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春庭にほんごノート      

日本語概論・言語学概論・日本語教育
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春庭ニッポニアニッポン語教師日誌「留学生との再会&可能計の練習」

2015-02-28 | 日本語
世界中から日本へやってくる留学生。6年前に教えたボスニアヘルツェゴビナの学生に再会しました


再会ボスニアヘルツェゴビナ

 午前中、「~へ、いっしょにいきませんか」「いいですね。ぜひ」、「すみませんが、予定があるので、その日はちょっと、、、、」などの文型で、「さそう、さそわれる」「さそいをことわる」などの練習をする。

 4月から日本語学習をはじめて、2ヶ月が過ぎたクラス。4ヶ月間で日本語初級の研修を終えると大学院の修士課程や博士課程へ進学する留学生たちの集中コース。研究論文は英語で提出する学生がほとんどだが、日常会話をこなすまでを4ヶ月で修了するのは、なかなかハードなスケジュールだ。

 学生同士ペアで、音楽会や美術館へさそう練習をさせる。「えっと、○○さん、デートに行きませんか」「えっ、デート?デートはどこにありますか」など、さそうのにも四苦八苦のペアもあり、他の学生大笑い。

 教科書には出てこないけれど、学生ことばのやりとりで覚えた「デート」を、ちょっと使ってみたかった学生の積極性はかうけれど、英語由来のカタカナことばは、英語の意味の通りにはいかないことも多く、日本語らしい使いこなしをするのは、難しいときもある。

 「日本人学生の住んでいるところが、○○マンションというから、大邸宅に住んでいるのかと思ったら、ただのアパートメントハウスでびっくりした」と話す留学生もいる。そうね、英語だとマンションは、大邸宅だものね。

 以前、「きのう、トルコを食べました」というので、トルコ料理店にでもいったのかと思ったら、Turkeyの訳語を辞書でひいて一番最初にでてきたのが、トルコだったという。
 「Turekey は国の名前でトルコだけれど、turkeyを食べた、 は、日本語では、別の意味。七面鳥を食べた、になります」と、教えて誤解を解いたこともあった。
 「まちがいもまた楽し」の、日本語クラス。

 いっしょに出かける日時を相談して決め、待ち合わせの時間と場所を決めて、ペア練習は終わり。

 最後に、留学生に「せんせい、12時です。お昼ご飯をいっしょに食べませんか」「いっしょに食堂へいきませんか」と、言わせる。
 時計を見て「じゃ、これで午前中の授業は終わりにします。えっと、食堂って、学生食堂ですか。」「ええ、大学の食堂です」「おいしいですか」「ええ、おいしいですよ」「やすいですか」「はい、とても安いです」「じゃ、いっしょに行きましょう」
 いっしょに学生食堂へ行くことにした。

 留学生と歩いていると、見かけない留学生が話しかけてきた。「あのう、ちょっとおたずねしてもよろしいですか」と、とてもなめらかな日本語。来日してまだ2ヶ月の今のクラスの人達とは大違い。

 「ええ、なんでしょうか」「あの、先生は、私の日本語の先生だった、○○先生じゃありませんか」と、私の名を言う。え?
 「わたし、先生に教えていただいたボスニアのスーです」ボスニア?
 「6年前、S大学留学生センターの学生でした」「あ、S大学の。そうそう、ボスニアからの留学生、教えたことがあります。ボスニアからの留学生を教えたのはひとりだけですから、印象的でした。今は、この大学の学生?それともS大学?」
 名前もわすれてしまったし、ごめんね、写真でも照合しないと、当時の印象を思い出せない。でも、ボスニアという国名は強烈な印象だった。

 「S大学で日本語を学び、母国に戻って修士課程を修了してヨーロッパで働きました。もう一度留学のチャンスを得て、今度はこの大学で研究しています」と、6年間からみるとはるかに進歩した日本語で語る。

 「6年前、先生の元気なクラスが大好きでした。また、お目にかかれて、うれしいです」と、スーは笑顔をみせる。
 「今も火曜日はS大学で教えてますよ。ここでは金曜日に教えています。2階の講師室にいるから、話をしにきてね。ボスニアの話を聞きたいです」

 ボスニア・ヘルツェゴビナは、旧ユーゴスラビア連邦から別れた国のひとつ。イスラム教徒とキリスト教徒が国土を争奪して、第二次世界大戦後のヨーロッパでもっとも激しい戦闘が行われた。内戦は1992年から3年半続き、多くの犠牲者と難民が出た。

 内戦が終結し、まだ国情が安定していない頃に留学してきたので、印象深い学生だった。ボスニアからの留学生は、スーのほか、会ったことがない。

 スーはとてもすてきな笑顔の女性になって、研究に励んでいるようすだった。何よりも私の名を覚えていてくれたことに驚いた。
 私がS大学に出講するのは週に一度だけ。私生活にまで関わりの深い専任教員を覚えていることはあっても、週に一度だけの授業で、たくさんいる講師のなかのひとりにすぎないのに、よくぞ6年間、名前を忘れないでいてくれました。
 「先生からたくさんの元気をもらいました」と言うスーに再会して、こちらも嬉しかった。
 
 2度目の留学で、前とは違う大学に来たのに、偶然同じ教師と出会うというのも、縁だろう。よい留学生活がおくれるよう、研究がうまくすすむよう、祈りたい。
( 2006/07/05)




可能形の練習 琴がひけます 

2006/01/03 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>可能形の練習(1)日本語の歌がうたえます

 動詞可能形について、理解が行き渡ったと思ったら、口慣らしの練習をさせる。
 学生に自分のできることをいろいろ言わせてみる。
 パソコンの絵カードを見せて、「○(yes)」カードと「×(no)」カードを出し、○をパソコンの絵の前につけて「私はパソコンが使えます」と、教師が例題を出す。つかう→つかえる。可能形を板書。

 次に学生に「○」カードと「×」カードを渡し、「おはし」の絵カードの前に「?」をつけて、出す。これは「Can you use chopsticks ?」と教師がたずねた、という意味。教師の例題があるので、学生は「○」を出し、「私はおはしがつかえます」と答える。学生によっては「×」をだして、「私はおはしがつかえません」

 次に、泳いでいる絵カードを出し、教師は絵カードの前に「?」カードを出す。
 学生は「私は泳ぎます」などと答えたりするので、「泳ぎます、は、基本形dictionary form ですよ。可能形 potential formはなんでしたか?」と、思い出させる。五十音表の「エ段」を示して、1グループ動詞(五段活用動詞)は、活用語尾がエ段2グループ動詞になることを確認。「およぐ」→「およげる」

 学生「私はおよげます」、教師「どれくらい?How long?」、学生「私は2km泳げます」、教師「どこで?プールでですか、海で、ですか」、学生「わたしは、うみで、2kmおよげます」
 「そう、すごいね。クワンさんは海で2km泳げます。私は海で泳げません。私はプールで100m泳げます。」などと会話をかわし、次の学生へ。

 学生同士ペアにして、相手のできるスポーツ、演奏できる楽器、得意なことなどを質問しあう会話タイム。クラスメートの意外な得意技を知ったりする。

 「私は日本語の歌が歌えます」と言った学生、皆のリクエストに応えて、国で覚えたという『島唄』を披露した。アルゼンチンでは、2002年W杯アルゼンチンチーム応援歌が「日本語でうたう島唄」だった。
 日系人じゃなくても、国中のサッカーファンはみんな日本語で歌えるのだという。♪島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ~♪

 「私はモンゴルの字が書けます」と発言したモンゴル人学生、黒板に自分の名前を見事なモンゴル文字で書いて見せた。「へぇ、すご~い」と、一同感心。でも、彼に書けるのは、自分の名前だけ。
 モンゴルでは1994年から、モンゴル文字教育が復活した。しかし、ほとんどの人はソビエトの影響下にあった時代のキリル文字(ロシア・アルファベット)に慣れているから、一般にはキリル文字のほうが普及していて、なかなか全員がモンゴル文字を使いこなすところまではいっていない。

 ピアノの絵カードを「?」カードといっしょに出す。「私はピアノが遊べません」と、学生が答えることもある。playは、「遊ぶ」という訳語を最初に習うので、「play piano」を「ピアノを遊ぶ」と思ってしまうのだ。そこで「ピアノをひく」を導入して、可能形の確認。ひく→ひける

 「タンソ(短簫=韓国の短笛)、合奏できます」「ギターがひけます」など、楽器にまつわる得意技を述べる学生も多い。
 韓国で、短笛は学校音楽教育に取り入れられて、日本の小学生がリコーダーを吹くように、皆がじょうずにふけるという。
 スペインでは、今でもギターを弾きながら、思いをかけた女性の家の窓の下で演奏することがあるのだ、とスペインの学生が言っていたが、ほんとかなあ。映画みたいだな。

 私も20代のころ、ギターを買って習ってみたことがある。「アルハンブラ宮殿の思い出」くらい弾きたかったが、「禁じられた遊び」も弾きこなせないうちにやめてしまった。
 「わたしは、ギターがひけません」

 今、習いたいと思っているのは、木琴(シロフォン、マリンバ)、中国の楊琴(やんきん)。木琴は音板をばち(マレット)で叩き、楊琴は弦をばちで叩いて演奏する。
 みんなといっしょに合奏したいのはインドネシアのアンクルン。

 アンクルンは、竹でできた楽器を横に揺らすとカラカラと美しい音が出る。ひとつのアンクルンはひとつの音階。これをハンドベル演奏のように、数人で音階を分け合って、自分のパートの音を鳴らし、合奏する。<つづく>
00:05 |

2006/01/04 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>可能形練習(2)王様のために琴をひきます

 2005年12月のこと。いつも真面目なタイの学生がめずらしく欠席した。「風邪ひいたのかな」と思って、同じタイ人学生にきくと「トゥンさんは、大使館へいきました。王様の誕生日なので、ことをひきます」と言う。
 
 国民が敬愛するプミポン国王の誕生日を祝うため、在京タイ王国大使館が祝賀記念レセプションを主催した。そのパーティに、タイ古典音楽の演奏者として選ばれたのだという。

 学生のいう「ことをひきます」というのは、おそらく琵琶のような楽器を平にして置く、タイの琴。ばちではじいて弾く「チャケー」という、楽器をさしているのだと思うが、大使館パーティでの演奏者に選ばれたのはたいしたものだと感心した。

 「トゥンさんはギターがひけます。とても上手です」という話は、クラスの会話でもたびたび聞いていたので、趣味でギターを弾くのだろうくらいに思っていたのだが、伝統音楽の分野でもなかなかの腕前らしい。

 タイの古典楽器。「床に置いた琵琶」のような琴「チャケー」、中国の胡弓に似た二弦のソー・ウー、タイ式木琴のラナート・エーク、などがある。

 タイの民族楽器、ラナートという木琴の音色を、タイの映画ではじめて知った。
 『風の前奏曲』という、タイのラナート奏者を主人公にした映画。ラナートの響きは、ほんとうにすばらしかった。

 トゥンさんが王様のために弾いたのは、ラナート・エークだったのだろうか。
 ラナートの響きが日本の風にのって、タイにおわす王様まで届いたにちがいない。

春庭ニッポニアニッポン語教師日誌「留学生研究発表」

2015-02-28 | 日本語
留学生教員研修生研究レポート発表会
2007/02/18 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生研究発表会(1)教員研修生の研究

 現在日本語研修コースに在籍している13人のうち、6名は理系大学院へ進学、7名は教員研修コースへの進学予定者です。
 2月9日金曜日、3月に研修を終える留学生の研究レポート最終発表会があり、今教えている7名の教員研修コース留学生を発表会場の会議室へ連れて行きました。
 1年後、2008年の2月には、今、必死に初級日本語を学習している留学生たちが研究発表を行う番です。

 博士課程へ進学する残りの6人は、残って文法の授業。
 H先生の文法授業をパスできた教員研修生たち、「ラッキ~」って顔しています。

 発表の日本語は難しい専門用語もあるので、初級日本語コースの学生には、聞き取りが無理なことはわかっていますが、発表の形式や雰囲気を知るだけでも効果があります。
 発表のイメージを今から持たせ、モチベーションを与えるために、先輩の発表をきかせることにしているのです。

 発表するのは、去年私が初級日本語を受け持った学生たち。
 2005年10月から2006年2月まで初級日本語を学び、2006年4月から1年間、教育学部で中級上級の日本語を学びつつ、教育学の研究を続けてきました。
 教育研究、教授法指導法の研究の成果をまとめた留学生が、日本語で発表するのです。

 2005年10月、彼らは「こんにちは」「ありがとう」を知っているくらいで来日しました。私は彼らの日本語授業を5ヶ月間担当し、「あいうえお」「はじめまして」から教えはじめ、初級日本語の文法や会話、漢字などを教えました。
 初級日本語学習を終えたあとは、教育学部大学院の日本語研修と、美術教育専攻、数学教育専攻、科学教育繊巧などの専門分野指導教官におまかせすることになります。

 「わたしはジョーです。どうぞよろしく」さえも、たどたどしく、口がまわらなかった留学生が、堂々と日本語で自分の研究成果を発表する、晴れの日です。
 発表する留学生もドキドキですけれど、わたしも「この1年間で、どれだけ日本語が上達しているでしょうか」と、ドキドキしながら発表をききました。

 9日の発表を行ったのは、南の島の族長兼ハイスクール数学教師のジョー、タイの英語教師ナーン、パキスタンのパンジャブ地方出身のフミ、インドネシアのクリス。
 カフェ日記2006年3月16日~20日と、本宅HP『話しことばの通い路』の「留学生文化交流発表会」に彼らの紹介を書きました。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200603A

http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nippongoai0608a.htm


 ホームシックにかかって元気をなくしたジョーが紹介した南島の竹の打楽器アウニマコ、フミが紹介したパンジャブの絞り染め、クリスが紹介したジャワ島の影絵ワヤン。ナーンが紹介したタイ古典舞踊の衣装、去年の文化発表会、楽しかった時間がよみがえります。
 みんな日本語はまだまだヘタでしたが、とても楽しく互いの文化を紹介しあいました。

 あれから1年、今日は、「研究成果の発表」です。日本語での質疑応答もあります。ジョーの顔は緊張ではちきれそうです。
 始まる前に、「がんばってね」と、ジョーに声をかけました。「あ、センセー」と、ジョーはにこにこしました。

<つづく>
2007/02/19 月
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(2)日常経験と化学

 今うけもっている初級日本語コース在籍の教員研修生たちは、先輩の発表をきいたあと、「先生、私は、もう明日、荷物をもって帰国します」と、言い出しました。
 「1年間で、とてもあんなにじょうずに発表できないと思います。あきらめて、今、帰国したほうがいいかも」

 逃げ帰るなんてとんでもない。今年じょうずに発表した研修生たちも1年前、「あいうえお」から初めて、専門的な発表ができるまでになったのです。
 発表原稿は、日本語の先生や専門教育の指導教官たちがアドバイスをし、日本人学生がチューターとして留学生にひとりずつ付き添って手助けし、アシスト完璧の状態で発表に至ったのですから、いま心配している初級の学生たちも、大丈夫。

 各国から選ばれて日本に研究にやってきた優秀な教員たちですから、努力を続ければ大きな力を発揮できるのです。
 「だいじょうぶ、あなた達も、来年は立派な発表ができますから、心配しないで」

 今回発表した教員研修生たちに引用の許可を得たので、1年半でこのような研究を発表できるようになる、という例として、日本語での発表レポートの一部を紹介しましょう。

 発表トップバッターはインドネシアのクリス。パソコンのパワーポイントを駆使し、化学の実験風景や手作りの化学教材を聴衆に見せながらの日本語説明です。

 「化学実験の授業を通して、日常生活の中で実際にみることのできる化学反応を生徒が理解し、興味をもてるようにする」というのが、授業案に示されている「授業の目的」です。

 1年半前は、私に「ほら、この『しんふんをよみます』とかいてあるところ、点々わすれてますよ。『しんぶん』ですよね」なんて、注意を受けていた留学生が、化学教育についての研究を堂々と発表しています。

