goo blog サービス終了のお知らせ 

春庭にほんごノート      

日本語概論・言語学概論・日本語教育
日本語言語文化

ぽかぽか春庭「単数複数」

2013-05-15 | 日本語
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座基礎2
単数複数、ペンがいっぽん2ほん3ぼん
日本語学基礎知識扁a,b,cの「a」からはじめる言語学「単数複数」


 英語では「ペンを持ってる」って言うとき、どうして「一本のペン」と、いちいち言うの?日本語なら3本もってても1本だけでも「ペン持ってる」でいいのに。

 日本語学習者、習い始めには次から次へと疑問がわきます。「なぜ」「どうして」
 ひとつひとつの疑問に納得するまで答えていては、新しい学習項目に進めないこともあるので、難しいところですが、私は、学生のどんな小さな疑問にも、私のできる範囲で答えることにしています。
 なぜなら、私が中学校で英語を習い始めたとき、次から次へとわいてくる「なぜ」にひとつも答えてもらえないうち、すっかり英語嫌いになったからです。

 私が中学1年で英語を習いはじめたとき、最初にひっかかったのは。
 「ペンをもっています」というのに、「私は一本のペンを持っています=I have a pen.」と言わなくちゃならなかったこと。
 いちいち「私は」を言わなくちゃならないのは、まあ納得したけれど、なんでペンを持つのに、いちいち「一本のペン」と言わなくちゃならないの?

 日本語は「そこにりんごがあります」と言ったとき、そこに存在するのは、りんご1個でも100個でもいいのに、英語だと「There is an apple」と「There are apples」にわけて言わなくちゃならない。
 「a」を書き忘れたりしたら、×にします、と、先生の注意がありました。

 「なんで、aを点け忘れたら、×なんですか。一個のりんごと、二個以上のりんごをどうして使い分けるんですか」と、素朴な疑問を英語を担当した教師にぶつけました。
 答えは「英語はそういうって決まっているからだ。つべこべいってないで、appleくらい英語で書けるようにしろ。この前の小テストで、おまえappuruって書いていたろうが」

 どうしてもローマ字式つづり字から抜け出せずに、スペルが不得意だった私は、それ以上追求できませんでした。
 たぶん、先生もなぜ、英語はいちいち「私はわたしの手の中に、一本のペンを持っています」と、言わなければならないのかを、知らずに教えていたのだろうと思います。

 この「a」への疑問に答えてくれる英語の先生に出会うことのないまま、英語は苦手になりました。

 国語が得意だった私は、中学校国語教師を3年勤めました。そして挫折。
 私には国語を教えることが難しかった。
 「国語がわからない」ということがわからなかったからです。自分がしゃべっている言葉なのに、新聞や本を読んで何が書いてあるのか理解できないっていうことがわかりませんでした。

 大学に再入学して、日本語学、日本語教育、外国語教授法を学ぶことになって、やっと「a pen」と「pens」がどう違うか、疑問に答えてくれる先生に出会いました。13歳のとき疑問を持ってから4半世紀後の回答です。

 『ニュークラウン』という英語教科書の編集監修者でもあった先生で、私はこの先生の英語科教育法という授業を受講したのです。学生に厳しい先生でした。「教師になることをめざすのなら、教師に足る知識を持て」と学生をしかりつけていました。

 この先生は「子どもに、単数の単語になぜaをつけるのか、なぜ複数の単語にSが必要かと聞かれて、答えられないような者は、英語の教師になる資格がない」と言いました。
 私は中学校高校を通して、英語の教師になる資格もない人たちから英語を教わっていたんですね。

 ものをさししめすコトバ(名詞)には、一般的に「ある物全般」「出来事全体」を表現する単語と、一回ごとの会話の中で、個別のものを指し示すものの、ふたつがあります。
 一般的に「りんご」と呼ばれるもの全体を示しているときの「りんご」と、今目の前にあって、私が食べようとしている「りんご」は、別のものです。今、目の前にあるりんごは、私が手に取り、口にいれることができる具体的な存在だからです。

 「りんごは丸い」「りんごは赤い」というときの「りんご」は、目の前の一個のりんごじゃなくても、頭に思い描いただけの、抽象的な存在としてのりんご全体を思い浮かべて発言することができます。「apple is red.」
 「今、このりんごを食べるよ」と言うときのりんごは、目の前にあって手にとれるりんご、口に入れられる具体的な存在です。「I eat an apple.」

 日本語は、この「一般的な表現としてのりんご」も、「目の前の、今手に持っている具体的実在としてのりんご」を、区別しないで表現する、言語です。
 日本語では「りんごは赤い」も「いま、手にりんご持ってるよ」も、ただ「りんご」でよい。

 しかし、英語は、このふたつを区別する。
 世界の中の一般的な「りんご」はりんご全体を表わすため、「apple」でよい。
 が、今、目の前にあり、私が食べようとするとき、具体的な存在であることを示すために「a」や「an」をつけて区別する。

 この「りんご」が、抽象的な世界全般にあるりんごではなく、今現在自分と関わりをもつ、個別的存在であることをしめすには「I eat an apple」と、言う。「I eat apple」だと、抽象的なりんごを意味するだけで、目の前にあるりんごを実際に食べることを意味できない。

 英語は、一般的な存在の「apple」と、個別的存在の「an apple」または「apples」を、区別しなければならない言語だったのです。
 こんな個別表現のための「a」だった、ということを、英語を習い始めてから20年以上たって、ようやく教わることができました。言語によって、名詞が表現する内容の範囲が異なっていること、やっとわかりました。

 「英語じゃ、ふたつ以上の数があれば、Sをくっつけるのが決まりなんだから、つべこべ言わずに覚えろ!」ではなく、「世界のことばにはいろいろあって、ものをあらわす言い方も、こんなにいろんな種類があるんだよ。たまたま英語は、ふたつ以上の数があるものを表すとき、Sをつけることになったコトバなんだ」
と、教えてくれる人がいたら、私も、この納得いかない言語と折り合いをつけることができ、英語嫌いにならずにすんだかもしれない。
 英語教師が言語学の基礎を少しだけ知っていれば、私も、不合理きわまると思えた英語から逃げ出さなかったかも知れない。

 日本語学習者が、思いも寄らない疑問をもって質問してきたとき、すぐその場で答えられないようなときもあります。でも、できる限り調べて、学習者が納得するまで説明する機会をつくるようにしています。
 もし私が「日本語はそういう決まりなんだから、つべこべ言わずに覚えろ」と答えたとしたら、「日本語は不合理な言語だ」と思い、日本語嫌いになる学習者を生み出すかもしれない。

 日本語教師、いつでも自分が「はじめて外国語を習ったときの気持ち」を忘れずに、いたいと思っています。疑問質問で学習者がひっかかって立ち止まったら、そっと寄り添い、前進のヒントが出せるように、「大丈夫、いっしょに考えていこうね」と、背中を押してやれる教師でいたいとねがっています。

今日のポイント:日本語の名詞は、一般的なものの表現と、今回の話に出ている個別のものを区別しない言語。英語は、一般的なものと、話の中に出ていて具体的に表現する個々のものを、わける言語
(2006/01/16)


単数双数複数、助数詞

1-5-2 日本語学基礎知識扁a,b,cの「a」からはじめる言語学 単数双数複数、助数詞

 日本語は、恋人ひとりでもフタマタしてても「私には恋人がいます」でいいよね。でも、単数双数複数、分けていう言語のとき、「恋人(ひとり)」「恋人(ふたり)」「恋人(3人)」は別の言い方になるから、すぐばれちゃうよ

 恋人ひとりは単数形で、恋人ふたりは双数形で、恋人3人以上いたら複数形で表現しなくちならない言い方だとたいへん。単数にしておかないとモメるかも。

 前回、日本語名詞と英語名詞の表現する範囲、取り扱い方が異なっていること、単数複数の考え方についてお話しました。
 今回、単語の複数形について、補足トリビアを。

 単数複数の表し方は、言語によって、異なります。
 単語の複数の表し方は、おおまかに分けると、

1,原則として単数も複数も同じ形。
2,原則として単数も複数も同じ形でよいが、語によっては複数を別の形であらわすこともある。
3,原則として、単数と複数を別の形であらわす。単数はひとつだけ、複数はふたつ以上をあらわす。
4,単数、双数、複数の三種類に分ける。単数はものがひとつだけあるとき、双数はものがふたつ存在しているとき、複数はものが3つ以上あるときに用いる。

 アラビア語は4番。単数を表わす語のほか、息子ふたり、娘ふたり、など、ふたつを表わす形の語は、双数形であらわす。また、目、耳などふたつセットの語も双数。3つ以上のものは複数であらわす。

 英語は、3番。
 単数の語の語尾に「S」をつけるのが原則。単数と複数で形が変わる語もある。tooth(歯)→teeth、foot(足)→feetなどがある。例外の語は、単複同型。英語だと、sheep(羊)reindeer(となかい) percent(パーセント)など。

 スワヒリ語も3番。
 英語は、語尾にSをつけることで、複数を表すが、スワヒリ語は、語頭の文字を変える。
 ムトトは子どもひとり、ワトトは子ども複数。
 ムワリムは先生ひとり、ワリムは先生複数
 ムティは木一本、ミティは、木、複数。

 日本語は2番。原則、単数も複数も同じ形。「きのうりんごを食べた」というときのりんごは、1個でも2個でも10個でもよい。
 そして、人々、山々、国々、など、畳語(おなじコトバを繰り返す語)による、複数の強調もある。
 中国語や韓国語、タイ語などアジアの言語のいくつかが、この2番に含まれます。

 単数複数を翻訳しなければならない時、難しい問題も起ります。
 大論争を巻き起こした日本語の単数複数論争。
「古池や蛙飛び込む水の音」

 この芭蕉の句を英語に翻訳するとき、a frogなのか、frogsなのか、論争が起きました。一匹だけ、ぽちゃんと、池に飛び込んだのか、何匹から続けて飛び込んだのか。
 日本語では問題にならない蛙の数が、翻訳では、どちらかに決めなければならないために起きた大論争。あなたなら、「蛙が一匹」「蛙が数匹」どちらに翻訳しますか?

 日本語は、単数複数、名詞の形は同じですが、ものを数えるときに、ものの種類によって数え方がいろいろになります。
 1本、2足、3艘、4粒、5台、6羽、7匹、8頭、9杯、10個~。
 若い人たちはすべての数え方を「~こ」で間に合わせています。年齢や学年の数え方も「1こ、2こ」で、「あいつ、オレより3こ上」などと数えています。

 タイ語ベトナム語などの言語には、日本語と同じように、助数詞があります。
 基数と序数だけ覚えればよい英語圏の人には、日本語の助数詞覚えるのたいへんな苦労ですが、タイ語の母語話者は「日本の数え方、助数詞が少なくて簡単」と言います。
 日本語の数え方も、「ものの数え方辞典」が出版されているくらいで、いろんな種類があるんですけどね。初級教科書には、代表的な助数詞しかでてきませんから。

 日本語教育の過程で、家々、道々などの畳語の言い方を教えるのは中級以後。初級では登場しない教科書がほとんど。しかし、助数詞は、数を教える初級の前半に、代表的ないくつかの数え方を教えることが多い。
 助数詞を持つ言語の母語話者、持たない言語の学習者、どちらも初級でひっかかるのが、助数詞の発音。

 一番最初に教えるのは、紙やお皿の数え方。一枚二枚三枚四枚五枚六枚、、、、と、番長更屋敷のお菊さんが一枚一枚うらめしげに皿を数えるのと同じく、留学生にとって、さらさらと数えられる。車やテレビの数え方、台もOK。数によって発音が変化しないので。

 ひっかかるのは、ペンや傘を数えるときの「本」、魚や動物の「匹」など。
 「ペン、いっぽん」と教えると、必ず次は「ペン、にぽん」と言う。「いいえ、two pensは、にぽんではなく、にほん」と教えると、次は「さんほん」というので、「さんぼん」と訂正。すると次は「よんぼん」と言う。
 数を数えるのも、たいへんなのだ。

 日本語学習者に、なぜ、1のときは「ポン」なのに、2のときは「ホン」で3のときは「ボン」なんですか?と質問を受けたとき、答えない日本語教師もいます。「余計なこと考えずに、覚えろ!」方針。
 それもひとつの考え方でしょうが、私はできるかぎり説明します。

 私が「a 」の説明をしてもらえなくて、英語はわけのわからないことばだと思ってしまったように、疑問を感じた学習者に説明しないままだと、「ポンだのホンだのボンだのと、日本語はまったく規則もない、でたらめな言語だ」とそっぽを向かせる原因になるかもしれません。
 日本語の音韻変化、きちんと規則があるんですよ。

 ムワリム春庭、羊を数えて寝ることにします。Sheep(単複同形ひつじ)いっぴき、Sheepにぴき「ちがう!にひき」Sheepさんひき「ちがう!さんびき」Sheepよんびき「ちがう!よんひき」、、、なかなか寝付けません。

今日のポイント:名詞には、数によって形が変化する言語と変化しない言語がある。名詞の数は、単数、双数、複数などの表し方がある。

(2006/01/24)

日本語は全部わかってるという方へ・ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座基礎1

2013-05-08 | 日本語
1-1-1 ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語講座 最初のごあいさつ

尺八生演奏はいかが?

 こんにちは。春庭です。
 春庭といっしょに、日本語を勉強してみませんか。

 「え~、日本語毎日しゃべっているし、メールもできるし、今更勉強せんでも、十分、日本語の達人だ!」と、自信たっぷりの人。「そりゃ、漢字とか自信ないけど、毎日の生活では不自由なし」と、思っている人。

 それじゃ、最初の挨拶にもどって、「こんにちは」というあいさつ、メールで書くとしたら「こんにちは」と書いていますか?「こんにちわ」ですか?
 それとも漢字派?漢字で書くなら「今日は」ですね。「こんにちはお日柄もよく、お天気も上々吉。さて、こんにち、てまえがまかりこしましたのは、かくかくしかじか、、、、」と、最初に交わすあいさつの、後半は長々しいから省略して、最初の「こんにちは」だけを挨拶語としてつかっているんです。
 でも、現在では後半を省略しているなんていう意識はありませんから、発音通りの「こんにちわ」の表記でもよろしい、と春庭は留学生に指導しています。

 なんだ、「こんにちは」でも「こんにちわ」でも、どっちでもいいんじゃん!使えればいいんだよ、ことばなんて。と、思ったあなた。せめて春庭から仕込んだ日本語学蘊蓄を、仕事を終えたあとの楽しみ「クラブ活動」の際に、先輩おねえさんに披露して、もててみたいと思いませんか。
 あ、銀座とか赤坂のクラブ活動で、おねえちゃんにモテるには蘊蓄よりチップのほう、、、ですか。じゃあ、どっちにしろ、あなたがモテないことには変わりないから、暇つぶしに春庭と、ニホンゴを楽しみましょうよ。

 多額のチップがはずめる方、難しい顔をしていないで、チップを持って、ほら、、、お出かけを。
 お出かけしない真面目なあなたに、とてもまじめな春庭がサービス。

 春庭、つつとあなたのおそばににじり寄り、
 「いらっしゃいませぇ!あたしぃ、このお仕事を始めてからまだ日が浅くてぇ、あまりいろいろわかってないけど、いっしょうけんめい勤めさせていただきま~す。よろしくねっっ。本気でサービスしちゃうから。

 お客さん、本番?生、いく? あ、うち、尺八生演奏禁止なの。ひちりきと笙の笛なら、演奏で
きるけど。
 はい、ひちりき演奏ね。かしこまりました、喜んで!
 普段は1曲だけなんだけど、お客さん、あたしのタイプだから、特別に2曲演奏するわね。サービス、さーびす」

 では、ひちりきを演奏します。1曲目は「越天楽」でぇ~す。
 ♪ヒューヒャアラ、ヒャラヒャラリコ、ヒャアラー リィコォリー~♪。

 あれ?何かべつのサービス期待した?
 春庭の日本語教室では、日本文化の紹介の際、ひちりき笙の笛で、「雅楽」演奏聞かせるんですよぉ。
 東儀秀樹の本番生演奏じゃないのが残念だけど、CDとかで。

 では、2曲めを。あ、いらないの?せっかくのスペシャルサービスなのに。
 2曲めがすごくいいんです。
 「越天楽」ほど、知られてないんですけど、「古楽乱声(こがくらんじょう)」って曲なんです。乱声、、、すごっく乱れちゃおうと思ったのにぃ。残念!

