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詩客 ことばことばことば

詩客、相沢正一郎エッセーです。

ことば、ことば、ことば。第29回 水のいきもの1 相沢正一郎 

2015-07-19 14:23:22 | 日記
 私が「水のいきもの」で、まっ先に思い浮かべた詩は村野四郎の「さんさんたる鮟鱇」。《顎を むざんに引っかけられ/逆さに吊りさげられた/うすい膜の中の/くったりした死/これは いかなるもののなれの果だ》。美味で「アンコウ鍋」は絶品。「あん肝」はフォアグラの味に似ている。茨城に「どぶ汁」という鍋があるらしい。いちど食べてみたい。
 村野四郎がこの詩を書いていたとき、ぐんにゃりした粘膜に包まれたグロテスクなこの深海魚、ヌルヌルして俎板でさばきにくいため、魚屋の軒先に鉤でぶらさげられ、お客に一片ずつ包丁で切り取られ売られていた。そんな「つるし切り」の情景を《見なれた手が寄ってきて/切りさいなみ 削りとり/だんだん稀薄になっていく この実在》と描く。そして、《惨劇》のあとは《なんにも残らない廂から/まだ ぶら下がっているのは/大きく曲った鉄の鉤だけだ》。
 リルケの《へんな運命が私を見つめている》のことばが添えられているが、「鮟鱇」の姿に「死」さえ奪われてしまう現代人の運命が象徴されている。
 これは「魚」ではないけれど、もうひとつ好きな作品――萩原朔太郎「死なない蛸」。ながい散文詩であらすじを書くと、ある水族館で飢えた蛸が飼われている。だれもが忘れてしまっていた水槽のなかで蛸はもう死んだと思われていた。しかし、この軟体動物は《腐つた海水だけが、埃つぽい日ざしの中で、いつも硝子窓の槽にたまつて》いる薄暗い水槽の岩影にかくれ、《恐ろしい飢餓》を忍びながら生きていた。たべものが尽きると、まず、自分の足をいっぽん喰い、それから、次のいっぽん……。そして最後には、からだを裏返すようにして食べつくす。
 すっかり消滅してしまった後も、じつは蛸は生きていた。忘れられてしまった水族館の水槽のなかで《永遠に――おそらくは幾世紀の間を通じて――或る物すごい欠乏と不満をもつた、人の目に見えない動物が生きて居た》。萩原朔太郎自身の飢餓感が投影されている蛸のいる舞台《地下の薄暗い岩の影で、青ざめた瑠璃天井の光線が、いつも悲しげに漂つてゐた》水槽は、朔太郎の時代をも象徴している。それでいてこの散文詩は時代を越えて、落語の「頭山」やカフカの小説『断食芸人』にも通底している。