 「問題と背景」に書かれているクリスの日本語を、引用します。

化学は日常生活の中にあふれている。残念ながら、ほとんどの化学の授業では、実用的な内容は重要視しされていない。インドネシアや日本のような国では、学生は基本的な概念を理解せずに、答えを導くための経験方法を学習するような状況に置かれている。化学は、知識として覚えるというよりは、実用的であるべきものである。

 立派な日本語です。

 クリスは、洗剤と水の化学反応の親水性・疎水性、油分子と石鹸分子の混和性などの理解を、教える授業実践をしました。
 実験授業を通して、生徒が自ら興味を持って取り組める授業案をしめし、日本の高校で実際に授業を実施したあとのアンケート分析を発表していました。

<つづく>
2007/02/20 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(3)風船で分子構造、お菓子で化学

 クリスは分子モデルを細長いゴム風船、丸い風船をつかって、示し、赤い色の風船は油分子、水色は水の分子など、目で分子がどのようにくっついたり離れたりするのか、わかりやすく示していました。

 その上で、日常生活で毎日行う「シャンプーで髪を洗う」「石鹸でくつ下を洗う」などが、どのような化学反応によっているのか、生徒に理解させる授業案を示し、生徒が授業を理解できたか、興味をもてたか、などのアンケート結果を分析していました。

 日本でも、「化学記号を覚えるのもたいへん」「化学式の計算方法が面倒だから、大学入試に化学がある学部はさける」など、化学嫌いが増えているようです。

 クリスが身近な事例から化学の実験を行った授業はとても興味深いものでした。
 「日本と同じ化学の単元のあるインでネシアでも、実際に授業を行って検証していきたい」と、レポートをまとめていました。

 風船を使って分子構造を視覚的に理解させていくクリスの授業報告を聞いて、私の娘が単位制高校で受けた化学の授業を思い出しました。
 娘は高校で、「生涯教育開講科目」になっていた「お菓子と化学」という授業を履修しました。

 定年をあと1年後にひかえた化学の先生が、「教員生活の最後に、自分の思いどおりの楽しい化学授業を行ってみたい」という決意で、趣味のお菓子づくりを生かした「日常生活に密着した化学教育」をすることになりました。

 都の「生涯教育」として「お菓子づくりをしながら、日常生活に関わる化学を学ぶ」というカリキュラムを組み、応募した都民が参加します。同時に、在籍している現役高校生もこの授業を履修すれば化学の単位がもらえるのです。

 小学校のころからお菓子づくりが大好きだった娘は、「理科は生物と地学だけ履修すれば、卒業単位は足りるから、化学はパスのつもりだったけれど、お菓子づくりならがんばれるかも」と、科目登録しました。

 100分授業の前半はみなで楽しくお菓子を作ります。砂糖を混ぜるのも、粉がふくらむのも、化学が応用されています。粉や卵やバターの化学反応を引き出すのがお菓子づくりなのです。

 たとえば、重曹の正式名は炭酸水素ナトリウム。酸性物質(ヨーグルトやレモンなどのすっぱい材料)といっしょにすると、化学反応を起こして炭酸ガスを発生し、お菓子がふくらみます。

 また、ベーキングパウダーは、でんぷんのなかに数種類の化学膨張材が混ぜ込まれています。水分を加えると室温で反応し、炭酸ガスを発生します。パン生地がオーブンの中で加熱されるともう一度炭酸ガスを発生し、生地の膨らみを助けます。

 授業後半は、お菓子やパンを作る過程で見た化学反応を化学式で確認したり、計算したり。日常生活のなかにたくさんの化学反応があることを学びました。

 娘はついに元素記号を全部は覚えませんでしたし、化学ペーパーテストの成績はまあまあという程度でしたが、お菓子づくりの手際は抜群だし、熱心に受講したので、化学の成績は5段階評価で「5」でした。
 「化学なんて不得意に決まっている」と毛嫌いしていた娘ですから、うれしい誤算でした。また成績以上に嬉しかったのは、毎週娘が作ったケーキやクッキーの「おみやげ」を食べられたこと。おいしかったです。

 小学校や中学校の科学教育でも「まず興味をもたせる」「日常生活はさまざまな化学や物理を応用してなりたっている」ということから始めれば、楽しく科学教育が行えるだろうと思います。

 クリスはインドネシアに帰って、きっとよい科学指導者になれることでしょう。

<つづく>
2007/02/21 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(4)楽しい英語

 発表二番手は、タイのハイスクールで英語を教えてきたナーン。
 ナーンは、日本の中学校英語教育について分析をしたレポートを発表しました。

 ナーンのアンケート分析によると、日本の中学生は、なんらかの形で、学校の授業のほか、英語塾、会話教室など英語を学んでいる割合が高い。また、中学校に入学前に英語学習を始めていた生徒は54%、中学校で初めて英語にふれた生徒は48%、と報告している。
 実情として、中学生の半数以上が小学校時代に何らかの形で英語に触れてから中学英語授業を受け始めているのだという。

 日本の英語授業は、アクティビティ(教室活動)が工夫され、適切な教授法が計画されているが、英語に関して、ほとんどの生徒は外国人と会話したいと望んでいるのに、その機会はあまりない。
 英語が将来必要になるだろうと予測している中学生は88%もいるのに、一方12%は将来英語に関わる仕事をしたくない、と思っている。

 ナーンの結論部分の日本語を一部引用します。

日本の中学校英語授業では、英語と日本語の両方が使われていた。しかし、教師はできるだけ英語を使用するのが望ましいと思われた。
 また、生徒たちはクラス全体のディスカッションに参加していない姿が見られたが、これも、今日した楽しく面白い教室活動を準備することで解決できるのではないかと思われた。

 質疑応答では、タイの英語教育との比較などが出されました。
 ナーンは「タイでは、小学校から英語教育がはじまるので、中学校では英語の基礎ができあがった状態で学習をはじめます。
 したがって、日本の中学生とタイの中学生を同レベルで比較することはできませんが、今後、日本の小学校で英語教育を始めたあと、日本の中学校での英語教育がどのように行われていくのか、研究を深めていきたい。」
と、希望を述べていました。

 韓国の英語教師ヒョソンさんの報告では、韓国は1997年に小学校3年生(8歳)から英語教育を始めており、まもなく、小学校1年生からの英語教育が導入されことになっているそうです。

 小学校英語教育を受けた世代とそうでない世代を比べると、同じ英語テストをおこなったときに、800点満点で45~50点の差がでて、小学校から英語教育を受けた世代のほうが成績がよかった。
 単純に点数だけで英語教育の成果ははかれないが、早く英語をはじめたほうが、圧倒的に有利との考えをヒョソンさんは持っています。

 ただし、韓国では、ネイティブの教師が正式な小学校教師として英語を担当していることにより、効果がある程度だせたのだ、という話をききました。

 日本の英語教育は、韓国とは事情が異なりますが、小学校から英語教育を導入することに、タイのナーンも韓国のヒョソンさんも賛成で、できれば小学校1年生から英語のことばあそびや歌などをいれて、「楽しい英語」を教えるべきと考えていました。

 私は、中学校や高校の「英語を話すことも英語で論文を書くことも自在にはできない先生が教科書を教えることもあり、たまにネイティブのALT(英語指導助手)が会話を受け持つという現行のカリキュラム」のまま授業を続け、なおかつ「受験英語で勝ち残らなければ、評価されないという現状」のままにしておいて、小学校英語教育を拙速で導入することに反対する意見を述べたことがあります。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200612A

 「母語と異なる言語を楽しむ」という喜びを子供たちに与えられない授業をするなら、英語ぎらいの子供をふやす結果になるだけで、塾で英語学習をしていける層とそうでない層の格差を生むだけだろうと思います。

 ナーンさんの発表をきいて、せっかく小学校英語教育導入するなら、やはりしっかりした児童英語指導者の養成と、中学高校を含めた9年間12年間の全体を見通したカリキュラムをきちんとたてないと、結局母語も英語もダメという中途半端な言語能力しか持てない子供に育ってしまう、という感を強くしました。

<つづく>
2007/02/22 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(5)反比例の箱

 休憩をはさんで、パキスタンのフミの数学教授法の研究発表。
 フミさんは、日本で開発されたさまざまな教具を調べ、分析していました。

 日本語で書かれたフミの数学教育研究報告書は、次のような書き出し。

数学は教育の重要な内容の一つで、すべての科学の基礎として万人賞賛されてきた。それによって数学は、重要な教科となった。生徒は数学を学ぶことに寄って世界を理科史成長して幾多のに方法を見につけることができるこれらの方法としては、推論、問題解決力、および思考力がある。数学は化学や技術に応用されている。私たちはそれによって自然科学について探求することができ、私たちの環境をコントロールし、そして社会の期待および生活水準の変化を促す技術を開発することができる

 フミが紹介した教具の例。箱の中を二つの可動式板で区切ることのできる透明なプラスチック箱、二つに区切られた一方に粉を入れます。真ん中の区切り板を移動していくと、中に入っている粉の体積と高さが変化します。

 区切られた板を何センチ移動すると、粉の高さは何センチ変化するか?この教具をつかって、生徒に予想をたてさせたあと、実際に計量する。
 図表を作ってみると、区切り板と粉の高さは、連動して変化していることがわかってくる。結果、反比例の関係であることがわかる。

 ただ、数の羅列や、図表で納得させるより、自分で区切り板を移動させて計測することにより、反比例ということが、どういう現象なのかということを実体験として感じることができる。
 実際の生活のなかで、反比例関係がどのように現れるのかを、自分の目と身体で知ることができる。

 このプラスチック箱の実験をするには、計測の時間が必要になり、時間がかかる。先生が教科書の数値をみながら説明したほうが手っ取り早い。しかし、ただ数を並べて、反比例の式や計算方法を暗記し練習するよりも、はるかにものの考え方が身につくように思えました。

 フミが実施した実験授業案と生徒アンケートや研究授業参加者の反応を分析したところによると、「生徒たちに論理的な思考を的確に促すことができた」と、報告されていました。

 数学教具は、ひとつの教具を様々な内容の学習に活用できるものが望ましいのだとフミは説明しています。
 反比例の授業に使用した透明プラスチックの箱を立方体の体積概念、一次方程式などの授業でも使うことができるのだという。

<つづく>
2007/02/23 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(6)積分の箱

 私が子供のころ、教室にあった数学用教具といえば、大きな先生用のコンパスや三角定規、大きなそろばん、くらいしか覚えていません。
 個人用には、おはじきなどがはいった「算数セット」を購入しました。算数セットは、今でも小学校では購入が続いているのだろうと思います。

 しかし、中学校や高校では、教具の工夫など記憶がない。ひたすら教科書と数字で計算練習をやらされたような気がします。
 なぜマイナスとマイナスをかけると+になるのかもわからないまま、計算だけしていました。
 中学国語教師になって、数学の先生から水道方式の教授法をきいてようやく「なぜプラスになるのか」がわかった。

 私は中学で数学が苦手になってきて、高校では微分積分あたりからわからなくなりました。
 完全文科系の頭なのに、数Ⅰ、数Ⅱはおろか数Ⅲまでやらなければならず、数Ⅲなんか、教師の説明を宇宙語のように聞いていました。

 私が何年か前にきいた微積分の面白い授業。
 生徒に長方形の折り紙を一枚わたす。
 生徒は税として米を納めなければならない国民です。先生は税を受け取る王様の役。

 この紙の四辺をおり畳んで、箱をつくる。縦横何センチの箱でもよいが、出来あがった箱にすりきりで入るだけ、砂金を与えると、王様が約束した。

 ただし、いちばんたくさん入る箱を作り上げたひとりだけに砂金をあげる。それよりも小さい箱になってしまったら、その箱に入るだけの米を王様に献上しなければならない。
 さて、容量がいちばん大きくなるように、長方形を折り畳んで箱にするには、いったいふちの高さを何センチにすればよいのか。

 金をもらえるのか、米を献上するのか、えらい違いになる。
 積分の考え方で縦横の長さ、ふちの高さを決められるのだそうだ。
 紙を折り曲げてそれぞれが苦心してから、先生から「この紙一枚を使って、最大の体積を得られる計算方法」を聞き出せれば、興味津々で聞けたかも。

 こんな授業なら、微積分の学習にも身が入ったのに、私はさっぱり興味をもてない教え方をされたから(と、自分の数学的頭脳のなさを、工夫のない先生のせいにする)未だに微積分ってなんのことやらわかっちゃいない。数学への適応度ゼロです。

 ジョーは、南島のゆったりした生活からめまぐるしい日本の生活になって、なかなか適応できなかった。ホームシックになり、日本語授業でつまづき、クラスメートの進度についていけませんでした。

 日本語が上達しないジョーを、「あんなにできない留学生、初めて受け持った」と、あからさまに言う先生もいました。
 ジョーは頭の悪い人ではありません。島では数少ない高学歴者であり、近隣をたばねる役目も兼ねてきた指導力のある人です。日本語でつまづいたからと言って、「できない」などとレッテルを貼るべきではないと思いました。

 私がしたことは、日本語の補講ではなく、数学をジョーに説明してもらうことでした。
 私は数学が苦手。数学教師の話すことばが宇宙語にきこえ、何も理解できない教室にいる苦しさを、私は知っています。

 ジョーは数学ができる。数学ができる人を私は「尊敬すべき人」と思う。ときどき数学の式などを黒板に書いて、ジョーに解いてもらいました。
 日本語の説明がたどたどしくても、数学を並べていけば、解が出る問題。ジョーの得意の分野です。

 自分の得意なことを人に教えることは、きっと心によい影響をもたらすと信じました。「他の人より日本語ができない」と、萎縮している気持ちをほどき、昼休みにいっしょに学ぶ一題の数学の式が、ジョーの気持ちにゆとりと自信を与えると思いました。
 そして、たどたどしくても「日本語で説明しよう」と思う気持ちが、日本語学習に向ってくれればバンバンザイです。

 文化発表の授業で、島の伝統楽器アウニマコを演奏し、日本語で説明したジョーの顔は、ふるさとの文化への誇りで輝いていました。
 同じ島から日本へきた人と知り合えたこともあって、ジョーはなんとか「もう島へ帰りたい」という状況を脱して、最後まで日本での「教員研修プログラム」をこなすことができました。

<つづく>
2007/02/24 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>研究発表会(7)ジョーの数学教授法

 2007年2月9日のジョーの研究発表。
 ジョーの「研究の目的」を引用します。

数学は学校教育における主要な教科の1つである。さまざまな学問分野における多くの問題解決に数学の概念をしようすることができることから、数学を学習することはたいせつであり、価値があると考えられます。したがって、数学の指導プログラムを改善することでより効果的に数学を教えることができると考えられる。

 おお、立派な日本語になっているじゃありませんか。
 ただし、数学の研究授業報告部分では、ジョーはいくつかの誤記誤変換を見のがし、そのままプリントしてしまいました。

本研究では、中学校一年生に対して次の問題をもいて授業を実践していただいた。
(注:「次の問題をもちいて授業を実践させていただいた」の誤りと思われます。)
(ジョーの例題)
[問題]2人の男性と2人の少年が皮の反対側に、できるだけ少ない回数で渡りたい。彼らは泳ぐことができませんが、カヌーが一台だけあります。全員カヌーをこぐことはできますが、カヌーは1人の男性化2人の少年しかのることができません。全員が反対側に移るには、川を何回渡ればよいでしょう。ただし、一方の岸から他方の岸へ移動するときに、一回数えます。(注:皮→川 カヌー一台→一艘 男性化→男性か)

 ジョーは「G.Polyaの問題解決方法」という教授法を用いた授業を実践し、生徒の反応をアンケートによって分析しました。

 ジョーの研究結果によると

G.Polyaの問題解決の方法を取り入れた授業を受けた生徒の多くは、問題解決の過程に沿って、問題を理解し、計画を立て、計画を実行し、解決策を振り返ることが数学の問題解決に役立つと述べた