 春庭榛名のニッポニアニッポンゴ教室、楽しく乱れつつ、乱れないニホンゴを習得できます。斯うご期待!


1-1-2 ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語講座「日本語も性転換?」

「今は昔」でどんどん変わる、昔むかし、日本の母はパパだった

今日の課題「ニホンゴのオケイコ」クイズ
「昔、むかし、日本の母は、全員パパだった。なぜかわかる?性転換?」

 昔はパパが子供に胸のおっぱい飲ませていたんだよ。えっ、母はパパから性転換したの?
 日本語は、昔と今とではだいぶ変わってきています。語彙も発音も変わってきました。
 「日本の母は、昔むかし、全員パパだった」というクイズのヒント→ 昔むかしの日本語は、現代のH音がP音だった。

 実はヒントがそのまま答えです。日本語H音は、室町末期ごろは、F音でした。
 現代語では、Ha Hi Fu He Hoと、フの音にF音が残っています。「ふじやま」を英語表記するとき、ヘボン式ローマ字ではFujiyamaと書いています。

 「はひふへほ」の発音、室町末期はFa Fi Fu Fe Foと発音していました。さらに遡ると、Fa行の音はP音だったから、は行の音は、ぱ、ぴ、ぷ、ぺ、ぽ(Pa Pi Pu Pe Po)と発音していました。
 「ハハ」は、パパと発音していた。花はパナと発音し、春はパルでした。春庭は、パルニワ。

 H音とF音の違いをわからせる方法。
 口の前に手のひらをかざす。「今日は寒いですね。手を温めましょう。息を吹きかけて温めて」というと、皆、手のひらに「ハーッ」と息をかける。ハーッというと、温かい息が手にかかる。
 次に、「やかんにさわった。あ、熱い。やけどしそう。手のひらの温度を下げましょう。息を吹きかけて」というと、今度は皆、「フーッ」と息をかける。

 そう、H音は、のどの奥から息を出すので、息が温かい。F音は、唇から出す息なので、寒い。ハヒフヘホのうち、「フ」だけが、唇から出るF音で、仲間はずれです。
 普段は、自分の口から出る音が、どのように作り出されているかなどということは、意識しないでことばをしゃべっています。

 でも、日本語を客観的に観察すると、普段は気づかないおもしろい現象が、つぎつぎに見つかってきます。
 は行の音の中で、「フ」だけが仲間はずれだったこと、意識してました?普通はいちいちそんなこと意識してたらしゃべれない。
 でも、ちょっと意識すると、同じハ行のひらがなハヒフヘホの中で、「フ」の発音は唇くちびるを使う音で、「ハ」はのどの奥で作られる音だってことをはじめ、いろんな「あれっ?」が見つかります。

 日本語の音声だけじゃなく、文法はもっと面白いんです。みんな文法というと、思い出すのは、助動詞活用形の暗記。「れ、れ、る、るる、るれ、れよ」とか、「まし、まし、ましか」また、「分節で文を区切る」「古語の品詞」などだから、限りなく退屈な授業な思い出しか残らない。

 でもね、本当は、文法というのは、「ことば、不思議発見!」のことなんです。
 ニホンゴの発音や構造の「不思議発見」の旅に出発しましょう。

1-1-3 ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語講座 「イー万リャンソー通ればサンぴん捨ててリーチ・「ニホンゴらしい発音と単語」ラ行音と促音「小さいツ」


ニホンゴらしい発音と単語」
今日の課題:ラッディピャンとクタサミどっちが外来語?



 「わぁ、日本の母が昔はパパだったなんて、知らなかったわあ、もしかして、私、日本語のこと、ぜんぜん知っちゃいなかったのかしら」と、思った方、心配しなくて大丈夫。
 日本語の文法の知識、音声の知識、語彙体系、ちゃんと修得しているはずです。身についているんです。えっ、いつのまに?
 日本語を母語として話せるようになった人、日本語文法も日本語音声学もちゃんと理解しています。ただし、それを意識化していないだけ。脳の言語野には、無意識ではあっても、日本語についての言語学的知識が体系化され、存在しています。

 母語。生まれてきた子供が、自分の身の回りで話されている言葉を自然に習得する、その言語を母語、または第一言語と言います。母語以外の言語で、勉強して身につけた言語は、第二言語です。
 日本語教育は、第二言語としての日本語を、日本語を母語としていない人に教えることを目的としています。日本語教師は、この「無意識に修得している日本語の体系」を意識的に学びなおして、日本語を母語としない人達(留学生、就学生、日本で働いている外国人の子供など)に日本語を教えています。

 日本語を話している人、頭のなかには、ちゃんと日本語の知識がつまっている、ということを確認するために、クイズをひとつ。

 日本語のおけいこクイズ。「らっでぃぴゃん」「くたさみ」どちらかひとつは外来語なので、カタカナで書いてください。
 
 どちらも聞いたことのない語ですよね。でもどちらが外来語っぽいと感じましたか?
 たぶんほとんどの方が「ラッディピャン」を外来語と感じたでしょう。正解です。
 ただし、どちらの語も、辞書にはありません。「ラッディピャン」も「くたさみ」、たった今、わたしが音節を組み合わせて作った「でたらめ語」です。
 音節というのは、「拍」「モーラ」と言う場合もあります。(厳密には区別がありますが、とりあえず同じものとしておきます)日本語のひらがなを発音したときの、ひとつのひらがなの「発音」が音節、と思ってください。

 辞書に書いていない、はじめて聞いたでたらめな音の組み合わせなのに、「くたさみ」は、日本語の古語辞典に載っていそうな感じがする。一方「ラッディピャン」は、ぜったいに日本語古来の語ではなく、外来語の感じがする。どうして、そう感じるのでしょうか。
 それは、耳で聞いて「日本語らしい音」を聞き分ける、日本語音声体系が頭の中にできあがっているからです。私たちの耳になじむ音の組み合わせ方が決まっているのです。

 「らっでぃぴゃん」
 まず、語頭の「ラ」の音について。
 韓国語の発音では李(Li)という名字を「イ」と発音し、語頭のLは発音しません。韓国では、語頭のL音は脱落するのです。林(Lim)さんは、イムさんになります。
 韓国語は、ラリルレロが語頭にこない。

 日本語も、古来の日本語である和語は、ラリルレロが語頭にきません。
 クイズに出した「らっでぃぴゃん」は、語頭に「ラ」があるので、和語らしく聞こえなかったのです。
 外来語では、語頭にラリルレロが来る言葉があります。ラジオ、レコード、リニアモーターカー、など、カタカナで書く語はいかにも外来語らしい。

 漢字やひらがなで書くと、元々和語だったみたいな気になるけれど、ラリルレロがついている単語、出自は海外から来た語です。
 喇叭(らっぱ)、海獺(らっこ)、駱駝(らくだ)、瑠璃(るり)、六(ろく)、など。

 「ラ」が語頭にあるので、初めてきいた「らっでぃぴゃん」を、いかにも外来語らしいと感じました。 
 「ラ」の次の「っ」は、「小さいッ」と呼んだりします。日本語特殊拍の促音です。(もうひとつの特殊拍「ん」については、次回お話します)。
 促音は「音を持たない拍」であり、促音の発音がない母語で育った学習者には、習得がむずかしいもののひとつ。音を発音しないけれど、手を打ってリズムをとって発音したときに、拍手ひとつ分の時間をとります。(一拍のモーラ)

 促音「っ」は、もともとの日本語にはない音でした。漢字と共に中国語の単語を日本語として取り入れたときに入ってきた音です。
 「いろは歌」が作られた当時には、促音の表記が定まっていなかったので、中国語の単語、たとえば「日記にっき」という語を知った日本の人は、ひらがなで書くとき困ってしまった。
 促音を、昔は表記できませんでしたから、「蜻蛉の日記」は「かげろふのにき」と表記しました。「かげろうのにっき」と発音していても、書くときには「にき」としか書けなかったのです。
(かげろふの「ふ」を、現代仮名遣いでは「う」と書くことについては、また別のお話、ハ行転呼音の話になるので、別の機会に)

 促音も、濁音とともに、この発音を持たない母語話者にはむずかしい発音です。
 「三日も四日も、学校へ行った」が、どうしても最初は「みかも よかも かこへ いた」という発音になってしまいます。ニホンゴ教育の最初の苦労のしどころ。もちろん、春庭が教えれば、皆上達するので、ご心配なく。

 「でぃ」という音、年輩の方のなかには、今でもこの発音ができない方もいます。「ピンクレディ」は「ピンクれでえ」となります。英語由来の外来語がふえた結果、ディやフィ、ツェなどの発音、若い人は得意です。でも、近年までの日本語にはなかった音なので、これらの音が入った単語は、外来語らしく聞こえるのです。

 「ぴゃん」の「ん」について。「ん」は撥音という特殊拍のひとつ。「はねる音」です。「ん」については、次回解説します。
 これら、「語頭のラ」や「ディ」などの、「日本語らしくない音の組み合わせ」を、脳の言語野が聞き取って、「ラッディピャン」という「でたらめ語」を、はじめて聞いた語であっても、「外来語だろう」と感じ、「くたさみ」という音節の組み合わせは、「和語らしい感じ」と思ったのです。

 さて、「ラ」がつくことば、「六」が和語じゃないというと、えっ、オリジナルの日本語じゃないのか、と思うかもしれません。もとは中国の数え方。
 現在、私たちが数を数えるときの言い方「イチ、ニー、サン、シ、」は、現代中国語では、上海など中国南部の数字の言い方に近い。
 日本に伝来した古代中国語は、呉音漢音などが南方系中国語に残っているためと考えられます。

 現代中国語北京標準語では「イー、アル(リャン)、サン、スー、ウー、リュー、チー」の数え方、麻雀をやる人、よくできます。
 でも、イチ、ニー、サン、シという数え方がもとは中国から来たこと、ふだんは忘れていますよね。

 和語のオリジナルの数え方は、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、、、、「つ」をつけなければ、ひぃふぅみぃよぉ、、、、となる。
 韓国朝鮮語でも、中国系の数え方と、オリジナルの数え方ハナ、トゥール、セッ、ネッ、という、ひとつ、ふたつ、にあたる数え方の両方を併用しています。
 
今日のポイント:語頭のラ行音も、促音(小さい「っ」)も、もともとの和語にはなかった音。
日本語は、さまざまな発音の変化、語彙の変化、文法の変化を経て「現代日本語」にたどりつきました。発音も語彙も、海の外からさまざまな要素を取り入れてきたし、縄文時代の「原日本語」から見れば、大きく変化してきたのです。

2-1-1ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語講座「日本語教育の現場から」

ついたち、ふつか
今日の課題「ついたち、ふつか」カレンダーの一番最初の日を「ついたち」っていうのは何故?

 11月30日、霜月みそか。12月1日は、師走ついたち。あっというまに十日(とおか)二十日(はつか)が過ぎていく。一年さいごの大三十日(おおみそか大晦日)まで、駆け足。早い!
 忙しい12月ではありますが、せっかく始めた日本語の復習、続けましょうね。

 「は行」の発音の変化、和語は「ら行」が語頭にこないこと、促音(ちいさいッ、つまる音)や、撥音(ん、はねる音)なども、もともとの和語にはない音声だったこと、確認しました。
 日本語についての知識、ちゃんと脳の言語野に入っていましたね。日本語らしい音節の組み合わせについて区別できて、自信復活しましたか。

 日本語音声と音節について、確認できたところで、こんどは、語彙の確認。
 大丈夫、母語話者なら、ちゃんと、脳の言語野に日本語語彙体系が組み上がっているんですから。知らず知らずのうちに、上位語と下位語、類語、対義語などの体系が頭の中に存在しているんですよ。
 その体系がまだ出来上がっていない、非母語話者すなわち日本語学習者たちは、ひとつひとつの言葉を確認しながら、一語一語おぼえていきます。

 大学後期10月から日本語学習を始めた留学生達、一日に4~5時間の日本語授業を週に5日受け、8週間で160時間日本語を学んだところ。まだまだヨチヨチ歩きの、おぼつかない足取りです。
 日本語集中コース初級は、5ヶ月間で約300時間の日本語授業を受け、修了となります。

 300時間の外国語授業、日本の中学校英語授業に換算すると、3年間分にあたります。
 日本人中学生が3年間かけて習う英語と同じ分量の日本語を、5ヶ月で詰め込むのです。
 この「日本語集中コース」を担当するようになって、10年になります。

 学生は博士課程修士課程へ進学する大学院の院生研究生たち。5ヶ月で3年分を詰め込む「シンカンセン授業」にも耐えて、熱心に日本語を吸収する。ま、教える教師がいいからですね、、、、ってことはありませんで、国費奨学金を受けている優秀な学生が集まっているからです。

 日本語ゼロスタートの留学生にとって、日本語の日付の言い方も、関門のひとつ。
 月の言い方は、注意さえすればなんとかなる。4月を「よんがつ」「よがつ」と言ったり、9月を「きゅうがつ」と言ったりする間違いを訂正して、「4月はよんがつじゃ、ありません。しがつですよ。9月はくがつ」と、練習れんしゅう。

 次ぎに日付の言い方。学生にとっては、物の数え方が「ひとつ、ふたつ~」の和語と「いち、に、さん~」の、中国語由来の数え方の二種類あるのだけでも、たいへん。それに、日付の特別な言い方が加わります。

 英語圏の学生や、外国語教育としてインドヨーロッパ語系の言語しか習ったことがない学生。英語では、「one two three~ 」の基数と「first second  third~」の序数を覚えれば、日付もOK。

 ところが、日本語では日付は特別な言い方を用いる。「12月いちにち、12月ににち、12月さんにち」と言えません。
 まず「ひとつ、ふたつ、みっつ~」の言い方を復習する。「1=ひ、2=ふ、3=み、4=よ~」を思い出させて、「日」を「か」と読む読み方をインストール。
 2日は、「ふつ+か→ふつか」3日は、みつ+か→みっか。4日は「よつ+か→よっか」5日「いつ+か→いつか」、促音(つまる音)、小さい「っ」になるところ、注意。

 でも、6日は「むつ+か」が「むつか」にならず、「むいか」に変化するし、「なな+か」は「ななか」ではなくて「なのか」、「やつ+か」は「ようか」になるので、ややこしい。
 「ついたち、ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか、なのか、ようか、ここのか、とおか」お経のように唱えて暗記させる。

 あるとき、言葉の規則、音のルールに注意深い学生が、日付のルール違反に気づいた。「二日から十日までは、ひづけに『か』がつくのに、1日目は、『か』がつかない。どうして?『ひとか』か『ひつか』になるはずなのに」

 この疑問を、日本語教育研究の日本人学生に、出題しました。
 こういう質問が留学生から出たとき、答えられますか?「なんでもいいから、とにかく覚えろ」という返事をする先生もいますし、「さあ、なんでついたちだけ、ちがうんでしょうね。日本語はいろいろだわね」という先生もいます。
 でも、正解を答えてあげられれば、留学生は日本語によりいっそう興味を感じて、勉強に熱がはいると思うよ。

 正解。「ついたち」は「つきたち」から変化したことば。日本語音声ルールでいう音便です。つきたちは、「月+立ち」
 新しい月が、この日に立ち上がる。
 旧暦(太陰暦)のこよみでは、文字通りに、この日、新しい月、新月(朔月)が空に立ち上がるのが見えた。
 月が満ちていって15日に満月になり、また月が欠けていく。月の満ち欠けで月日の移りゆきを知った。

 「This first day , the new month stands up. Month は、つき→つい、Standing up は、たち」と、言ってあげると、留学生の印象にも残り、覚えやすくなりますよ。

 日本人学生たち、たいていは「なんで、ついたちっていうか、初めて知った」と言う。
 どんなトリビアも、日本語教師の知恵袋に入れておこうね。どういう思いがけない質問が日本語学習者から飛び出てくるかわからない。
 なんでもかんでも知っておいてソンはありません。

 さて、師走ついたち、ふつかと過ぎ去りまして、十日(とおか)二十日(はつか)三十日(みそか)もすぐに。大三十日(大晦日)まで、カレンダーは駆け足です。<おわり>


1-2-1 ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語講座「日本語学基礎講座」僕はキツネだ、私は虎だ(うなぎ文その1)

僕はキツネだ、私は虎だ
今日の課題:蕎麦屋で「私、たぬき」って、注文したことある?それじゃ質問、「私は虎だ」って叫んだら、何が出てくる?

