花を咲かそう

支援物資を送りたいが、郵便局で断られた。

2011-03-18 12:31:42 | Weblog
支援物資を送りたいが、郵便局で断られた。

上からの指示で断っているとのこと。

やはり、民営化されたから冷たいのだろうか。

身近なところにある郵便局。利用しやすいのです。

菅政権の指示で、なんとかならないのか。


断る理由、
それは多分、阪神淡路地震の反省を踏まえての措置なのかも・・・・。
とも思ってみたり・・・。

 できることなら、どこぞに「後方基地」をもうけて、
個々人がよせたい支援物資の収集窓口をもうけられないのだろうか。
窓口は、学校の数ほど、郵便局のかずほどに、身近にもうけてほしい。

ボランテアで配分役や配送役も名乗り出ましょう。
その人たちも、登録できればいい。

 テレビで被災者の声をきくにつけ、支援物資をおくりたくなるのは人情でしょう。

わがやは、地震発生の翌日、

ある情報をえて、その支援物資集積所に、
タオル、尿とりパット、粉ミルクなど、お届けした。

いたみをしる人々は、支援物資をおくりたいのです。

菅さん、采配よろしくお願いします。











菅首相の采配・・・仙谷官房長官(副)復帰を歓迎する

2011-03-18 08:25:59 | Weblog
菅首相の采配・・・仙谷官房長官(副)復帰を歓迎する

巨大地震被災、国民のいのちを一刻も早く
救出すること。

力量のある政治家には
適材適所で
活躍してもらうことだ。

枝野さんが福島原発(国際問題)にかかりきりにならざるを得ないなかで、
仙谷官房長官(副)復帰を歓迎する。

力量のある政治家なら どしどし責任ある部署に採用し、活躍を命じることだ。

自民党、公明党にも、全政党にも、有能なひとがいる。任命して活躍をしてもらうことだ。

かつて、明治維新のとき
函館戦争があった。ころしあった仲の相手でも、
ときの大津波(列強からの侵略)を防ぐために、朝敵の榎本武揚さえも任命したではないか。
榎本は、ことわらずに、日本国のために活躍されたではないか。

おとなりの中国の歴史では
日本の侵略に抗し、国民党(蒋介石)と共産党(毛沢東)は、互いにころしあっていた仲であったが手を結び、「国共合作」で、国を守ろうとしたのではなかっただろうか。

国難のとき、合力してたちむかうことではないか。

菅さんは
小沢一郎さんを処分した。が、小沢さんは東北をつぶさに知り、人との繋がりもある政治家だ。
処分を棚上げにしてでも、
仙谷さんのように復帰させて活躍してもらいないか。

在日さんの寄付問題でやめられた
外務大臣にも復帰してもらって 活躍してもらいたい。

菅首相の采配を
期待する。



荒垣秀雄の主張  日本に ハナミズキの名所を

2011-03-09 10:58:36 | Weblog
荒垣秀雄著『季節の余白』(朝日新聞社1971年刊)には



《ワシントン・ポトマックの桜と花水木とは日本・花の交歓の裏表をなすものだからである。
明治四十五年,東京市から米国に桜の苗木三千本を贈ったのに対し,その返礼として贈られてきたのがこの木,アメリカ・ドッグウッド(dogwood)である。

学名をCornus floridaといい,バージニア州の州花になっている。
それが大正四年渡来から半世紀にもなるのに,どうしたわけか日本ではあまり可愛がられず,この花のいわれや素姓を知る人さえ少ない。ましてポトマックの桜に比肩できるほどの“花水木の名所”も生れていない。

ハナミズキの花は五月の初めころに咲く。・・・・・中略・・・・

タフト大統領時代の米政府では,日本の国花に対する返札にふさわしいものとして,アメリカの国民的な花木ドッグウッドをえらんだ。

それを選んだ人,植物学者D‐フェアチャイルド博士は早くから二十数種の桜を大量輸入して,自邸に桜の園を造り入々に見せたことから,ワシントンに桜を植えることが決定的になったという奇縁の人である。
そして大正四年五月,農務省のスウィング博士が米政府の使者として返礼の花水木の苗数十本と,種子数ポンドを携えて来日した。さらにフェアチャイルド氏からも送り届けられ,昭和十年五月に来日した,米国庭園クラブ会員百余名からも大量の寄贈を受けた。
ああそれなのにである。