 ジョーは、日本語でけんめいに発表をし、質疑応答もこなしていました。
 質問は同じ教員研修生による「仕込み」でしたが、「カヌーで、岸を渡る問題の答えを教えてください。カヌーの行き来は何回なんですか」というもの。
 ジョーは自信たっぷりに「9回です」と答えました。

 解答 1回目 少年2人a bが向こう岸へ。2回目少年aがこちら側へ戻る。3回目男性Aが向こう岸へ。4回目少年bがこちら側へ戻る。5回目。少年a bが向こう岸へ 6回目少年aがこちら側へもどる。7回目男性Bが向こう岸へ。8回目少年bがこちら側へもどる。9回目少年a bが向こう岸へ。

 ジョーは結論の「提言」として

日本の学校において実施された学習指導は、我が諸島の学校でも適用することができると考えられ、その際、問題解決のための表現を用いたり、ヒントカードを工夫したりすることをより強調するべきである。
と、結んでいます。

 南の島に帰ったのち、ジョーはきっと日本での数学授業研究の成果を生かして、立派な数学教師として生徒たちの指導にあたっていくことと思います。
 いつか、島のこどもたちに数学を指導するジョーの授業を参観してみたいなあ。
 
<研究発表会 おわり>

春庭ニッポニアニッポン語教師日誌「留学生文化発表会その2」

2015-02-28 | 日本語
留学生文化交流発表会 Show & Tell(2)

2006/07/23 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>前期もめでたくこれにておひらき(1)今期の文化発表ソロバンと料理とギター

 日本語教師の「役得」として、私が毎期楽しみにしている授業、会話クラスでの「自国の文化発表」があります。
 毎回、学生たちは、はりきって自分たちの文化をクラスメートに紹介します。観客はクラスメートのほかは、担当教師の私だけなので、日本語をまちがえても平気、ときには英語まじりで、楽しく発表をしています。

 今期の「10人のうち6人がスペイン語母語話者」という陽気なクラスでも、にぎやかに文化発表会を行いました。
 前週に、私が「そろばんでの計算方法」と「百人一首」を紹介しておきました。それをお手本にして、「説明する」というパフォーマンスを行うのです。

 私の見本の次に、パキスタンのシャーさん、「わたしは、今日説明します」と、手をあげました。
 ちょうどこの日、パキスタンの民族衣装をきて登校していたので「パキスタンの男性の伝統衣裳について」という発表をしたい、というのです。

 パキスタンの民族衣装はシャルワールカミーズという、ひざ丈のワンピースのような上着とズボン。男性用は無地。女性用は花柄などもあります。
 男性用上着の丈が短いとき、ズボンの裾が広い、ズボンの裾が細いほど、上着の丈が長くなる。

 新婚4ヶ月目のシャーさん、婚結婚式のときは、上着の前部分に花の刺繍を縫い込んだものを着る、などの説明を、しました。
 一生懸命説明したのですが、日本語でことばにつまると、英語で説明をはじめ、それを私が日本語にしたあと、リピートする、というやり方になってしまいました。

 やはり、準備なしにいきなりでは、日本語での説明はむずかしいということになりました。それぞれ準備をして、次週発表しましょう、と宿題にしました。

 文化発表の話を「日本語教員養成クラス」でしたところ、日本人女子学生が「ぜひ、見学させてください」と申し込んできました。発表の当日の授業が休講になっているので、時間があるというのです。
 「日本の文化のなかで、簡単で楽しいものをえらんで、あなた自身も発表すること」という条件で、見てもらうことにしました。

 文化発表会当日。
 はじめに、自己紹介。先生以外の日本人が教室に来たのは初めてなので、みな最初はちょっぴり緊張して、それぞれ自己紹介をしました。
 ホームビジットの前に何度も練習した日本語の自己紹介なので、じょうずに言えます。緊張もほぐれました。
 日本人学生サヤさんは日本語教師になりたいと、がんばっているところです。
 
 最初は女性3人がそれぞれの「お国料理」の作り方を発表しました。
 メモを見ながら、ときどき「センセー、手伝ってください」と、教師に助けを求めながらでしたが、インドネシアのリルは「ピサン・ゴレン(揚げバナナ)」、ペルーのアナは魚料理「セビチェ」を、イランのサラはペルシャ風デザートを紹介しました。

 料理の説明はたどたどしい部分もありましたが、授業が始まる前に、前もって黒板にレシピをに書き込んでいたので、材料や作り方がよくわかり、どれもおいしそうな料理と思えました。

 コスタリカのホセは、ギターが得意。13歳からクラシックギターの練習を始めたのだそうです。彼が披露した曲は、ブラジル人の作曲家の現代クラシック曲でした。
 すばらしい音色で、しばしクラシックギターコンサートに聴き惚れました。

<つづく>
19:41 |

2006/07/24 月
ニッポニアニッポン語教師日誌>前期もめでたくこれにておひらき(2)今期の文化発表、サルサのあゆみと牛追い祭り

 キューバのフリオは、「今日、みなさんに、サルサの歩みを教えます」と、説明を始めました。「サルサのあゆみ?サルサの伝統についての歴史的な紹介かしら」と、思ったら、「How to dance SALSA」をする、というのです。
 「あ、それなら、サルサのあゆみ、じゃなくて、サルサのステップを教える、と言うほうがいいですね」

 フリオが辞書で「step」を調べたら「歩み」という名詞がでていたので、これだ!と思って「Salsa step=サルサの歩み」と表現したのでしょう。私の手持ちの英和も、stepの一番最初の和訳は「歩み」です。

 日本語で「~の歩み」と表現したときとき、赤ちゃんとか馬とか、実際に一歩一歩歩く姿が問題になるような場合のほかは、「~の歩み」は「~の歴史」のニュアンスになることまでは、英和辞典にも西和辞書にも載っていません。

 文脈ごとの語の意味範囲まで的確に教えるには、もう少し学習がすすんで、初級を終え中級に進んでからにしたほうがいい、初級では「今の場合は、ステップがいいですよ」と言うにとどめておきます。

 フリオが自分で持ってきたスピーカーに、ICレコーダーを接続すると、サルサミュージックがかかりました。
 金曜日午後の国際教育棟、授業をしている教室は、私のクラスだけなので、どれほど大きな音を鳴らしても、他の教室から苦情が出ることもないのが、ありがたい。

 フリオが「いちにさん、ウノ・ドス・トレス」と、リズムをとってステップを踏むのをマネして、日本人女子学生のサヤさんも、イランのサリさんもステップを踏んでみました。

 もちろん私もノリノリで。でも、私のステップをみて、フリオは「あ、これはサルサではありません。メレンゲです。サルサとメレンゲは、ちがいます」と、教えてくれました。
 はい、覚えました。サルサとメレンゲは、べつのダンスです。

 スペインのファンは、「バスク地方の牛追い祭り」を紹介しました。彼自身はバスクの出身ではないのですが、私がバスク語とバスク文化に興味を持っていることを知って、発表テーマに選びました。

 「サン・フェルミン(San Fermin)の祭り」
 スペイン語で「パンプロナ(Pamplona)」、バスク語では「イルーニャ(Irun~a)」と呼ばれる町で行われます。
 人と牛がおいかけっこをする「エンシエロEncierro(牛追い)」が、7月の初旬に行われるのだそうです。

 ファンは、小さな町の街路を牛と人とが走りぬけるようすを説明してくれました。
 私が俳句の話をしたとき、ファンは即座に「あ、知っています」と、日本語で「なつくさや つわものどもが ゆめのあと」と、一句をクラスメートに披露しました。日本文化通のファンですが、日本語会話力はクラスで一番弱いのです。

 ファンの日本語説明の足りないところは、実演でカバーです。
 わたしが指を頭の上にたてて角にみたて、牛の役をして、ファンが牛に追いかけられて走る人の役をして、教室をふたりで走りまわりました。

<つづく>
14:40 |


2006/07/25 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>前期もめでたくこれにておひらき(3)今期の文化発表、氷河とくす玉

 バスクは、スペインのピレネー山脈側、フランスに近い地方で、独得のバスク語を話します。バスク語は、インドヨーロッパ語族ではないので、ヨーロッパのどの国のどの地方の言語とも異なっており、言語系統がわからない言葉です。

 バスク地方出身者で、日本で一番有名な人は、フランシスコ・ザビエル。
 「ポルトガルから鉄砲とキリスト教がもたらされた」と、歴史の時間に教わったのみだったので、ポルトガル人だと思っていたザビエルがバスク人だと知ったときは、「へぇ、へぇ」と思ったものでした。

 ザビエルは、バスク地方のナバラ王国(バスク語ではナファロア王国)の総理大臣の息子でした。
 ザビエル(Xavier)は、バスク語とナバール語を話して育ったそうです。19歳でパリ大学へ進学。当時の学問修得での使用言語はラテン語でした。

 Xavierの、ポルトガル語での発音はシャヴィエル。現代スペイン語ではハビエル Javierに相当する名です。
 今期のクラスにもハビエル君がいます。アルゼンチン出身。

 ハビエルは、アルゼンチン・パタゴニア地方のペリトモレノ氷河を紹介しました。パソコン持参で、去年パタゴニア地方を旅行したときの写真をスライドショウにして見せました。
 ロスグレシャス国立公園(Los Glaciares National Park)の 真っ白な氷の大きな固まりをみて、雪や氷がめずらしいインドネシアのリルは、大感激。「氷の上を歩けますか」など、質問をしました。ならったばかりの可能形、ちゃんと会話に使えました。

 ハビエルの説明によると、氷河トレッキングツアーがあり、ガイドの案内で、クレバスをさけながら氷の上を歩いていけるそうです。

 氷河をかこむアルヘンティーノ湖を船ですすみ、氷河に近づいていくところ、氷河の大きさや厚さなどは、黒板に図を書いて、なかなか興味深い説明ができました。
 毎年、氷河の一部が崩落して湖に流れ落ちる。一日10cmから1mも氷河は移動しているのだそう。

 エルサルバドルのアリーが発表したトピックは「子供のパーティに欠かせないもの」
 何が欠かせないかというと、それは、キャンディがいっぱいつまったくす玉。名前は「ピニャタ」
 アリーは、手作りのくす玉を作って持ってきました。

 子どもたちがパーティをしている写真の紹介と説明のあと、ファンが手伝って、手作りくす玉を割りました。
 教室の床にキャンディが散らばりました。節分豆まきのあとのようです。学生たちは子供時代にかえったようすで、楽しそうにキャンディをひろいました。

 「キャンディをなめながら、あとの授業を受けていいよ」、ということにしました。普段は、「語学授業は口を動かして発音するのだから、食べ物を口に入れてはだめ。のどがからからになると困るから、飲み物は許可するけれど」と、釘をさしているのですが、今日は特別。

<つづく>
00:03 |


2006/07/26 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>前期もめでたくこれにておひらき(4)今期の文化発表、お手玉と折り紙かぶと

 サヤさんのお礼の「日本の文化発表」は、「お手玉」。
 学生たちは、キャンディを舐めながら、サヤさんの発表に見入ります。
 「日本の子供の伝統的な遊びです」というごく簡単な説明だけにして、あとは実演。

 わたしも、サヤさんもお手玉ふたつでしか遊べません。かわりにホセとファンがお手玉三つをつかったジャグリングをしてみせました。
 興味を持った学生からサヤさんに「お手玉はどこで買えますか」という質問がでました。またまた可能形での質問。日本人相手にちゃんと可能形が使えたので、日本語教師、教えがいがありました。

 サヤさんは、「これは、百円ショップで買いました」と、答えました。小さなお手玉が5個、きれいな紙製の箱に入って100円。
 「わあ、これで百円は安い、国へのいいおみやげになる」と、学生は買いたいようすです。
 この値段、百円ショップの仕入れ先を考えると、メイドインチャイナか、ベトナムか、という製品と思いますが、ま、そこは気にしない。「日本的なおみやげ」として、国元では喜ばれることでしょう。

 サヤさんの発表のつぎは、私の授業。
 「教科書の89ページをひらいてください」と言うと、学生達「ええっ、こんなに楽しくすごしたあとなのに、まだ、教科書の勉強をするの」と、不満そうな顔で教科書をだしました。

 88ページには「手順を説明する」という文例がのっています。料理の手順、ワープロの使い方の説明など。
 89ページは、「折り紙かぶとの作り方説明」です。

 教科書の勉強といっても、文法の復習やドリルではなく、「おりがみ」の実習だったので、みんな「ホッ」という顔で、私が配った四角い紙を手にしました。
 最初に小さい白い紙で手順を説明しました。「はじめに、三角に折ります。もう一度三角に折ります。つぎに、、、、」という手順を守って、みなじょうずに折れました。

 次に新聞を広げた大きさの広告チラシを真四角に切ったものを渡します。小さい紙で折った通りに繰り返し、自分の頭にちょうどいい大きさのカブトが出来上がり。

 ファンは、カブトをかぶって、すっかりサムライ気分。教室にある指事棒を竹刀のようにふりかぶって、チャンバラのマネをします。日本文化に強い興味を持つファン、きっとクロサワ映画か何かで、チャンバラシーンを見たのでしょう。

 最後にサヤさんを囲んで、それぞれカブトをかぶって写真をとりました。日本で買ったケータイで、はい、カシャリ。

07:41 |


2007/02/15

留学生文化交流発表会 Show & Tell(3)
2007/02/15 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>2007年2月初級日本語留学生による文化発表Show & Tell(1)ニャンドゥティは蜘蛛の巣

 今期も、受け持っている日本語研修コース初級の留学生たちによる「自国の文化発表Show&Tell」を1月末から3週に分けて「クラス活動メインイベント」として実施しました。

 最初の週は、日本人学生ふたりの参加を得て、折り紙教室を実施。ひとりは紙風船、ひとりはアヤメの花の折り方を指導。私は、鶴担当(これしかできないので)。
 留学生を3つのグループに分けて、それぞれ自分の作品を完成させました。
 自国の文化発表は、タイ、ミャンマー、インドネシアふたり、フィリピン。

 2週目は、大きな広告チラシをつかって、自分の頭にかぶれるカブトをおりました。
 自国文化発表は、イラン、ベトナムふたり、パラグアイ。
 3週目の発表は、メキシコ、中国、マレーシア。
 各学生が自国の文化を紹介する、私のお楽しみ授業。今期もさまざまな発表がありました。

 タイのエーさんは国王の肖像のあるタイのお金を紹介しました。お札の表にあるプミポン国王は昨年統治60周年のお祝いを行い、国民に親しまれていること、裏側には歴代の国王の肖像があることを発表しました。
 フィリピンのフェルさんも自国のペソ札に描かれた名所を紹介。

 ミャンマーのオンマさんはみみずくの飾りものを皆にみせて、ミャンマーではドアの前にこれをぶら下げておくと、客や福が入ってくると信じられている、と紹介し、日本の招き猫にあたる、と文化比較を発表しました。

 インドネシアのリラさんは市場の写真と市場に並べられている果物の紹介。同じくインドネシアのメナさんは古い時代の遺跡を写真で紹介。遺跡がたくさんあるのだそうです。

 イランのアリさんは「ペルシャ絨毯」の紹介。
 アリは、小さめの絨毯を広げて見せ「これは機械でつくりましたから、高くありません。手で作った絹の絨毯は高いです」と説明。「日本の円で買うといくらくらいですか」と質問を受けました。

 イランのお金のリアル、日本の百円コインは約8300イランリアルに換算されるということも、留学生たちはへぇと初めて知り、しばし、自国通過と日本円の換算率の話になりました。百円コインがいちばんわかりやすいというので、百円ショップで買えるものなどをイメージしながら、両替談義。
 日本の百円コインはマレーシアの3リンギ、フィリピンの40ペソに換算される、など。
 
 パラグアイのハラは、ニャンドゥティ・レースを皆に見せました。
 きれいなレース編み、ニャンドゥティ(Nanduti)とは、蜘蛛の巣という意味。蜘蛛の巣のように繊細にレースが編みこまれています。
 カラフルなニャンドゥティをつなぎ合わせたドレス、すべて手作りですから、とても高価なものだそうです。
 パラグアイの通貨グアラニー。百円コインは5000グアラニー。

