ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座基礎2
単数複数、ペンがいっぽん2ほん3ぼん
日本語学基礎知識扁a,b,cの「a」からはじめる言語学「単数複数」
英語では「ペンを持ってる」って言うとき、どうして「一本のペン」と、いちいち言うの?日本語なら3本もってても1本だけでも「ペン持ってる」でいいのに。
日本語学習者、習い始めには次から次へと疑問がわきます。「なぜ」「どうして」
ひとつひとつの疑問に納得するまで答えていては、新しい学習項目に進めないこともあるので、難しいところですが、私は、学生のどんな小さな疑問にも、私のできる範囲で答えることにしています。
なぜなら、私が中学校で英語を習い始めたとき、次から次へとわいてくる「なぜ」にひとつも答えてもらえないうち、すっかり英語嫌いになったからです。
私が中学1年で英語を習いはじめたとき、最初にひっかかったのは。
「ペンをもっています」というのに、「私は一本のペンを持っています=I have a pen.」と言わなくちゃならなかったこと。
いちいち「私は」を言わなくちゃならないのは、まあ納得したけれど、なんでペンを持つのに、いちいち「一本のペン」と言わなくちゃならないの?
日本語は「そこにりんごがあります」と言ったとき、そこに存在するのは、りんご1個でも100個でもいいのに、英語だと「There is an apple」と「There are apples」にわけて言わなくちゃならない。
「a」を書き忘れたりしたら、×にします、と、先生の注意がありました。
「なんで、aを点け忘れたら、×なんですか。一個のりんごと、二個以上のりんごをどうして使い分けるんですか」と、素朴な疑問を英語を担当した教師にぶつけました。
答えは「英語はそういうって決まっているからだ。つべこべいってないで、appleくらい英語で書けるようにしろ。この前の小テストで、おまえappuruって書いていたろうが」
どうしてもローマ字式つづり字から抜け出せずに、スペルが不得意だった私は、それ以上追求できませんでした。
たぶん、先生もなぜ、英語はいちいち「私はわたしの手の中に、一本のペンを持っています」と、言わなければならないのかを、知らずに教えていたのだろうと思います。
この「a」への疑問に答えてくれる英語の先生に出会うことのないまま、英語は苦手になりました。
国語が得意だった私は、中学校国語教師を3年勤めました。そして挫折。
私には国語を教えることが難しかった。
「国語がわからない」ということがわからなかったからです。自分がしゃべっている言葉なのに、新聞や本を読んで何が書いてあるのか理解できないっていうことがわかりませんでした。
大学に再入学して、日本語学、日本語教育、外国語教授法を学ぶことになって、やっと「a pen」と「pens」がどう違うか、疑問に答えてくれる先生に出会いました。13歳のとき疑問を持ってから4半世紀後の回答です。
『ニュークラウン』という英語教科書の編集監修者でもあった先生で、私はこの先生の英語科教育法という授業を受講したのです。学生に厳しい先生でした。「教師になることをめざすのなら、教師に足る知識を持て」と学生をしかりつけていました。
この先生は「子どもに、単数の単語になぜaをつけるのか、なぜ複数の単語にSが必要かと聞かれて、答えられないような者は、英語の教師になる資格がない」と言いました。
私は中学校高校を通して、英語の教師になる資格もない人たちから英語を教わっていたんですね。
ものをさししめすコトバ(名詞)には、一般的に「ある物全般」「出来事全体」を表現する単語と、一回ごとの会話の中で、個別のものを指し示すものの、ふたつがあります。
一般的に「りんご」と呼ばれるもの全体を示しているときの「りんご」と、今目の前にあって、私が食べようとしている「りんご」は、別のものです。今、目の前にあるりんごは、私が手に取り、口にいれることができる具体的な存在だからです。
「りんごは丸い」「りんごは赤い」というときの「りんご」は、目の前の一個のりんごじゃなくても、頭に思い描いただけの、抽象的な存在としてのりんご全体を思い浮かべて発言することができます。「apple is red.」
「今、このりんごを食べるよ」と言うときのりんごは、目の前にあって手にとれるりんご、口に入れられる具体的な存在です。「I eat an apple.」
日本語は、この「一般的な表現としてのりんご」も、「目の前の、今手に持っている具体的実在としてのりんご」を、区別しないで表現する、言語です。
日本語では「りんごは赤い」も「いま、手にりんご持ってるよ」も、ただ「りんご」でよい。
しかし、英語は、このふたつを区別する。
世界の中の一般的な「りんご」はりんご全体を表わすため、「apple」でよい。
が、今、目の前にあり、私が食べようとするとき、具体的な存在であることを示すために「a」や「an」をつけて区別する。
