広島・資本論を読む会ブログ

読む会だより21年10月用

「読む会」だより(21年10月用)文責IZ

コロナ感染拡大で長らく「読む会」が中断してしまいました。今回は“慣らし運転”ということで、第5章「労働過程と価値増殖過程」の第2節「価値増殖過程」の引用を中心に、読むにあたってのいくつかの注意点に触れながら、第1節「労働過程」についても振り返ってゆきます。(これまでと異曲同工で退屈な内容と思われるかもしれませんが、レポータとしては半歩だけですがこれまでより前進してまとめているつもりです。)

第5章第2節「価値増殖過程」を読むにあたってのいくつかの注意点
1.労働過程と区別される価値形成過程の意義について、あるいは総労働を量的に分配する基準としての労働時間の意義と、いわゆる価値法則について

第2節のはじめのほうで、マルクスはこう触れています。
・「ここでは商品生産が問題なのだから、これまでわれわれが考察してきたものは<すなわち労働過程は……レポータ>ただ過程の一面でしかないということは、じっさい明らかである。商品そのものが使用価値と価値との統一であるように、商品の生産過程も労働過程と価値形成過程との統一でなければならないのである。」(以下すべて全集版、P245)
つまり「使用価値を作るための合目的的活動」(P241)であり、したがって「人間生活のあらゆる社会形態に等しく共通な」(同)ものである「労働過程」は、商品を生産する過程の一面(一側面)にすぎず、商品の生産過程は、同時にそれとは区別される「価値形成過程」としての側面をもち、実際の商品生産の過程はこの二つの側面をあわせ持っている、と言うのです。
だからここでの問題は、まず商品生産の「価値形成過程」としての側面とは──その労働過程としての側面とは違って──、いったいどのようなものでありまたどのような意味や意義があるのか、ということでしょう。このことの理解によってはじめて、価値増殖の過程すなわち資本の理解も進んでいくのです。
なお、この第5章では、第1章でのように労働のもつ二面的な性質そのものが問題とされるのではなくて、その次の問題として、さらに、労働にたいしてその前提条件をなしている生産要素や労働の結果である生産物が、この二面的な労働の性質をどのように反映していくのかが、問題とされているという点に注意が必要と思われます。

マルクスは第2節「価値増殖過程」の中ほどで、糸の生産過程を例にとって、使用価値の生産と同時に行なわれる“価値”の形成について次のように触れています。(<>内はレポータの補足ですので、蛇足または読み間違いの可能性があります。)
・「われわれは、今では、生産手段<である>、綿花と紡錘が、<その生産物である>糸の価値のどれだけの部分をなしているかを知っている。それは、ちょうど12シリングであり、言い換えれば2労働日の物質化である。<ここで触れられている、商品の価値に含まれるその原料など(生産手段)の価値の問題については、項目を変えて触れます……レポータ。>@
そこで、次に問題になるのは、<糸の生産の条件となっている綿花と紡錘とにあらかじめ含まれていた労働部分ではなくて>紡績工の労働そのもの<つまり、糸の生産過程で新たに付け加えられる労働>が綿花に付け加える価値部分である。
われわれはこの労働を今度は労働過程の場合とはまったく別な観点から考察しなければならない。@
労働過程の場合には、綿花を糸に転化させるという合目的的活動が問題だった。他の事情はすべて変わらないものと前提すれば、労働が合目的的であるほど糸は上等である。紡績工の労働は他の生産的労働とは独自な相違のある<質をもつ>ものであった。そして、<目的に応じて種々に異なる労働の>この相違は、紡績<紡績労働>の特殊な目的、その特殊な作業方法、その生産手段の特殊な性質、<そして>その生産物の特殊な使用価値のうちに、主観的にも客観的にも現われていた。<糸を作るための生産手段である>綿花と紡錘とは紡績労働<つまり糸を作ることを目的とした人間活動のため>の生活手段<消費手段>としては役立つが、それら<綿花と紡錘>を使って施条砲<すなわち大砲という別のもの>を作ることはできない。@
●これに反して、紡績工の労働が価値形成的であるかぎり、すなわち<その労働が、糸をはじめとする社会的に有用な諸生産物を生産するために、社会の誰かが支出した労働の大きさ(社会的必要労働時間)を表示する>価値の源泉であるかぎりでは、それは砲身中ぐり工の労働と、またはここではもっと手近な例で言えば、糸の生産手段<である綿花や紡錘>に実現されている綿花栽培者や紡錘製造工<といった他の>の労働と少しも違ってはいない。@
ただこの同一性によってのみ、<糸の生産のために費やされた>綿花栽培も紡錘製造も紡績も同じ総価値の、すなわち糸<という生産物>の価値の、ただ量的に違うだけの諸部分<諸成分>を形成することができるのである。@
ここで問題になるのは、もはや労働の質やその性状や内容ではなく、ただその量だけである。ただそれが<つまり諸労働が社会が支出した労働時間として>計算されるだけでよいのである。…略…」(P247~)