 中国のファンさんも、中国の元のお札や写真での名所紹介
 マレーシアのシリィさんは、マレー風お手玉の遊び方を紹介。また、マンゴスチンやランブータンなどさまざまな果物を酢と砂糖でつけたデザートを作ってきて、皆にふるまいました。おいしかったです。ごちそうさま。

<つづく>
2007/02/16 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生による文化発表Show & Tell(2)グアダルーペのマリア

(文化発表会のつづき)
 ベトナムのタウさん、メキシコのアニーさんは、ノートパソコンを駆使して自国の風景や名物を紹介しました。

 タウの紹介したメコン川で暮らす水上民族の話はよくわかりました。川のボートで一生をすごし、食事もトイレもすべての生活が水上という人々の暮らし。
 「ボートで荷物を運ぶ仕事をしたり、ボートに果物や野菜を積んで売ります」タウの日本語説明にうなずく留学生たち。

 「子供たちの学校は?」というクラスメートから出た質問に、タウは「学校の近くまでボートで送っていって、子供はボートを下りて学校へいきます」と、答えていました。

 アニーは、クラスで一番日本語が弱い。楽しそうにクラスになじんで漢字学習もいやがらずに取り組んでいるのだけれど、なかなか日本語が身につきません。
 アニーは発表のことばをメモしてきて、いっしょうけんめい説明しました。しかし、アニーがメキシコのマリア信仰について話すことば、私にもよくわからない部分がありました。

 ひととおり日本語で話した後、学生たち、アニーの日本語説明を理解しようとするのをあきらめて、英語でもう一度教えて欲しいと頼みました。
 教室共通語の英語に切り替えて説明。

 キリスト教カソリックには、ローマカソリック本山バチカンの法王から「真のマリア出現」と認定をうけている存在があり、「世界三大聖母マリア」として、熱心な信仰を集めています。

 ひとつは、1917年5月13日にポルトガルのファティマに出現したマリア、もうひとつは、1858年2月22日にフランスのルールドに出現した聖母マリア。ルルドのマリアは、私も聞いたことがあります。

 三大聖母のなかで、新大陸に出現した聖母がいちばん古く、1531年12月9日、メキシコに聖母マリアが姿を現しました。
 マリアはインディオ男性の前に姿を見せ、「私をグアダルーペのマリアとよび、教会を建てなさい」と告げました。

 ローマ法王はこのマリア出現を奇蹟と正式に認め、12月12日をグアダルーペのマリア祝日としました。
 メキシコ人は、今もなおこのグアダルーペのマリアを民族の象徴として深く敬愛し、メキシコ人統一の精神的シンボルにしています。
 毎年12月12日のマリア祝日には、大勢の人が集まって、信仰のあかしをたてます。

 「ああ、そういうことだったのか!」
 皆、パソコンに表示された宗教画やマリア像の意味がわかって、納得。
 アニーのつかう日本語がなぜわかりにくかったのか。それは。

<つづく>
2007/02/17 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生による文化発表Show & Tell(3)サクラメントは秘蹟

(文化発表のつづき)
 なぜ、アニーの日本語はわからなかったのか。
 彼は母語のスペイン語で説明を考え、ひとつひとつの単語を辞書でひいて日本語に翻訳しました。
 初級の日本語学習者には難しい単語を並べたので、日本語らしきことばで説明しているようなのに、クラスメートにはその単語の意味が正確に伝わりません。
 辞書をひいて調べたはずの本人も、その単語の正確な発音はできず、私にも意味がわからなかったのです。

 たとえば「メキシコはひーせき、じゅようです」と、アニー流の発音で説明されても、私にも何が言いたいのかわかりませんでした。
 「え?ヒーセキ、ジュヨウ?宝石の需要があるのですか?メキシコ人は宝石が好きなの?」なんて、話がとんちんかんになってしまった。

 「秘蹟sacrament」というまだ習ったことのない単語を出して「メキシコ人にとって秘蹟は重要です」と、言いたかったのです。

 初級の日本語表現にとって、無理矢理単語を翻訳するよりは、今知っているやさしい日本語の単語と文型を組み合わせて、どれだけ自分の考え思いを表現できるか、そのアレンジ力が重要となります。

 初級クラスで今までに習った文型だけで「メキシコ人はキリスト教を信じています。特に、マリア様が大切です。毎年12月12日はマリア様の祝日です」と表現すれば、十分に他のクラスメートにも理解できる日本語になるのに、やたら難しい宗教説明になってしまったのでした。

 母語や英語では研究の専門的なことも、高度な宗教談義も表現できるのに、日本語となると「小学生のような表現」になってしまうことが、彼らにはもどかしいのです。それでつい、難しい単語を使ってしまう。

 難しい単語や専門用語は、あと1年するとたっぷり使うチャンスがあります。
 クラスの半数の「教員研修生」は、1年後に教育研究の成果を日本語で論文にまとめて発表することになっているのです。

 う~ん、アニーさん、母語のスペイン語はもちろんのこと英語も上手ですけれど、もっと日本語学習がんばりましょうね。

 次回は、1年前に私のクラスで日本語を「あいうえお」からスタートした留学生たちが、1年後には立派に教育学研究の発表を日本語で行った報告です。

<おわり>

春庭ニッポニアニッポン語教師日誌「留学生文化発表会その1」

2015-02-28 | 日本語
フランスへ行くときはジュテーム、ドイツ旅行では「イッヒリーベデッヒ」、ケニアでは「ナクペンダ」中国では「ウォーアイニィ」。韓国では「サランヘ」

日本語教室はあいがいっぱい
日本語はおもしろい(18)日本語教育の現場から「あい」から始める日本語のおけいこ

ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語講座 あいうえおのおけいこ
日本語学習、「あい」は最初に覚えてね、誰かに愛を語る日のため

 初級、ゼロスタートのクラス。最初はア行とカ行の練習。
 「あかred」「あおblue」「おかhill」「きくchrysanthemum」「こけmoss」「かきoyster」「いけpond」など、ア行とカ行の仮名だけでできている単語を練習します。(平仮名練習テキストによって、選ばれている語は違うけれど)

 次に、サ行が加わると、語彙をぐんと増やすことができる。「あさmorning」「かさumbrella」「あしfoot,leg」「いしstone」「すしsusi」など、組み合わせがふえていく。

 絵カードと文字カードを組み合わせて教えていくので、最初は、具体的に絵で表せる語を教えます。
 絵にできない抽象的な語は、できるだけ避けたほうがいいのですが、私は、特別にひとつだけ抽象的な語を教えます。「あい」
 絵カードは、人と人のシルエットの間にハートマークを書き入れた絵。(最近は、この「人と人」がはっきり「男と女」に描き分けられたものは避けています)

 1時間目、「ひらがなア行カ行」「日本語のあいさつ」2時間目、「サ行タ行」「自己紹介の言い方」などを含めて、最初の日のレッスンが終わるとき、私は、「あい(愛)」を紹介しています。

 サバイバル言語として、「あいさつのことば」「数字の言い方」「これ、ください」「いくら?」などは、世界中どの地域でも、日常生活で最初に必要とされます。
 そして、若者が一番先に知りたがる言葉は「I love you」
 みな、覚えたがる。

 そこで、「ア行」がじょうずに書けるようになったところを見計らって、「あい」は「love」「I love you」は、「あいしてます」と、教えます。みな、いっしょうけんめい「あいしてます」「あいしてます」と、練習する。人生に必要なことばは、強制しなくてもちゃんと覚えます。
 「あい」は最初に覚えてね、誰かに愛を語る日のため(春庭)

 文型として「~ている」を教えるのは初級のずっとあとのことですが、「あいしてます」をひとつの単語のようにまとまったことばとしてまとめてしまう。
 「はじめまして」のあいさつを、最初は「初め」+「丁寧の接辞ますのテ形、~まして」などと分析的に教えずに「はじめまして」と、ひとまとまりのことばとして教えるのと同じで、「あいしてます」をひとまとまりのことばとして扱うのです。

 「おはようございます」「こんにちは」「ありがとう」などの挨拶ことばが言えるようになったら、次は自己紹介の言い方を練習します。
<つづく>
(2006/03/13)

ボスニア・ヘルツェゴビナ、ラトビア、バーレーン、オマーン、コスタリカ、グアテマラ、パナマ、パレスチナ、、、、どこにあるか、世界地図をぱっとさせる?
日本語はおもしろい(19)日本語教師日誌 留学生は世界中から

ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語教師日誌 世界の国からこんにちは

 「春庭さんが教えているのは主にどこからきた学生が多いのでしょうか」というページビューの質問を受けました。
 お答え。いろいろです。世界中からです。
 私は、国立大学2校と私立大学3校に出講しています。5つの大学で、レベルがことなる7つのクラスを受け持ち,
9種類の科目を担当しています。

 私立大学の担当のひとつは、日本人学生対象の日本語教師養成コースでの日本語教授法。クラスの人数は30~40人。二つ目の私立大学では日本語学(概論、日本語音声学など)を日本人学部学生に教えます。

 三つ目の私立大学では、アジアの学生を中心としたクラスで日本語文章表現(作文)と日本事情(日本の歴史と文化)を教えます。クラスの人数は20人~30人。

 国立大学は、留学生のための日本語集中コース。
 1校では日本語中級前半レベル。現在は漢字、作文、会話の授業。1クラス10名前後。
 もう1校では完全初級レベル。漢字と会話の授業。1クラス10名前後。

 国立大学の留学生は、交換留学生と文部科学省招聘国費留学生が主なので、国籍は、世界中の国からです。
 この10年余りで、国連加盟国191ヵ国のうち、半分の80余国からの留学生を受け持ちました。あと10年で、残りの半分の国の学生とも出会いたいものです。

 今までに出会った学生の国籍をあげるなら、
アジア28ヵ国)韓国、中国、台湾、モンゴル、フィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー、インドネシア、スリランカ、バングラディシュ、インド、ネパール、パキスタン、イラン、サウジアラビア、オマーン、アラブ首長国連邦、バーレーン、クェート、レバノン、イスラエル、パレスチナ、ヨルダン、シリア、トルコ

ヨーロッパ21ヵ国)フィンランド、スエーデン、ノルエー、ドイツ、ポーランド、ウクライナ、ロシア、ラトビア、エストニア、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、スイス、オーストリア、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、イギリス、

アフリカ12ヵ国)モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、エチオピア、セネガル、ガーナ、ナイジェリア、カメルーン、ケニア、南アフリカ

南北アメリカ16ヵ国)カナダ、アメリカ合衆国、メキシコ、ドミニカ共和国、グアテマラ、コスタリカ、ホンジュラス、パナマ、コロンビア、ペルー、ブラジル、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイ、チリ、アルゼンチン

オセアニア5ヵ国)ニュージーランド、オーストラリア、西サモア、ソロモン諸島、パプアニューギニア

 私立大学外国語学部日本語学科。アジア中心の留学生30名前後。今まで在籍した学生の国籍は、中国、韓国、台湾、タイ、マレーシア、クエート、イランなど。日本語能力試験1級合格レベル(上級)の学生たちに、日本事情(日本の歴史と文化)と日本語文章表現法(作文)を担当しています。

 というぐあいで、私の担当は多岐にわたっています。
 大学ではなく、中学高校におきかえると。中学高校一貫校社会科の先生が、ひとりで、中1から高3までのレベルが異なる学級で、地理・日本史・世界史・公民・現代社会・環境論・国際社会論等の課目を毎週教えているようなものと考えてみてください。
 あるいは、高校理科の先生がひとりで、天文学・気象学・化学・物理・生物・科学思想史などなどを教えている、ともたとえられます。
 たいへんです。

 授業の下調べ教材準備も時間がかかるし、作文の添削をして、すべてにコメントを書き入れて返却するなどという面倒なことも毎週していますから、授業時間外の仕事が膨大です。
 でも、講師料は授業時間分だけですから、皿洗いのバイトをしている留学生より時給計算が低くなるという週もあります。
 貧乏です。

 非常勤講師、大学ヒエラルキーの中の最底辺で、時間労働を切り売りする日雇い労働者です。
 非情です。
<おわり>(2006/03/27)

世界中から集まった留学生のクラス、異文化がとびかう教室風景、のぞいてみませんか

留学生の文化交流発表会 Show & Tell(1)

日本語はおもしろい(20)日本語教師日誌 日本語教室は「あい」がいっぱい!その1

ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語講座 文化を知らせ合うShow & Tell
 世界中から集まってくる多種多様な留学生達。日本語コースでのクラス日誌を大公開。

「タイ伝統舞踊の首飾り」

 日本語初級会話の教室。
 タイのナーンは、タイ舞踊に使う銀の首飾りとタイ舞踊の衣裳をつけた踊り手たちの写真を見せました。
 「この写真。写っている、、、、They are my students、えー、あー、My students、、、、、」
 教師からの助け船「私の教え子たちです」

 「あー、私の、おしえごたちです。卒業式のパーティで踊りました。せんせい、パーティ、いいですか?」「ええ、日本語でもパーティですよ」
 「はじめに、伝統のメーキャップします。それからドレスを着ます。ドレスは、タイシルクです。そして、首に銀の飾りをつけます」

 写真に写っている10人のかわいい踊り子たちのうち、4人は男子高校生という発表に、みんな、「わあ、きれい!女の子よりも女らしい」と、驚きました。

 日本語研修コースの仕上げとして、初級クラスの留学生たちに「自分の文化やことばをクラスメートに日本語で説明する」という授業を行っています。
 いろんな文化やことばに出会えて、毎年わたしも楽しみにしている授業なのです。

 受け持っているクラスのうち、ある日本語研修コースの場合。
 10月からの後期クラス。大学院進学クラスは、各国の優秀な先生が選抜された「教員研修生」が多い。教育学部大学院での研修を1年続けた最後には、日本語による論文発表があるので、日本語力は重要です。

 4月からの前期クラスは、医学部工学部などの大学院進学予定の学生が多く、日本語コースの成績は直接進学には影響しません。大学院教育を英語だけで行う分野も多く、英語ができれば研究にはさしつかえないという先生もいる。日本語は「日本での生活していければよし」という程度を要求されるだけです。

 英語による専門分野の試験成績のほうが重要視されることを知っている学生の中には、「日本語?ノープロブレム!」と、あやしげな日本語でも気にしない学生もいます。
 ノープロブレム?もうちょっとちゃんと勉強しなさいよ。こうやって熱心な教師が手取足取り教えているのだから。

 タイのナーンは、自国では英語の先生をしています。教育学部で英語科教育法の研究をする予定です。

 2006年2月。もう日本語コースも終わりに近づいたある日の練習。
 「はじめに、次に、それから」という「順番を追って手順を説明する」という表現の練習で、折り紙の兜を作りました。
<つづく>
(2006/04/03)

折り紙教室も日本語授業の一環。日本文化を楽しく学びながら、日本語も上達します
日本語はおもしろい(21)日本語教室は「あい」がいっぱい!その2 

ニッポニアニッポン語教師日誌>文化を知らせ合うShow & Tell(2)折り紙のカブト作り

 折り紙のカブト作り。
 上手に作ることそのものが目的ではなく、「はじめに、次に、それから」という「順番を追って手順を説明する」という表現の練習、口慣らしで日本語を言ってみることが大切。

 デモンストレーションとして、私が「はじめに~」「次に~」と、順をおって折り方を説明し、学生は私の説明通りに折っていきます。
 途中で教えるほうが「あれっ、おかしいな」なんて、間違えたりして。
 ホームステイで、おばあちゃんから折り方を習ったというパキスタンの学生にヘルプしてもらいました。

 日本では国費留学生(日本国文部科学省奨学金給費生)という立場ですが、自国では、中学校・高校、大学などの先生をしていた人たちです。ヘルプも慣れたもの。
 折り紙、私がまちがえちゃっても、皆寛大に、「大丈夫、ノープロブレム」と言ってくれます。

 最初は普通の折り紙を使います。折り方を順に説明して、練習。
 次は大きなチラシ広告を四角に切って、頭にかぶれる大きなかぶとに挑戦し、「ジャパニーズ・サムライ・ヘルメット」のできあがり。
 みんな自分の頭にカブトをかぶって、嬉しそうでした。

