広がりをみせる芸術祭が、よりよいものに発展していくことを切に願う。
そして芸術祭が終わって後、
期間中、どこそこの入場者数が何割増えました。
どこそこバスの利用者数が何割増えました。
経済効果が何円です。
という行政的成果のみの報告で終わらないようにしてほしいものだ。
そもそも、地域振興とは、一回こっきりのカンフル剤ではだめだと思う。
自然に経済が循環していく環境を作るべきである。
さて、新しいケントロール(ケント紙の巨大なロール巻き)を注文中で、大作を描き始められず、少々暇な今日この頃。
ダラダラ、ブツブツと思うところを述べさせていただきます。
まず、物議を呼んでいるウナギのCM。
率直な意見としては、世間はもう少し表現というものに寛容であってほしい。
ちょっと目障りなだけで簡単に文句を言われてしまう。
しかし一方で、あのCMのセンスが良いとも思えない。
意図的にイヤらしくしすぎだ。
もし、制作者が炎上商法を狙っていたとしたら、もっとセンスがない。
炎上して話題になったらCMを取りやめる。
なんて安っぽくて古くさい発想だろう。
行政はCMを取りやめる必要もないし、CMの制作者は表現者として堂々と戦うべきである。
行政側は慎重を期して制作したとコメントを出しているが、もしそれが本当なら、もっとセンスがない。
誰が見ても炎上しそうなCMなのに、それに気づかないとは広告制作者の能力を疑ってしまう。
実に中身のない騒動で、表現者の端くれとして悲しくなるばかりだ。
それから、県北芸術祭。
「いったい何匹目のドジョウだよ!」
と言いたくなる人々のご意見に共感しつつも、芸術を志す者として興味を持ってしまうのも事実。
全てを見るのは大変なので、数日前にちょっとだけのぞきに行ってみた。
ほんの一部をみただけだが、その時にみた、ある作品(1日の活動をカラフルなバーで表現した作品)はとても面白かった。
いろいろ回れば、もっとたくさん楽しい力作があるのだろうが、今回見てまわった中で感じたことがある。
呉越同舟というか、同床異夢というか、これまたどことなく悲しくなってしまう雰囲気。
ゴールデンウィーク中や夏休み中のみ、動物園やテーマパークの近くの空き地が、その時だけ臨時駐車場になっているのをよく見かける。
こういう人たちは、その施設が動物園だろうと遊園地だろうと何だろうと、儲かればどうでもいいのである。
「動物園は教育の場としても重要な施設だから、駐車場が満杯になってしまうときは我が家の空き地を駐車場にして、少しでも多くの人に動物園に行ってほしい」
などという高い志を持って駐車場にしている人などほとんどいないはずだ。
今回、芸術祭の会場になっているある町を歩いたが、どことなく似たような雰囲気があった。
アートでも、音楽でも、萌えキャラでも何でもいいから人が来て商売が上向けばそれでいいと言う人が少なくなさそうだ。
同床異夢というべきか、なんというべきか、行政と作家と住民の間になんとなく温度差を感じるのである。
それでも、参加アーティストのみなさんは、自分の作品で町を盛り上げていこうという思いもあるのだと思う。
もちろん、これでさらに名を売ってやろうという野心を持っている人もいるだろうが、それはそれでよし。それでも、表現者として良いものを世に出すべく、作品と真摯に向き合っているはずである。
しかし、お膳立てしている行政側の、芸術に対するリスペクトのようなものがあまり感じられない。
もちろん、外野から見ただけの感想ではあるが、行政の心の内は、地域振興8割、芸術振興2割くらいの熱量に感じてしまう。
芸術が、地域振興、宣伝のアイテムとして利用されているように感じてしまい悲しかった。
県北芸術祭に限らない話かもしれないが、その一つが、無駄に広い会場。
過疎化に悩む地域が多い山間部を盛り上げたいのだろうが、それでも、芸術の祭典であることを忘れてはいけない。
いったい、県北芸術祭を計画した人の何人がまともに美術館等を巡ったことがあるのだろうか。
作品を鑑賞しに来たのに、見たい作品を全部見ることができない状況が生まれるのを容易に想像できる。
確かに、巨大で全てを見るのが大変な美術館もあるが、それでも、見たいものを優先的に見て回ることはできる。
しかし、一つの美術展、企画展で物理的に見れない作品があるなんてひどいものである。
県北のここに行ってほしい、あそこにも行ってほしい、ここにも知ってほしい観光資源があった、などという地域振興8割的発想に感じてならないのだ。
これから定期的に続けるのであれば、山側と海側を交互に会場にするなど、他にもやりようはあるだろう。
そうは言っても、文化、芸術が盛り上がるのはとても良いことである。日本中に広がりをみせる芸術祭が、よりよいものに発展していくことを切に願う。
そして芸術祭が終わって後、
期間中、どこそこの入場者数が何割増えました。
どこそこバスの利用者数が何割増えました。
経済効果が何円です。
という行政的成果のみの報告で終わらないようにしてほしいものだ。
そもそも、地域振興とは、一回こっきりのカンフル剤ではだめだと思う。
自然に経済が循環していく環境を作るべきである。
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