ここで言われていることは、種々の人々が行なう相異なる労働は、同時に、人々が社会的な必要を満たすために行なった総労働(社会的な労働)の一部分でもあるという共通の性格を持つ、ということです。この観点から見られる場合には、どの労働も、他の労働と同じく、社会がその生活の維持のために支出した労働時間の一部分と見なされると言うのです。
この事実は、個々別々に分業が行われ、またそれらが貨幣によって結び付けられる商品生産においては、本当に見えづらいものです。第1篇での指摘の繰り返しになりますがロビンソンを例にとってみましょう。彼はその生活の維持のために、種々の生活物資を必要とし、またそれらの獲得のために一定時間を種々の労働に費やします。すなわち魚釣りに6時間、薪拾いに2時間、釣った魚の調理に2時間といったように。彼が得た魚や薪や魚料理は、もちろん彼が自らの労働力の発揮として支出した労働時間とはまったく別物ですが、それらを得るための労働にはすべて一定の時間を要します。彼が行なう相異なる労働は、その生産物の相異なる使用価値として現われます。しかし他方、それらの労働は、その各々すべてが彼の労働力の支出という同一なものの種々の部分であるという点では、まったく同じものであって、労働時間として測られる彼の労働力の支出のうちの、異なった大きさ(支出時間)をもつものでしかありません。
そして、これら人間の活動として行われる諸労働は、対象に働きかける人間の活動の継続時間としてのみ、共通の大きさをもち、相互に計られうるということも明らかでしょう。生産“物”とその大きさが、それに対象化された支出労働量の表現となるということは、商品生産の社会に固有な“現象“にすぎません。

たとえば米とイモとで生活する自給自足的な農民の場合をとりましょう。彼が1年間に必要とする1トンの米を作るのに1500労働時間、同じく1トンのイモを作るのに500労働時間を費やすとします。このことが意味するのは、彼の1年間の生活のために必要な物資は1トンの米と1トンのイモとであること、そして彼はそれらの生産のために自分の年間の総労働時間である2000を、それぞれに違った使用価値をもつ1トンの米と1トンのイモに対して、それぞれの生産が要求(必要)する労働時間に応じて1500と500とに配分しなければならないということ、そうでなければ必要な物資を必要な量だけ得ることはできない、ということにすぎません。ここではそれぞれの使用価値の一定量の生産のために支出される1500と500の労働時間は、それぞれを作るためにあれこれの部分量に分配されなければならない、彼の総労働(活動)2000を分配するための基準となるだけです──もしも1・5トンのイモが必要となったならば、イモのためにはおよそ1・5倍の750の労働時間を支出せざるを得ない反面、米の生産に振り向けうるのは1250となってしまい、その結果米の生産量はおよそ1/6の250キロ減ってしまうだろうというように。ここでは商品のように生産物である米やイモの量が、労働時間を表現するわけではなく、労働時間は一定量の特定の使用価値の生産のために費やす人間の労働量(労働能力の支出)そのものであることは明白なのです。
しかしながら、私的に生産された生産物の全面的な交換によって社会生活を成立させる商品社会にあっては、労働時間の分配は、そういうわけにはいきません。それは、自給自足的な農民のように自らの労働支出を、必要な一定量の諸物資を生み出す諸労働へと、直接に必要な労働時間ごとに振り分けるというようにはいきません。そこでは社会的な労働時間の分配は、個々バラバラに生み出された労働生産物の“交換”によって、媒介されるほかはありません。そして、このための一つの必然的な方法・方式が、生産物すなわち生産された一定量の使用価値を、対象化された社会的必要労働時間の結晶とみなし、その大きさに応じて生産物の交換しあうという方法・方式なのです。これこそいわゆる価値法則(等価交換)の内容をなすのです。