 教師の折り紙紹介のデモンストレーションの次の週は、学生による「自国文化」の紹介Show & Tellをしました。

 「こんにちは」「はじめまして」の練習から始まった会話の授業、4ヶ月間で初級レベルの文法事項を「新幹線授業」でひととおり習ったとはいえ、まだまだうまく口がまわらないクラスです。
 4ヶ月の「仕上げ発表」のひとつとして、私は「Show & Tell」を楽しみにしています。自国の文化をクラスメートに日本語で説明する、という口語表現発表、上手にこなす学生もいるし、まだまだ日本語が不十分な学生もいます。

 文化紹介。
 かって、ブラジルの男性が見せてくれた「カポイエラ」。武術と踊りが合体した興味深い動きでした。
 韓国の女性が演奏してくれた「短笛タンソ」。インドネシアの竹の楽器アンクルンの演奏もすてきな音色でした。
 ネパールの絵はがきによる名所案内。ヒマラヤの雪に覆われた高峰、美しかった。
 子供の頃から習ってきたというタイ女性によるムエタイ(キックボクシング)の型紹介、、、、、、。

 どの学生も一生懸命説明します。みな、自国の文化を誇りに思っているからです。
 「自国の文化発表Show & Tell」は、教師冥利につきるとても楽しい授業です。日本に居ながらにして、世界中のさまざまな文化を知ることができるのですから。
 毎年、音楽発表あり、「こどもの遊び」紹介あり、学生の個性が発揮されます。

 どんなことでもいいので、自分の得意なこと好きなものについての発表を、日本語で行うことになっているのですが、ときには日本語につまってしまい、英語での説明がはさまることもあります。それでもかまいません。
<つづく>
(2006/04/06)

留学生、お互いの文化を知らせ合う発表会で、失敗もあり笑いもあり
日本語はおもしろい(22)日本語教師日誌 日本語教室は「あい」がいっぱい!その3

ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語講座 文化を知らせ合うShow & Tell
「パンジャブの絞り染めスカーフ」

 初級クラスの音声表現発表は、学生自身が「日本語で発表しよう」という意欲をもって、発表のために自分から積極的に辞書をひいて単語をしらべたり、発音の練習をする自発性が大事。
 「完全な日本語で、まちがいなく発表しよう」として緊張するよりは、ときどき英語まじり、クラスメートが和気藹々に日本語を口にしてみるという機会なのです。

 今期の初級日本語クラスの学生達、初級文法を超特急でならったものの、まだまだ日本語会話は一人前とはいえません。
 しかし、自国では中学高校の先生をしている人たちですから、立派に発表ができました。

 パキスタンのフミは、頭にまいていたスカーフをはずし、「これは、私のふるさとのスカーフです。バンジャブの布です」と、絞り染めの過程について説明しました。

 「はじめに、ビーズをひとつ布の上におきます」「次に、ビーズを包みます。We wrap it. そして tie,? bind? します?」
 教師の助太刀。「tie and bind、日本語は、しばります、結びます。でも、今は「くくります」がいいですね。ビーズをくるみ、糸でくくります」

 「イトで、くくります」と、フミは説明を続けます。
 教卓に、調べてきた単語ノートを置いてありますが、ノートを見るより、教師に頼ってしまう。ま、いいか。

 「ビーズ、もうひとつ。もうひとつ。たくさん。たくさんビーズをつかいます。次に、dye。せんせー、ダイ?忘れました」
 「dictionary form 染める。masu form染めます」「OK! つぎに、そめます」

 フミの説明を要約すると、「染色液の中に布を入れると、糸でくくったところは染まらず、白い輪が残ります。最後に布を洗ってかわかすと、スカーフにビーズの大きさに合わせた大きな輪、小さな輪を組み合わせたきれいな模様が出来上がります」。

 バンジャブ地方の女の人のスカーフの巻き方と、イスラマバードやカラチでの巻き方はそれぞれ違うと言って、いろんな巻き方を見せてくれました。

 南太平洋の島からきたジョー。島では数学の先生です。
近隣の住民を束ねる族長の責任も果たして、島では重要人物として暮らしてきました。妻子を島に残して単身での留学です。

 島から離れたことがなく、一人暮らしもはじめてのことだったので、最初はホームシックにかかってたいへんでした。
 ゆったりした島の暮らしから、目がまわるような日本の生活にスムースに移行できずに、すっかり自信をなくして、落ち込む一方でした。

 島では高学歴者、有能な教師として尊敬されていたのに、日本語ではカタコトの日本語すら話せず、授業についていけない落ちこぼれになってしまったのですから、たいへんなショックだったと思います。
<つづく>
(2006/04/15)

世界中から集まった留学生のクラス、異文化がとびかう教室風景、のぞいてみませんか。南太平洋からきた留学生、シンカンセンスピードの日本の生活に疲れ意気消沈ののち、、、
日本語はおもしろい(23)日本語教師日誌 日本語教室は「あい」がいっぱい!その4

ポカポカ春庭のニッポニアニッポン語講座 文化を知らせ合うShow & Tell「南太平洋の楽器アウニマコ」

 語学の習得には、学習方法の慣れも大切。
 たとえば、パキスタンのフミは、家ではパンジャブ語で生活しますが、小学校ではウルドゥ語、ハイスクールや大学では英語を習ってきて、母語以外のことばの習得に慣れています。

 しかしジョーは、家ではピジンイングリッシュ、学校ではクイーンズイングリッシュ。どちらも「学習」ではなく、自然に身につけてきました。英語とタイプの異なる言語を習うのは初めてのことで、語学学習方法に慣れていません。

 単語カードをつくって単語を覚えるとか、母語の文法と比較しながら単語の並べ方を覚えたり、動詞の活用を覚えたりという「語学習得方法」につまずいて、混乱してしまっていたのでした。

 すっかり落ち込んだジョーを元気づけたのは、、、、、、ふるさとのことばでおしゃべりすること。
 ジョーの国の大使館は現在日本に設置されておらず、ある会社の社長が名誉領事を引き受けています。領事館に問い合わせをしてみたところ、同じ国から日本に来ている留学生はジョーのほかたった一人でした。
 でも、その一人に連絡がつき、ジョーは休みになると同国の人に会いにいきました。電車で1時間半かかりましたが、遠いとは思いません。
 ふるさとのことばで思う存分おしゃべりをして、ふるさとの話をいっぱいしてくる。くつろいだひとときを持つことで、ジョーはしだいに元気になっていきました。

 3ヶ月たって、ジョーはようやく日本語の生活になれてきました。日本語はまだまだ上達したとはいえません。でも、彼は日本がだんだん好きになって、クラスにもなじんできました。Show &Tellのために、はりきって準備をしてきました。

 ジョーは、バックから丸いつつを何本も取り出しました。
 「これ、おなひと、がきです」
 クラス一同、???

 教師が「ジョーのニホンゴ」を日本語に翻訳。「This is instruments played by women .これは、女の人の楽器です。ジョーさん、もう一度紹介してください」
 「これは、おんなのひと、がっきです」
 ちょっとは、よくなったから、ま、いいか。次へ進みましょう。

 ジョーは、にこにこして、アウニマコという珍しい竹の楽器を披露してくれました。私もはじめて聞く音色です。

 長短の竹の筒が、何本もある。それを片手に2本、または3本、まとめて握る。
 握った2本の音が和音になるように、組み合わせは決まっている。
 床に平に筒の底があたるようにしてポンとうちつけると、共鳴して、とてもよい響きをだす。一人が規則的なリズムで右手と左手を交互に鳴らし、もうひとりは、複雑なリズムを打って、楽しい合奏ができる。

 最初は私が規則正しいリズムをとって、ジョーさんが複雑なリズムを担当。
 あと次々にクラスメートが演奏に挑戦してみました。
 竹の美しい響きが心地よいリズムをきざんで教室に広がりました。

 「きれいな音ですね」「いい楽器です」と感想をいいつつクラスメートが楽しそうに演奏しています。そのようすを見ているジョーの顔には、ふるさとの音楽文化への誇りが浮かんでいました。
 
 バングラディシュの「ベンガル虎」の紹介、フィリピンの棚田の紹介、インドネシアの影絵の紹介など、それぞれの留学生が、一生懸命自国の文化を紹介し、今期の「Show & Tell」も、とても楽しくすごすことができました。

<Show & Tell おわり>
(2006/04/27)

春庭のニッポニアニッポン語教師日誌「留学生のホームステイ」

2015-02-28 | 日本語
2005/07/10 日
ニッポニア教師日誌>ホームステイ

 9日10日の土日、泊まりがけで日本人家庭に「ホームステイ」するのを楽しみにして、ワクワクしている留学生達。

 出かける前に「日本事情」のクラスで、日本の家の特徴や家庭生活について「和式のトイレの使い方、お風呂の入り方」「あいさつ、生活文化」などの説明があるが、私が担当するクラスでも、会話の練習をしながら留学生の疑問質問に答える。

 ホストファミリーも事前に講習を受けて、イスラム教徒にはお酒をすすめない、ヒンディ教徒には牛肉がだめ、など、よく知っている。

 最近は、日本の家庭生活や習慣、慣用表現について解説した本やビデオも何種類も出ている。
 「何もございませんが、どうぞ召し上がって」と、食事をすすめられて「こんなにたくさん食べ物があるのに、なぜ、何もないと言うのだろう」というような素朴な疑問についても、解説がでている。

 「これ、つまらないものですが」という、おみやげを渡すときの口上についても、「つまらないもの」は、けっして「価値のない、安物」という意味ではない、謙遜表現modesty wordである、 というような説明を受けているはず。
 それでも、ときどき面白い質問がでる。

 ホームステイ前日とあって、学生の会話練習も熱がはいる。訪問先でよくつかわれる会話表現を練習する。
 When offerring food or drink, your host will say 「どうぞ、ごえんりょなく召し上がってください」You have to say. 「はい、いただきます」or,「じゃ、えんりょなく」

 「召し上がる」は、「食べる」のhonorifics 敬語でしたね。
 「えんりょ」This literary meaning is hesitation, reserve. 「ごえんりょなく」文字通りの意味では、without hesitation 躊躇することなく、留保することなく。
 「ごえんりょなく召し上がってください」は、「 Please feel free to eat a lot. 自由に、たくさん食べてください」という意味です。じゃ、ホストと留学生の役で、ロールプレイれんしゅうしましょう。
ペアになって、もてなし役と学生役で会話を練習する。

 ちょっとした国からのおみやげを持参する学生もいるので、プレゼントの口上を練習。
「これ、国のおみやげです。ほんの気持ちですが、どうぞ」と、教科書にある会話例文。
 「先生、私のおみやげは、本じゃありません。おかしです。どうしますか」というシェリー。えっ、「ほんの」を「本(book)の」という意味だと思っていたの? 

「ほんの」is not book's. ほんの merely, only expresses modesty. 謙遜の気持ちで言うことばです。It's a token of my gratitude, so please accept it. 感謝のおしるしです、どうぞ受け取って、という気持ちで言ってください。

 ホストファミリーは、それぞれの家庭の方針により、さまざまなもてなしを用意してくれる。ディズニーランドや野球場へいっしょにいく家庭もあるし、ドライブに連れ出す家庭もある。
 おばあさんがお習字を教えてくれた、娘さんといっしょに茶道や生け花を体験した、という家庭もある。

 日本舞踊をならっている母娘で、毎年、ホームステイの留学生を観客にして「家庭内おさらい会」をやって、留学生に「すばらしかった」と言われるのを生き甲斐にしている家もあった。

 息子が夢中になっているコンピュータゲームを、朝から晩までいっしょにやった、という家庭。ゲームばかりじゃ、つまらなかったんじゃないの?と心配すると、その留学生は「ぼくは、小学生のとき、日本のファミコンをおみやげにもらったのがきっかけになって、日本へ留学することになったんです。いっしょにゲームしてすごく楽しかった」と話していた。
 ゲームに興味のない学生と組合わさったいたら、受け入れ家庭にとっても、学生にとってもあまり居心地のよくない結果になったかも。

 留学生の趣味や興味と、日本の家庭がうまくマッチングするように、ホストファミリーの組み合わせをきめるのだろうが、うまくいかない場合もある。

 「夕ご飯のときも、朝ごはんも、料理の手伝いをしただけで、とてもつまらなかった。会話も、料理のレシピについてだけだった」という留学生もいた。国ではコックやメイドが料理をするし、自分は料理を作ることにまったく関心がない、という女性。
 料理自慢の家庭と料理好きな学生が組合わさったら、よい思い出になったはずなのに。

 医学部の留学生に対して、知り合いの医師に連絡して「病院見学」をセッティングしてくれたホスト。どこを案内されるより、「大学病院以外の、日本のさまざまな医療現場」を見る機会を欲していた彼にとっては、有意義なホームステイとなった。

 水産資源開発の研究をしている留学生を漁船に乗せて、本物の「漁師の一日」体験させてくれたホストファミリーも。

 ほとんどの留学生は、コース修了の感想を述べるとき、ホームステイを「一番の思い出」として語る。
 教師からも、受け入れてくださる家庭のみなさんに、心からの感謝をしたい。

 次の授業、日本語口頭表現練習「ホームステイリポート」をするから、どんなことを体験したか、日本語で報告してね、と、宿題を課して授業を終わりにした。
 すてきな「日本の家庭」とめぐり会いますように。

2005/11/25 金

留学生それぞれの事情
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(1)日本で、はじめて○○をしました

 さまざまな国から集まってきた留学生達。日本での勉学の意欲に燃え、がんばっている。
 大学、大学院、専門学校で学ぶ学生を留学生と呼ぶ。日本語学校(専修学校、各種学校など)で学ぶ学生を就学生という。

 日本で就業してよいアルバイトの許可時間も異なる。就学生の労働許可時間は、一日につき、4時間以内。一週間で28時間を超えて就業することはできない。留学生も1週間の就業時間は28時間以内だが、夏休みなどの長期休暇中は、一日につき、8時間就業することが許され、休暇中に集中してアルバイトすることもできる。

 私立大学の私費留学生達の多くは、家族や親族の援助、自分のアルバイトで留学費用をまかなっている。
 勉強とアルバイトの両方をこなすために努力し、家族のために日本で成功したいと語る。
 苦労をかけた両親に車や大きな家を買ってやりたいという学生もいるし、「帰国したら、貧しい子どもたちのための学校を作りたい」という希望を話す学生もいる。

 国立大学の中で、国費留学生(文部科学省給費奨学金授与者)は、アルバイトなどしなくても生活していける十分な額の奨学金を授与されている。
 奨学金を受けている留学生のなかで、発展途上国や新興経済圏からくる学生は、その国の超エリート層であることが多い。
 発展途上国では、大学生・大学院生は、ごくわずかなエリートであり、ものすごく頭がよいか、親が金持ちであるか、その両方であるか。
 私の担当は、大学院研究生と大学院進学者のための日本語クラス。

 例文の練習をしているなかでも、さまざまな国の事情や家庭のようすがわかることがある。
 「はじめて」と「はじめに」「はじめは」の使い分けを練習していたときのこと。
 「日本ではじめて経験したこと」を、学生ひとりひとりに発表してもらった。

 「日本で、はじめて、サシミを食べました」納豆、スキヤキなど、食べ物の初体験を出す学生が多い。
 「日本で、はじめて、海を見ました」これは、モンゴルから来た学生。ウランバートルのテレビで見た海、いつか本物の海を自分の目で見たいと念願していたのだという。

 「日本で、はじめて、モノレールカーに乗りました」
 市内を走るモノレールカーは、一本のレールにぶら下がっている。窓から眼下に広がる市街をながめると、電車が空中を走っている感じがする。

 私がこの方式のモノレールカーにのったのは、東京では、上野動物園の東園から西園までの5分間だけ。市内を走る「ぶら下がりモノレールカー」にのったのは、このモノレールカーが初体験だった。市内中心部から港へ向かうモノレールカーに乗って、楽しかった。
 だから、留学生がめずらしがるのもわかる。<つづく>
07:44 |