 さて、八木幹夫さんの新詩集『川・海・魚等に関する個人的な省察』の「蛸」は、《魚になったり/虫になったり/悪魔になったり/へんげんじざいの/章魚よ(蛸よ)》(「悪魔の魚」)と、萩原朔太郎が蛸に内面を投影したり、村野四郎が魚(鮟鱇)を擬人化して人間の実存を描く、という方法とは違う書き方をとっている。序詞「どぜう」の《どうしても/泥鰌は/どぜう/でなければ/なりません//ヨソユキの裃/一張羅の燕尾服/を着るように/泥鰌/なんて/漢字で/は/感じが/でません》と明確であるように、じつは魚もはじめに「文字」で書かれていたんだ、と気づかせてくれる。
 しかし、八木さんの《哲学せよ/みずから》の哲学は、けっして魚の実在とことばとの距離を記述するといった野暮(?)な方向にはむかわない。「魚語の翻訳」の訳注、いや「誤訳」注に、確かに《魚と人間との間にある遥な距離。残念ながら異文化間の誤訳は宿命である》とあるけれど、それにしても《なにかきこえるみずのなか//ごもごもげぼがぼごぼげばぷっくん/ぶくぶくぷくぷくぶくぶくぷぷう》と、草野心平に匹敵するセンス(ナンセンス)は、画家が色彩、音楽家が音の効果を引き出すように日本語の文字の効果を最大限に生かしている。
 たとえば、先ほどの「どぜう」のことばの音楽性、改行や余白の呼吸や息づかい、といったこと。またひらがなと漢字の繊細な使い分けのみだけでなく、「鰯」の《ヨワイワタシノワタクシゴトヲ/アブクノヨウナナキゴトヲ/イワシテクレテアリガトウ》とカタカナの呟きの効果。「水」がすべての生きものの故郷であるなら、八木さんの詩集のページに印刷された文字たちも生命をもっていて、ぴちぴちと跳ね、生きている。
 《水族館の明るい照明/透明な壁をすかして/こちらをまっすぐに見るさかな/反射的にこころが/海草のように/ゆらゆらうごく/するといっそうふかく/見られてしまう/わたくしのこころ/さかなの視線って/不思議だなあ/食べられちゃうかと/思ったよ》。萩原朔太郎の「死なない蛸」の暗い水槽とはずいぶん違う、明るい笑いは芭蕉の「軽み」に近い。
 そして、八木さんの軽妙なユーモア、シンプルな形はとても現代的。そんなポップな作風なのに「新しい」というより、もっと原初的、もっと根源的。わかりやすいことばだが、とても深く「哲学」している。《朝めざめて/わたしがわたしであることの/ふしぎ/朝/めざめて/どうして/わたしはあなたでなかったか》(「めざめ」)。