この「りんご」が、抽象的な世界全般にあるりんごではなく、今現在自分と関わりをもつ、個別的存在であることをしめすには「I eat an apple」と、言う。「I eat apple」だと、抽象的なりんごを意味するだけで、目の前にあるりんごを実際に食べることを意味できない。
英語は、一般的な存在の「apple」と、個別的存在の「an apple」または「apples」を、区別しなければならない言語だったのです。
こんな個別表現のための「a」だった、ということを、英語を習い始めてから20年以上たって、ようやく教わることができました。言語によって、名詞が表現する内容の範囲が異なっていること、やっとわかりました。
「英語じゃ、ふたつ以上の数があれば、Sをくっつけるのが決まりなんだから、つべこべ言わずに覚えろ!」ではなく、「世界のことばにはいろいろあって、ものをあらわす言い方も、こんなにいろんな種類があるんだよ。たまたま英語は、ふたつ以上の数があるものを表すとき、Sをつけることになったコトバなんだ」
と、教えてくれる人がいたら、私も、この納得いかない言語と折り合いをつけることができ、英語嫌いにならずにすんだかもしれない。
英語教師が言語学の基礎を少しだけ知っていれば、私も、不合理きわまると思えた英語から逃げ出さなかったかも知れない。
日本語学習者が、思いも寄らない疑問をもって質問してきたとき、すぐその場で答えられないようなときもあります。でも、できる限り調べて、学習者が納得するまで説明する機会をつくるようにしています。
もし私が「日本語はそういう決まりなんだから、つべこべ言わずに覚えろ」と答えたとしたら、「日本語は不合理な言語だ」と思い、日本語嫌いになる学習者を生み出すかもしれない。
日本語教師、いつでも自分が「はじめて外国語を習ったときの気持ち」を忘れずに、いたいと思っています。疑問質問で学習者がひっかかって立ち止まったら、そっと寄り添い、前進のヒントが出せるように、「大丈夫、いっしょに考えていこうね」と、背中を押してやれる教師でいたいとねがっています。
今日のポイント:日本語の名詞は、一般的なものの表現と、今回の話に出ている個別のものを区別しない言語。英語は、一般的なものと、話の中に出ていて具体的に表現する個々のものを、わける言語
(2006/01/16)
単数双数複数、助数詞
1-5-2 日本語学基礎知識扁a,b,cの「a」からはじめる言語学 単数双数複数、助数詞
日本語は、恋人ひとりでもフタマタしてても「私には恋人がいます」でいいよね。でも、単数双数複数、分けていう言語のとき、「恋人(ひとり)」「恋人(ふたり)」「恋人(3人)」は別の言い方になるから、すぐばれちゃうよ
恋人ひとりは単数形で、恋人ふたりは双数形で、恋人3人以上いたら複数形で表現しなくちならない言い方だとたいへん。単数にしておかないとモメるかも。
前回、日本語名詞と英語名詞の表現する範囲、取り扱い方が異なっていること、単数複数の考え方についてお話しました。
今回、単語の複数形について、補足トリビアを。
単数複数の表し方は、言語によって、異なります。
単語の複数の表し方は、おおまかに分けると、
1,原則として単数も複数も同じ形。
2,原則として単数も複数も同じ形でよいが、語によっては複数を別の形であらわすこともある。
3,原則として、単数と複数を別の形であらわす。単数はひとつだけ、複数はふたつ以上をあらわす。
4,単数、双数、複数の三種類に分ける。単数はものがひとつだけあるとき、双数はものがふたつ存在しているとき、複数はものが3つ以上あるときに用いる。
アラビア語は4番。単数を表わす語のほか、息子ふたり、娘ふたり、など、ふたつを表わす形の語は、双数形であらわす。また、目、耳などふたつセットの語も双数。3つ以上のものは複数であらわす。
英語は、3番。
単数の語の語尾に「S」をつけるのが原則。単数と複数で形が変わる語もある。tooth(歯)→teeth、foot(足)→feetなどがある。例外の語は、単複同型。英語だと、sheep(羊)reindeer(となかい) percent(パーセント)など。
スワヒリ語も3番。
英語は、語尾にSをつけることで、複数を表すが、スワヒリ語は、語頭の文字を変える。
ムトトは子どもひとり、ワトトは子ども複数。
ムワリムは先生ひとり、ワリムは先生複数
ムティは木一本、ミティは、木、複数。
日本語は2番。原則、単数も複数も同じ形。「きのうりんごを食べた」というときのりんごは、1個でも2個でも10個でもよい。
そして、人々、山々、国々、など、畳語(おなじコトバを繰り返す語)による、複数の強調もある。
中国語や韓国語、タイ語などアジアの言語のいくつかが、この2番に含まれます。
単数複数を翻訳しなければならない時、難しい問題も起ります。
大論争を巻き起こした日本語の単数複数論争。
「古池や蛙飛び込む水の音」
この芭蕉の句を英語に翻訳するとき、a frogなのか、frogsなのか、論争が起きました。一匹だけ、ぽちゃんと、池に飛び込んだのか、何匹から続けて飛び込んだのか。
日本語では問題にならない蛙の数が、翻訳では、どちらかに決めなければならないために起きた大論争。あなたなら、「蛙が一匹」「蛙が数匹」どちらに翻訳しますか?