 一番最初の授業で、「私はヤンです」「私の専門は建築学です」などの練習をして、自己紹介がようよう言えるようになったばかりの留学生、すっかり日本語が話せる気になって、すぐにも町へ繰り出していきます。「ありがとう」も「すみません」も言えるようになったし、日本語OKネ!ノープロブレム!

 友達に連れられて大衆食堂に入った留学生が、他の客が「ぼくは、きつねだ」「わたしは、うなぎです」と、店員に言っているのを聞きました。
 日本語が少しだけ聞き取れて、「自己紹介しているのかな」と思ってとまどっている留学生に、少し英語ができる日本人の友だちが「ぼくはきつねだ。I am a fox. わたしはうなぎです。I am an eel.」と、翻訳して聞かせました。

 外国から来た友人のために、英語に翻訳してやれて、ちょっと得意な日本人。「それじゃ、ぼくはたぬきだ、I am a racoon. すいませ~ん、ここ、たぬきひとつ」と注文。
 ちょっとだけ出来る人ほど、得意になって知っている外国語を披露したくなるものです。私のスワヒリ語吹聴のように.。

 留学生はびっくりして、日本ではレストランに入ったら、自分を動物にたとえるのが作法と思いました。
 辞書をひいて「I am a tiger. わたしはトラだ!」と、叫びました。

 阪神ファンが集まる食堂だったので、他の客にも、店主にもオオウケで、ライスは大盛りサービスになったとか。
 彼が「私は虎だ!」と叫んだおかげで阪神が優勝したのかどうかは、知りませんが、以後、彼が「私は虎だ」と注文するとライス大盛りがサービスになったそうです。

 こんな楽しい誤解なら、笑ってすませられますが、自分の母語にひきつけて、外国語を直訳的に理解しようとすると、さまざまな誤解もでてきます。
 自己紹介の「わたしはヤンです」と、食堂で注文することばの「私はうなぎです」は文の構造がちがいます。

 「私はきつねです」が「I am a fox. 」になってしまったら、文の意味がことなってしまう、ということを教えていかなければなりません。このような誤解をときほぐし、ときほぐしして、日本語を教えていくのが、私の仕事です。

 「ぼくはうなぎだ」を英語で言うなら「I'd like to order my lunch. My order is a grilled eel on the rice.」くらいの表現になるでしょうか。

 「日本語のうなぎ文」
 奥津敬一郎の「うなぎ文」の解釈。「ぼくはうなぎダ」と言う表現は「ぼくはうなぎを注文する」と、同じ意味を表現していると考えました。
 「ダ」に「~ヲ 注文スル」という表現が含まれると、解釈したのです。日本語のコピュラ(繋辞)「ダ」に「述部代替機能」がある、と論じました。くわしく知りたい方は、下の一冊を。
☆☆☆☆☆☆☆
春庭今日の一冊
奥津敬一郎『「ボクハウナギダ」の文法』くろしお出版.

 奥津と異なるもうひとつの解釈は、「ぼくはうなぎダ」という文は「僕が注文したいのはうなぎダ」という表現だ、という考え方。
「僕が注文したい食べ物は、うなぎダ」という文のうち、いわなくても分かっている「注文したい食べ物」という部分を省略した、という考え方です。ポカポカ春庭は、こちらに賛成しています。

 日本語では、言わなくてもわかることは、お互いの「語用論pragmatism=実用的実践的言語運用法」の中で解釈し合い、いちいち表現しなくてもいいのです。
 「食べた?」「うん、食べた」「じゃ、食べちゃうから待ってて」
これで、すべてわかり合えます。

 いちいち主語と述語を出して、
「あなたは、お昼ご飯をもう食べましたか。それとも、まだあなたは昼ご飯を食べていないですか」
「はい、わたしはもう昼ご飯を食べました。あなたがまだ昼ご飯を食べていないのなら、どうぞ、あなたも昼ご飯を召し上がってください。」
「それでは、失礼して、お昼ご飯を食べますから、私が昼ご飯を食べ終わるまで、すみませんが少々お待ちください」
と、いちいち言わなくてもいいんです。こんなふうに会話していたら、わずらわしいですよね。

 「する?」「うん、しよう」
 これだけで、夜の会話が成立します。便利ですね。
 「じゃ、今夜も、、、する?」「うん、しよう」

 はい、意見一致したので、いっしょに日本語の勉強をすることにしましょう。え?なにをするつもりだったの?

今日のポイント:話し手と聞き手がお互いに分かり合っていることは、省略することができる。

(2005/12/05)


1-2-2 ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語講座「日本語基礎講座」「うちの嫁は男です。これ何文?」うなぎ文(その2)

 食堂で「ぼくはウナギだ」という「うなぎ文」、これは「ぼくは医者だ」というのとはちがう構造の文でしたね。
今日の課題: 「うちの嫁は男です」と、隣の家の姑さんが言いました。
        これはいったい、何文ですか。

 春庭は、トランスジェンダー大賛成の人間ですから、この姑さんは、自分のセクシャリティに正直にパートナーを選びとった息子を自慢しているのだ、と解釈しました。嫁はゲイで「ゲイ・ブン(芸文)?」という答えを考えました。
 しかし、正解は。「孫の話なので孫文」

 孫文(ソンブン)は、もちろん、近代中国成立の立て役者ですが、ここでは、「まご・文」
 (孫文、どんな人だったか忘れちゃった方、映画『宋姉妹』『ラストエンペラー』を見ましょう。清朝滅亡の辛亥革命と人民中国誕生の中国史、また、「孫文&宋慶麗夫婦」「蒋介石&宋美麗夫婦」などのエピソードを復習してください)

 日本語は省略を多く用います。お互いに話が通じていて、言わなくてもわかることは、いちいち言いません。
 「うちの嫁が産んだのは、男の子です」を省略して、「うちの嫁は男です」と言ってしまっても、孫の誕生の話をしているという前提を、話し手聞き手両者が合意しているなら、誤解は生まれません。

 息子夫婦のおめでたを吹聴したくてたまらないお姑さん。ご近所の最近孫が生まれた人に「オタクのお孫さん、女のお子さんだったんですってね。うちの嫁は、まあ、お手柄!男の子を出産したんですよ。跡取りが生まれて、これで一安心」と、言いたくてたまりません。

 そんなとき、ゴミ出しのついでに立ち話。「あらあ、おたくのお孫さん、お嬢ちゃんだったんですって。オタクのお嫁さん、やさしそうな顔してらっしたから、女の子かなあ、っておもってたんですよ。うち?うちの嫁は男です」

 「うちの嫁が生んだ孫は、男の子です」を省略した文が、「うちの嫁は男です」になるのです。この文、実は芸文でも、孫文でもなく、日本語の「うなぎ文」と構造が同じです。
 ことばは、みかけの直訳だけでは理解できないことがあります。うなぎ文もそのひとつ。

 日本語の文の構造(シンタックス)について、うなぎ文から離れて、基本の語順をみていきましょう。

 日本語では「猫がネズミを食べる」「ネズミを猫が食べる」と、語順を変えても、助詞を変えなければ、文の意味が変わりません。

 しかし、「ネズミは猫が食べた」というつもりで「ネズミ、猫、食べた」と表現したとき、日本語の語順の順番通りに「A rat eats cats」という文にしたら、英語の意味が変わってしまいます。

 英語を習った人が、cat rat eat の三つの単語を知っていて、複数形のS,三単現のSなんてことも教わったが、語順の理論を知らなければ、「A cat eats rats.」と「A rat eas cats.」では、まったく「逆の意味」になる、ということがわかりません。英語では、主格(主語)と対象格(目的語)の語順が大切だからです。

 「Kittychan eats Mickey mouse..」だと、「あ、やっぱりキティちゃんって、ねずみが好物だったんだね。ピューロランドのキティちゃん、毎晩10匹はネズミ食っているらしいよ、あくまで噂だけど」という噂がたつ程度です。

 が、「Michey mouse eats Kittychan .」という文が打電されたら、騒動がおこります。
 普通、ネズミは猫を食べませんから、オリエンタルランドがサンリオを吸収合併か、という話の譬喩かと思われて、株価が動いてしまします。
 株主特別サービス仕様のキティちゃんグッズほしさに、サンリオの株をこずかいはたいて10株買ったあなたは、大ショック!

 このように、単語と単語の結びつきは、とても大切です。この単語の並び順、文の構造の研究を「シンタックス=構文論」といいます。

 英語には英語のことばの並べ方があり、日本語には日本語の「コトバの並べ方の規則」があります。ちがう並び順をしている言語の習得は、たいへんですよね。

 朝鮮韓国語、モンゴル語、トルコ語など、ウラルアルタイ語系の言語は、日本語と構造の基本は同じです。
 だから、モンゴル語話者や韓国語話者にとって、日本語は比較的学びやすいことばです。
 中国語話者にとって、日本語は、語順や発音は異なるけれど、漢字によって意味が推測できる点が有利です。

 しかし、インド・ヨーロッパ系の言語、英語やフランス語スペイン語の話者にとっては、語順も文字も、まったく異なる言語を学ぶことになるので、習得がむずかしい。
 あなたは、つまずいたり、ころんだりしながら英語を学んで、結局は英字新聞を読むことも、金髪ねえちゃんと会話することもできないで終わったことと思います。勝手に思ってすみませんが、まあ、春庭の英語習得と、みなさんだいたいいっしょでしょ!と推察。

 日本語学習者も、つまづいたり、まちがえたりします。いろんなまちがいをしますが、ちゃんと日本語を習得します。会話ができるようになるし、研究のための日本語文献も読めるようになります。春庭の指導よろしきを得ているからです。
 そして、春庭といっしょに日本語の復習をしていくと、あなたも立派な日本語指導者になれる。(かもしれません)

今日のポイント:日本語は日本語の論理によって文が成立し、日本語の構文によって言葉をつないでいく。「主題+説明」「(補語)+述語」などの構造がある。

ニホンとニッポン・ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語講座基礎1

2013-05-01 | 日本語
2006/02/09

ニホンなのかニッポンなのか

 a*****さんからの「日本の語源はなんでしょう」というおたずねについて。
 「日本」の語源も諸説あります。

 対外的には、聖徳太子が「日のいずる国、日の本である国」と、随に対して自国を称揚したのが最初といわれていますが、国内で「ひの国」「日のいずる国」「日のもと」などと言われ出したのがいつなのかは、わかりません。
 「自分たちの住む国が、大国中国に対して、東側に存在する」という意識をヤマトの人々が持ち出してからの呼び名であることは確かでしょう。

 それまで中国は、この大陸の東はしに位置する島国を「倭国(わこく)=ちっぽけな国」そこに住む人々を「倭人=チビ」と呼んでいたのですから、「日の本に位置する国」とは、気宇壮大な呼び名だったことがわかります。

 「日本」という国号が、文献に初出するのは701年の大宝律令において。また、国外での初出は736年の長安で亡くなった留学生「井真成」の墓誌の中。

 日ニチ+本ホン→ニチホン
 複合語の音声変化、後項ホ→ポとなり、前項は促音化 ニッポンと発音していた。
 しかし、促音の表記法が普及していなかったので、「っ」を表記せずに、仮名では「ニホン」と表記するしかなかった。
 仮名の表記法そのままに「にほん」と呼ぶ人が出てきた。

 本来はニッポンが正しい。
 しかし、現在、「日本」の読み方は、どちらでもいいことになっています。

 留学生から「ニッポンですか、ニホンですか」という質問があったときには、単独で使うときは「ニッポン」が主流、「日本語」「日本文学」など、他のことばと複合語をつくったときは、「ニホン」が主流、と答えていますが、実は一国の国号でありながら、厳密な規定はないらしいです。
 「どっちでもいい」という曖昧テキトーなところが、私は好きです。ニッポンちゃちゃちゃ
<つづく>
00:00


2006/02/11 土

ジツボン、ジッポン、ジャパン、リーベン
「言語学復習」

 「日」の発音、呉音では「ニチ」、日曜(にちよう)の日は「にち」です。漢音では「ジツ」で、平日(へいじつ)の日は「じつ」。

 井真成の墓誌が書かれた当時の唐の発音では、「ヂツボン」だった、のではないかと私は推測しています。言語学の古代中国語音声研究をきちんとやってのことではないので、古代中国語音声学を研究している人に確かめたいと思っています。
 (漢字の読み方発音のうち唐音というのは、唐の時代の発音ではなく、鎌倉室町期に中国と交易していたころの「宋」を中心とした発音です。唐の時代の音声は、漢音)

 現代中国語の発音では「日」はリーです。ヂ[di]と、リ[ri]の発音は似ている(調音点が同じ)ゆえ、日本語でも「di」と[ri]は、ときどき交替します。(英語のプディン(グ)→プリンなど)

 ヂツボン→ヂッボン→ヂャッボン→ジャポン→ジャパン(英語Japan)
 ヂツボン→ヂーボン→ヂーベン→リーベン(中国語のリーベン)




2006/02/09 木

日本の語源・源流は?

 日本語でも、「語源さがし」は、厳密な学術書から「面白語源学」「とんでも本」まで、さまざまな種類の本があります。日本語の語源本、問題点がたくさんあるので、要注意。

 一般に流布している「語源」は、「猫はネずみをとる子だからネコという」という類の「民間語源説」や、「師匠が走り回るほど忙しい年末だから師走」のような「語源俗解」が多く、古い文献をあたっても、なかなか本当の語源を調べ尽くせません。

 a*****さんからコメントをいただきました。ありがとうございます。
 「 平安時代の発音には興味が湧きます。沖縄に日本の古語が多く残っているというのも面白いです。元のひとつの言葉が民族・地域・時間を経て変わっていくのも面白いですね。「日本」の語源は、なんでしょう?北京語:リーペン、広東語:ヤップン、・・・ヤーパン、ハポン、ジャポン、ジャパンJapan・・・
ポリネシア語の意味や発音が原日本語に近いという説が興味深いです。
投稿者:a****** (2006 1/28 1:15) 」

 「沖縄方言には、日本語の古語が残っている」というa*****さんのご指摘はその通りです。が、他の方言にも、古語の語彙や発音文法が残っています。

 ことばのファミリー論(言語系統)の中で、日本語に関して確実にわかっていることは、「アイヌ語は日本語とは異なる言語である」「琉球語(沖縄方言)は、日本語と同系統の言語である」ということくらい。沖縄方言を「完全な日本語の一方言」と言ってしまってよいかどうかは、また別問題。

 琉球語首里方言「u音」は、ほぼ規則的に東京方言の「o音」と対応し変化しています。このように、ほとんどの語が規則的な音韻変化をする関係にある言語を「同じ系統の語」とみなすのです。

 「身体部位の語など基礎語に、南方系のオーストロネシア語族(ポリネシア語など)との共通点がある。」
 「アジア北方系言語(アルタイ語系)と、共通する文法がある」
などこれまでの研究によってわかったことは、ごくわずかなてがかりであり、言語学的に定説となるような決定的な「日本語の系統」論はまだありません。

 「日本語の源流は○○である」「○○語と日本語は祖先が同じ」という説を見かけたら、とりあえず言語学的には「マユツバ」説だとおもってください。
 日本語は、言語学的にはファミリーに所属していない孤児なのです。

 去年、国立科学博物館で開催された「縄文vs弥生」展を見にいきました。
 このことについては、カフェ日記「いろいろあらーな」2005/08/26、27、28に書きましたので、ご参照ください。
 縄文人、弥生人、周辺民族との関係について、出土人骨のDNA研究などで、知見が増えました。

 しかし、言語については、文献資料が残された時代についてはわかることも多いのですが、縄文語復元などは、言語学的な所見に基づいているとはいえ、あくまでも推測復元なのです。
 古代のことば、周辺民族の言語のうち、文献資料が豊富に残っているのは、中国語だけです。中国語は日本語とはまったく系統の異なる言語です。


「お」と「ご」丁寧語美化語・ぽかぽか春庭ニッポニアニッポンゴ講座待遇表現

2013-04-30 | 日本語
ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「お」と「ご」
2005/02/16(水)
ニッポニアニッポン語>「お」と「ご」①