ことば、ことば、ことば。第28回 からだ 相沢正一郎

2015-06-22 13:14:27 | 日記
 寝転がってテレビ「100分de名著」の「荘子」を観ていた。……そうか、「胡蝶の夢」や「無用の用」は荘子からきているのか。ちなみに、私はいままで「荘子」を「そうし」と覚えていたけれど、正しくは「そうじ」と読むらしい。なかでも「混沌の死」という寓話に「おやっ」とおもわず起き上がった。
 儵(しゅく)という帝と忽(こつ)という帝が、混沌という帝に、いつも会合のつど手厚いもてなしを受ける。厚意に感じたふたりが混沌にお礼をしようと、目、耳、口、鼻など七つの穴を一日に一つずつ顔に明けていく。それで見たり、聞いたり、食ったり、息をしたりできる、と思ったからだが、けっきょく七日目に混沌は死んでしまった……というお話。
 おやっ、と思ったのは、「穴」はカオスへの通路では、と考えていたのに、ここでは「秩序」だということ。混沌という生命の塊が、五感に分割されたことで死んでしまう、ということなのか。たぶん大切なものを五感を超えたなにか宗教的な感覚でとらえろ、ということなんだろう、きっと。もっとも、この手の寓話には多様で両義的な意味があるもの……読者の勝手な読み方は許してもらおう。
 さて、『荘子』は戦国中期(西暦前四世紀)に荘周によって書かれた、という。乱世のカオスに孔子の儒教がひろまるのはわかる。『旧約聖書』にしろ『古事記』にしろ、おそらく世界中の神話の始めにはカオスからコスモスへという物語があるのでは。それなのに乱世の時代に、荘周がわざわざ好んで夢や混沌の寓話を語るとは……。
 さっそく岸陽子訳の『荘子』(「中国の思想」⑫)を図書館から借りてきた。岸陽子の解説によると、中国の政治社会を律した「儒教」の説く道徳論の強固な枠づけは支配者にとっても息苦しい。老子・荘子(「老荘」)の思想「道家」はその閉塞感に風穴を明ける。「儒教」と「道家」は、いわばコインの裏表、という。
 でも、生きものだって穴(孔)――口→胃腸→肛門の栄養を摂取しエネルギーに変え、残滓を排出。消化器は孔、いっぽんの管。その管に、先ほどの『荘子』の「混沌の死」の話じゃないけれど、生きものは三十数億年かけて背骨や肺、手足や目などが加わって、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類に進化してきた。からだは空(から)だ、とおもわずダジャレ。
 ……そんなことを考えていると、岡本啓さんの詩集『グラフィティ』が浮かんできた。《これは鼻で/これは頬、これは口/これはまぶた/祖父のかわいた指の感触が/ここにある/誰のどんな/蜂の巣を抱きしめても/ずっとそう/くやしがるのも/わらうのも/いかるのも、涙をながすのも/ずっと/この顏だ》(「声」)。詩集をひらくと、まさに目、耳、口、鼻など七つの穴を明けられたよう。死なないですんだのは、共感覚のように五感がひとつの詩にまるごと吹き込んでくるから……。すこしまえに「風穴を明ける」という言い方をしたけれど、この詩集のひらがなの透明感と軽さが、読後、カオスの風が通りすぎていったような新鮮な解放感。
 以前、堀川正美の詩集をいつも持ち歩いたことを思い出した。有名な「新鮮で苦しみおおい日々」の《時代は感受性に運命をもたらす。》や《きりくちはかがやく、猥褻という言葉のすべすべの斜面で。/円熟する、自分の歳月をガラスのようにくだいて/わずかずつ円熟のへりを噛み切ってゆく。》など、たくさんのあざやかなフレーズがこころに刻まれた。そんな新鮮な驚きにふたたび『グラフィティ』で出会えた。もっとも、おおきな『太平洋』の乱反射するイメージの過激さではなく、もっとちいさな身振り。
ケイ/なあ知ってるか、祈るということ/スターバックの/なみなみとつがれた紙コップ/あんなふうに、ひとは持ちあるく/こぼさぬように首のうしろをかたくして/別れの記憶/うかがい知れぬこと/舌にのこる髪の毛のような/一本の針金/いつだったか頬のうらにあたるその一本を/はきだそうとして/落葉のいいにおいがした》(「椅子」)と、アクションでなくあくまでも身振り、からだが触れる範囲に限られている。それでいて、さきほども生きものがいっぽんの管に還元されることで壮大な時間を感じさせる、といったけれど、岡本さんの作品にもシンプルなからだにおおきな時間がひろがっている。
 また、ポップで即物的なからだの動きは、確かに現在の具体的な場所からはみ出さないけれど、宇宙と響きあっている。《ちがう/ぼくが言う くだけちったガラス/あらゆるものが萎れるんだ/ほんとうに宇宙は/なにもない/一人の女から産まれて/ここにいる それじたいが 暴動だ》(「序詞」)。