2005/11/26 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(2)さまざまな背景

 「日本で、はじめて、電車に乗りました」という学生。
 あれ?あなたの国に電車はありませんでしたか?と、私から質問した。
 地下鉄がない国は多いし、国内に鉄道網がない国もある。しかし、発言した学生の国には、電車も鉄道もあるはず。「電車が珍しい」という国ではないのだが。

 彼が流暢な英語で説明しだして、私もようやく理解した。
 鉄道も電車も国内にあるが、彼は日本に来るまで、公共の乗り物に乗ったことがなかったのだ。国内での移動はすべて運転手付きのリムジン、国外へは飛行機。
 日本に来て、はじめて、電車や地下鉄に乗った。

 こういう学生に、わざわざ、日本国の税金から奨学金を授与する必要があるのかなあ、と感じてしまう。

 授業料の工面に悩んでいる私費留学生も多いのに、彼にとっては、奨学金など、こずかい程度にもならない。それでも、本国からどういう学生が選ばれてくるのかは、その国の方針による。

 教師はどの学生にも、平等に熱意をそそぐべきなのだろう。
 とはいうものの、私はどうしても、苦労している学生、生活が厳しい学生のほうを応援したくなってしまう。
 それぞれの事情を抱えながら、学生はいっしょうけんめい日本での生活と勉学に奮闘している。
 さまざまな背景を持つ留学生たち。

 数年前のこと。学生資料の国籍欄にイスラエルとあった女性に「あなたの母語はヘブライ語ですか」と質問した。すると彼女はきっと顔を上げ、「母語はアラビア語です。私はパレスチナ人です。イスラエル人の中には、私の敵もいます。私の親戚は、何人も彼らに殺されまた」と言った。

 イスラエルのパスポートを持っていればイスラエル人、という単純な思いこみをしていた私。パレスチナ人としての自覚を語る彼女の、厳しい決意の目が印象的だった。

 彼女がイスラエル発行パスポートで来日したのは、なぜか。日本がパレスチナ自治政府発行のパスポートを正規旅券として認めていなかったためだ。
日本政府が、「パレスチナ自治政府発行旅券」を有効とする政令改正を決定したのは、2002年10月18日の閣議において。政府はそれまで国家として承認していないパレスチナの旅券を認めていなかった。

 石油産出国からきたお嬢様もいた。
 「大学の洗面所の水道は、水しか出ない。お湯がでないなんて、考えられない」と、「日本の大学の設備の悪さ」を嘆いていた。
 
 いつも母親の話をしていたカンボジアの学生。母親の一族は、ポルポト派により虐殺された。当時、多くの知識人階層が被害を受けたという。
 母は、一族のたった一人の生き残り。だから、一日も早く一人前になって、母を助けたい。国費留学生に選ばれたのは、超ラッキーだから、このチャンスを生かしたい、と話していた。
 がんばってほしいなあ。<つづく>
00:11 |

2005/11/27 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(3)イランのナミ

 「はじめての経験」を言う練習、「○○歳のとき、はじめて~」という文を作ったときのこと。
 私が例に出した文。「私は30歳のとき、はじめて飛行機に乗りました」と、自分の体験を例文として出した。

 インドネシアの離島で育った学生。
 彼は、「私は10歳のとき、はじめて靴をはきました」と言った。

 こどものころは、靴もなく、裸足ですごしていたと言う。
 森の中を裸足で走り回った子ども時代。島に昆虫の調査に来た日本人生物学者を案内したことから、彼の運が開けた。

 熱帯生物の研究所助手として長年働きながら、学校へ通わせて貰った。陰ひなたのない几帳面な仕事ぶりのごほうびに、日本の奨学金がもらえることになった。
 大学院で一生懸命勉学を続け、きっと彼は母国でよい研究者になることだろう。 

 「25歳のとき、はじめて男性の手をにぎりました」という作文を書いたのは、イラン女性、ナミ。
 ナミは私立大学の学部学生。日本語1級試験にすでに合格し、日本文学を専攻したいと願っている。

 ナミは、作文の中で、25歳をすぎて、はじめて男性の手を握ったときの気持ちを書いた。

 桜吹雪の中を彼と手をつないで歩いた思い出をつづり、微妙な恋心を感性豊かな表現で描いていた。彼女は、日本語で小説を書くことをめざしている。
 日本語の語彙的文法的まちがいはいくつかあったが、心打たれるとてもよい文章だった。

 男女の恋愛についても、私たちには想像もできなくなっている様々なモラルが、世界には存在する。
 未婚の彼女が男性と手をつないで歩いた、なんてことがわかったら、どれほど家族を悲しませるかと思うと、恋する思いと、家族への思いにゆれる。

 厳格なしきたりを守るモスレム(イスラム教徒)の家庭では、いまだに結婚するその日まで、男性に顔も見せないという地域もあるし、日本に留学中もスカーフできっちり髪をかくしている女性も多い。

 1980年から1988年までつづいたイランイラク戦争で、ナミの一家は砲撃を受けた。父親が町で経営していた店が破壊され、一家は困窮した。
 ナミの故郷、冬は雪が降りつもる。それまでは自宅の雪かきは、人をやとってしていたが、その冬の雪かきは父親が自分でやるしかなかった。人をやとう余裕はもうなかったからだ。

 ナミは、ブーツに穴があいたことを父に言えなかった。言ったら父はどんな無理をしても新しいブーツを買ってくるだろう。父親に無理をさせるくらいなら、足底から伝わる冷たさを我慢しているほうがマシだった。ナミは一冬、足の冷たさとともにすごした。

 彼女は必死に勉強し、あこがれの日本にやってきた。叔父が日本で商売をしていたからだ。
 しかし、不景気が続き叔父の商売も傾いてしまった。
 あてにしていた援助が受けられなくなったナミ、泣きながら「今年はなんとかなったけれど、来年の授業料が払えない。どうしたらいいの」と、相談してきた。<つづく>
00:40 |

2005/11/28 月
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(4)ナミのアルバイト

 ナミは20歳のときイランから日本へやってきた。叔父さん一家の援助によって、日本語学校で日本語を習得した。
 運良くペルシャ語通訳のアルバイトを見つけ、1年間のアルバイトで大学入学金を貯めた。ナミは23歳でようやく大学に入学できた。

 ペルシャ語の通訳や翻訳のアルバイトが打ち切りになったあと、次の仕事はみつからなかった。英語通訳の需要は多いが、ペルシャ語では通訳の機会も少ない。
 しかし、中国や韓国の女子学生が気楽にやっているレストランやファストフードでのアルバイトは、彼女には抵抗がある。

 イスラム教徒のなかでも戒律が厳しい宗派の彼女の一家。喫茶店やレストランであっても、接客する仕事につくと、家族親族が「結婚前の女性にふさわしい仕事ではない」と思うかも知れない。
 家族は、彼女がもっとも大切にしている存在。家族を悲しませるようなことは、どんな小さなことも自分自身に許せない。

 自分にできるアルバイトが見つからない状況で、彼女は「男なみの力仕事」をして働くことを選んだ。接客アルバイトより力仕事のほうが、彼女にとっては気楽だ。

 夏休みに彼女がしたアルバイトは、家のリフォームの下働き。改築リフォームする前に、壁を壊したり、床をはがしたり、部屋を解体する力仕事。改築といっても、基礎土台を残して、ほとんどを取り壊す。新築というと、書類提出などが大変になるので、書類上は改築としておいて、ほとんどを新しくする。

 ナミは、力いっぱい家の壁をぶち抜き、梁をはずす。
 「生まれてはじめて、こんなに力のいる仕事をしました」と、ナミは話してくれた。

 男性並みの体力が必要な仕事、キツイキタナイキケンの三キの仕事だったが、現場監督から指示を受け、現場で夏休み一ヶ月がんばった。あまりにきつかったから、大学との両立は体力的に無理と思った。
 
 夏休みの終わりに、とても楽で割のいいバイトがみつかった。古物リサイクル売買の店。
 リサイクルは、環境にもよいことと思って働くことにした。仕事は、経理担当の事務。
 同国人の社長から渡される伝票の数字を、帳面につけていけばいいだけ。でも、5日間働いてやめた。

 1日目、とても楽で日給も高く、ありがたいと思った。2日目、社長はとてもいい人だと思うし、正直な商売をしているのだと信じた。けれど、3日目に店にやってきた客同士の話を聞いていて、こわくなった。
 店のすみで帳面の計算をしていた彼女に気づかないで話しているらしかった。

 ひそひそ声の客同士の会話は、同国人の中に裏社会があることを感じさせるものだった。
 社長はよい人だと信じたい。だが、裏の世界の人と関わりがあるかどうか、自分には判断ができない。
 疑っては悪いけれど、不法なことに関わるようなことが万が一にもあるなら、どんなに割のいいアルバイトでも、続けるわけにはいかない。<つづく>
21:16 |

2005/11/29 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>留学生それぞれの事情(5)日本へとつづく道

 4日目は、一日中悩み、5日目にやめると、社長に言った。大学の後期授業が始まり、両立できそうもないと言って。

 夏休みに「生まれてはじめての力仕事」で、汗をかき、夏休みの終わりには「生まれて初めて、こんなに悩んだ」という悩み事を抱えたけれど、9月には元気な顔で授業に出て、発表もこなした。

 来年の授業料分が稼ぎ出せなければ、授業料未納で除籍になるかもしれない。
 借りられる奨学金はもういくつか受けているが、毎月の生活ににも足りない程度の金額だから、授業料の分に足りはしない、という彼女に対して、「奨学金として授業料の分を、個人的に貸すから、卒業後働いて返したらいい」と、私も、学科長の教授も、申し出た。

 しかし、ナミは、「公的な奨学金を受けることは、家族も納得したので受けているけれど、個人的なお金は、借りるわけにはいかない」という。
 どのような家族との約束があるのか知らないが、「個人からのお金はを受け取れない」という彼女に、それ以上のことはできない。貸与でなく、「給費」するほど、私にも余裕がない。
 私の娘も育英会奨学金でやりくりして大学に通い、卒業後返還することになっているのだ。

 某石油産出国からやってきたお金持ちのお嬢様留学生には、十分な国費奨学金が与えられたが、彼女は、日本語を覚える気がなかった。「ほんとは、アメリカにいきたかったのに」と不平を言いつつ、奨学金をおこずかいにしながら「日本の日々」を旅行三昧ですごした。
 一方、日本語で小説を書き、「留学生文学賞」に応募したい、と張りきっているナミは、来年の授業料のあてもない。

 後期の授業のテーマは、「日本と自国の交流史」というクラスでの発表である。
 ナミは「ペルシャ帝国の文物--シルクロードと正倉院」という発表をした。

 はるばるシルクロードを通って、ペルシャの楽器やガラスの器が運ばれ、飛鳥奈良時代の日本へたどり着いた。長い道のりと長い時の流れのなかをたどったペルシャ伝来の宝物が、正倉院に納められている。
 ペルシャの姫君が美しい瑠璃のグラスでワインを飲み、そのグラスが日本へ伝えられて、飛鳥や奈良の皇子たちの酒宴の席で輝いたのかもしれない。

 私費留学生のナミが留学生活を続けられるかどうか、「日本文学を学びたい」という希望が達せられるかどうか、まだわからない。
 これからも彼女の歩む道のりは、厳しくはるかだろう。
 しかし、厳しくとも、道はローマからペルシャを通り、日本まで続いてきた。
 道は開けていくよ。きっと。<おわり>

春庭のニッポニアニッポン語教師日誌「動物園授業」

2015-02-28 | 日本語
2005/12/02

動物園で日本語授業2005

 2005年は、「最初からこの日に行こうと決めておくと、去年みたいにお天気が悪くて中止、となるので、授業日がお天気のいい日だったら、ヒトコマ目は普通に授業をして、フタコマ目に動物園へ行こう」という、柔軟な企画にしておいた。

 快晴の秋の一日。
 学部留学生の日本事情の授業。ひとこま目で、学生の「自国と日本の交流史」の発表を行った。
 「豆腐」の歴史を調べて、豆腐食文化がどのように伝播したかを調べた学生。授業のない日は、マクドナルドでアルバイトしている。

 「日本の庭園」について発表した学生。飛鳥奈良時代の庭は、中国の神仙思想の庭園を取り入れて築庭されていた。中国の庭とよく似ている庭から、しだいに日本的な独自の庭園に変化していく過程について発表した。国では、幼稚園の先生をしていたが、日本への留学を実現した学生だ。

 発表がおわったあと、留学生達に「こういうよく晴れた日を、日本晴れっていうんだよ」と、話す。みなさんの国では、マレーシア晴れとか、イラン晴れって言わないの?」と、聞いてみると、「マレーシア、よく晴れても、マレーシア晴れと言いません」だって。

 「日本語文章表現の授業、『定義を述べる』について勉強しようと思っていましたが、変更します。今日のテーマは、『観察文を書く』にします。何を観察するかというと、動物です。
 グループでひとつのテーマを決めて、よく見て、観察した結果をくわしく文章にしましょう。自分で見てないことを想像で書いたり、どこかの資料にあったことを写したらだめ。自分で見たことを書きましょう」

 「動物、なんでもいいんですか」「アリやカラスでもいい?」と、学生がワイワイ始めたので、「こども動物園にいる動物に限定します。キリン、しまうま、らくだ、カンガルー、ワラビー、カピバラなどが、こども動物園にいますから、見にいきましょう」

 というわけで、授業後半は、こども動物園散歩になった。
 最初は、全員いっしょに、この動物園の目玉であるコアラを見る。いつもは寝ている姿を見るだけなのに、夕方になって訪れたおかげで、えさを食べたり、木から木へ移り変わったり、動き回るコアラを見ることができた。

 小型のコアラで、とてもかわいい。
 野生のコアラは、実際にはかなり凶暴なこともあり、うかつに人が手を出したりすると、噛みつかれることもあるのだというが、園内のコアラは、のんびりユーカリの葉を口に運び、のそのそと木を伝って移動する。

2005/11/29 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>こども動物園で授業(2)美食コアラと瞑想カンガルー

 ナミが「コアラ、人間よりいい暮らしをしている感じがします。コアラの部屋広いね。ぜいたく」と言う。
 「人間はね、この狭い日本に1億人以上もいるけど、コアラがいる動物園は日本全部で10もない。8園だけだったかな。コアラは貴重だから、いい暮らしさせてもらってる。でも、優雅に暮らせても、コアラにはなりたくないな。ユーカリしか食事メニューがないんだもの」と、日本にいるコアラの数について解説。

 この動物園のユーカリは、夢の島のユーカリ林の葉をトラックで運ぶのだと一昨年飼育員から解説を聞いた。
 コアラはユーカリひとすじの美食家と言えるのだろうが、私は美食より大食に専念。

 「私も、日本でただひとりの『餃子、15分で30個食べられる日本語教師』なんだけど、だれも貴重って思ってくれないから、給料安いよ。」と、愚痴をこぼす。

 ナミの顔が明るくなっているので、歩きながら話を聞いてみると、「12月に通訳のアルバイトができることになりました。公的な仕事なので、通訳料がすごく割がいいから、来年の授業料は払えそうです」という。
 「よかったね、通訳がんばってね」と、いうと、うれしそうな笑顔をみせた。

 ヒョンさんも、「大使館から頼まれて通訳の仕事をしたら、こういう文書をもらいました」と、大使館発行の「依頼書」を見せてくれた。「そういう書類、大切にとっておきなさいよ。これからの仕事に役にたつことがあるかもしれないから」と、アドバイス。

 コアラコーナーから、グループに別れて、好きな動物を観察することにした。

 韓国人テスさん、朝鮮族自治区出身の中国人ローさん、北京出身の中国人リーさん、マレーシアのアリさん、という男性グループといっしょに、カンガルーコーナーを歩いた。

 テスさんとローさんが話すときはコリア語(韓国語・朝鮮語)、ローさんとリーさんが話すときは中国語、アリさんとオーストラリアへ行ったこともあって英語が得意なリーさんが話すときは英語。4人いっしょに話すときは日本語。いろんな言葉が飛び交う。
 普段の授業中は、「会話は日本語だけ」と、言っているが、ま、今日は気分も開放されて、おしゃべりがはずんでいるのでしょう。