日本語は、単数複数、名詞の形は同じですが、ものを数えるときに、ものの種類によって数え方がいろいろになります。
1本、2足、3艘、4粒、5台、6羽、7匹、8頭、9杯、10個~。
若い人たちはすべての数え方を「~こ」で間に合わせています。年齢や学年の数え方も「1こ、2こ」で、「あいつ、オレより3こ上」などと数えています。
タイ語ベトナム語などの言語には、日本語と同じように、助数詞があります。
基数と序数だけ覚えればよい英語圏の人には、日本語の助数詞覚えるのたいへんな苦労ですが、タイ語の母語話者は「日本の数え方、助数詞が少なくて簡単」と言います。
日本語の数え方も、「ものの数え方辞典」が出版されているくらいで、いろんな種類があるんですけどね。初級教科書には、代表的な助数詞しかでてきませんから。
日本語教育の過程で、家々、道々などの畳語の言い方を教えるのは中級以後。初級では登場しない教科書がほとんど。しかし、助数詞は、数を教える初級の前半に、代表的ないくつかの数え方を教えることが多い。
助数詞を持つ言語の母語話者、持たない言語の学習者、どちらも初級でひっかかるのが、助数詞の発音。
一番最初に教えるのは、紙やお皿の数え方。一枚二枚三枚四枚五枚六枚、、、、と、番長更屋敷のお菊さんが一枚一枚うらめしげに皿を数えるのと同じく、留学生にとって、さらさらと数えられる。車やテレビの数え方、台もOK。数によって発音が変化しないので。
ひっかかるのは、ペンや傘を数えるときの「本」、魚や動物の「匹」など。
「ペン、いっぽん」と教えると、必ず次は「ペン、にぽん」と言う。「いいえ、two pensは、にぽんではなく、にほん」と教えると、次は「さんほん」というので、「さんぼん」と訂正。すると次は「よんぼん」と言う。
数を数えるのも、たいへんなのだ。
日本語学習者に、なぜ、1のときは「ポン」なのに、2のときは「ホン」で3のときは「ボン」なんですか?と質問を受けたとき、答えない日本語教師もいます。「余計なこと考えずに、覚えろ!」方針。
それもひとつの考え方でしょうが、私はできるかぎり説明します。
私が「a 」の説明をしてもらえなくて、英語はわけのわからないことばだと思ってしまったように、疑問を感じた学習者に説明しないままだと、「ポンだのホンだのボンだのと、日本語はまったく規則もない、でたらめな言語だ」とそっぽを向かせる原因になるかもしれません。
日本語の音韻変化、きちんと規則があるんですよ。
ムワリム春庭、羊を数えて寝ることにします。Sheep(単複同形ひつじ)いっぴき、Sheepにぴき「ちがう!にひき」Sheepさんひき「ちがう!さんびき」Sheepよんびき「ちがう!よんひき」、、、なかなか寝付けません。
今日のポイント:名詞には、数によって形が変化する言語と変化しない言語がある。名詞の数は、単数、双数、複数などの表し方がある。
(2006/01/24)
単数複数、ペンがいっぽん2ほん3ぼん
日本語学基礎知識扁a,b,cの「a」からはじめる言語学「単数複数」
英語では「ペンを持ってる」って言うとき、どうして「一本のペン」と、いちいち言うの?日本語なら3本もってても1本だけでも「ペン持ってる」でいいのに。
日本語学習者、習い始めには次から次へと疑問がわきます。「なぜ」「どうして」
ひとつひとつの疑問に納得するまで答えていては、新しい学習項目に進めないこともあるので、難しいところですが、私は、学生のどんな小さな疑問にも、私のできる範囲で答えることにしています。
なぜなら、私が中学校で英語を習い始めたとき、次から次へとわいてくる「なぜ」にひとつも答えてもらえないうち、すっかり英語嫌いになったからです。
私が中学1年で英語を習いはじめたとき、最初にひっかかったのは。
「ペンをもっています」というのに、「私は一本のペンを持っています=I have a pen.」と言わなくちゃならなかったこと。
いちいち「私は」を言わなくちゃならないのは、まあ納得したけれど、なんでペンを持つのに、いちいち「一本のペン」と言わなくちゃならないの?