ことば、ことば、ことば。第27回 家1 相沢正一郎

2015-05-16 23:02:05 | 日記
 《私が初めて上京したころ/どの街区を歩いていても/旅にいるような気がして仕方がなかった》と、室生犀星の「第二の故郷(ふるさと)」。《ことに深川や本所あたりの/海近い町の/土蔵作りの白い家並をみると/はげしい旅の心をかんじ出した》とつづきます。《ふるさとは遠きにありて思ふもの》と歌った(「小景異情」)の詩人のふるさとは金沢。出生は複雑で――加賀藩で足軽組頭の父が、女中に生ませた子が犀星。生まれるとすぐに引き離され、生涯、実の母を知らなかった。だからでしょうか、犀星の描く故郷には母への屈折した感情(愛憎)を感じてしまいます。「子守唄」という、雪国金沢の雪の日を歌ったこんな詩があります。《雪がふると子守唄がきこえる/これは永い間のわたしのならわしだ》とはじまりますが、雪の降る日には、音がないはず。それから、《だがわたしは子もりうたを聞いたことがない/母というものを子供のときにしらないわたしに/そういう唄の記憶があろうとは思えない。》というフレーズもあります。
 もっとも、「第二の故郷」には「子守唄」とは違ってわたしたち一般の読者にも思い当たる気持ちの動きが具体的に描かれています。二連目に《五年十年と経って行った/私はとうとう小さい家庭をもち/妻をもち/庭にいろいろなものを植えた/夏は胡瓜や茄子/また冬は大根をつくって見た(……)私はこれまでのような旅らしい気が失せた》と移り変わり、三連目には、《緑で覆われた郊外の自分のうちの/いきなり門をあけると/みな自分を待っているような気がした/どこか人間の顔と共通なもののあるいろいろな草花、いろいろな室(へや)のもの/カチカチいう時計》と東京の家がふるさとと重なってきます。最終の四連目《どれもこれも永い生活のかたみの光沢(つや)を/おのがじしに輝き始めた/庭のものは年年根をはって行った》と、東京の土に詩人はしっかと根をはります。二連目に《そのうち父を失った/それから故郷の家が整理された/東京がだんだん私をそのころから/抱きしめてくれた》というフレーズがありますが、犀星にとってふるさとは「家」、そして「母」。
 犀星の「第二の故郷」とはまるで正反対に「家」を描いている作品がフランツ・カフカの『変身』です。小説の冒頭、主人公のグレーゴル・ザムザは朝、《気がかりな夢》(以下、高橋義孝訳)から目覚めると、巨大な虫に変わっている。ザムザは外交販売員《年がら年じゅう、旅、旅だ》、という独白で、ここでもまた「家」の反対語に「旅」ということばが出てきます。
 小説の主な舞台《自分のいつもの部屋》も主人公が変身するのと同時に変わってみえます。たとえばドアを開けるといった些細な行為ひとつでも虫にとっては、鍵穴にささっていた鍵を口にくわえ体全体で踊りまわって回転させる、といったアクション。そのときにどこかを痛め褐色の液体が口から流れ出て床にしたたり落ちる、といった具合。ザムザは、やがて部屋を床の上を這いまわる気晴らしに喜びを見出す。そのとき虫にとって障害物にすぎない家具などを、主人公の妹が気をきかせて取り除き部屋をひろくしようとするが、ザムザにはまだ半分人間の気持ちが残っていて、《先祖から伝わった家具を居心地よく配置している暖かい部屋を洞窟に変えてしまおうと思っているのか》と嘆く(犀星の「第二の故郷」の三連目を思い出してください)。
 結局、ひろい部屋にはならなかったが、反対に下宿人《三人の気むずかし屋の紳士》に家の中の一部屋を貸したために余った家具や手伝い女の投げ込んだゴミ箱などのがらくた置き場になります。また、部屋の「変身」と同時に家族が主人公に対する気持ちも変わってきます。セールスマンの長男の稼ぎがなくなった途端、老いた父は金ボタンの制服を着て銀行の用務員になり、母は内職を請け負い、ヴァイオリンを弾く音楽家志望の妹は店員になる。ザムザの不幸によって家族の絆がかたまってくるのです。
 虫になった主人公はドアから出て母に気絶され、ついにはいつも味方だった妹に「このけだもの」と呼ばれ、部屋の三つのドアを外側から鍵をしめられてしまう――そんな悲しい話なのに、どこかドタバタ喜劇のおかしさ。とうとうザムザは父親が投げた林檎の傷がもとで夜明け前ひっそりと死んでしまいます。そのあと読者ははじめて息苦しい家から解放されるのです。《暖かい日がさんさんとさしこむ》郊外に出る電車の中の幸せな三人の親子――これから住居を替え、新しい生活がはじまる……そんな家族の夢と希望は「第二の故郷」を思わせますね。《美しい豊麗な女に成長》した妹の結婚を匂わせて物語は幕を閉じます。暴君の父、父の横暴から息子をかばうものの結局は父の権威に従う母――小説の欄外に小説家の家族関係が透けて見えます。カフカの「結婚」に対する複雑な感情もうかがえます。