 オリのなかにいるのではなく、カンガルーが自由に園内を歩いている、その中の小径を見学者が歩くので、握手できそうに近くへ寄れる。
 一頭のカンガルーが、手を前に交差してすっくと立ち、じっと動かない。
 「先生、あれは、本物のカンガルーですか。それとも人形ですか」と、リーさんが聞きにくる。

 あまりに動かないので、もしかしたら、烏よけの目的でカカシがわりにおいてある置物かしら、と私も動かないカンガルーを見て、首をかしげた。リーさんが思い切ってそばによると、ピクッと、耳が動いた。
 「わあ、動いたよ。好、ハオ」と、リーさんは大喜び。

 秋の陽射しのなかで、瞑想にふけっているかのようなカンガルーだった。こんなに背筋を伸ばしてじっと立ちつくすカンガルーを見たの、初めて。
 今年流行した「立つ動物」のひとつとしてテレビが放映したら「瞑想するカンガルー」として、レッサーパンダの風太以上の人気がでるかも。

2005/12/04 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>こども動物園で授業(3)カンガルーステーキ蠍唐揚げ

 リーさんが「オーストラリアにいたとき、カンガルーの肉をたべたことがある。牛肉と同じ味だった」と話し始め、珍しい肉を食べた話、タブーの食べ物の話になった。

 テスさんは「韓国は犬の肉を食べるって非難されるけど、日本は馬の肉を食べるよね」と言う。はい、確かに。私、馬刺大好き。
 イスラム教徒のアリさんは豚肉が食べられない。トリや牛でも、食べていいのは神様アッラーにお祈りを捧げてから肉にしたものだけ。だから、日本の食堂ではサラダだけ食べる。
 「先生は食べられないものある?」とアリさんからの質問。

 「私は何でも大丈夫。タブーなし。ケニアではワニの肉たべたよ。鶏肉と同じような味でした。中国では、北京動物園の中にあるレストランで、サソリの唐揚げを食べたけど、あまり美味しくなかった。あのね、メニューにあった「蝎」の文字がわからなくて、自分でこの字は蝦の一種かなと判断して、えびの唐揚げのつもりで注文しちゃったの。ほかの料理より高かったから、美味しいのかと思って期待したのに、まずくてがっかり」と、失敗談を披露。

 あとで、文字を思い出してみたら、「蛇蝎のごとく」という文字で、見ていたはずなのに、「蝎」単体でメニューにあったときは、「蠍」と同じと思わずに、「蝦」と同じと思ってしまったのだ。
 ローさんは「サソリは、美味しくないです。でも、薬です」と教えてくれた。薬膳料理で、滋養強壮によい料理だったみたい。残してソンした。

 ローさんは、都内のコンビニでアルバイトしている。バイトでびっくりしたことは、「賞味期限をすぎた弁当おにぎりなど食品類は、必ず捨てなければ就業規則違反になること。最初は捨てるくらいなら、もらって帰りたいと思った。持ち帰りが無理なら、せめてホームレスの人に分けてやりたい。

 でも、万が一、賞味期限切れの食べ物による食中毒などが出たら企業全体のイメージダウンになり、その損害ははかりしれないと説明され、今では食べ物を捨てることにも慣れてきた。

 食べ物を捨てなければいけないことのほかに、日本に来てびっくりしたもうひとつのこと、公園などに青いビニールシートの家に住んでいる人がいたことだった。日本は豊かな国と思って留学先に希望したが、日本の中に、家も家族もなく公園で暮らす人がいたというのは、本当に驚いたことだった。

 故郷の人達、日本の家庭に比べて家財も電気製品も車もまだまだ追いついていないけれど、地域の人達が助け合って暮らし、ホームレスになって孤独に暮らす人はいなかった。
 どういう暮らしが本当に幸福なのかと考えることがあるが、今はとにかく必死で働いて、必死で日本語を覚えていくだけ。

 秋の夕方の陽射しが、いちょうの葉を黄金色に輝かせている。
 あたりは、ハイキングコースになっている丘陵地帯。都心より、一週間くらい紅葉の色づきが早い、。ハイキングにやってくる人達、紅葉を楽しんで歩いている。

 たわいのない四方山話をかわしながら、園内を歩く。
 アルバイトと宿題におわれて、なかなかのんびりと散歩もできない留学生にとって、ひさしぶりに、「学校とバイト先と家」の三角地点移動のほかの場所を、のんびり歩くひとときになった。

 「来週は、授業内に今日観察したことを観察文として書くからね。見たことを忘れないでね」と伝えて、授業はおわりとなりました。<おわり>



2004/11/13 晴れときどき雨

動物園で日本語授業2004
ニッポニア教師日誌>動物園で授業

 先週約束したとおり、1時に図書館の前で待っていたが、誰もこない。雨が降ったりやんだりしていたので、皆通常授業だと思って教室にいったのかな、と思ってベンチにすわっていたら、ぼちぼちと集まってきた。教室でお弁当を食べてしまった人もいる。

 雨のなか、こども動物園へ。徒歩で5分で到着。遠足の小学生保育園児が帰宅する時間。入り口で入場券買っているときは雨が強かったが、屋根のあるレスト広場へ行くころにはやんでいた。

 最初私が引き馬にチャレンジ。「みんなも乗りなさいよう」と勧めてみたが、「こわい」と言う人、バドのように「内モンゴル草原で馬を走らせてきたんだから、ここで引き馬に乗ることないです」という人も。内モンゴル草原か。いいなぁ。
 各自持参のお弁当を食べ、私はりんごとチョコレートを配り、「はい、食べながらレポート発表をやりましょう。」

 ウ-さんの日本文化発表は「国名の由来」先週私が学生になぜ日本という国名ができたのかを概略話したとき、うーさんは欠席していた。話題がだぶってしまい、学生へのうけはイマイチ。しかし、一番日本語ができないウーさん、インターネット資料を切り貼りして、3頁のレジュメを作ってきた。「レジュメはA4一枚にまとめること」という「レポート発表の注意事項」を理解していないための3頁なのだが、いっしょうけんめいやったということでよしとしましょう。

 それからコアラ舎へ行く。コアラは寝ていたが、一匹はときどき動くので、留学生達「かわいい」と大喜び。
 コアラ舎の前で写真をとっていたら、飼育係のおじさんがユーカリの枝を持ってきて、葉っぱをとり、「においをかいでごらんなさい」と言う。強い特長のある香り。「ユーカリメンソールと言って、薬品にも使われている成分です」と教えてくれた。話し好きそうなので、コアラについて生息地やユーカリのことなどいろいろ質問した。
 質問への答えの中で、留学生に理解がむずかしそうな言葉を私が「留学生にもわかる日本語に翻訳して伝える。ところどころに茶々をいれ、学生はどっと笑う。

 コアラは、一生をほとんどユーカリの木のうえですごす。水を飲みに2週間に一度くらい木からおりるほかは、樹上生活を続けるというので、「落ちたりしないんですか」と私が質問。飼育係の答え「年寄りになって、身体が弱ると落ちることもあります。若いコアラでは、交尾期に雄が雌を追いかけて無理矢理迫ると、雌がいやがって落ちたりします」というので、「ほらね。コアラも若いと下手なのよね、何事も経験よねえ」とチャチャを入れる。留学生、経験ありの人は、げらげら大笑い。何をいっているのかわからず、ぽけっとしている学生も。

 冗談と笑いの連続。飼育係に「詳しい説明をありがとうございました」とお礼をいうと、飼育係は「先生、お話、おじょうずですねぇ。全国を公演して回れますね」と言う。「お笑い芸人めざしてます!」と答えた。
 わたし、女流落語家、女流講談師になればよかったと、思う。修行の道はつらかろうが、二十歳で入門したとしても、30年続けていれば、いまごろは真打ちになれたかもしれないのに。う~ん、気づくのがおそすぎた。いや、私の場合万年前座か二つ目か。

 ワラビー、カンガルーだちょう、エミューを見る。カンガルーの赤ちゃんがおなかに入っているのをみて、学生たちまたひとしきりはしゃぐ。

 広場でハンカチ落としをして遊んだ。ぼうっとしているので、私は数回鬼になった。鬼は円周を走らなければならない。遊ぶのは大好きだが、疲れた。最後に私が鬼になったところで、おしまい。鬼の罰ゲームとして、お得意の前後開脚を披露。どこでもすぐ足を前後に180度開く芸を披露する。っていうか、これしかできないんだが。ホントは32回のグランフェッテくらいやって見せたいけどね。足が回らず目が回るだけ。

 園内移動のミニトレインに乗って正門へ。キリンに「葛の葉」をやる体験をした。きりんは一番ちいさいのが小夏ちゃん。長い舌で葉っぱを食べる。

 写真をとって、解散。雨でどうなるかと思ったが、楽しい一日になった。最後に「今日の作文宿題は、タイトル動物園でもいいし、コアラを見た日でもいいし、」と、言うと「えっ、そんなあ、書くんですかあ」とブーイング。「日本語の授業なのに、遊んだだけでおしまいになるわけないでしょ。宿題宿題!」

春庭のニッポニアニッポン語教師日誌「留学生からのメール添削」

2015-02-28 | 日本語
2005/12/07 水

メールよろず相談係
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(1)メールよろず相談係り

 私のメールアドレス、ひとつはホームページに公開している。めったに人が訪問してこないサイトだし、「公開を前提としているメール」とことわってあるので、内容のあるおたよりはそうそう来ない。

 ほとんどが「迷惑メール」ばかり。開けずに速攻削除。また、「いきなり教えて君(ハンドルネームも告げず、挨拶無しにいきなり○○について教えて、という人々)」のメールには、「自分で調べてね」という返信をかえす。
 「このメールは、公開します」と、おことわりがしてあるHP用のメールに来たものなので、一例を公開します。
 たとえば、こんなメール。
Date: Sat, 12 Nov 2005 13:21:26
Subject: お願いことがあります。

文法訳読法
オーディオ・リンガル法
サイレント・ウェイ
TPR
直接法
サジェストペディア
コミュニカティブ・アプローチ」
それぞれどんな教授法なのか、それぞれの長所と短所をお教えください。先にありがとうございます。

 返信。
Date: Sat, 12 Nov 2005 18:26:21
Subject: Re: お願いことがあります。

私は、日本語と日本語教授法を教えて、日々の糧を得ております。授業料を払っている人を対象として教えているので、現在ネット上のボランティア授業は行っておりません。

あなたの質問に関して、ネットで検索すればいくらでも回答が見つかるので、どうぞ、検察機能を使ってご自分で調べてください。

なお、日本語教授法を学習する以前の問題として、老婆心ながら、ご忠告を。
自分がどこのだれであるかを名乗りもせずに、いきなり質問を寄せるのは、たいへんに失礼な行為であるということを含め、日本文化や礼儀作法について学んでから質問したほうがよいと思います。以上。
==========================

 ちょうど「日本語教授法」のクラスで、先月はオーディオリンガル法と直接法について教え、「私にはマネできない教授法」としてサイレントウェイ教授法による授業を録画したビデオを見せた。「教師はできるだけ黙っていて学生の発話を引き出す」というのだが、私には1時間の授業を声をださずにいるなんてことができない。歌ったりときには踊ったり、とにかくにぎやかに楽しくしていたい。

 昨日の「交換留学生クラス聴解&会話」の授業では、ミュージカル好きな学生が「サウンドオブミュージックが一番好き」と、発表し、一番好きな歌は「エーデルワイス」といって、歌い出したので、いっしょに歌った。
 ♪エーデルワイスエーデルワイス、Bless my homeland forever ♪

 先週はTPR(トータル・フィジカル・リスポンスTotal Physical Response)全身反応法という教授法を実演し、学生にも体験させた。学生のコメントには、「教授法の本で理論を学ぶだけより、実際にやってみてずっとよくわかった」と、感想があった。

 春庭から「だれでも上手に日本語を教えられるようになる、すばらしき日本語教授法」を教わる学生はラッキーなのである、と自分で言ってみる。だれも誉めてくれんので。<つづく>

2005/12/08 木
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(2)相談、相談

 仕事先へ公開しているメール。学生たちへも「授業欠席の連絡や質問に使ってください」と、アドレスを知らせている。

 毎年、たくさんの学生に出会う。さまざまな進路に向かって悩む学生に対し非常勤講師が関われる範囲は、非常(キン)に狭い。
 私に相談するより、常勤の教授や、学生部相談係もいるのに、と思うが、学生が話をしたいと言うなら、断ることはできない。

 「質問、いつでもどうぞ」と言っているので、さまざまな質問相談事がつぎつぎあらわれる。メールで相談時間を予約してきたり、いきなり授業のあとで「相談がある」と、言ってきたり。

 授業が終わったあとで、「相談したい」と学生がやってきても、教室は次の授業で使用するし、非常勤講師の大部屋講師室には学生が入ってはいけないことになっているし。で、キャンパスのベンチにすわって話し込んだり、学生用カフェテラスで話したりする。

 今、受け持っている留学生からのメール

こんにちは、ナミです。
 作文のことで先生にみていただきたい文書がありますし、作文コンテストのことで相談したいこともあるので、時間をつくっていただけませんか。
 お忙しいところお手数おかけしますが、よろしくお願いします。

 う~ん、直球の依頼。日本語教師としては、ついつい添削したくなる。
 返信。

 「わかりました。来週、授業がおわったあと、話しましょう。
 あのね、アポイントメントをとるとき、相手の都合がわからない場合は、『時間をつくっていただけませんか』よりも『お時間があるときに、お話させていただきたいのですが』というくらいの表現にしておく方が、やわらかい表現にきこえます。日本語的な依頼の表現。

 「時間をつくっていただけませんか」だと、言い方は丁寧で敬語としては正しいのに、待遇表現のニュアンスから言うと、命令に近くなってしまうのです。
 日本語表現、いろんな含み表現や、反語や、暗喩もあって、勉強は、どこまでいっても、深い泉をさぐるようなもの。がんばって学び続けましょう。」

 欠席のいいわけに、やたらに「親族の不幸」が何度もあるので、ツッコミを入れたくなる日本人学生もいるし、どういうソフトでメールしたのか、文字化けして何がなんだか意味不明のメールを送ってくる留学生もいる。<つづく>

2005/12/09 金
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(3)欠席連絡

 欠席連絡の留学生からのメール。たいへんまじめで優秀な留学生である。

 先生、ヒョンです。今週の出席のことでメールしました。
 実は、わが国の大使館から依頼があり、27、28日に通訳として厚生労働省に行くことになりました。午後2時から4時までなので授業に参加することができません。
 先々週の課題は友達に渡しておきます。そして京都の旅行記も一応書いて渡しました。
 それでは頑張ってきます。よろしくお願いします。

教師から返信
 『 ヒョンさんの日本語は、たいへん高いレベルに達しているので、立派に通訳がつとまると思います。自信をもって、しっかり仕事に取り組んでください。
 次回は文化祭で休講です。再来週に会いましょう。 』

留学生ヒョンから第二信

先生、先週はどうもありがとうございました。先生のお言葉で、自信がついて、うまく仕事ができました。これからも今まで以上に頑張っていきたいと思います。
 そして先生のように情熱いっぱいの先生になりたいと思います。それではまた来週です!^0^ 

教師から返信
 『ヒョンさん、仕事うまくできてよかったですね。
 先週の課題は、清書だけですから、文化の日を楽しんでください。日本の文化を楽しまなくちゃね。 』

 日本人学生が学んでいる「日本語教育研究」というクラスで、留学生ルーがいっしょに勉強している。「日本語力が十分ではない」と悩みながらも、「日本語教師になりたい」と、努力している。


2005/12/10 土
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(4)学習相談

 通常の私費留学の場合、自国の高校や大学で日本語を専攻する→日本の大学へ、という人もいるが、多くの学生は、来日後、日本語学校に入学→日本の大学または専門学校へ、というコースをとる。