日本語は「そこにりんごがあります」と言ったとき、そこに存在するのは、りんご1個でも100個でもいいのに、英語だと「There is an apple」と「There are apples」にわけて言わなくちゃならない。
「a」を書き忘れたりしたら、×にします、と、先生の注意がありました。
「なんで、aを点け忘れたら、×なんですか。一個のりんごと、二個以上のりんごをどうして使い分けるんですか」と、素朴な疑問を英語を担当した教師にぶつけました。
答えは「英語はそういうって決まっているからだ。つべこべいってないで、appleくらい英語で書けるようにしろ。この前の小テストで、おまえappuruって書いていたろうが」
どうしてもローマ字式つづり字から抜け出せずに、スペルが不得意だった私は、それ以上追求できませんでした。
たぶん、先生もなぜ、英語はいちいち「私はわたしの手の中に、一本のペンを持っています」と、言わなければならないのかを、知らずに教えていたのだろうと思います。
この「a」への疑問に答えてくれる英語の先生に出会うことのないまま、英語は苦手になりました。
国語が得意だった私は、中学校国語教師を3年勤めました。そして挫折。
私には国語を教えることが難しかった。
「国語がわからない」ということがわからなかったからです。自分がしゃべっている言葉なのに、新聞や本を読んで何が書いてあるのか理解できないっていうことがわかりませんでした。
大学に再入学して、日本語学、日本語教育、外国語教授法を学ぶことになって、やっと「a pen」と「pens」がどう違うか、疑問に答えてくれる先生に出会いました。13歳のとき疑問を持ってから4半世紀後の回答です。
『ニュークラウン』という英語教科書の編集監修者でもあった先生で、私はこの先生の英語科教育法という授業を受講したのです。学生に厳しい先生でした。「教師になることをめざすのなら、教師に足る知識を持て」と学生をしかりつけていました。
この先生は「子どもに、単数の単語になぜaをつけるのか、なぜ複数の単語にSが必要かと聞かれて、答えられないような者は、英語の教師になる資格がない」と言いました。
私は中学校高校を通して、英語の教師になる資格もない人たちから英語を教わっていたんですね。
ものをさししめすコトバ(名詞)には、一般的に「ある物全般」「出来事全体」を表現する単語と、一回ごとの会話の中で、個別のものを指し示すものの、ふたつがあります。
一般的に「りんご」と呼ばれるもの全体を示しているときの「りんご」と、今目の前にあって、私が食べようとしている「りんご」は、別のものです。今、目の前にあるりんごは、私が手に取り、口にいれることができる具体的な存在だからです。
「りんごは丸い」「りんごは赤い」というときの「りんご」は、目の前の一個のりんごじゃなくても、頭に思い描いただけの、抽象的な存在としてのりんご全体を思い浮かべて発言することができます。「apple is red.」
「今、このりんごを食べるよ」と言うときのりんごは、目の前にあって手にとれるりんご、口に入れられる具体的な存在です。「I eat an apple.」
日本語は、この「一般的な表現としてのりんご」も、「目の前の、今手に持っている具体的実在としてのりんご」を、区別しないで表現する、言語です。
日本語では「りんごは赤い」も「いま、手にりんご持ってるよ」も、ただ「りんご」でよい。
しかし、英語は、このふたつを区別する。
世界の中の一般的な「りんご」はりんご全体を表わすため、「apple」でよい。
が、今、目の前にあり、私が食べようとするとき、具体的な存在であることを示すために「a」や「an」をつけて区別する。
この「りんご」が、抽象的な世界全般にあるりんごではなく、今現在自分と関わりをもつ、個別的存在であることをしめすには「I eat an apple」と、言う。「I eat apple」だと、抽象的なりんごを意味するだけで、目の前にあるりんごを実際に食べることを意味できない。
英語は、一般的な存在の「apple」と、個別的存在の「an apple」または「apples」を、区別しなければならない言語だったのです。
こんな個別表現のための「a」だった、ということを、英語を習い始めてから20年以上たって、ようやく教わることができました。言語によって、名詞が表現する内容の範囲が異なっていること、やっとわかりました。
