詩客 ことばことばことば

詩客、相沢正一郎エッセーです。

ことば、ことば、ことば。第31回 日常1 相沢正一郎 

2015-09-17 12:49:19 | 日記
 テレビでは、よくミステリーを観ている。現在、放映を楽しみにしているのが『刑事フォイル』。イギリスの地方都市ヘイスティングズ署の警視正フォイルが殺人事件の犯人を捜しだす、という刑事ドラマ。でも、ちょっと変わっている。そのひとつが、まず①第二次大戦の時代を舞台にしているところ。それから、②主人公のフォイル、釣りとスコッチを愛する物静かで誠実、けっして不正を許さない。
 ②のどこが「変わっている」か。ほかに大好きなミステリーを思い浮かべてみると、ベネディクト・カンバーバッチ出演の『シャーロック』は、『シャーロック・ホームズ』の物語の舞台を21世紀に置き替えた「高機能社会不適合者」のコンサルタント探偵。『名探偵モンク』の私立探偵エイドリアン・モンクは強迫性障害を患っている。日本の刑事物も含めて現実にはいそうもない主人公ばかりの活躍のなかで、フォイルの真面目さは異色。
 またこのドラマ、まだ日本で放映されたばかりなので、はっきり書くことはできないのだが、戦時下(①)という特殊な状況のなかでも当然いろいろな事件がおき、軍隊の利益や政界の高官に抗ってまで正義を追及する(といっても、けっして熱い正義漢という威圧的なものではなく、温厚な姿勢)というのも、変わっている。たとえば、日本の戦時下で、敵国人が殺されたとして、犯人が軍の重要な役割をもつ人物だとしたら、警官が軍人を逮捕できただろうか。
 シャーロック・ホームズのテレビ(と、原作にも確かにある)おもしろいエピソードに、下宿の部屋でホームズが「なにも事件が起きないと退屈で死にそうだ」と言っていきなりピストルを壁にぶっぱなすシーンがある。ホームズの宿敵モリアティー教授もまた、退屈に耐え切れず事件を起こす。じつはこのふたり鏡に映った虚像と実像のようによく似ている。江戸川乱歩の明智小五郎と怪人二十面相がまるでひとりの人格の裏表だったように。 
 ……と、ここまで書いてきて、例の「安保法案」の強行採決に反対するデモンストレーションのことを思い出した。現在のデモは68年の学生を中心とした革命運動とは違う。安部首相がなんと言おうと、この法案が戦争(非日常)への道を開いているのは間違いなく、生活と未来への不安が学生を含む一般市民を突き動かしている。
 さて、詩について。……どちらかというと、詩を書いたり読んだりするとき、息苦しい現実を破壊するエキセントリックな天才ホームズに憧れをもったり、また状況にうまく順応できないモンクに自分を重ねたり、という場合が(私自身を含めて)おおかったような気がする。高橋順子さんの『海へ』は、東日本大震災(という非日常の現実)が詩集におおきく響いている。《おはようございます/こんにちは/いただきます/ごちそうさま/ありがとう/おやすみなさい//これらは日常のことばである/この国に大地震と大津波が来て放射能が降って/日常が揺らいできたから/日常をはっきり声にすることで揺らぎを抑えようとする//抑えられる》(「日常」全文)
 現代詩を振り返ってみると、「日常」を描いた傑作はたくさんある。前衛的な「荒地」のグループのなかで日常に寄り添った黒田三郎氏。過激な「プアプア詩」を書いていた鈴木志郎康氏の詩集『やわらかい闇の夢』、『見えない隣人』、『家族の日溜り』、『日々涙滴』など。昨年亡くなった、詩の読者以外にも広く人気のある吉野弘氏。今年7月に『朝起きてぼくは』を出版した金井雄二さん。金井さんの詩集からいくつか読んでみよう。
 瀟洒な本のページを開くと、まず序詞ともいうべき「椅子」のどこからか聞こえてくる声――《コノ道ヲマッスグニ行ッテクダサイ》に導かれて道順を辿って行くと、《錆びたトタン屋根の/みすぼらしい小屋》。そこにみんなが待っていて、きみ(読者)の椅子がある、と。そして、またページをめくると、見覚えのある、ささやかな風景が……。
 《蓋の欲望は/瓶の上に乗ることだ/ぼくは瓶の中から/ジャムをすくい/パンにぬりおわると/蓋をしめる/平均的な力を/だんだんと加える/蓋は瓶の縁を/幾重にもなめるように/合わさっていく/がっしりとかさなる/それは純粋な幸福感/子どもがきて/蓋を開けようとしても/あかない》(「蓋と瓶の関係」全文)。瓶の蓋をしっかりしめてあかない、といった些末なことは誰でも経験する。それをこんな風にエロスがにじむ高度な作品に、そしてこんな風にユーモラスに表現できるとは、と一読感嘆し、溜息がでる。
 全編、呼吸とリズムに流され読むと、素朴な歌、と思われるけれどたいへんなテクニシャン。また、題名の明るさの奥の、夜の闇、眠り、また死のにおいの陰影が詩の味わいになっている。逆にいうと、闇が光を際立たせるように、なにか死が私たちのささやかな日常を照らしているような気もする。