 レストランなどでアルバイトをしている留学生からよく質問されるのが、名詞をていねいに言うときの「お」と「ご」。
 名詞の美化語(ていねい語)に「お」をつけるか「ご」をつけるか、つけないか、の使い分けについて。

 「おふたり様、お二階へご案内!」はよくて、「お五人様、お三階へご案内」と言ってはダメ、の理由は何ですか、と留学生は疑問に思う。
 「一番テーブル、おちょうし二本、おビール一本」のときは文句言わなかったのに、「食後の、おコーヒーお持ちしましょうか」とたずねると「オネーサン、コーヒーに『お』つけちゃダメだよ」とさんざん「正しい日本語」について客から説教され、留学生は「いっしょうけんめい日本語勉強しようと思っているけど、タイヘンです」と、しょげている。

 原則:和語(本来のやまとことば)には「お」漢語・漢字熟語には「ご」をつける。
 ただし、慣用化している熟語には「お」でもよい。「お電話」「お誕生日」「お礼状」「お食事」など。(原則総覧は、明日掲載)
 外来語には原則として「お」をつけない。

 「お」と「ご」が、両方使われている語(ゆれている語)「ご相伴/お相伴」「ご入り用/お入り用」「ご返事/お返事」は、主として話し言葉では「お」書き言葉では「ご」が多い。「ご葬儀/お葬儀」「ご立派/お立派」は、現在ではまだ「ご」が多いが、「お」を使う人が増えつつある。

 ジュース、ビールなどに「お」をつけることについて、『問題な日本語』の北原保雄は
  「まだ一般化していない。使いすぎると品位を失う」
と書いている。
 そうは言っても、現実社会の飲食業界では「おビール」は一般的。「お醤油」に対する「おソース」もよく聞く。

 私の見解。「お」の優勢は一般化していく。熟語であっても外来語であっても「お」をつけておけば「ソッコーていねい語へんし~ん」と感じる若者が増えていく限り、「お」が優勢になる傾向は止まらないだろう。

 漢字熟語でも、「お記入ください」「お注文は?」「お連絡まっています」などへ移り変わっていくことが予想される。
 漢語の丁寧語は「ゴ」とする、というのを確認したとして、「お電話」「お食事」と言っているものを、いまさら「ゴ電話」「ゴ食事」と「正しい言い方」に言い換える人がいないのなら、「お注文」「お心配」が増えても文句は言えない。 

 また、耳になじみ外来語意識がなくなった語を用いて、丁寧な言葉遣いをしたいという意識が生まれたとき、「おボタン、はずれていますよ」「おジュースいかが」「おメニューどうぞ」「おメールありがとう」、となっていく。

 「おメール、だなんて、耳障りな」と、感じる方もいるに違いない。
 でも「♪待っててね、まっててね、おリボンつけて来るからね」という童謡は耳になじんだ。「りぼん」は外来語だが、日本語的発音になって外来語意識も薄れ、ひらがな表記も多く見られる。
 客から「おトイレお借りしたいのですが」と申し込まれて、「トイレは元々、外来語のトイレットじゃないか、外来語に『お』をつけるなんて、非常識な」と感じないのだったら、「おメニューあります?」とレストランで耳にしているうちになれるだろう。

 今日、雨の中歩いていると、「壊れた家電製品ひきとります。テレビは映らなくてもけっこうです。ラジカセCDコンポ鳴らなくてもけっこうです。毎度お利用ありがとうございます」と、車のスピーカーから流れてきた。
 「お利用」、私の耳にはまだ慣れていないので、えっと思ったが、リサイクル引き取り車は雨の中「毎度お利用ありがとう」を繰り返しながらゆっくりと走って去った。<続く>
14:39 |

ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「お」と「ご」②
2005/02/17(木)
「ニッポニアニッポン語>「お」と「ご」②

v*********さんのコメントから
『ご』は濁音ですから語感の響きが強すぎるのもあるでしょうね。(*^_^*)
『お』の方がやわらかく響きますから受け入れやすいでしょうね。投稿者:v********* (2005 2/17 0:35)

と、v*********さんのコメントにもあるように、「ご」は固い語感、「お」をつけたほうが、やわらかく響く。
 日常語彙としてふだんの生活に使われるようになると、お食事、お洋服のように、漢語でも「お」をつけるようになり、固い語感がやわらぐ。

 「ご」をつけた漢語は公的な場での発言で多く使われ、「お」は、室町時代の宮中の女房ことばに代表されるように、女性が丁寧な言葉遣いをしたい場合に多用された。
 女性が「お」を多用するのは、この女房ことばあたりから。平安時代には「女性語」「女性特有の表現」は少ない。

a*****さんのコメントから
 「お受験」なんて使うので、妙に内容まで捻じ曲がってる様な気がします。女性は、何でも「お」をつけたがる、のは昔から? 投稿者:a***** (2005 2/17 0:20)

 接頭辞「お」や接尾辞「もじ」をつける「女房ことば」の流れで、女性に関わる語や女性による発話が多い語には「お」がつきやすい。

 打楽器の太鼓、最近は女性の打ち手も増えたが、従来は男性が打ち手になることが多かった。太鼓に関して、「おたいこを打つ」などと言う人は少ない。
 「お太鼓」というと、「太鼓の形の帯び結び」の「お太鼓帯」の略になる。食べ物や衣服に関して「お」がつきやすく、後半を省略するのが女性語の特徴のひとつ。太鼓帯→おたいこ、握り飯→おにぎり、など。

 「お受験」は、「受験」とは異なる用い方のことば。
 司法試験の受験とか、一般の大学受験などでは、受験に「お」はつけない。今のところ、「名門校と世間がいう私立幼稚園や小学校」の受験に際して使われている。

 「寿司のにぎり」と「おにぎり」、もとは同じ握り飯であったのに、現代社会では、寿司屋で「おにぎり一人前」と言うと、「うちは握り飯だしてないよ。にぎりかちらしだけ」と言われてしまう。「にぎり」と「おにぎり」が意味内容を異にする語であるのと同じく、「受験」と「お受験」は、意味内容がちがっていると考えられる。

 「リサイクルカー」から流れる「お利用ありがとう」を聞いて、「ご利用」よりやわらかく言いたい意識があったのかなあと思う。
私としては「お」と「ご」も時代の流れにまかせていてよいと思っている。

 国語審議会や国語研究所が「国語の乱れを正すため、オをつける語とゴをつける語を審議して定める」と乗り出してくるかも知れない。

 でも、私は「ゴとオ」でも「外来語の言い換え」でも「敬語の使い方」でも、お上に決めてもらわずにすませたいのだが。
 (お上による漢字使用制限である常用漢字表の見直しがはじまるらしい。ネットでの活字の制限はもはや有名無実だから)



原則総覧:丁寧・美化の接頭辞「お」と「ご」
1 
1-①もともとは丁寧の接頭辞「お」「ご」を付け加えた語として成立したが、今は全体でひとつの語になっていて、切り離すことはできない単語がある。
 例)ごはん、おかず、おなか、おかげ(様)、おまけ、おやつ、おふくろ、おにぎり、ごちそう(御馳走)

1-②接頭辞と切り離すことができるが、日常使用語彙としては、「お」「ご」をつけずに言うことは少ない語。
 例)お湯、お茶、お宅(相手の家や人を指す場合)、お盆(物を載せる道具)、おすそわけ、など
 
2 
2-①「話題にしている人や聞き手に関わる物、行為、状態」に対して、話し手が敬意をしめして、丁寧にいう。
2-②話し手や話し手の関係者の物、行為、状態が、聞き手や話題になっている目上の人(敬意を表わすべき人)に向けられている場合、丁寧にいう。
 原則として、和語には「お」漢語には「ご」をつける。

「お」の例)お便り、お話、お心、お力、お力添え、お住まい、お時間、お買物、お帰り、お楽しみ、おきれい、お若い、お一人様、お勘定、お礼、お祝い、お知らせ、おたずね、おさわがせ、おたわむれ、おふざけ、おん社(御社)
「ご」の例)ご家族、ご心配、ご意見、ご住所、ご職業、ご招待、ご理解、ご協力、ご質問、ご希望、ご到着、ご利用、ご着席、ご都合、ご伝言、ご来店、ご丁寧、ご無事、など

2-③ 2-②の接頭辞「ご」は、しだいに「お」に変わる可能性がある。「お住所、承ります」「どうぞ、お着席ください」「おつごう、よろしいでしょうか」など。


3-①話題にしている人や聞き手へ直接の敬意を向けない場合でも、話し手がていねいなことば遣いをしたいと意識するとき、ほとんどの語に「お」「ご」をつけて言うことができる。原則として和語には「お」漢語には「ご」
例)お水、お金、お酒、お皿、お鍋、お粉、お花、おネギ、お茄子、お部屋、お机、お車、お宝、お使い、おぐし(御髪)、ご本、など

3-②日常語として漢語意識がなくなっている語は、漢字熟語でも「お」になる。
例)お経、お食事、お洋服、お電話、お写真、お財布、お野菜、お蜜柑、お紅茶、お砂糖、お弁当、お赤飯、お約束、お勉強、お掃除、お洗濯、お役所、お教室、お玄関、など
<つづく>
11:44 |


ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「お」と「ご」③
2005/02/18(金)
「ニッポニアニッポン語>「お」と「ご」原則③

4 日常語として外来語意識が少なくなっている語に、「お」をつける。人により、許容範囲がことなる。
 おトイレ、おビール、おジュース、おソース、おリボン、など

5 敬意の劣化
 丁寧にするために「お」や「ご」をつけたのに、長い間に敬意が薄れてしまったと思われるとき、よりいっそうの「美化の接辞」を付け足していく語もある。
例) 付け→お付け→みお付け→おみお付け、足→み足→おみ足、 馳走→ごちそう→おごちそう(おごっつぉう)

6 丁寧意識を持って話すときでも、「お」や「ご」をつけることになじまない語もある。(*=そういう言い方をしない)

6-① 丁寧意識をもって発話する場合も「お」「ご」をつけない日常生活上の使用語彙。
例)*お紙、*お箱、*お帯、*おハサミ、*おホウキ、*おあかり、*お盥(たらい)、*お畳、*お床の間、など。、

6-② 自然現象、動植物など
例)*お雨、*お雪、*お雷、*お虹、*お蛇、*お猫、*お鳥、*お卵、*お紅葉、*お桜、*お苺、*お西瓜、*お牛蒡(ごぼう)*おほうれん草、*おトウモロコシ
例外)お日さま、お月さま、お星さま、お狐さま、お犬さま、お猿さん、お蚕さま、など、かって神仏などに関わると意識されていた語、大事なものに敬意や親しみをこめて呼ぶとき

6-③ 公共物、人工物など
例)*御駅、*御会議室、*御地図、*御絵本、*御腕時計、*御自動車、*御炊飯器、など。

6-④ 日常生活になじんだ外来語でも、4音節以上の長い語は、「お」「ご」をつけにくい。また、(6)の③にある人工物に「お」がつかないのと同じく、日常語としてなじんだ3音節の語でも、人工物には「お」がつかない。*おミシン、*おラジオ、*おテレビなど。

7 音節数と「お」
7-① 日本語は、4音節が安定して発音しやすい。日常会話で2音節3音節の語は、安定した発音にするために「お」がつきやすい。
 「つまみ」は「おつまみ」になるが、元々4音節の複合語「突き出し」は「*おつきだし」にはなりにくい。「さしみ」は「おさしみ」になるが。「かまぼこ」は「*おかまぼこ」とならない。

7-② 複合語や多音節(4音節以上)の語に「お」をつけると、後半を省略することが多い。おにぎり、おかきなど、後半を省略した語、最初は女性語として広まったものが一般化した。
例)お太鼓帯→おたいこ、じゃがいも→おじゃが、さつまいも→おさつ、田楽(でんがく)→おでん、いたずら→おいた、かき餅→おかき、握り飯→おにぎり、冷や水→おひや、など

 省略できない語や複合語には、「お」はつきにくい。
例)*お手袋、*お靴下、*おこうもり傘、など

7-③ 複合語の中でも、「お」「ご」をつけられる語と、つけられない語がある。
 「お飲み物」は言えるが、「お食べ物」は一般には使われていない。
 「飲み物」が指し示す種類の範囲が限定された中から選ぶ場合に「お飲み物はいかがですか」と言えるが、「食べ物」の種類を限定して示す用法がなく「*お食べ物、何がお好きですか」は、言えない。「お召し上がり物」になると、言う人もいる。
 「お読み物」「「お探し物」OK。
<つづく>
07:11 |

ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「お」と「ご」④
2005/02/19(土)
「ニッポニアニッポン語>「お」と「ご」④
 
8 女性語と「お」
8-① 子どもの遊び
 衣食に関する語のほか、子どもの遊びに関する語も、女性の話題の中に多かった。お手玉、おはじき、など女の子の遊びには「お」をつけることが多い。「おはじき」などは、「お」を分離できない単語になっていて、「お」を取った「はじき」は、俗語でピストルなどの意味になる。

 幼稚園保育園の先生は、お歌、お絵かき、おすべり台、お砂場、お遊戯、お道具箱、と「お」をつけることが多い。子ども向けにやわらかい語感を伝えたい意識がはたらくせいだろう。
 保育園幼稚園の先生の発話の中で、3音節の語なのに「お」がつかないのは、積み木→*おつみき、ぐらいだろうか。

 子どもの遊び関連語でも、4音節以上の語は、「お」がつきにくい。
 *オぶらんこ、*オすごろく、オかけっこ、*オけん玉、*オなわとび、*オかくれんぼ、*オおにごっこ、オかみしばい、など。

8-② 女学生ことば
 かっての「女学生ことば」も「お」が好まれた。
 「我が校の女子生徒にとって『おめだい』をいただくことが何よりの喜びだった」という発話で、はて「おめだい」とは何のことだろう、「おめでたい」の略か、としばらくわからなかった。
 私のボギャブラリーにはなかった語だが、ミッション系の学校や幼稚園に通った人にとっては、なじみの語らしい。

 「おめだい」は「めだいよん」に「お」をつけた省略語とわかった。金メダル銀メダルのメダルより大きい形の大メダルを「メダリヨンmedallion」といい、実際の発音ではメダイヨンに聞こえる。このメダイヨンに「お」がつき、後半を省略するという女性語の特徴で「おめだい」となった。

9-① 外来語・衣食関連の語
 女性が関わる服飾関連語、料理や食事に関する語は、丁寧接辞がつく可能性が高い。また、販売、飲食などの接客業では、お客様に対しより丁寧な言葉遣いをしたいという意識から「お」を付ける頻度が高い。「オ+外来語」も現在以上に広がるだろう。
 現在の時点で使用されている語。おソース、おビール、おジュース、おコーヒー、など
 将来は「お」がついていくと予想される語。おミルク、おメニュー、おレシピ、など。
 服飾では、ブラジャー→おブラ、おサイズ、おボタン、おカフス、おレース、など。

 グーグルから拾った「おサイズ」の用例:「あなたのおサイズに合わせてお作りします」「こちらはインポートですので日本サイズと違います。おサイズをよくお確かめ下さい」など。

9-② ポルトガル語から日本語へ入ってきて400年以上たち、外来語意識はとうに消えた「天麩羅てんぷら」は、4音節であるので、「おてんぷら」にならない。同じころポルトガル語から入った3音節の「煙草タバコ」は、接客業などでは「おタバコ」と言う。
 パンは外来語意識が消えず、「おパン」にならない。(宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』の中で、母鼠が「おパン」と言っている例があるが、ねずみが緊張して間違った丁寧語を発していることを表現した賢治らしいユーモア)
 「ごはん」からの過剰適用で「ごぱん」と言う幼児がいるので、「ごぱん」が広まるかどうか。「あさごぱん食べたよ」などと、小さな子が言うのはほほえましいのだが。

10 数詞のことばと「お」
 おひとつ、おふたつはよく使われるが、おみっつ以上はあまり使われない。
 4音節の「ここのつ」が日常会話で「おここのつ」と使われる用例を見たことがない。時刻の「八つ」に「お」がついて間食の意味になった「おやつ」を食べる時間がずれたことを冗談で「おここのつ」を食べた、と表現した文章を見たくらい。