さて、商品生産における、その労働過程と区別される価値形成過程の意義について、マルクスはこう続けています。
・「労働過程では、労働はたえず不静止から存在の形態に<すなわち対象に働きかける活動そのものから、それが対象化された生産物の形態に>転換される。1時間後には紡績労働がいくらかの量の糸に表わされている。つまり、一定量の労働、すなわち1労働時間が綿花に対象化されている。@
われわれは労働時間、すなわち紡績工の生命力の1時間の支出と言うが、それは、ここで紡績労働が労働として認められるのは、ただそれが<他の諸労働と同質な>労働力の支出であるかぎりでのことであって、それが紡績という独自な労働であるかぎりでのことではないからである。
……
労働そのもの<が無差別で同質な労働として現われるの>と同様に、ここでは原料や生産物もまた本来の労働過程の立場から見るのとはまったく違った光のなかに現われる。@
原料はここではただ一定量の<新たな>労働の吸収物として認められるだけである。実際、この吸収によって、<綿花という>原料は<別の使用価値をもつ>糸に転化するのであるが、それは、労働力が紡績という<特定の>形で支出されて原料に付け加えられたからである。<ここでは>しかし、生産物である糸はもはやただ綿花に吸収された労働の<大きさを計る>計測器でしかない。もし1時間に1・1/2ポンドの綿花が紡がれるならば、または1・1/2ポンドの糸に変えられるならば、10ポンドの糸は、<布を縫うためのものではなくて、この過程で>吸収された6時間を表わしている。今では、一定量の、経験的に確定された量の生産物が表わしているものは、一定量の労働、一定量の凝固した労働時間にほかならない。それらはもはや社会的労働の1時間分とか2時間分とか1日分とかの物質化されたものでしかないのである。
労働が他ならない紡績労働であり、その材料が綿花であり、その生産物が糸であるということは、労働対象そのものがすでに生産物であり、つまり原料であるということと同様に、ここではどうでもよいことになる。…略…」(P247~)

商品の価値の形成という面から見れば、労働の対象となる原料は、特定の労働対象としてではなくてただ「一定量の労働の吸収物」として認められるだけであり、また出来上がった生産物は、特定の有用な使用価値としてではなくてただそれに「吸収された労働の計測器」として認められだけだと言うのです。つまりここでは生産物である糸は、原料である綿花の一定量に含まれている労働時間と、それを糸に加工するために支出された労働量の合計である、糸に対象化されている労働時間の物質化(凝固した労働時間)としてのみ認められるにすぎないのです。
なぜこのようなことが起こるのか、なぜ原料や生産物といった使用価値の一定量が、同時にそれとは別の、一定量の労働時間として認められなければならないのかと言えば、それは言うまでもなく、社会が必要とする種々の使用価値(これには最終加工物のみならず、そのために必要な原料なども含まれます)の一定量の生産のためには、社会の総労働時間が、それらの使用価値の一定量の生産に必要な労働量に応じて配分されなければならないからにほかなりません。商品が「価格」をもつということは、結局のところ、それらが支出労働時間として表示されることで、交換のための基準となるということなのです。
(なお、冒頭で断っているように、新しく付け加えられた労働のみが生産物に“新たな価値”をつけ加えるのであって、生産手段の価値は、新しく付け加えられる労働によって、新たな生産物の価値として“保存”されるだけだという点については、項目を変えて触れることにします。)

そこで、商品の生産における労働過程と価値形成過程との関係について、マルクスはこう結論づけるのです。
・「さらに価値形成過程と労働過程と比べてみれば、後者は、使用価値を生産する有用労働によって成り立っている。運動<つまり労働とその対象とのあいだの物質代謝の運動>はここでは質的に、その特殊な仕方において、目的と内容とによって、考察される。@
同じ労働過程が価値形成過程ではただその量的な面だけによって現れる。もはや問題になるのは、労働がその作業に必要とする時間、すなわち労働力が有用的に支出される継続時間だけである。ここ<労働が価値形成労働として、すなわち生産物に対象化された労働時間としてのみ現われる価値形成過程>では、労働過程に<その物質的生産条件である原料や労働用具といった諸要素として>入っていく諸商品も、もはや、合目的的に作用する労働力の機能的に規定された素材的な諸要因としては認められない。それらは、ただ対象化された労働の一定量として数えられるだけである。@
生産手段に含まれているにせよ労働力によって付け加えられるにせよ、労働はもはやその時間尺度によって数えられるだけである。それは何時間とか何日とかいうようになる。」(P256)


<いくつかの注意点を挙げて説明する予定でしたが、チューター自身の混乱もあって今回はこの項目しかまとまりませんでした。>
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