ワシントンの桜のように日本では花水木が大切にされなかった。

いまの国立中野療養所内の野方苗甫で苗を育てて方々に分配し,アメリカ側の希望で種からの実生を各地の学校にも配布したが,どこにも栄えなかった。日比谷公園の人口近くに一世の原木が二本あるが,見すぼらしいものだし,野方からの分家では井之頭自然文化園,神代植物公園,多摩丘陵,浅川実験林などにそれぞれ数十本あるくらいのもので,心細い現状だ。ちかごろになって,愛好家もふえて庭木にする人もあるので,植木屋もいくらかあつかうようになったが・・・。
それにしてもわびしい話である。こちらから贈ったポトマックの桜は米国民の丹精で世界的名所になっているのに,向うからプレゼントされた花水木は,広く愛されもせず,さびれた姿である。》

吉野源三郎さん

2011-03-07 21:42:20 | Weblog
小学生時代にであった詩

感動した。
書き写した詩。

その詩のタイトルもわすれていた。

作者もしらずに、きた。が、その志操だけは
受け止めて

生きてきた私。

今晩、インターネット検索でわかったこと。
奈良の先生のブログでわかった。

うれしかった。はじめて、お礼のメールをした。
はじめてのことで、いくつか同じことを メールしてしまった。

永い間、産みの母をさがすようなおもいできた。

情報化時代の恩恵。

ポプラ社の本であったのか。(岩波からもでているようだが・・・)
昨日、四谷のポプラ社にいっておったのだが・・・。
小学の学級にあった本は
ポプラ社のであったのか・・・。

詩のタイトルは
『人間の尊さを守ろう 』であったのか・・・。

作者は
吉野源三郎さん。

ああ、

吉野源三郎さんは 私のいきかたを決定ずけた詩人さんだ。

ありがとうございます。



江崎雪子さんの7回忌コンサート in東京

2011-03-07 08:57:02 | Weblog
江崎雪子さん。
静岡市出身の児童文学者。

日本女子大の学生のときに発病。入院生活8年。のち、30代から童話をかき始められた・・・と。

四谷のポプラ社ホールで、2011年3月6日、13:30から
「江っちゃんのコンサート in東京」が開かれた。

ポプラ社は
児童書出版で有名な会社。
その出版社から
江っちゃんこと 江崎雪子さんは処女作をだされ、
たて続けに拾冊余も、闘病のなかで 世に問われた。

私は、かつて絵本研に属し、田無まで、でかけていたこともあり、今回の
江っちゃんのコンサート に 出掛けることにした。

第一部

1、「もうひとつの幸福」抜粋朗読
村上裕子さんの朗読には、なみだして拝聴。司会&ピアノ伴奏は安藤由布樹さん。
2、『こねこムーのおくりもの』(デビュー作)
  朗読:安達さくらさん。熱がこもっておられた。

第2部
  1,合唱組曲朗読『こねこムーとリッピィのゆめ』
   原作:江崎雪子
   脚本:トーマス・オマリ
   ピアノ:安藤由布樹
   出演:藤枝少年少女合唱団&TPSシアタープロジェクトシズオカ
2,会場の皆で歌『哀しい時には』(作詞:江崎雪子 作曲:安藤由布樹)。


大大感動。江っちゃんのこころが、伝わってきました。
クマにやられて失明した母親、母親を助けたい、治そうと、子は苦労を重ねて、とってきた金の実のお薬でしたが・・。ところが、帰途、加害のクマにであう。その熊さんの子を助ける。お怪我の母親のためのお薬をつかいきってしまう。怨みには怨みで応じるのではなく、助けた事。大怪我の母親は薬をつかいきった吾が子を叱らずに、その善行をほめるくだり。感動しました。このようなことって、なかなかできない。雪子哲学の崇高さをおもいました。

上京の静岡のみなさん、指導者の先生、TPSシアターさん、藤枝の少年少女さん、
希望を感動を ありがとうございました。

出掛けていって良かった。帰途、仲間5人と新宿駅近くで呑みました。江っちゃんの供養になったとおもいます。

別れてのち、私は山の手線駅前の本屋さんにより、江っちゃんの闘病記『きっと明日は』を申し込んできました。