 一人→おひとり、二人→おふたり。だが、みたり以上は使われることが少ないので、「おみたり」「およたり」も使われない。
 「三人」以上は「お三方」「お四方」など、「方」には「お」がつき、「人」にはつかない。*お三名様、*お五人様など。

 3音節の語、二階→お二階、しかし五階→*お五階。
 従来の日本の一般家屋では二階までがほとんどで、「二階」はなじみの語として「おにかい」と言うが、三階以上はこれまで日常使用語彙ではなかったから、という説明で、留学生に納得してもらうしかなく、ほかに適切な説明があったら、教えてもらいたい。

11 個人差地方差
 外来語に「お」つけることは、原則ではしないことになっているが、接客上丁寧な言い方を求められる場では「おソース」と聞くことが多い。しかし、家庭の食卓で「ソースとって」と言うか「おソースこっちにまわして」と言っているかなどについては、個人差があるだろう。

 また、和語や漢語を丁寧に言う場合も、地方によって個人によって差がある。私の育った家でも、学校の友達との会話でも、髪のことを「おかみ」と言っていた。「おかみを櫛でとかす」「今日のお髪、三つ編みがかわいいね」などと会話して、それが普通だと思っていた。
 東京に来て、この言い方を方言だと笑われた。「髪に『お』をつけるのはまちがっている。『お』をつけるなら『おぐし』という」と注意された。

 標準的な言い方では家庭内の照明に対し「玄関のおあかり消して」という表現を、日常生活やテレビドラマの中などで聞くことはなかったし、『楽しいひな祭り』の歌でも「明かりをつけましょぼんぼりに」だが、神仏の前にともす場合は「仏壇のお明かり」と言う。(a******さんのコメントでもこの点への指摘をいただいた)

 畳も、ある家では「お畳のへりをふまないで」と言うだろうし、江戸時代には「お畳奉行」という役職もあった。畳に「お」をつけないというのも、あくまで、標準的な会話にでるかどうかという程度で判断し、全国的な使用頻度をチェックをしたものではない。

 鋏についても、華道の教室などでは「お鋏」という例があるし、大相撲の断髪式で「お鋏をちょうだいする」という言い方がある。このあたりから、一般化して日常会話でも「ちょっと、この封筒あけるから、おハサミ貸して」と、事務所で言うように広まっていくのかもしれない。

 以上、「お」と「ご」をつける場合の原則を並べてみた。1~5に書いたことは、日本語学の本、語彙論の本に載っている原則に基づき、私が拾った用例をあてはめながらまとめたもの。
 2-③の「お」が「ご」に変わっていくだろうという部分と、6~11に書いたことは、筆者の覚え書きであるので、これから検証していかなければならない。

 昔は、全国的な言語使用調査は、大がかりで費用も時間もかかった。言語学者が地方のインフォーマント(調査対象者)に一語一語聞き取り調査などをして、まとめていった。
 松本修著『全国アホ・バカ分布考』は、テレビというメディアを利用した言語分布調査で、ケンカしたとき「アホ」というか「バカ」というかの全国的な分布をまとめている。日本方言学会でも認められ、メディアを利用した画期的な調査だった。

 「お」と「ご」の用い方、どの語につけてどの語にはつけない、という調査も、テレビやインターネットを利用して全国的な調査ができるのではないかと思う。どなたか、やってみてほしい。<「お」と「ご」終わり>
11:33 |




女の顔は請求書 丁寧語の「お」と「ご」
2005/12/15 木

 「よろずメール相談顛末・日本語相談受け付け中」という足跡を付けて回っていたのですが、質問はめったに来ません。
 それもそのはず、この「学生からのメール」シリーズ冒頭に「私は、日本語と日本語教授法を教えて、日々の糧を得ております。授業料を払っている人を対象として教えているので、現在ネット上のボランティア授業は行っておりません」と宣言してしまっていたのでした。
 今さら「ちゃんと授業料払ってくれるなら、応相談」と、書くのも顰蹙ものですね。

 プロフィール欄に書いてあるように、「無料、タダ、ご招待」という言葉が大好きで、「濡れ手で粟(濡れ手に粟)」「棚からぼた餅」「果報は寝て待て」「人の褌で相撲をとる」などなどを家訓にして生きておりますので、どうにも、「せこくてケチでしみったれ」が、身に付いております。

 で、ちゃんと授業料払う気のありそうな方には、ちゃんと「応相談」しております。
 「10年くらいたったら居酒屋ご招待、焼き鳥3本、もつ煮込みをごちそうします」という授業料契約にて「日本語のひらがな」について、t******さんにお答えしました。
 「漢字表記のつかいわけ」について、k*****さんの質問にも返信。こちらは、授業料請求は、これからです。「春庭が、ご当地を訪問したさいは、釣りたての魚をサシミにしてご馳走してください」と、「御請求申し上げます」

 「請求書」「御請求書」「見積書」「御見積書」の違いについて、a****さんからの質問にこれからお答えしますので、「春庭が、ご当地を訪問したさいは、九州うまいもんをごちそうしてください」と、「御請求申し上げます」

 名詞を「丁寧、美化」する接頭辞、「お」「御」について、2005年初頭に、春庭ニッポニアニッポン語シリーズとして連載しました。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nipponia0502c.htm
に、過去ログがありますので、ごらんください。

 a*****さんからは、「あかり」に「お」がつく場合などについての、ご指摘をいただきました。

 掲示板にいただいた今回のご相談。「請求書と御見積書」a*****
「 以前から時々思っていたのですが、今日、会社の請求書をPCで作っていて、どうも気になって仕方がありませんので、春さんのお考えを聞かせてください。

現在の所、見積りでは、表題は「見積書」と「御見積書」が並存していて、「御見積書」が多数だと思います。そして、文は、「下記の通り御見積り申し上げます」となっています。
 一方、請求書では、御請求書などは見たことがありませんが、多くは「御請求申し上げます」になっていることに気がつきました。他所からの請求書だけでなく、当方の複写式請求書もそのように印刷されています。

慣用的に、こうなっているのでしょうか。丁寧語というよりは、自分の行為に対する事だと思うので、「見積書」「請求申し上げます」でよいと思うのですが、いかがでしょうか。2005-12-14 01:54:45  」

 本文では「御見積り(おみつもり/おんみつもり)申し上げます」「御請求(ごせいきゅう)申し上げます」と、どちらにも「御」がつくが、表題では「見積書」は「御見積書」と並存。しかし、請求書には「御請求書」がない。これはなぜか、というご質問。

 まず、「御」「お」の原則。自分の行為であっても、相手に関わっている場合には、関わる相手への敬意を表わすために、美化、丁寧化されることが多い。
 たとえば、自分が書いた手紙であっても、相手に差し出すものだから、「お手紙にて、失礼いたします」などと、「お」をつける。

 公式文書などで、「お」をつけたくない場合、「書面にて回答させていただく旨、ご了承下さい」など、「てがみ」という和語ではなく、丁寧化しにくい「書面」などと固い言葉をつかいたがる。和語に「お」をつけないと、丁寧さがうすれる気がするからである。

 「請求」や「見積もり」の場合も、自分が見積もりを出したり、請求したりするのだが、相手のために見積もったり、相手に請求するのだから、相手との関わり上、丁寧に言おうとする。
 本文では、「御見積り申しあげます」「御請求申し上げます」になる。

 表題の差は、漢語か和語かの違いによるのだろうと思う。「みつもり」は「見る」と「つもる」が合わさった「見積もる」という複合動詞が名詞化したもの。和語意識が残っている。一方、請求は漢字熟語である。

 「みつもり」は、和語由来なので、「おみつもり」にして抵抗がなく、「おみつもり書」と、複合名詞にして書くことに違和感がない。

 漢字熟語のなかで、「する」をつけて動詞として用いられる場合を「する動詞」という。「掃除→おそうじする」「洗濯→おせんたくする」「食事→おしょくじする」などのように、日常生活でよくつかわれ、特に女性語として用いられる場合は、「お」をつけて丁寧化される。「お電話する」「お裁縫する」など。

 漢語意識が残っている場合は、丁寧化は「御(ご)」をつける。「ご家族」「ご無事」「ご住所」「ご職業」など「する」をつけられない名詞のみの語と、「する」をつけて、「動詞」としても使われる語がある。
 相手が動作をする場合「ご心配なさる」「ご質問なさる」「ご希望なさる」「ご来店なさる」など。
 その行為が自分へむけられているときは、「ご来店くださる」「ごらいてんいただく」

 自分がした動作が相手に向けられている場合「ご招待する」「ご伝言する」
 さらに丁寧にいおうとすると、近頃増殖著しい「させていただく」を使う。「ご協力させていただく」など。
 「請求」も、「つぎの通り請求します」より、「つぎの通りご請求申し上げます」のほうが、「より丁寧に表現しよう」とするビジネス社会では好まれる。

 動作を含む漢字熟語を名詞として使い、複合名詞を作る場合、「質問欄にご記入ください」「ご質問欄にご記入下さい」「利用者名は、下の欄にお書き下さい」「ご利用者名は、下の欄にお書きください」どちらが、しっくりくるか、人によって受け止め方がことなり、丁寧の「ご」をつけるかつけないか、厳密に決まっているわけではない。
 私自身の感覚では、自分が利用する場合「ご利用者名」などと、言ってもらわなくても、名前くらい書き込むつもりなのだが、客商売などでは、より過剰に丁寧な方向へむかう。

 表題を「請求書」とするか、「御請求書」とするか。グーグル検索では、請求書が2220000 件、御請求書358000件。
 現在のところ、「御請求書」が少数派といっても、こののち、「御請求書」のほうが多数派になっていくであろうことは、推察できる。
 丁寧さの意識は、どの語であっても使うにつれ磨り減ってしまうから、より過剰に丁寧な方向へ向かう。
 
 和語系の「御見積書」に比べ、「御請求書」が、今のところ少数派であるとしても、これから増えていくのではないかと思います。

 以上の解説に対し、「春庭への九州うまいもん、大盤振る舞い」を、ご請求申し上げます。


 「女の顔は請求書」だそうですが、どうも春庭のご面相では、「うまいもん」請求も「だんご汁」一杯か「とんこつラーメン」くらいなところでしょう。せめて、とんこつラーメンは大盛りに願います。<つづく>
00:03 |
2005/12/18
日本語相談(3)>丁寧な言い方つづき

 単語を丁寧化、美化する接頭辞「御」と「お」について、の続編。
f*******さんからのおたずねです。
「 横からお邪魔します。今日仕事で、「ご迷惑をおかけします」。。。と言ってから、「ご迷惑」の「ご」に固まりました。
 相手への敬意を表すといっても、自分がかけた迷惑を美化していいものでしょうか。。。
あ、この1行目、「お邪魔」の「お」もですよね。。。
なんかむしかえしちゃったようで、「お手数」おかけします。。。
2005-12-15 23:44:4

 丁寧さをどう表現するか、言葉の美化について。
 個人の好みという面もありますが、ビジネス社会などでは、よりいっそうの丁寧さを表現したい、という傾向があります。
「迷惑」は、自分の行為ですが、相手に関わったことなので、「ご迷惑」と丁寧表現で言っておく、というところで、いいんじゃないでしょうかね。  
 
 友だちの家から帰るとき「どうも、じゃましたね」というのも、「あらぁ、こんな時間まで、おじゃまさまでした」というのも、個人の自由。
 でも、商取引などで、取引先を辞すときは、「本日は、私どものためにお時間いただき、まことにありがとうございました。どうも長い時間、おじゃまさせていただきまして、申しわけございません。どうぞ、今後とも、よしなにおつきあい願います」など、「じゃましたね」ひとつ言うにも、表現が長々しくなる傾向。

 この先の日本語表現、どのように変わっていくのでしょうね。
若い人たち全員が「敬語も丁寧表現も、メンドイ」と考えれば、丁寧表現も簡略化されていくでしょう。

 日本は今「階層化社会」に向かっているといわれています。若年世代が、正社員高年収層と非正社員低年収層にはっきり別れていくだろう、という予測です。
 社内教育などで、敬語やビジネス用語いいまわしを教育される層と、そうでない層は、言葉遣いでも差が広がることが予想されます。

 仕事の遅延を指摘されたとき、クレーマーに向かって「だからあ、この仕事、何分でやれって言われたわけじゃないしぃ、っつーか、べつに、やる必要ないじゃんか。なんで、こっちがおこられなきゃなんないわけ?」と言う層と、「まことに申し訳ございません。遅れた原因につきましては当方にて鋭意調査いたしまして、のちほど、ご連絡申し上げますので」と、とりあえず言っておくように、社内教育を受ける層と、別れていくのかもしれません。

 階層差固定が3世代以上続くと、イギリスの「クイーンズイングリッシュ」と「コックニー」のように、同じロンドンに住んでいながら、発音や表現が違ってくるということにもなっていきます。社会言語の中で、地方差による方言ではなく、階層差による方言が固定してくる。
 「マイ・フェア・レディ」は、下町なまりのコックニーと上流社会口語表現の違いの一面を見せています。

 下層も中流も今のところ言葉に差がない現在、「相手に関わる表現には、とりあえず、御とおをつけておけ」というのが、仕事上では無難なやり方なのでしょう。

ビルゼンマリアとカピタン・ぽかぽか春庭ニッポニアニッポンゴ講座語彙表記編

2013-04-30 | 日本語
ビルゼンマリア

2008/05/25
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>カタカナ外来語覚え直し(2)ビルゼンマリア

 江戸幕府は長崎出島に海外貿易を集中し、貿易利益を独占した。これは、江戸幕府の経済政策としては、江戸政権の長期化をもたらす効果のあるものだった。
 従来は「鎖国」と見なされていた施策であるが、近年では、「国を閉ざしたのではなく、海外利益の独占化」と解釈される見方が、小中学校歴史教科書などにも反映されるようになってきた。

 さらに、江戸幕府は、海外と日本との交渉窓口を一本化するために、切支丹勢力を弾圧した。
 切支丹が海外のキリスト教勢力と結びつきをもとうとするのは、必然だからだ。

 信者は隠れ切支丹として長崎島原を中心に信仰を守り続けた。
祈祷書は「オラショ」と呼ばれて密かに暗唱され、マリア像は「観音像」を模して作られた。

 私は、長い間「ビルゼンマリア毘留善麻利耶 」を「マグダラのマリア」と同じような意味だと思って聞いていた。聖母マリアとマグダラのマリアは別人である。ビルゼンマリアも聖母マリアとはまた別のマリアさんなのかと思いこんでいたのだ。

 「聖母マリア」の「清く正しい」イメージに比べ、「マグダラのマリア」には「改心した聖娼婦」という、負から正への上昇反転が感じられる。
 一方「ビルゼンマリア」には、どこか「隠しておくべき秘密のにおい」がするのだった。

 「あわれ気高きビルゼンマリア」とか「清けし汚れなきマリア」というようなマリアをたたえる詩の一節だかオラショだかが、ときどきぽっと心のなかに浮かぶ。

 でも、ビルゼンの意味について考えたことがなかった。
 ビルゼンマリアの「ビルゼン」を枕詞のようなもんだと思っていたが、突然、ビルゼンの意味がわかった。

 「ビルゼン」が英語のvirginにあたるって気づいたのは、「マリアとエリザベスと春庭の共通点」について書いていたとき。
 処女懐胎のマリア=ビルゼンマリア、処女女王エリザベス一世=ビルゼンエリザベス。
 そうか、「ビルゼン」は「バージン」と同じかあ。
===============

「どちりなきりしたん」より
でうすに對し奉りてのみおらしよを申べきや
其儀にあらず我等が御とりあはせ手にて御座(おはし)ます
諸のへあと中にも惡人の爲になかだちとなり玉ふ
御母びるぜんさんたまりあにもおらしよを申也
びるぜんさんたまりあに申上奉るさだまりたるおらしよありや

「さるべ-れじいな」より
深き御柔軟、深き御哀憐、すぐれて甘く御座(おはし)ます びるぜん-まりあかな。
貴(たっと)きでうすの御母(おんはわ)きりしととの御(おn)約束を受け奉る身となる為に、頼み給へ。あめん。
============

 「びるぜんまりあ」ということばの響きは、私にとって、どこか異国的な、そしてある種の禁忌を感じさせる言葉だった。
 「処女マリア」「聖母マリア」というときにいは感じない、「ひそやかに隠しもつことば」「表にはだせない尊いもの」という響きを聞き取っていたのだった。

