勿論私も観光バスのツアーで桜の咲く吉野山を遠望している。「一目千本」と言う絶好の場所があるのだ。下千本、中千本、上千本、奥千本と吉野山は、山桜が次第に下から上へと咲き乱れて行くとか。しかし「一目千本」からでは、全体は眺められない。パラグライダーだとその全てをぐるりと映像に残している。今年はコロナ禍の影響で、せっかくの桜も眺める人は少なかっただろう。こうしてテレビで鑑賞できたのは、嬉しい事だ。
「吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ 」と言う和歌が思い出された。ところが誰の歌だったか、さっぱり浮かんでこない。恐ろしいほどの物忘れだ。しかし少し間をおいて「西行」と言う名が浮かんできた。戦乱の世の中に遠ざかるべく吉野山に隠棲して花や月など自然を友として暮らした新古今和歌集の有名歌人だ。「山家集」と言う歌集もある。古典の教員だった私が度忘れするのは、老化現象が進んだに違いない。折角思い出したからにはと西行の名歌を探してみる。
おしなべて 花のさかりになりにけり 山の端ごとにかかる白雲
恋しきを たはぶれられしそのかみの いはけなかりし折の心は
つねよりも 心ぼそくぞ思ほゆる 旅の空にて年の暮れぬる
なにごとも 変はりのみゆく世の中に おなじかげにてすめる月かな
なにとなく さすがに惜しき命かな ありへば人や思ひ知るとて
なにとなく 春になりぬと聞く日より 心にかかるみ吉野の山
願はくは 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ
花に染そむ 心のいかで残りけむ 捨て果ててきと思ふわが身に
花見れば そのいはれとはなけれども 心のうちぞ苦しかりける
もろともに 眺め眺めて秋の月 ひとりにならむことぞ悲しき
もろともに 我をも具して散りね花 うき世をいとふ心ある身ぞ
世の中を 思へばなべて散る花の 我が身をさてもいづちかもせむ
物忘れと言えば、野菜の名前が出てこなくて閉口している。もう何十回、思い出そうとしたか。その都度思い出して今度こそ忘れないようにしようと思うのだが不思議と思い出せない。その名は「小松菜」。全くありふれた葉野菜だ。「困ったなあ」と紐づけしたのも忘れてしまうから困ったものだ。
我が家に咲く花2,3.霧島躑躅。チューリップ、牡丹、など。
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