「英語じゃ、ふたつ以上の数があれば、Sをくっつけるのが決まりなんだから、つべこべ言わずに覚えろ!」ではなく、「世界のことばにはいろいろあって、ものをあらわす言い方も、こんなにいろんな種類があるんだよ。たまたま英語は、ふたつ以上の数があるものを表すとき、Sをつけることになったコトバなんだ」
と、教えてくれる人がいたら、私も、この納得いかない言語と折り合いをつけることができ、英語嫌いにならずにすんだかもしれない。
英語教師が言語学の基礎を少しだけ知っていれば、私も、不合理きわまると思えた英語から逃げ出さなかったかも知れない。
日本語学習者が、思いも寄らない疑問をもって質問してきたとき、すぐその場で答えられないようなときもあります。でも、できる限り調べて、学習者が納得するまで説明する機会をつくるようにしています。
もし私が「日本語はそういう決まりなんだから、つべこべ言わずに覚えろ」と答えたとしたら、「日本語は不合理な言語だ」と思い、日本語嫌いになる学習者を生み出すかもしれない。
日本語教師、いつでも自分が「はじめて外国語を習ったときの気持ち」を忘れずに、いたいと思っています。疑問質問で学習者がひっかかって立ち止まったら、そっと寄り添い、前進のヒントが出せるように、「大丈夫、いっしょに考えていこうね」と、背中を押してやれる教師でいたいとねがっています。
今日のポイント:日本語の名詞は、一般的なものの表現と、今回の話に出ている個別のものを区別しない言語。英語は、一般的なものと、話の中に出ていて具体的に表現する個々のものを、わける言語
(2006/01/16)
単数双数複数、助数詞
1-5-2 日本語学基礎知識扁a,b,cの「a」からはじめる言語学 単数双数複数、助数詞
日本語は、恋人ひとりでもフタマタしてても「私には恋人がいます」でいいよね。でも、単数双数複数、分けていう言語のとき、「恋人(ひとり)」「恋人(ふたり)」「恋人(3人)」は別の言い方になるから、すぐばれちゃうよ
恋人ひとりは単数形で、恋人ふたりは双数形で、恋人3人以上いたら複数形で表現しなくちならない言い方だとたいへん。単数にしておかないとモメるかも。
前回、日本語名詞と英語名詞の表現する範囲、取り扱い方が異なっていること、単数複数の考え方についてお話しました。
今回、単語の複数形について、補足トリビアを。
単数複数の表し方は、言語によって、異なります。
単語の複数の表し方は、おおまかに分けると、
1,原則として単数も複数も同じ形。
2,原則として単数も複数も同じ形でよいが、語によっては複数を別の形であらわすこともある。
3,原則として、単数と複数を別の形であらわす。単数はひとつだけ、複数はふたつ以上をあらわす。
4,単数、双数、複数の三種類に分ける。単数はものがひとつだけあるとき、双数はものがふたつ存在しているとき、複数はものが3つ以上あるときに用いる。
アラビア語は4番。単数を表わす語のほか、息子ふたり、娘ふたり、など、ふたつを表わす形の語は、双数形であらわす。また、目、耳などふたつセットの語も双数。3つ以上のものは複数であらわす。
英語は、3番。
単数の語の語尾に「S」をつけるのが原則。単数と複数で形が変わる語もある。tooth(歯)→teeth、foot(足)→feetなどがある。例外の語は、単複同型。英語だと、sheep(羊)reindeer(となかい) percent(パーセント)など。
スワヒリ語も3番。
英語は、語尾にSをつけることで、複数を表すが、スワヒリ語は、語頭の文字を変える。
ムトトは子どもひとり、ワトトは子ども複数。
ムワリムは先生ひとり、ワリムは先生複数
ムティは木一本、ミティは、木、複数。
日本語は2番。原則、単数も複数も同じ形。「きのうりんごを食べた」というときのりんごは、1個でも2個でも10個でもよい。
そして、人々、山々、国々、など、畳語(おなじコトバを繰り返す語)による、複数の強調もある。
中国語や韓国語、タイ語などアジアの言語のいくつかが、この2番に含まれます。
単数複数を翻訳しなければならない時、難しい問題も起ります。
大論争を巻き起こした日本語の単数複数論争。
「古池や蛙飛び込む水の音」
この芭蕉の句を英語に翻訳するとき、a frogなのか、frogsなのか、論争が起きました。一匹だけ、ぽちゃんと、池に飛び込んだのか、何匹から続けて飛び込んだのか。
日本語では問題にならない蛙の数が、翻訳では、どちらかに決めなければならないために起きた大論争。あなたなら、「蛙が一匹」「蛙が数匹」どちらに翻訳しますか?