<つづく>



黒船の加比丹

2008/05/26
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>カタカナ外来語覚え直し(3)黒船の加比丹

 北原白秋の『邪宗門秘曲』には、くらくらするような幻惑蠱惑的な言葉が並ぶ。
 「紅毛の加比丹」や「腐れたる石の油に画くてふ麻利耶の像」、、、、
 この白秋の詩にも、「はっきり口に出して朗読してはいけないような」禁忌の熱いことばの響きを聞いたのだった。

 最後の行の「血の磔(はりき)脊に死すとも 惜しからじ 願ふは極秘 かの奇(く)しき紅(くれなゐ)の夢」というあたりには、伊藤晴雨の責め絵のような、趣がある。

 あんじゃべいいる、あらきちんた、くるす、はらいそ、えれき、びろうど、など、現代では使われなくなった外来語を、用いることによって、官能的耽美的な世界を表現している。
 外来語をもっとも効果的に使った詩であると思う。
=====================
「邪宗門秘曲」北原白秋
われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法
黒船の加比丹を 紅毛の不可思議国を 
色赤きびいどろを 匂鋭きあんじやべいいる 
南蛮の浅留縞(さんとめじま)を はた阿刺吉珍[酉它](あらきちんた)の酒を 
目見(まみ)青きドミニカびとは 陀羅尼誦(だらにず)し 夢にも語る  
禁制の宗門神を あるはまた 血に染む聖磔(くるす)
芥子粒を林檎のごとく見すといふの欺罔(けれん)の器 
派羅葦僧(はらいそ)の空をも覗く 伸び縮む奇なる眼鏡を
屋(いへ)はまた石もて造り 大理石(なめいし)の白き血潮は 
ぎやまんの壺に盛られて夜となれば火点(とも)るといふ
かの美(は)しき越歴機(えれき)の夢は 天鵝絨(びろうど)の薫(くゆり)にまじり
珍らなる月の世界の 鳥獣映像すと聞けり。
あるは聞く 化粧の料(けはいのしろ)は毒草の花よりしぼり 
腐れたる石の油に画(ゑが)くてふ麻利耶の像よ
はた羅甸(らてん)波爾杜瓦爾(ぽるとがる)らの横つづり青なる仮名は
美しき さいへ悲しき歓楽の音にかも満つる 
いざさらばわれらに賜へ 幻惑の伴天連尊者 
百年を刹那(せつな)に縮め、血の磔(はりき)脊に死すとも 
惜しからじ 願ふは極秘 かの奇(く)しき紅(くれなゐ)の夢
善主麿(ぜんすまろ) 今日を祈(いのり)に身も霊も薫(くゆ)りこがるる
========
でうす=天主
びいどろ=ガラス
あんじゃべいいる=カーネーション
さんとめじま=インドのサントメ地方産出の布
あらき=蒸留酒
ちんた=赤葡萄酒
だらに=祈祷文
くるす=十字架
けれんの器=顕微鏡
伸び縮む奇なる眼鏡=望遠鏡
はらいそ=天国
大理石の白き血潮=石油
ぎやまん=ガラス
えれき=電気
腐れたる石の油=油絵の具
ばてれん=神父
ぜんすまろ=イエスキリスト

<つづく>




キャプテンとカピタン

2008/05/27
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>覚え直しのカタカナ外来語(4)キャプテンとカピタン

 第二次世界大戦は1945年に終結。
 しかし、ドイツのヒットラーやイタリアのムッソリーニが敗北したのちも、スペインのファシスト独裁者フランコ総統は、1975年に83歳で没するまで独裁を保った。
 人々は国際旅団を結成してフランコ軍と戦い、また山中のゲリラ活動でフランコに抵抗した。

 スペイン内戦は、ロルカの詩を生み、ピカソのゲルニカを生み出した。
 スペイン内乱を背景にした映画では、『誰がために鐘は鳴る』がヘミングウェイを原作として撮影され、ゲーリークーパー、イングリッドバーグマンの代表作にもなった。
 グレゴリーペック主演の『日曜日には鼠を殺せ』は、フランコ政権末期の1956年の出来事して描かれている。

 ひとりの少女の目を通して、内戦時代の人々の運命を描く映画を見た。
 スペイン内戦で反政府ゲリラの活動が激しくなっていた頃の、おはなし。

 映画『パンズラビリンス』。(於:飯田橋ギンレイ2008/03/08)
 スペイン語タイトルEl laberinto del fauno、英語タイトルPan's Labyrinth
 私は映画ストーリーの予備知識がなく、予告編の画面から、ファンタジー冒険譚と思っていたので、少女オフェリアの運命について、何も知らずに見ていた。

 主人公の母親カルメン。仕立屋の夫がなくなったあと、軍服を誂える顧客の一人だったヴィダル大尉と再婚する。
 カルメンの連れ子の少女オフィリアに対してヴィダル大尉は、冷酷でおそろしい存在。フランコ軍駐屯地の独裁者。魔王的な存在として画面に出てくる。

 ヴィダルはスペイン山中に駐屯して、内乱のレジスタンス掃討を指揮している。
 地元の農民を無慈悲に殺すのも任務と信じ、妻に対しても「お腹にいる自分の血をひく子だけが大事」な男だ。
 妻の連れ子であるオフェリアに対しても、愛情のかけらもなく冷酷。
 オフィリアは、ヴィダル大尉への反発から、自分だけの「妖精の世界」に入っていく。
 
 この映画で「大尉」というスペイン語が何度も繰り返される。ヴィダルを呼ぶときは、必ず「大尉」をつけて呼ぶから。
 「カピタン」

 私にとって「カピタン」は「甲比丹、甲必丹、加比旦」だった。
 ポルトガル語で「仲間の長」の意味。
 日本がポルトガルとの貿易(南蛮貿易)を開始して以来、西洋の商館長をポルトガル語のCapitao(カピタン)で呼ぶようになった。

 江戸時代、長崎出島の商館長をもカピタンと呼んだ。オランダ語では商館長は「Opperhoofden(オッペルホーフト)」であるが、出島では引き続き「カピタン」の用語が使われた。

 外来語として「キャプテン」は、日本社会に定着している。
 野球チームでもサッカーチームでもキャプテンはいるし、会社の仕事の長を「キャプテン」という地位名称で呼ぶところもある。

 日常語として使う「キャプテン」と、そのことばを口にすると遠い異国の香りがしてくる「カピタン」

 このふたつの語CapitaoカピタンとCaptainキャプテンが、どちらも陸軍大尉・海軍大佐を呼ぶ軍隊の長を意味する言葉だとわかったとき、「カピタン」という語に古めかしくも異国情緒のある趣を感じていた私の語感にとっては、ちょっとがっかりだった。
 「な~んだ、カピタンっていうのは、キャプテンとおなじだったのかあ」。

 『パンズラビリンス』のなかで、繰り返された「カピタン」「カピタン」というヴィダル大尉を呼ぶ声が頭の中に反芻されると、今度は「カピタン」に、少女を無慈悲においつめる魔王のようなおそろしいイメージが加わってしまった。

 カピタン。
 出島商館長で、陸軍大尉で、魔界の敵キャラ。

 私のなかで、ことばのイメージがつながっていく。

<おわり>
 

プレカリアートとマルチチュード(最新カタカナ語事情)ぽかぽか春庭ニッポニアニッポンゴ講座語彙表記編

2013-04-30 | 日本語
プレカリアートとマルチチュード

2008/05/24
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>カタカナ外来語覚え直し(1)プレカリアートとマルチチュード

 経済にうとい私は、経済用語というのもなかなか覚えられません。「デファクトスタンダード」とか、「デリバティブ」とか「ミューチュアルファンド」とか、もう、お金がからんでくると、何がなんだか、わかりまへんねん。

 労働者を表すことば。こちらのほうが、まだ私の中ではわかりやすい。
 ニートは、英語では「Not in Education, Employment or Training」の略語、「Neet」であり、直訳だと「教育を受けておらず、労働をしておらず、職業訓練もしていない」者となる。
 日本で通用している意味は、「若年代無業者」であり、政府見解は、「働いておらず、教育も訓練も受けていない者。働く意欲のある者もいる」となっている。(2005/02/07の尾辻秀久厚労相答弁による)

 プレカリアートは、「ニート」ということばが世に出回った次くらいに聞くようになりました。
 プレカリアートという言葉、私は、雨宮処凛(あまみやかりん)の発言を通じて知った。

 英語precariousは、不安定な、他者まかせの、人頼みの、根拠のあやふやな、という意味の形容詞。(イタリア語ではprecario)
 この「不安定な」から、英語precariat、仏語precariat、イタリア語precariatoという「社会的に不安定な状態にある人」という名詞ができた。

 新自由主義経済下の、正社員ではない非正規雇用者と失業者をプレカリアートと呼ぶ。
 国籍・年齢・婚姻関係に関わらず、パートタイマー、アルバイト、フリーター、派遣労働者、契約社員、委託労働者、移住労働者、失業者、ニート等を包括するのがプレカリアートで、他に貧困を強いられる零細自営業者・農業従事者等を含めることもある。

 プレカリアートは、日本語では、ワーキングプアとほぼ同義。
 ワーキングプアは、年齢男女にかかわらず、非正規雇用者として働いており、生活保護世帯より低年収の労働層を呼ぶ。(わたしもワーキングプア)

 プレカリアートやワーキングプアが一国の国内状況のなかである層を指すのに対して、マルティチュードは、世界的視野において、虐げられつつ国境間を移動する層を呼ぶ。
 元はラテン語で「多数」「民衆」を指し示す。

 アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが、共著『帝国』および『マルチチュード』に「マルチチュード」を定義しなおした。

 労働者、人民、大衆という従来の「プロレタリアート」の概念とは異なり、貧しく差別された階級であるが、自由に国境を移動し、移民労働者となる層を表す。

 移民労働者、また、不安定な身分のまま専門的な仕事に就く知的労働者も含むため、地球規模による民主主義を実現する可能性として、国境を越えるネットワーク上の権力として、ハートとネグリは「マルチチュード」を社会を変える可能性を持つ層と見なしている。

 従来のプロレタリアートが、19世紀以降の社会主義革命で主張された「聞け万国の労働者!」というひとくくりにされた概念であり、「労働者」が含む多様性と差異性を無視していたのに対して、マルチチュードは、統合されたひとつの勢力でありながら多様性を失わない、かつ同一性と差異性の矛盾を問わぬ存在であると、ネグリは主張している。

 う~ん、ネグリは、マルチチュードを「社会を変える存在」であり、「主体的にアイデンティティを保ちつつ社会と関わる存在」だっていってるんですね。
 ようわからんけど。だれか、わかりやすく解説して!

エコノミクスと経済学ーカタカナ語・ぽかぽか春庭ニッポに派ニッポンゴ講座語彙編

2013-04-30 | 日本語



エコノミクス経済学

2008/05/21
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>経済学のはなし(1)エコノミクス経済学

 「明治時代に翻訳された西洋語・和製漢語」についての私の知識は、そのほとんどを惣田正明『日本語開化物語』(朝日選書1988)と、柳父章『翻訳語成立事情』(岩波新書1982)の2冊に負うています。

 詳しく知るには、専門の論文も多数発表されているでしょうが、私は、この2冊に書かれていることのほかは、これまであまり知りませんでした。
 また、思いこみでまちがった理解をしていた語もありました。

 まちがったときには「過則勿憚改」と、春庭、2月末にこのコラムに書いております。
 「あやまちては、すなはち、あらたむるに、はばかることなかれ」「失敗したら、遠慮なくやりおなおせばよい」「ヘマかましても、ソッコーチェンジで、マジOKっす」
 そこで、ソッコーチェンジ!です。

 さて、まちがえていたのは、「経済」という語について。
 経済とは、英語でいうeconomy。「経済学」は、economicsをさします。
 economicsエコノミクスを経済学と翻訳したのは西周です。
 西が翻訳したエコノミクスとは、「political economyを研究する学問」の意味でした。

 私は、「明治初期、西洋語の翻訳が盛んだった頃、西周がエコノミクスを「経済学」と翻訳した」という説を鵜呑みにして誤解し、「経世済民」を「経済」という省略語にしたのも、西周だと思いこんでいました。

 「経済」という用語は、江戸時代にも通用して使われていたことを知ったのは、なんと昨年のこと。2007年12月のことでした。

 なにしろ経済にうとく、日経なんぞ、隣の人が電車で広げているときに斜めから首をのばして読むだけで、買って読む気をおこしたことなし。
 「日本経済新聞」買うくらいなら「競馬」とか「プロレス」なんていうタイトルのスポーツ新聞のほうが、ずっと読む記事多いと思っていた。

 半年前まで、ずっと「経済は、もとは中国の経世済民という四字熟語であったが、西周がエコノミーを翻訳したとき経済という省略語にして利用した」と思いこんでいたのです。

 「もの知らず」の罪に、冷や汗三斗。
 エコノミクスを経済学と翻訳したのは西周であったことは確かでしたが、「経済」は、もともとの漢語でした。

 私が「経済」という語について詳しく理解したのは、海保青陵(1755~1817年)という江戸時代の経世家について知ったことによります。
 経世家というのは、今でいう経営コンサルタントのようなもの。
 海保は、諸国の藩をめぐって、経済指南をつとめる学者でした。

<つづく>




エコノミスト海保青陵

2008/05/22
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>経済学のはなし(2)エコノミスト海保青陵

 『本富談』という本の中で青陵は、自分のことを「経済を承る儒者」と言っています。この場合の「経済」とは、現代語でいう「経済」と同じ「ものの売買、貨幣金融に関わること」を意味しています。

 海保青陵は、丹後宮津藩青山氏の家老職であった角田市左衛門(青渓)の長子として生まれました。ご家老さまの長男としてそのまま過ごせば、自分も家老職をついで一生安泰に暮らし、それなりの実績も残したことでしょう。

 しかし、荻生徂徠の弟子であった宇佐美潜水に儒学を学んだ後、22歳で心機一転、家督を弟に譲ってしまいました。
 青陵の主家である青山家は、150石を青陵に与えて「宮津藩儒学者」として召し抱えましたが、青陵は、それも返上して諸国漫遊の旅に出ます。

 青陵は、曽祖父の姓である海保の姓を名乗り、生涯のほとんどを諸国漫遊にすごしました。
 各地で諸侯豪農層に自らの富藩論(経済学)を啓蒙し、経営コンサルタントの役を負うて、諸般の経済改革に思想的な後ろ盾となったのです。

 江戸時代は、武士は「金回り」のことに口を挟まない、金儲けは商人の行う卑しき家業、とされていたのを、海保は、「産業商売に関わらないでは、経世済民を行うことはできない」と説きました。

 「買わねばならぬ世の勢いならば、売らねばならぬはづ也。武士は物を売らぬものと云ふこと、をかしきこと也。貧になる証拠也」(『稽古談』のなかの青陵のことば)

 青陵は、荻生徂徠の「朱子学的思惟の解体」をさらに発展させ、利(経済活動)を肯定しています。
 経世済民を行うためには、「君臣は売り買いである」という市道論も述べています。
 江戸時代には絶対的な価値とされた「忠君」思想ですが、彼は「どのような君に使えるかは、どのような報酬を与えてくれるかで決めてよい」と考えたのです。

 青陵が文化期に行った経済政策助言。
 藩交易(産物マワシ)を主とした富藩政策の展開を加賀藩を例にとってみましょう。

 領外への産物輸出により利益を得るために、加賀米を大坂へ廻して売ることで利益を得、自国の消費米は隣国から安価に買い入ればよい、と青陵は進言しました。
 たしかに、経済的にみれば、領地内で良質の加賀米を消費してしまうのはもったいない。経済効果からみれば、高く売れる加賀米はよそで売り、領地内では安い他国の米を食べればいいのです。

 このような経済政策は、反対派も多く、青陵の進言が功を奏するとは限りませんでした。
 加賀藩でも、農民の反対により、「商品価値のある加賀米の他国輸出、領地内では安い米消費」という策は頓挫しました。

<つづく>



エコノミィ経済

2008/08/23
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>経済学のはなし(3)エコノミィ経済

 青陵の経済改革を理解する者のいた藩は、幕末の藩政改革に成功し、倒幕維新への歴史を切り開くきっかけとなりました。
 土佐藩浪士坂本龍馬が、「海援隊」を組織し、貿易経済活動によって日本を作り直そうとしたのも、このような経済思想が根付いていたからです。

