辰巳渚氏の、退職後の団塊の世代は売り手が期待するほどのマーケットではないという説を読んで団塊の一員として意見を。
団塊の世代が育った時代は、まだ日本の消費経済が成熟していなかったため、彼らはものを消費することによって精神的満足を得ることに不慣れである。人が買うから、人がやるから自分もといった消費行動はするが、自分自身の幸せの実現のためにものを買うということはしない。だから手にした退職金も、その後の生活のために抱え込んだままなのではないか、というのだが。
大学生のとき、生まれて始めての海外旅行でアメリカに行ったが、そのときの印象は「なんてものが豊かな国なんだろう」ということだった。品揃えの豊富さと、その絶対量。こんなもの誰が買うんだろうといったものもたくさんあり圧倒されたものだ。
今の日本はそのときうけた印象以上にものの豊かな国だと思う。が、私自身は、ものはいっぱいになったが以前にも増して欲しいものが減ったというのが実感だ。
辰巳氏は新しく出来たイケアを訪ねたときを例に、イケアは安い値段で趣味のいいものを提供する店で、若い人たちは素直にいいと反応するのだが、団塊の世代は商品の前で反応できず戸惑っている。団塊の世代は自分自身の満足や幸せのためにものを選び取る訓練が出来てないのではないかというのだが・・・
団塊の世代としてでなく、私個人の考えから弁明させてもらうと、イケアの商品は値段は安く趣味はいいが上手く作られたマスプロ品という感覚で、職人が念入りに作った本物とはまったく違う。味が感じられないので心底買いたいとは思えない(辰巳氏はイケアに50代過ぎの夫婦が似つかわしいのかと書いておられたが、問題はまさにその点なのだ)
つまりイケアの商品を喜んで買う層というのは、私が始めてアメリカにいって驚いた感覚の消費者なのではないか。そこそこの値段の趣味のよい商品を身の回りに置き、楽しく満足しながら生活する消費者。飽きれば安いので捨てて別の新しいものに取り替える。まさにものを消費していく人たち。
それはよいものをいとおしみながら使い、傷んだら直しながら使い続ける生活ではない。なぜなら団塊以降の消費していく人たちが育った時代に、そういったかつてのよいものはもうなかったから。
私自身は消費によって幸せを得るのが苦手なのではなく、消費することが嫌いなのだと思う。ものを大切にし維持していくことに幸せを感じるのだ。私は消費者ではなく保持者なのだ。しかし時代は否応なしに消費を迫る。ロハスだのなんだのと、まことしやかなことをいいながら。
しかし団塊の世代でもこのように考える人たちは少数派のようだ。そして保持者ではない団塊の世代の人々の現実は、辰巳氏のいわれるように、幸せのために消費する体験があまりに少ない(この点で、私は辰巳氏同様、安直な団塊市場期待論を疑問視する)
結局、安くてセンスのいいことは認めるがイケアはディテールが雑でいやだという私のようなアンチ消費族を除き、老後の生活のため節約し消費をひかえる、イケアって何?って人たちか、評判を聞いてイケアショップにきてはみたものの商品の前で戸惑う50代が団塊の世代ってことになるのかなぁ。
団塊の世代が育った時代は、まだ日本の消費経済が成熟していなかったため、彼らはものを消費することによって精神的満足を得ることに不慣れである。人が買うから、人がやるから自分もといった消費行動はするが、自分自身の幸せの実現のためにものを買うということはしない。だから手にした退職金も、その後の生活のために抱え込んだままなのではないか、というのだが。
大学生のとき、生まれて始めての海外旅行でアメリカに行ったが、そのときの印象は「なんてものが豊かな国なんだろう」ということだった。品揃えの豊富さと、その絶対量。こんなもの誰が買うんだろうといったものもたくさんあり圧倒されたものだ。
今の日本はそのときうけた印象以上にものの豊かな国だと思う。が、私自身は、ものはいっぱいになったが以前にも増して欲しいものが減ったというのが実感だ。
辰巳氏は新しく出来たイケアを訪ねたときを例に、イケアは安い値段で趣味のいいものを提供する店で、若い人たちは素直にいいと反応するのだが、団塊の世代は商品の前で反応できず戸惑っている。団塊の世代は自分自身の満足や幸せのためにものを選び取る訓練が出来てないのではないかというのだが・・・
団塊の世代としてでなく、私個人の考えから弁明させてもらうと、イケアの商品は値段は安く趣味はいいが上手く作られたマスプロ品という感覚で、職人が念入りに作った本物とはまったく違う。味が感じられないので心底買いたいとは思えない(辰巳氏はイケアに50代過ぎの夫婦が似つかわしいのかと書いておられたが、問題はまさにその点なのだ)
つまりイケアの商品を喜んで買う層というのは、私が始めてアメリカにいって驚いた感覚の消費者なのではないか。そこそこの値段の趣味のよい商品を身の回りに置き、楽しく満足しながら生活する消費者。飽きれば安いので捨てて別の新しいものに取り替える。まさにものを消費していく人たち。
それはよいものをいとおしみながら使い、傷んだら直しながら使い続ける生活ではない。なぜなら団塊以降の消費していく人たちが育った時代に、そういったかつてのよいものはもうなかったから。
私自身は消費によって幸せを得るのが苦手なのではなく、消費することが嫌いなのだと思う。ものを大切にし維持していくことに幸せを感じるのだ。私は消費者ではなく保持者なのだ。しかし時代は否応なしに消費を迫る。ロハスだのなんだのと、まことしやかなことをいいながら。
しかし団塊の世代でもこのように考える人たちは少数派のようだ。そして保持者ではない団塊の世代の人々の現実は、辰巳氏のいわれるように、幸せのために消費する体験があまりに少ない(この点で、私は辰巳氏同様、安直な団塊市場期待論を疑問視する)
結局、安くてセンスのいいことは認めるがイケアはディテールが雑でいやだという私のようなアンチ消費族を除き、老後の生活のため節約し消費をひかえる、イケアって何?って人たちか、評判を聞いてイケアショップにきてはみたものの商品の前で戸惑う50代が団塊の世代ってことになるのかなぁ。