こんばんは
もう一度柿渋染と泥染に博多帯を使って作ることにしたのです。
今度はダーツもなく何時ものバックにするつもりでトップを
ミシンでつないだのです。
博多帯の柄を変えて
此方も変えたのです
私が機械編みで亡き母に作ってあげていた物を
片づけで出て来たのです。
叔母がお姉さんのだから着る言ってくれたのです。
のじで穴が開いていたのをつくろって着てくれているのです。
亡母は11月までは洋服を着てそれからは着物で春になると
又洋服を着ていたのです。
作って30年位前に流行していたと思うのです。
シミもあるのですが叔母は動きやすいと着てくれるのです。
務めながら機械編みや手編みで皆の物をしていたことが
不思議です。若かったから出来たのでしょうね。
退職してからも暫くは編み物をしていましたが、腱鞘炎になり
やめたのです。
それからはパッチワークを公民館に行き孫が生まれて子守りが
始まって公民館には行くことが出来なくなりました。
その時の先生の所へ電車で土曜日か日曜日に通ったのです。
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もう一度柿渋染と泥染に博多帯を使って作ることにしたのです。
今度はダーツもなく何時ものバックにするつもりでトップを
ミシンでつないだのです。
博多帯の柄を変えて
此方も変えたのです
私が機械編みで亡き母に作ってあげていた物を
片づけで出て来たのです。
叔母がお姉さんのだから着る言ってくれたのです。
のじで穴が開いていたのをつくろって着てくれているのです。
亡母は11月までは洋服を着てそれからは着物で春になると
又洋服を着ていたのです。
作って30年位前に流行していたと思うのです。
シミもあるのですが叔母は動きやすいと着てくれるのです。
務めながら機械編みや手編みで皆の物をしていたことが
不思議です。若かったから出来たのでしょうね。
退職してからも暫くは編み物をしていましたが、腱鞘炎になり
やめたのです。
それからはパッチワークを公民館に行き孫が生まれて子守りが
始まって公民館には行くことが出来なくなりました。
その時の先生の所へ電車で土曜日か日曜日に通ったのです。
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今度は違う形にするんですね
またまた 楽しみです。
編み物をされていたんですね。
手編みで腱鞘炎になってしまったんですか?
シナモンさんの時代は自分で服を作ったり、
セーターを編んだりするのが普通のこと
だったんでしょうね。
今は既製品がたくさんあって何でも買える時代になりましたから・・・
どちらがいいのでしょうね?
好きだといくら忙しかろうと何でもできちゃうのですね。同じ機械編みでもやっぱり手作りと既製品では着心地が違うものなんですね。
分かるような気がします。
腱鞘炎もうすっかりいいのですか~?
私も最近、腕が痛くて・・・PCのせいだと思っているのですが・・・。腱鞘炎かも知れませんね。
また出来上がり楽しみにしています!
洋裁は出来ませんが編み物は機械編みや棒針にかぎ針を使って我が家の物だけでなく人様の物まで編んでいました。
腱鞘炎はの軽いのはいまでも起こりますが、健康ルームの先生から直し方をお聞きしていますので、すぐに良くなります。
キルトを続けるとなるのです。
手仕事が好きなので色々としましたが、パッチワークが一番長いのです。
子供の物は買うとなると高くそして成長が早いので夏を越すともう着られなくなるので、毎年秋には作って居ました。
その時は自分の作った物しか着ていないので着心地など分からなかったのです。
残してある物を時々来ますが毛糸が良いので、
温かいし少々太って来ても着ることができます。
キルトを多くしているとなるのです。
腱鞘炎は時々置きますが、今は健康ルームの治療技士の先生にお聞きして直すことができるのです。
出来ましたら又見てやって下さいね。
こんばんは
素敵な思いでいっぱいの品を見せていただいて嬉しいです,シナモンさんは,随分昔から,手仕事がお好きだったのですね,お母様も,お好きでしたか
私の手仕事は,母の影響だと思っています。
一つ質問しても良いですか,次から次にバックが出来ていきますが,作品をお売りになるのですか
次の作品も,楽しみに出来上がりを待っています。
母は手編みをして子供6人に編んで着せてい ました。
得意な模様は藤編みでよくハフコートやスカ ートを編んでいたのです。
認知症になっても藤編みでスカート下を編ん でいたのです。得意としたものは、忘れて居 ないのですね。
母の影響と、祖父(父方)が器用な人でお坊さ んの衣を縫っていたと聞かされて居たので
もしかした血筋かしら。
バックは基本的には売ることはありません。
妹や叔母・従妹達に作ってあげて時には、
材料費が高いとその分は貰っています。
頼まれて作ることはきらいなのでどうしても
断れない時だけ作るのです。
差し上げるのはその人の好みに合わせて
作るようにして居ますので楽しんで
作っています。
バックが好きなのです。
自分のセーターをほどいて、毛糸の癖をとるために大きな鍋で煮て染めていたのを憶えています。
古い毛糸の汚れを目立たないように染めたので、いつも黒でした(笑)
義母のセーターをウチではまだ捨てられずじまいです。義母の母親が買ってくれたもののようなのです。義母は大事にしまいこんで着ませんでしたが、いずれ私が着ようと思っています。
子供の頃は小さくなるとほどいて湯のしをして、二枚が一枚になって編みなおしていましたよね。
義母さんはお母様の買ってくださた物を大事に
されていたのですね。
kzmさんはその大事なセーターを着てあげる
優しがうれしいです。
きっと義母さんも喜ばれることでしょう。