 維新期に、地方の豪農たちは、倒幕の志士を援助し、明治期には自由民権運動を援助しました。
 この思想背景には、安藤昌益や、この青陵らの思想が背景にあったからこそ。
 明治時代に日本が一気に近代産業化を行い得たのは、地方のすみずみまで、青陵らの思想が普及していたからなのです。

 明治維新というと、私たちは「政治世界の変革」「政治権力者の交代」と思いがちですが、変革の根っこには、このような経済活動の変革、思想の変革が根付いていたのだということを「経済」の一語によっても知ることができました。

 経済とは、経世済民(または経国済民)という語を略して「経済」にした語。
 経済の元になった「経世済民」は、世の中を治め(政治)、人民の暮らしを済度する、ということを意味します。

 このように、青陵が、江戸時代にすでに「経済を承る儒者」と自己規定していた、というエピソードによって、ようやく、私は「経済」が「経世済民」から略された語とはいえ、明治になってから略されたのではない、と気づいたのです。
 遅ればせながら、「経済」という語について調べました。

 「経世済民」という語の最も古い使用例は、東晋の葛洪(AD248~344年)の著作『抱朴子』(ほうぼくし)にあります。

 葛洪は、神仙道教に理論的な基礎を築いた道教学者。丹陽句容に生まれ、字は稚川、号は抱朴子。号をそのまま著作名にしたのが『抱朴子』で、道教神仙思想の集大成です。

 時代がやや下り、隋代の王通『文中子』礼楽篇には、「皆有經濟之道、謂經世濟民」とあります。「経済」が、経世済民の略語として用いられていたことがわかります。

 以上、「経済」という語の成立について春庭の誤解を訂正し、ようやく中国源流にまでさかのぼって理解することができたという顛末でした。
 ことばを知る旅は、遠く果てしなく、まだまだコトバ修行は続きます。

 ああ、それにしても、我が家の「経済」は、なんとかならんものか。
 「経済」という一語について歴史的に深く知ったものの、家計「経済」は、あいかわらずの低空飛行。

<おわり>

口吸い、接吻、ディープキスー和製漢語と和製カタカナ語・ぽかぽか春庭のニッポニアニッポンゴ講座語彙編

2013-04-30 | 日本語
口吸い、接吻、ディープキス(和語漢語・和製カタカナ語)

2008/05/20
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>中国と外来語(5)口吸い、接吻、ディープキス(和語漢語・和製カタカナ語)

 日本語では、書店、本屋とブックショップ、ブックストアは平行して使っても大丈夫。

 「大型ブックストアとして代表的な書店である紀伊國屋書店にも、ときどき行きますが、私がよく買いにいくブックショップは、駅前にある個人経営の本屋です」と、並べて書いても混乱がなく、ちゃんと理解できます。

 本屋(ほんや)は和語です。書店は漢語です。ブックショップは英語由来カタカナ語です。
 ことばのニュアンスを使い分け、どの語も文脈に合わせて使えますし、ブックストアなんて語は使いたくない、と思えば、使わずにすみます。

 「kiss→接吻せっぷん」も、明治時代の日本語翻訳語が、近代中国語に取り入れられました。
 ま、接吻という語がない時代にも、中国でも日本でもキスはしていましたけどね。

 息子がかわいくてたまらない豊臣秀吉は、茶々(淀の方)に「若君の口吸いは、自分以外のだれにも、させたらだちかんがね」という手紙を書き送っています。愛する者の唇を独占したいのは、古今東西、同じです。

 みなみな様におかれましては、和語・口吸い、和製漢語・接吻、外来カタカナ語・キス、どれでもお好きなのを実践してください。
 いずれを実践なさるにあたっても、おふたりが仲良くすごすには、和語「おんやど御宿」、漢語「リョカン旅館」、カタカナ語「ホテル」。どれでも、好きなところにお泊まりください。

 「連れ込み宿」「曖昧旅館」「ラブホテル」どこでもOK。
 と、いっても、一番はっきり泊まる目的がわかるのは、カタカナ語の「ラブホテル」のほうになっているのではないでしょうか。

 現代では「連れ込み宿」というと「え~、ペットをいっしょに連れて行ってもいいホテルのこと?」と思われるし、曖昧旅館と言っても、いったい何をあいまいにするのやら、わかってもらえない。ほら、だから、ナニをナニすることをあいまいに、、、、

 「ラブホテル」も、和製英語であり、英和辞典をひいてもでてこない単語ですが、「メイクラブmake loveを実施するためのホテル」である、と言えば通じます。メイクラブ、愛を作る?ホテルです。

 「ラブホテル」略して「ラブホ」または、「ファッションホテル」「レジャーホテル」なんてコトバも最近は使われている、とは、この業界に詳しい知人からの又聞きでして、決して春庭自身が泊まり歩いたわけではなく、、、、、
 泊まり歩きもしてみたかったですけど、大奥での「夜伽定年=おしとねすべり」の年齢をはるかにすぎてしまいまして。

<つづく>


キーボードで弾くラブストーリーは突然に(カラオケは日本語から海外へ)

2008/07/01
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>中国と外来語(6)キーボードで弾くラブストーリーは突然に(カラオケは日本語から海外へ)

 中国語は、ほとんどの外来語を翻訳して導入するということをおはなししています。
 中国語では、ピアノ(鋼琴gangqin)鍵盤も、コンピュータ・キーボード電脳鍵盤も、同じく鍵盤。

 しかし、日本語では、ピアノやオルガンは鍵盤ですが、シンセサイザーなど電子の楽器では「鍵盤」といわずに、キーボードと言っています。
 
 鍵盤という日本語があるのに、同じことばをキーボードなんぞと、カタカナで言おうとしてけしからん、という方へ。
 日本語は、「電気・電子」を利用した場合は、「キーボード」と呼び、従来の鍵盤とは別のもの、新しいものと意識している、と考えることができます。

 日本語は、数々の外来語を母語に取り入れながら、取捨選択を行い、なにもかもを取り入れてしまっているわけではありません。
 ことばの意味、発音(音節とリズム)を勘案しながら日本語の体系に合う語を取り入れてきたのです。

 日本語に合わない外来語は一時流行しても、すたれていくし、発音その他で気に入らないと感じる語があったら、言わなくてもすむので、自分たちの従来のことばを大切にしていればいいのではないかと思います。

 石原裕次郎がデュエットした「銀座の恋の物語」という歌のタイトル。カップルが仲良くカラオケでデュエットするのにいい歌ですね。
 でも、柴門ふみの「東京ラブストーリー」が「東京の恋の物語」だったとしたら、漫画もテレビドラマもこんなにヒットしなかったかもしれません。「ラブストーリー」と「恋物語」は、ニュアンスが異なるのです。

 小田和正の『ラブストーリーは突然に』カラオケでうたうもよし、キーボードで演奏するもより、鍵盤で華麗に弾きこなすもまたよいでしょう。

 さて、カラオケは、英語では「karaoke(発音はカラオッキ、カラオウクなど)」。
 中国語では「?拉OK」。「私はカラオケで歌う」は、「我用?拉OK唱」です。

 カラオケはスシと並んで、海外へ輸出され広まった数少ない日本語。
 「アニメ」も海外に進出している日本発信の文化です。日本語「アニメ」がそのまま通用する国も多くなってきました。
 もうちょっと日本語が海外進出を果たすようになるといいなと思います。頑張れ日本語。

中国語と外来語・ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語講座(対照言語学)

2013-04-30 | 日本語
2008/05/15
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>中国と外来語(1)アンドン・パイパン・焼きギョウザ(カタカナで書く漢語)

 語彙の多くを中国語から得てきた日本語。
 飛鳥~奈良時代、古代中国の南方にあった王朝「呉」を中心とする中国語から多くの仏教用語などを輸入しました。

 日本語の漢字の読み方のうち、「呉音」と呼ばれる発音は、奈良時代までに日本に入ってきた発音です。
 平安時代、遣唐使とともに入って来た発音は「漢音」と呼ばれます。
 鎌倉室町時代に入ってきた中国語の発音は、「唐宋音」といいます。

 「行」という漢字。呉音ではギョウと読みます。一行目(いちぎょうめ)修行(しゅぎょう)など。
 漢音ではコウと読みます。旅行(りょこう)行動(こうどう)。
 唐宋音ではアンと読みます。行燈(あんどん)行脚(あんぎゃ)

 江戸時代以前に入ってきた漢語は、漢字表記され、日本の呉音・漢音・唐宋音で発音されます。
 近世近代以後に、新しく入ってきた中国語は、できるだけ原音に近く発音されることが多いので、漢字の音読みとはちがう読み方がされています。表記は漢字もありますが、カタカナ表記されることも多い。

 中国語の餃子(ヂャオズ)。
 日本でも餃子という漢字を用いますが、日本での読み方は「ギョウザ」。漢字表記もカタカナ表記もどちらも使われています。

 中国では、ほとんどが水餃子(茹で餃子)であるのに比べ、日本では焼き餃子が、ラーメンと並ぶ「国民食」として普及しました。おいしいギョウザ大好きです。
 (「毒入りギョウザ」のメタミドホス、いやなカタカナ語が耳になじんでしまいましたが、これはまた別のおはなし)

 麻雀マージャンも近代に入った読み方です。「立直」も、音読みのリッチョクではなく「リーチ」という中国発音のまま、日本語になりました。 
 マージャンパイのひとつ、白板(パイパン)。文字や絵が描かれていない白いマージャンパイです。

 白い部分に黒い文字がないところから、現在日本語としては、別の意味が備わり、使われています。別の意味を知りたい方は、ウィキペディア検索をどうぞ。
 黒いモジャモジャがなくて、つるっと白いのがいいという方に好まれるパイパン。

 あ~、私、マージャンはギョウザと同じくらい好きですが、パイパンは、大三元のときくらいしかご縁がなくて、、、、。
 パイパンプレイがお好きな方、「中チュン」や「發ファー(はつ)」とも仲良くしてやってね。3つずつ集めれば、大三元よ!って、ちがうプレイだよね。お好きにどうぞ。

 あ、今、眉をひそめた方、ここは大人の社交カフェですから、シモネタもときどき挟まれますが、お子さまたちの勉学を担う大学の教室ではシモネタはぬいていますので、ご安心の上、大事なお子さまを大学へお預けください。

<つづく>



コカコーラとミスタードーナッツ(中国語への外来語導入事情①)

2008/05/16
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>中国と外来語(2)コカコーラとミスタードーナッツ(中国語への外来語導入事情①)

 中国語からアンドンもギョウザもパイパンも取り入れてきた日本ですが、では、中国語はどのようにして外来語を取り入れているでしょうか。
 孤立語である中国語の、外来語導入事情。

 英国から清王朝に西洋医学が伝えられたとき、blood vesselは、「血管」と翻訳されました。
 「ペンシル」が伝わったとき、中国は「鉛筆ヨンピー」と翻訳して取り入れました。

 中国が、西洋語ペンシルから鉛筆という語を取り入れたのは、何の問題もなかったのですが、現代において「鉛筆小新ヨンピーシャオシン」を取り入れたときは、大問題勃発。

 本家本元、日本の「くれよんしんちゃん」の著作権は認められず、最初に商標登録した「鉛筆小新」が権利を獲得。日本の会社は、「しんちゃん」に関する中国国内の権利を法的に認めてもらえませんでした。っと、これもまた、別のおはなし。

 中国語は孤立語だから、単語ごとのインストールは、文法的には簡単です。しかし、表意文字を用いる中国語では、表記が問題になります。
 ペンシルという音をそのまま取り入れることはむずかしいので、翻訳して鉛筆にしました。
 音をそのままとりいれる外来語は、中国では少数派です。では、その少数派の紹介を。

 中国語の漢字は、すべての文字に意味がある表意文字ですから、発音が同じ文字だからいいというわけにはいきません。日本語のように、外国語の音を日本的に言いやすく変えて、表音文字のカタカナで表記できるのと事情がことなります。

 音訳した外来のことばの例。
 「コカコーラ→可口可楽」
 口に入れると楽しくなるという意味になる可口可楽は、たちまち中国の町を席巻しました。
 ケンタッキーフライドチキンは「肯徳基(ケン デー ジー)」、 マクドナルドが「麦当労(マイ ダン ラオ) 。

 ミスタードーナッツも音訳して「美仕唐納滋」。漢字の意味が、ドーナッツに合っていていいイメージです。さあて、コカコーラと同じほど、ミスドが普及するかしら。

 中国語への外来語導入、音訳が増えてきたとはいえ、まだ少数派。
 音を取り入れる場合、発音が原音に合っていても、意味がふさわしくないとダメなので、音訳はむずかしい。

 ほとんどの外来語は、翻訳して意味をとりいれることになります。
 意訳した外来語の例。コンピュータは「電脳」。

<つづく>



気晴らしには買い物が一番(中国語への外来語導入事情②)

2008/05/17
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>中国と外来語(2)気晴らしには買い物が一番(中国語への外来語導入事情②)

 現代中国語における音訳の傑作例、可口可楽のほか、最新の「外来語からできた新しい中国語」をクイズにしました。意味と発音両方とも取り入れた語になっています。
 以下の2問、どんな意味でしょうか。三択です、当ててください。

第1問 日本語を翻訳した中国語 一級棒(イージーバン)の意味は?
①ホールインワン(ゴルフ一打で穴にいれること)
②一番(ナンバーワンの品 すばらしい一級品)
③飛び級で上級クラスへ進む秀才

第2問 英語を音訳した中国語 血[‡弁](手偏に弁)=シュエピンの意味は?
①bloody Maryブラッディマリー(洋酒カクテルの名前)
②brother in lowブラザーインロー義兄弟(英語ではblood brotherともいう)
③shoppingショッピング買い物 

 第一問の正解 ② 一番
 解説:中国語の「一番」は「一通り」という意味になる。
 日本語の意味で「第一番の、ナンバーワン」という中国語は「第一ディーイー」「最高権威」などの語があるが、ナンバーワンの一品というニュアンスとは異なってしまう。

 そこで、日本語の「一級」と同じ意味である「一級」を用い、「棒」を付け足した。
 「棒棒鶏バンバンジー」でおなじみの「棒バン」は、「すばらしい」という意味の形容詞である。「太棒了タイバンラ」で「すばらしいねぇ」という褒め言葉になる。

 そこで、「一級」「棒」を組み合わせた「一級棒」を日本語の「一番」の訳語にした。日本語の「イチバン」と似通った発音「イージーバン」になる。
 「那个花 我的一級棒 → この花は私のナンバーワン」
 
 第二問の正解 ③ ショッピング
 解説:中国語で「買い物」は、「買東西マイドンシー」という語があるが、こちらは日常品の買い物のニュアンスがある。ちょっと高級なファッション用品やバッグを買いあさる若い女性の「ショッピング」には、違うことばを当てたい。

 そこで、ショッピングの音訳「シュエ=血」ピン=[‡弁]」が造語された。
 [‡弁]は、命掛けて必死でやる、という意味。
 「[‡弁]命」は、死にものぐるいで命投げ出してことにあたる。
 「必死になって買いまくるショッピング」「血を振り絞っても買いたい」というニュアンスが出てくる。

 (「血 [‡弁]」と、「一級棒」については、朝日新聞2008/03/15莫邦富のコラムを出典とする)

<つづく>



米奇老鼠と空白鍵(中国語への外来語導入事情③)

2008/05/18
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>中国と外来語(3)米奇老鼠と空白鍵(中国語への外来語導入事情③)

 中国語において外来語の多くは、普通、漢字表意の意味を重視して翻訳して新しいことばを取り入れることになります。

 電脳関係の語をいえば、ハードウェア:硬件、ソフト:軟件、フォーマット:格式化・格式制定 、USB:通用串行総線、スキャナ:掃描機、キーボード:鍵盤、スペース・キー:空白鍵、マウス:鼠標,滑鼠  (別訳もあります)

 そうか、スペースキーは空白鍵なのかあ。
 マウスなんて、わざわざ「鼠」という訳語をいれなくてもよさそうなのに、忠実にネズミを翻訳して「鼠標」。

 ただし、ミッキーマウスは、ミッキーが音訳「米奇」で、マウスは意訳「老鼠」

 日本語の会社名、漢字ならそのまま採用されるかというと、中国語での意味が問題になります。意味がOKなら、「松下」はそのままの文字でソンシャァと読まれるし、「東芝」はトンジー。