ことば、ことば、ことば。第26回 本当の事を云おうか 相沢正一郎

2015-04-19 10:20:18 | 日記
 《人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ……》(小田島雄志訳『マクベス』)など、シェイクスピアの名言の豊饒さにびっくり。それに比べて、ベケットやピンター、別役実以降のあたらしい劇作家には、一読、観客(読者)の記憶につよく刻み付けられる「ことば」がありません。おなじようなことが小説にも詩歌にも言える。こんなにキャッチコピーが飛び交う時代なのに……いや、だからでしょうか。わたしも自分の作品に名句らしいものが混じると、全体のなかでそこだけ手触りがちがうような気がして落ち着きません。
 「名言はあったほうがいい」とか、「いまではリアリティーを感じられない」といった議論をしたいわけではありません。(わたしは名文句が好きで意識的によく引用しますが)。谷川俊太郎の連作「鳥羽」の1の《本当の事を云おうか》は、一読こころに焼きつきました。その後、このことばに大江健三郎の小説『万延元年のフットボール』で出会いました。(つかこうへい劇団の名役者、風間杜夫にも同名の本がありました)。村上春樹の小説『1973年のピンボール』は、大江の小説の題名に触発して書かれたんじゃないか、とも思うんですが――このようにことばは響きあって、世界にひろがっていく。さて、「鳥羽1」ではこのフレーズの後は、《詩人のふりはしているが/私は詩人ではない》。
 谷川、二十一歳のときに出版した処女詩集『二十億光年の孤独』(一九五二年)に《あの青い空の波の音が聞えるあたりに/何かとんでもないおとし物を/僕はしてきてしまったらしい》(「かなしみ」)という作品があります。それから三年後の『愛について』に《ここで一緒になわとびをしよう ここで/ここで一緒におにぎりを食べよう/ここでおまえを愛そう/おまえの眼は空の青をうつし/おまえの背中はよもぎの緑に染まるだろう/ここで一緒に星座の名前を覚えよう》という作品がありますが、「地球へのピクニック」という題名と照らしてみますと、そのあとの潮干狩や「ただいま」「お帰りなさい」の挨拶、熱いお茶を飲んだり涼しい風に吹かれたり、といった些末な日常をおくっている《ここ》が新鮮でふしぎな場所に変わります。
 《本当の事を云おうか》のあと、「○○のふりはしているが/○○は詩人ではない」の○○に人間と入れてみたくなるのが『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(一九七五年)の「芝生」《そして私はいつか/どこかから来て/不意にこの芝生の上に立っていた/なすべきことはすべて/私の細胞が記憶していた/だから私は人間の形をし/幸せについて語りさえしたのだ》。DNA理論とも重なるし、なにかユングをも感じさせます。また、こうした「宇宙の孤独」とでもいった感覚は、村上春樹、スティーブン・スピルバーグなど「ひとりっ子」と関係があるような気がします。
 《みみをすます/きのうの/あまだれに/みみをすます》ではじまる『みみをすます』(一九八二年)に収録されたタイトルと同名の作品。やわらかい「ひらがな」が雨だれのように読者の耳に沁みこみます。《はだしのひたひた》や《しんでゆくきょうりゅうの/うめき》などの音を目をつむって耳をすましているのは誰でしょう。わたしには、宇宙の時間・空間に眠っている子ども(キューブリック監督『2001年宇宙の旅』)――そんなイメージがありました。こうした宇宙の眼差しは、日常の些末な出来事を愛おしく変え、どんな悲劇でも喜劇にしてしまい、そして喜劇の饒舌の底に孤独の沈黙をひろげる。
 作者が作者自身を《私は背の低い剥頭の老人です》と戯画化して描いた「私」(『私』(二〇〇七年))にも、詩人と詩のあいだに宇宙の眼差しがあります。はじめにベケットやピンター、別役実など「不条理劇」と呼ばれた作家をあげましたが、アイデンティティーを失った登場人物に、現在では逆にリアリティーを感じてしまいます。現実的に考えてもずうっと同じアイデンティティーのほうがよっぽど不自然。たとえば講師の「私」の場合、学生、友人、妻、子どもに向きあっているとき、ひとりでいるときでは、当然ちがう顔をしている。先ほどの《本当の事を云おうか》のつぎの○○は、みんな時間、場所によっていろいろです。谷川俊太郎は、ピカソのようにスタイルを変えます。また、詩人、作詞家、翻訳家、絵本作家、脚本家などの顔をもっていますが、そっちのほうが自然なのかもしれません。
 『日本語のカタログ』(一九八四年)に収録された「人達」には、事務員、会社役員、バーテンダー、漁師、フリー・ライターの年齢のちがう五人の男女を作者が演じています。また、前述した「私」のほかにも、一見私小説風な「世間知ラズ」(『世間知ラズ』(一九九三年))などの自画像も、詩人が楽しんで「谷川俊太郎」を演じているようにも思えます。