日本語は、単数複数、名詞の形は同じですが、ものを数えるときに、ものの種類によって数え方がいろいろになります。
1本、2足、3艘、4粒、5台、6羽、7匹、8頭、9杯、10個~。
若い人たちはすべての数え方を「~こ」で間に合わせています。年齢や学年の数え方も「1こ、2こ」で、「あいつ、オレより3こ上」などと数えています。
タイ語ベトナム語などの言語には、日本語と同じように、助数詞があります。
基数と序数だけ覚えればよい英語圏の人には、日本語の助数詞覚えるのたいへんな苦労ですが、タイ語の母語話者は「日本の数え方、助数詞が少なくて簡単」と言います。
日本語の数え方も、「ものの数え方辞典」が出版されているくらいで、いろんな種類があるんですけどね。初級教科書には、代表的な助数詞しかでてきませんから。
日本語教育の過程で、家々、道々などの畳語の言い方を教えるのは中級以後。初級では登場しない教科書がほとんど。しかし、助数詞は、数を教える初級の前半に、代表的ないくつかの数え方を教えることが多い。
助数詞を持つ言語の母語話者、持たない言語の学習者、どちらも初級でひっかかるのが、助数詞の発音。
一番最初に教えるのは、紙やお皿の数え方。一枚二枚三枚四枚五枚六枚、、、、と、番長更屋敷のお菊さんが一枚一枚うらめしげに皿を数えるのと同じく、留学生にとって、さらさらと数えられる。車やテレビの数え方、台もOK。数によって発音が変化しないので。
ひっかかるのは、ペンや傘を数えるときの「本」、魚や動物の「匹」など。
「ペン、いっぽん」と教えると、必ず次は「ペン、にぽん」と言う。「いいえ、two pensは、にぽんではなく、にほん」と教えると、次は「さんほん」というので、「さんぼん」と訂正。すると次は「よんぼん」と言う。
数を数えるのも、たいへんなのだ。
日本語学習者に、なぜ、1のときは「ポン」なのに、2のときは「ホン」で3のときは「ボン」なんですか?と質問を受けたとき、答えない日本語教師もいます。「余計なこと考えずに、覚えろ!」方針。
それもひとつの考え方でしょうが、私はできるかぎり説明します。
私が「a 」の説明をしてもらえなくて、英語はわけのわからないことばだと思ってしまったように、疑問を感じた学習者に説明しないままだと、「ポンだのホンだのボンだのと、日本語はまったく規則もない、でたらめな言語だ」とそっぽを向かせる原因になるかもしれません。
日本語の音韻変化、きちんと規則があるんですよ。
ムワリム春庭、羊を数えて寝ることにします。Sheep(単複同形ひつじ)いっぴき、Sheepにぴき「ちがう!にひき」Sheepさんひき「ちがう!さんびき」Sheepよんびき「ちがう!よんひき」、、、なかなか寝付けません。
今日のポイント:名詞には、数によって形が変化する言語と変化しない言語がある。名詞の数は、単数、双数、複数などの表し方がある。
(2006/01/24)