 しかし、イトーヨーカ堂は、中国進出にあたって、日本語漢字表記の「伊藤羊華堂」を採用しませんでした。「羊華」だとイメージがよくないので、「華堂商場」という表記にしました。
 中国語も、外来の語を導入するには、日本語ほど自由にはいかないことがわかります。

 室町時代末期に、ポルトガル語が日本語に入り込み、多くのポルトガル語由来のことばが現在も使われていることを紹介しました。タバコ煙草、カルタ歌留多、テンプラ天麩羅、などでしたね。
 明治時代も、欧米の物品・思想の導入が急務でした。

 ポルトガル語は自然に日本語に取り込まれましたが、明治の日本人は、欧米語を翻訳して取り入れようと奮闘しました。
 日本語としての翻訳漢語(新漢語)成立について。

 スピーチを演説、ディベートを討論と訳したのは、福沢諭吉である、など、翻訳した人の名が分かっている語が多い。

 翻訳者各人が、どのように西欧の概念を翻訳しようかと苦心しました。
 サイエンスを翻訳して「科学」、フィロソフィを翻訳して「哲学」、ベイスボールを翻訳して「野球」。デモクラシィを翻訳して「民主」「民本」

 その他、「郵便」「社会」「運動」「意識」「進化」「唯物論」「左翼」「階級」「主義」「共産」「共和」などなど、多くの西欧思想、西欧の物品の名が翻訳されて明治の世に導入されました。

 これらの和製漢語(新漢語)は、中国へ輸出されました。清朝から明治日本に留学していた魯迅などが伝えたのです。

<つづく>



チャイナ・ピープルズ・リパブリック(和製漢語の話・中華人民共和国って70%日本語です)

2008/05/19
ぽかぽか春庭ニッポニアニッポン語教室>中国と外来語(4)チャイナ・ピープルズ・リパブリック(和製漢語の話・中華人民共和国って70%日本語です)

 科学・郵便・社会主義などの和製漢語を逆輸入した中国の人々は、もともと中国の漢語だったと信じて使っています。
 言葉が社会に定着して使われるようになれば、その語がどこからやってきたかなどと言うことは、まったく気にせずに、もともとある言葉として根を下ろすからです。

 これは、日本人が煙草や天麩羅を、ポルトガルから来たなどと意識せずに「もともとの」日本語」と信じて使っているのと同じです。

 「新娘」という従来の中国語があるのに、brideの和製漢語「花嫁」はブライダル産業の発展とともに、中国でもおおいに知られる語彙となりましたし、lost loveの翻訳語「失恋」も、中国恋愛事情において、よく見かける語になりました。花嫁や失恋が日本で作られた和製漢語だなんてことは、恋する若者とって「ソンナノカンケーねぇ」みたいです。

 「中華人民共和国」の「人民」「共和国」も和製漢語です。
 明治の日本人は、the people→人民、republic→共和国と、翻訳しました。

 中国からの留学生のなかで、「日本の漢字は、中国から輸出したものですよ。日本の語彙のほとんどは中国からの借り入れじゃないですか」と、いばる学生がいると、私は反撃します。

 「中華人民共和国」のうち、自前の語は「中華」だけだよ。人民も共和国も、日本人が作った言葉なんだからね。あんたたちの国名は、7文字のうち5文字が日本製だ!」
 「中華人民共和国」という国名の70%は、日本語(和製漢語)です。

 私がここで言いたいことは、この語はどっちが本家か、なんていう「本家・元祖・家元」争いではなく、ことばというものは、持ちつ持たれつ、交流しあうなかで語彙をふやしていくものだ、ということです。

 さて、「本家」の「本」ですが。この場合は、「本」は、字義「木の根本の太いところ、転じて根拠となることがら。中心となる場所など」の意味に合っています。
 また、日本語の「本」は1本2本と数えるときには、助数詞として使われています。
 でも単独で「本」といったときは、日本語では「書物」を意味する。

 中国語では、「本」を意味するのは「書shu」「書籍shuji/」「書本shuben」など。この書本の書を略した「本」が、日本語では主に書物をさす語になりました。
 「本」はもともとは「書道のお手本」「筆写する元になる原本」を表していたのですが、古代には、本はすべて書写されたものですから、「本」と書物が同じ意味になったのです。

 「本」が日本語に取り入れられたのは、このような経緯がありました。これはおよそ1200年以上も昔の出来事です。
 大昔に取り入れられた「本」については、みな「これは日本語である」と思い、「外国から来たことば」という意識は持っていません。「書籍」というと、「漢語」という意識があります。

 さて、近年、日本語は「本」のかわりに「ブック」を取り入れ、「店」の代わりに「ショップ」「ストア」を取り入れました。複合語として、簡単に「ブックショップ」「ブックストア」が成立します。

英語の歌のタイトル発音/ジャパングリッシュについて

2013-04-24 | 日本語
英語の歌のタイトル発音

2008/03/14
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>英語の歌のタイトル発音(1)アルコールの正しい発音

投稿者:mitsuba
ラジオを聴いていて思うのですが、和製英語でなく、明かに英語をまじえるときにも、例えば英語の歌のタイトルなども、アナウンサーが正規の発音をしないで、母音を加えた日本流英語で発音するのは、非常に耳障りです。正しい発音をしてよ、とこちらで言い直していますが・・。 (2008 2/23 21:39 )

mitsubaさんのbbsへの春庭投稿(2008-02-28 16:43:00 )

 JR,都営地下鉄、東京メトロ、それぞれ車内で英語アナウンスが流れます。私は、東京メトロの車内案内が一番好きです。なぜなら、日本の地名を日本の発音で案内しているからです。

 日本の車内放送なのに、たとえば、「横浜」という地名をアメリカ人が言うように「ヨーコ、ハーマー」と、アクセントをつけて、「ハ」のところを強調していうことはない。
 私の考え方では、日本では、地名人名は日本の発音でいいし、曲のタイトルをいうときに、英語のタイトルであっても、英語風にいわずに、カタカナ日本語で十分だ、と思っています。

 曲のタイトルも、日本語の放送の中で紹介するときはそこだけ英語発音で「では、次にお送りする曲は、West side Story」と言わなくても「ウエストサイドストーリー」と、言ってよいという考え方です。

mitsubaさんが、「アナウンサーが正規の発音をしないで、母音を加えた日本流英語で発音するのは、非常に耳障りです。正しい発音をしてよ、とこちらで言い直していますが」と、お思いになるのも、ひとつの考え方だし、私が、「日本での発音は日本風英語、日本風ドイツ語でかまわない」と思うのも、また「ことばへの多様な考え方のひとつ」で、いいのではないでしょうか。

 mitsubaさんにとって「正しくない英語の発音」が、耳障りである、ということ、理解できます。mitsubaさんは、英語をしっかり学んできた方だからだと思います。

 でも、たぶん、mitsubaさんは、会話やラジオの放送のなかで「アルコール」とか「アルカリ」などのことばが聞こえてきたとき、それが「正しくないアラビア語の発音」をしている単語であっても、気にとめないのではないでしょうか。

 すでにアルコールもアルカリも日本語外来語になっているからという理由もありますが、もともとアラビア語の正確な発音を知らないからです。

 つまり、自分が学んだことのある英語については正しい発音を意識し、学んだことのないアラビア語については、いいかげんな発音でも気にしていない、ということになる。

 だったら、ウエストもサイドもストーリーも「日本語になっている外来語」と考えればいい。「West side story」と、「正しい英語の発音」でなくても「ウエストサイドストーリー」と、日本的発音のタイトルコールでかまわない。
 他の英語の歌のタイトルも、「日本語として紹介する」のであれば、「英語の正しい発音」をしなくてもいいと、私は考えています。(2008-02-28 16:43:00 )

<つづく>


2008/03/15
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>英語の歌のタイトル(2)ウエストサイドストーリー

mitsubaさんから返信をいただきました。ありがとうございます。
===========

mitsuba
これは、考え方の問題というより、感じ方の問題ですが、私のように感じられる方のほうが少ないかもしれないとも思っています。日本という英語の環境の乏しい場での、英語教育寄りの立場からの感じ方なのかもしれません。

例に挙げられている「ウェスト・サイド・ストーリー」のように日本語になっている名詞的英語の場合には、私も違和感はありませんが・・

具体例が挙げ難いのですが、例えば、新しい英語の歌の紹介で、題がセンテンスになっているような場合も、わざわざ原語を日本式英語読みにしていることに、とても違和感を感じます。

この感じ方が正しいとか、みなさんにそう感じて欲しいとかという問題ではありません。
もう、英語は英語のままでいいでしょうと感じる者がいるということに過ぎません。

公共放送で、アナウンサーの大部分は英語の達者な人が多く、出来ないことを要求しているわけではないと思いますが、きっと公共放送の審議会の担当部署も、英語を日本式に発音することを是としているのでしょう。

私は私個人の感じ方を書いているに過ぎませんので、よろしくご理解ください。(2008-02-28 19:07:37 )
========
という、返信。

 「英語は英語のままに」というmitsubaさんの考え方も、「なまりがあっても平気」という春庭の考え方も、それぞれ自分の感じ方を大切にしていけばいい、ということは確認できたのではないかと思います。

 「正しい発音してよ」と感じることも、ひとつの感じ方であり、そう発言することも自由です。

 私が言いたかったことは「正しさ」は、ひとつではない、ということ。
 「自分は正しい側にいる」と思ったときに、自分の側ではない人を「正しくない」と非難し抹殺してしまうことがないよう願っている、ということです。

 mitsubaさんの立場は、もちろん「自分は自分の感じ方を大事にし、人の考え方もあることを理解する」という私の立場と、異なるものではないと思っています。

 <つづく>


2008/03/16
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>英語の歌のタイトル(3)Bテキを愛さずにはいられない

mitsuba
コメントを書きながら、20代の頃、しばらく私の部屋に同居していた学友のエピソードを思い出しました。
彼女は英文学専攻で、東京へ来てアルバイトをしながら高校の教員採用試験を目指して勉強していたのですが、レストランのウエイトレスをしていたとき、オーダーを伝えるのに、“Beefsteak”と言ったら、「Aテキか Bテキか!」と怒鳴られてしまった、と帰ってきました。
当時、私は外資系勤務で英語が日常でしたので二人で大笑いしました。TPOを忘れてネイティヴまがいは確かに迷惑ですね。
ただ、彼女も英語をカタカナ読みにすることには、私以上に抵抗があると言っていました。(2008-02-29 11:37:01)

 英文学専攻だったmitsubaさんのご友人も英語をカタカナ読みにすることは、抵抗があるとのことですね。
 その方も、しっかり英語を学ばれて、英語が得意な方なのでしょうね。

 外資系勤務で英語が日常だったmitsubaさんも、英文学専攻のご友人も、ネイティヴのような発音を得意とされ、「ビーフステーキ」は、ネイティブのように発音できる。
 私が、「日本語の中で使用される外来語や和製英語が日本的発音でも気にならない」という感じ方であるのは、もともと英語発音が不得意だったせいもあるのでしょう。

 正しい発音の「Beefsteak」を、「Bテキ」と聞き取るような者たちに出会って大笑いだったというエピソード、「よい発音の英語を聞き取れない耳」を笑われる側にいた私には、せつなくなるお話です。私も、ずいぶんとおかしな聴き取りをしてきたのだろうな。

 私は、「聞き取れない耳」の立場でしたから、英語得意な人たちが「ネイティブまがいの発音」をしているときも、「カタカナ風英語に抵抗がある」とおっしゃるときも、日本語風の発音で「ビフテキひとつ」と注文したいです。

 どんな発音であれ「ビフテキ」が好きですし、「Bテキか!」と言ってオーダーを受け取る「ネイティブの発音がわからない」厨房の人々をも、愛さずにはいられない。

 mitsubaさんは、長年教育に携わり、勉強が得意でない子たちにもよりそってこられた方と思います。
 わたしのような「英語落ちこぼれ」の気持ちもわかってくださると思いますし、違う感じ方をする者もいることに、ご理解いただけると思います。

 受験英語にとっては話が違うこともわかります。
 mitsubaさんが、受験英語教育の場において、「たったひとつの正解」を教えていくご苦労も、たいへんなことと思います。

 ちまたに「日本式アクセントの英語」が氾濫していることによって、英語学習者の発音がなかなか「正しく」ならないことに残念なお気持ちを抱かれることもあるのだとおもっています。
 なにしろ、私たちは、AテキBテキの世界で生きてるので。

 ちょっとでも文法を間違えても、発音記号をまちがえても、点数がなくなる受験英語と、現実のコミュニケーションはちがいます。
 ラジオ放送中の曲名紹介は、受験の場ではなくてコミュニケーションの領域なので、私は「日本語風タイトルコールでいい」と感じたまで。

<つづく>


2008/03/17
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>英語の歌のタイトル(4)アイ・キャント・ストップ・ラビン・ユー

 私自身は、「文法が標準的英文法でない英語があってもいいし、発音がクイーンズイングリッシュやワスプイングリッシュと同じでなくても、コミュニケーションの場ではさしつかえない」という考え方をしています。
 アイリッシュなまり、アメリカ南部なまり、黒人ナマリも、いいと思うし、シンガポールで人々がシングリッシュを使っているなら、それでいいじゃないか、と思っています。

 mitsubaさんが「公共放送のアナウンサーには英語が達者な人が多く、センテンスになっている英語のタイトルを正しい発音でいうように、と要求するのはできないことではない」と考えることも、英語が得意だった方なら、そうお感じになるのも当然と思います。それぞれの立場で感じることでよいと思います。

 考え方感じ方は、人それぞれでよい、ということに関しては、mitsubaさんも私も一致したと思います。

 「新しい英語の歌の紹介で、題がセンテンスになっているような場合も、わざわざ原語を日本式英語読みにしていることに、とても違和感を感じます。」
というのが、mitsubaさんの感じ方であり、そのような感じる方がいることは理解はできます。
 
 同時に、「センテンスになっている英語のタイトルだろうと、カタカナ読みで違和感がない」という私の感じ方も、これはこれでいいと思っています。

 新しい歌ではありませんが、たとえば、レイ・チャールズRay Charles(1930~2004)の歌「 I Can't Stop Lovin You 」というセンテンスになっているタイトルの紹介をするときを想像してみます。

 「では、次は、レイ・チャールズの歌で、アイ・キャント・ストップ・ラビン・ユー」と、日本風発音で紹介したとき、レイ・チャールズは、「なんていう発音だ!」と、笑うでしょうか。BeefsteakをBテキと聞いてしまう人を笑うように、へたな発音を笑うでしょうか。

 レイは、盲目の黒人歌手として世界的に有名になる前は、つらい時代をおくりました。黒人ナマリをからかわれたこともあったでしょう。

 日本なまりの発音で「アイ、キャント、ストップ、ラビン、ユー」というセンテンスの曲名が聞こえたとき、レイはけっして「耳ざわりだから、正しい発音で紹介してよ。アナウンサーなんだから英語が達者な人がいるでしょう」とは、言わないのではないでしょうか。

 英語が不得意で「正しい発音」ができなくても、私は、レイの歌を「愛さずにはいられない」し、多様なことばのひびきを、アイ・キャント・ストップ・ラビン・ユー。

 私はわたしの感じ方で、「地方ナマリのある日本語」「外国語なまりの日本語「日本語なまりの英語」「トルコ語なまりのドイツ語」などなどの「多様なことばのひびき」を愛していこうとおもっています。

 ことばの発音にも「多様な考え方受け取り方」があるということ、mitsubaさんのコメントのおかげで、いろいろ考えることができました。
 コメントを引用してよいとの許可を、ありがとうございました。

 最後に、レイチャールズの「アイ・キャント・ストップ・ラビン・ユー」をおききください。カタカナ発音の紹介で、申し訳ないですが、レイの歌声はすばらしいです。

http://www.youtube.com/watch?v=FN_O8Nq_gJI

<おわり>
===========
もんじゃ(文蛇)の足跡:
 この一文は、「アントニウスのブルータスを褒め称える演説レトリック」の、応用練習のために書かれました。mitsubaさんに感謝いたします。
 mitsubaさんは、公明正大、高潔な方です。