ことば、ことば、ことば。第25回 猫3 相沢正一郎

2015-03-16 10:58:01 | 日記
 《あるとき、ねこは 王さまの ねこでした。ねこは、王さまなんか きらいでした。/王さまは せんそうが じょうずで、いつも せんそうをしていました。そして、ねこを りっぱな かごに いれて、せんそうに つれていきました。/ある日、ねこは とんできた やに あたって、しんでしまいました。》と、100万回も死んで、100万回も生きた猫の絵本が、佐野洋子の絵本『100万回生きたねこ』。
 《あるとき、ねこは ○○の ねこでした。ねこは、△△なんか きらいでした》と、○○に、①王さま、②船のり、③サーカスの手品つかい、④どろぼう、⑤ひとりぼっちのおばあさん、⑥ちいさな女の子のことばがはいり、△△に、王さま、海、サーカス、どろぼう、おばあさん、子どものことばがはいります。そんな文章が100万回くりかえされるといいのですが、残念ながらすごく分厚い絵本になるからでしょう、たった六回(残念、というのは、佐野洋子の絵をもっともっと見ていたかったからです)。
 もっとも主役のこのトラネコ、なんとも生意気で傲岸な面構え。猫が死んだとき、猫の飼い主の王さまも船乗りも泥棒も、みんな泣いたのに、猫は平気。それがページをめくっているうちにその恐れを知らぬ雄姿にだんだん魅力さえ感じてしまいます。ところが、《あるとき、ねこは だれの ねこでも ありませんでした。/のらねこだったのです。/ねこは はじめて 自分の ねこに なりました。ねこは自分が だいすきでした》の文章の絵に、月と街燈の光りの滲む都会、ドラム缶の上で食べ散らかした魚のそばで仰向けに寝そべったトラネコが自由を満喫している。まるで①の王さまのよう(ここから、ものがたりの後半になります)。
 さて、この絵本、読者によっていろんな読み方ができます。また絵本をひらくたびに新鮮な謎に出会います。なんども読むことで謎が解ける、というものでもありません。100万回読んだとしても、100万回の謎が生まれてきます。今回読んで、こんなことを考えました、というぐらいの気持ちで思ったことをここに書いてみましょう。
 主人公のトラネコが自分自身の王さまになった途端、ものがたりが転調します。前半と後半は同じページ数でまっぷたつに分かれています。夢や芝居、オペラや映画のように日常から離れたドラマチックな前半のカラーからモノクロの日常へと。絵本の真ん中で劇的な夢をみたトラネコが、都会の片隅で目覚めた、とも読めます。そして、前半と後半はシンメトリーになっているんじゃないか、ということです。そして、ものがたりの前半を後半なぞっている――と、あくまでも一つの読み方ですが……。
 前半、②船乗りの猫だったときの絵に、船の下に三匹の魚が泳いでいましたね。後半、主人公のトラネコのお嫁さんになりたくて、たくさんの雌猫がプレゼントやお土産をもって集まってきます。その中におおきな魚をもってきた雌猫がいました。《おれは、100万回も しんだんだぜ。いまさら おっかしくて!》と、だれよりも自分が好きなトラネコは相手にしません。それなのに、トラネコはとても気になっている白い猫の気を引こうと三回宙返りして(③)《おれ、サーカスの ねこだったことも あるんだぜ》と言います。
 ④の泥棒のお話で(犬に猫が噛み殺されたとき)泥棒は金庫をこじあけダイヤモンドを盗んでしまいましたね。後半では白い猫が子猫を生みます。⑤のよぼよぼのおばあさんの膝の上でよぼよぼに年を取って死んだ猫のお話は、子どもたちがおおきくなってどこかへ行って、白い猫もおばあさんになったお話と響きあいます。《ねこは、白いねこと いっしょに、いつまでも 生きていたいと 思いました》。それから、⑥のちいさな女の子が猫を人形のように文字通り「猫かわいがり」して、とうとう《ある日、ねこは、女の子の せなかで、おぶいひもが首に まきついて、しんでしまいました》お話の女の子の無邪気さと不気味さ、残酷さは、なんだか死の女神みたいでした。後半の最後、白い猫が死んでしまったとき、《ねこは 100万回も》泣く。それから、白い猫のとなりで死ぬ。《ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした》。
 さて前半、王さまや船のりや手品つかいや泥棒やおばあさんや女の子はトラネコが死んだとき主に庭の木の下(放浪していて庭のない船乗りは港町の公園の木の下、手品つかいはサーカス小屋の裏)に埋めました。後半、絵の舞台は都会から草原に移り、柵のむこうにまるで猫の心象風景のようなおおきな家とおおきな木(前半では、舞台の背景に猫が溶け込んでいたのに、こんどは家も木もだんだん離れていきます)。最後のページ《ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした》の文章の絵は、家と木がちいさく遠ざかり、草花がいきいきとひろがっています。