 日本語学校で系統的に文法と文型を積み上げながら学ぶ方法なので、個人差はあるが、きちんと卒業すれば、ひととおりの日本語文型は身に付く。

 が、ルーは日本の普通高校へ留学→日本の大学へ、というコースだったので、日本人高校生と会話しながら日本語を修得してきた。従って、文法や語彙の習得に片寄りがある。

 留学生ルーからのメール


 『 初めてメールを差し上げます。パソコンをいつに直るかよく分からなくて、待ちきれずに友達の借りて、先生にメールを送らせて頂きます。

 相談したいということより先生に感謝するという気持ちを込めて、心から申し上げたいと思います。
 実は、一年生から表現文化科に入り、大学生活を慣れてから間も無く、この学科の中の五つの分野について悩みが出てきました。
(留学生ルーからの相談メールつづき)
 これから日本文化・日本語コースと英語コミュニケーションコースにどっちに進めばいいのが毎日かけて悩みました。もちろん、周囲の意見も受け取る上に真剣に考えました。取りあえず試しとして二つの分野の授業をそれぞれ取ってみました。

 だが、母語以外での二つの言語の勉強を毎日一杯一杯でした。結局、一年をかけていずれに上手くできなかったようでした。むしろ道の進む先を全く見えてこないと言った方がふさわしいでしょう。

 一年をわたって、考え直さないと二年に上がった私はきっとついていけないだろうと気づき、一つを捨てることに決意しました。せっかく日本にやってきて、日本語をもっともっと完璧になりたいと思って、英語は自修にすることにしました。そして、日本語教師の資格の取得にも挑戦しています。ここまでは、先生に出会った前の悩んだ私の話です。

 しかし、この一つの目標に向けって、将来の進路についてまた考えはじめました。「自分が将来に何をやりたいのか」、「何になりたいのか」などをさっぱり分かりませんでした。

 それから、先生の授業に出はじめ、大学でこんな面白い授業をやっている先生がいるんだと、いつの間にか授業にやってくるのが楽しみにしていました。先生は他の先生と違い、いつも元気で、明るくて、先生と学生の間にまるで友達のように感じました。先生の授業を受けてから、日本語教師になり、たくさんの国からの留学生に正しい日本語を教えたいと決心を付けました。

 かつて目標がない、毎日ふらふらしていた私はもううんざりでした。今の私はまるで生まれ変わったような、吸っている空気まで新鮮であり、目標をしっかり持って、進み先もはっきり見えていて、この全ては先生が与えて下さったものです。一年間以上苦しんだ私を解放されたのも先生でした。先生に感謝の気持ちを一杯一杯です。

 今年に日本語一級検定を受けて、来年に日本語教育能力検定試験も受けてみたいと思っています。
 そして、大学卒業したら、またいろいろ身に付けたいことがあると思います。
 大学院日本語教育研究科に一歩進んで勉強したいです。ところで、先生に相談したいのは、今の私はどうやったら目標を達成できるのでしょうか。

 一人の留学生として、大学に入ってからの悩みを隠れなく全て先生に語りました。こんなことは初めてです。初めて相談した先生です。今まで出会った先生方の中に一番頼れる先生と思ったからです。

 最後、もし先生がよかったら、返事を頂けると大変有り難いです。それでは、先生の返事をお待ちしております。よろしくお願いいたします。
かしこ

(文章中の誤文添削は、明日記載)

2005/12/11 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(5)日本語添削

教師から返信
 『 メールの文章、とてもしっかり書けています。学んだことがしっかり身に付いていると思います。
 日本語教師をめざすという決意、がんばって目標に近づいていきましょうね。日本語1級試験がんばりましょう。
 そして、日本語教育能力試験、合格目指して、一歩一歩、着実に勉強していきましょう。

 結婚前は中学校国語教師だった私、子どもが2歳のとき、大学日本語科に入学しました。3年次に日本語教育能力試験に合格したとき、38歳でした。卒業後は、大学院修士課程へ進学しました。
 日本語教師の試験、昔と現在は少し内容が変わりましたが、私にわかる範囲のことであるなら、メールでも、授業の休み時間でもいいから、質問してみてください。

(中略:日本語能力試験対策などについて)
 いっしょうけんめいがんばる留学生を応援することは、日本語教師の楽しみのひとつです。では、また。
 以下、メール文章の添削です。

「メールの文章添削」
誤)パソコンをいつに直るか→(正)パソコンがいつ直るか
誤)友だちの借りて→(正)友だちのを借りて
誤)大学生活を慣れてから→(正)大学生活に慣れてから
誤)毎日かけて→(正)毎日
誤)受け取る上に→(正)受け取った上で
誤)二つの言語の勉強を→二つの言語の勉強で、
 (または)→二つの言語の勉強をすることは、
誤)いずれに上手く→いずれも上手く
誤)道の進む先を全く見えてこない→進んでいきたい道の先が全く見えてこない
誤)一年をわたって→一年にわたって
誤)出会った前の→出会う前の
誤)この一つの目標に向けって→向かって
誤) 授業にやってくるのが楽しみにしていました。→楽しみになりました。
誤)決心を付けました→決心しました。
誤)解放されたのも→解放してくださったのも
誤)先生に感謝の気持ちを一杯一杯です→先生への感謝の気持ちでいっぱいです
誤)悩みを隠れなく→悩みを包み隠さず

間違い部分はいくつかあったけれど、大変上手に書けていると思います。日本語の勉強、がんばりましょう。 』

2005/12/13 火
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(6)日本語能力試験対策

留学生ルーより第二信

 こんにちは、お忙しい中ご返事ありがとうございます。そして、文章の添削もありがとうございました。こちらの返事遅くなり、申し訳ございませんでした。

 はい、先生がおっしゃった通りに、一歩一歩、着実に頑張っていきます。現在、一番近いのは日本語検定試験ですから、ずっと前から語彙、文法、読解などの問題集をやっていますが、なかなか難しいと感じています。

 私は一般の留学生と違って、高一の時日本にやってきて、日本に来る前に、日本語を何一つも勉強したことがありませんでした。それで、日本語学校に入らずに、普通の高校に入学しました。ですから、私は正式の日本語を学んだことがありません。

 今、日本語に対して、一番弱いのは文法と読解です。今から一からやり直す時間もないのに、どうしたら(正:どうしても)少しでも把握したいです。もちろん、文法対策と読解対策の問題やリまくりです。
 うん~でも、そんなに効果がないと思いますね。先生、どうしたらいいですか。お願いします。 敬具

教師から返信
 『 読解対策=とりあえず、一語でも多くの語彙を獲得すること。1級語彙問題に取り組む。

文法対策=過去問をして、間違っていたところについて、正解解説を読む。読んで意味が分らない部分、授業の休み時間4:15~4:25の間に、私に質問する。

 4:25~4:40を、「日本語能力試験に出る文法問題講座」として、解説します。ルーさんのためだけでなく、他の日本語教師をめざす学生の役にもたつことなので、質問どんどん持ってきて。どうぞ、ご遠慮無く。』
======================

 ルーさんの次のメールは、日本語能力試験1級問題に出題された「身体部位を含む慣用句の意味内容」を問う設問。正解を見れば、理解はできるが、なぜ、その答えになるのかわかっていないので、解説してほしいという。

 次の日本語教育研究の授業で、さっそく「語彙論。語の意味の拡大の例として、身体部位語を用いた慣用句」として、講義した。

 「口(くち)」は、身体部位の語として基本語です。口には、ふたつの基本的な機能がありますね。ひとつは私が今やっていること。私、何していますか。
 日本人学生にあてると「講義している」「話している」などの回答。はい、正解。「もうひとつの機能は何ですか」学生のこたえ、「食べること」はい、正解。
 
 「くち」は食事をする口、話すための口、という二つの機能を比喩的に表わす語として、意味が拡大していきます。
 「口ほどにもない」という慣用句の「口」は「話す機能」から、「以前に自慢したりできると言っていた内容」の意味になる。「口ほどでもない」は、「自分ができると言っていたより、実際はおとっていること」という慣用句として用いられる。

2005/12/14 水
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(7)語の意味の拡大

 「口がおごっている」の「口」は、「食べる機能」から、「味覚を味わう能力」となり、美味しいものを食べ続けた結果、マズイものを受け付けなくなっていることを意味します。

 このように、「口」は、たくさんの意味を含んで使われます。では、手、足、頭など、他の身体部位のことばを調べてみましょう。

 ルーさんが質問してきた1級日本語能力試験問題を検討した。
 日本人学生に解説させようと思っていたのだが、学生は、「むずかしい、わからないのがある」という。そこで、回答だけさせて、解説は教師がすることに。

 ( )の中に、適切な語句を選択する問題。
・旅行でお金を使いすぎて(1)が出てしまった。 ①手 ②足 ③目 ④顎
 日本人学生なら、簡単に答えるだろうと思ったのだが、「おあし=お金」の意味を知らない学生もいて、「足がでる=お金が不足する」という慣用句がわからない。

・あの方なら、(2)が広いから、きっと適任者を知っているでしょう。 ①手 ②顔 ③額 ④頭
ここはひとつ私の(3)を立てて許してやってください。①顔 ②腹 ③腕 ④気

 2と3は、どちらも「顔」が入るが、それはなぜか、これから、「顔」には、どんな意味が含まれていると考えられるか。
 2「顔が広い」は「ある人物が広く知られていること、いろんな方面に関係をもっていること」を表わす。
 3「顔を立てる」の「顔」は、「ある人物の面子、体面、プライド」を表わす。
 このふたつの慣用句から取り出せる「顔」が含む比喩的な意味とは?はい、答えて。

 このように「語彙論」「日本語文法」「日本語音声学」などを復習しながら、「日本語教授法」の講義もし、模擬授業を実演し、という具合で、ふたコマ続き、180分の授業もあっという間に終わる。

 ルーのメール。「先生の授業に出て、はじめて、大学でこんな面白い授業をやっている先生がいるんだと、いつの間にか授業にやってくるのが楽しみになりました。先生は他の先生と違い、いつも元気で、明るくて、先生と学生の間が、まるで友達のように感じました」
 と、感じてくれる学生ばかりだといいのだけれど、なかには「単位さえとれればいい」という学生もいるし、毎回、講義を聴いたり日本語教授法ビデオをみたりするより、友だちにメールをしていたい、という学生もいる。

 いろんな学生がいるけれど、今日も、春庭、薄給の身ながら、1コマの授業に乾坤一擲でございます。



2006/02/02 木

日本語教室 成績が心配
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(8)学期末成績評価

 国立A大学留学生クラスの成績、つけ終わりました。やれやれ、ふぅ。
 学部交換留学生の成績、日本でとった単位が自国の大学の単位にふりかえられる。成績次第で次年度の奨学金に影響するという学生にとって、成績は大問題。

 スエーデンやドイツからの留学生、自国では大学の入学金授業料はいっさい無料の制度ですが、成績によっては進級できずに留年となるから、やはり成績の問題は大きい。

 日本語口頭表現(会話)の評価。
 学生でペアを組む。二人でトピック(テーマ)を決めて、相互インタビューを2分ずつ。他の学生から質問を受ける。質問への受け答えを2分ずつ。という各ペア10分程度の会話をテープにとり、発音文法語彙、談話(ディスコース)能力、流暢さなどの観点から評価します。

 ネパール女性ボリビア女性のペアは、互いの国の地理と観光がテーマ。エベレスト山とチチカカ湖について紹介し質問しあいました。

 ドイツ男性とタイ男性のペアは、専門の研究について。どうして自動車工学をめざすようになったのか、電子工学の難しいところはどんなことか。

 オーストラリア女性とスエーデン男性は、長期ホームステイの功罪について。日本語力は確実に伸び、家族と楽しい時間をすごせるが、門限が10時など、家族のルールを守らなければならないのはたいへん、など、抜群の語彙力で流暢に話しました。

 合気道サークルに入っているアメリカ男性と、ロックバンドでベースギターを受け持っている韓国男性ペア。互いの趣味について冗談をいれたりしながら、紹介しあいました。

 各ペア、私からの質問にもうまく答えられて、中級会話力を十分に評価できる内容でした。

 私立B大学の留学生成績、私立C大学日本人学生成績、どちらも評価が終わっていません。悩みながら優良可の評価を検討中。

 試験の点数だけで成績をつけるのではなく、普段の授業参加を重視する、とも言ってきたので、皆熱心に発表を行い、グループ活動も積極的にしています。さて、どう評価するか。

 私としては、全員に「優」でいいと思うのだが、大学側は、「優」は在籍学生数の何パーセント、良は何パーセントなど、差をつけるよう求めてくる。みんな真面目な学生なので悩んでしまいます。

 積極的に授業内の活動に参加してきた学生であるなら、テストの成績が悪いというだけで不可にしたことはありません。

 発表などの授業中活動をちゃんとしていれば不可にしませんよ、と学生にも説明しているのだけれど、中には単位がもらえるかどうか、心配でたまらないと言う学生もいます。

 日本事情のクラスで、他の学生に比べて日本語が上達していないアリさん。他の学生はフリガナ無しのテスト問題。アリさんにはフリガナ付きのテスト問題を配布しました。
 しかし、日本史のテスト、他の学生が楽々こなした問題に、彼はひとりミスを重ねました。
 
 「明治時代、政府がめざしたことのひとつ。選択肢の中から正しいものを選びなさい」という三択問題。A:国際興業(こくさいこうぎょう) B:殖産興業(しょくさんこうぎょう) C:吉本興業(よしもとこうぎょう)

 Aは、大学近辺を走っているバス路線を持つ会社の名前。(かってロッキード事件にかかわった小佐野賢治が社主をしていた会社)
 Cは、留学生達も話題にすることがある、大阪の芸能の会社。

 サービス問題のつもりだったのですが、他の学生が「吉本興業」の部分を読んでクスリと笑ったりしている中、彼の答えはA:国際興業、でした。
 明治政府は外交を重視していたので、「国際」が重要だろうと思った、とアリは弁解しました。

 仲良しの学生がテキストの明治時代のページを開いて、ほら、ここに「殖産興業の説明書いてあるよ」
 まちがえたのは自分ひとりらしいとわかって、アリはしおれています。 


2006/02/03 金

留学生からの成績心配メール
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(9)成績心配メール

 漢字が苦手なアリ、町へ出ても、いつもアルファベットでの表記をたよってしまいます。
 そうするとバスの横に書いてある「国際興業」という文字が目に入らない。国際興業はバス会社の名前だ、という他の学生が皆知っている「日本事情」に気づかない。
 漢字は、日本の社会を理解するのに欠かせない情報なのです。

 教科書に出ている語句、明治時代のページには、「殖産興業」「文明開化」「憲法発布」などのことばが並んでいます。
 教科書にある地租改正Land Tax Reform 文明開化civilization and enlighterment 自由民権運動freedom and people's rights movemennt、など、語句の内容を理解することも必要です。

 しかし、歴史上の語句を丸暗記することだけが、「日本事情」授業の目的ではありません。日本社会文化全体に目を配ってほしいのです。
 吉本興業という文字を見て、若者に人気の芸能のマネジメントをする会社、と知ることも、現代日本の大衆文化を理解していくきっかけのひとつです。

 「来来軒」の文字を見たら、そこが寿司屋ではなく、中華料理店やラーメン屋であるだろうと推測し、「工事中につき頭上注意」の看板を見かけたら、上から何か落っこちてくるかも知れない、と気づくことも「日本事情」の目的。

 アリさんは、日本史の勉強でも、英文の「Japanese History」などを読んでいるからだいじょうぶ、と考えてしまうことが問題。
 英文で「日本の歴史」を読み頭に入れただけでは、日本社会全体を理解したことにはならないことに気づいてくれるといいのですが。

 学部留学生日本事情の試験実施の日、「点数が足りず、追試験をしなければならない場合、12月31日までに連絡するから、帰国する予定のある人は前もって連絡先を書いておくこと。31日までに連絡がなかった人、とりあえず合格、不可ではないので、安心してください」と学生達に言っておきました。

 試験の解答用紙が埋められなかったことを気にしていたアリさんがメールをよこしました。

 アリさんからのメール。

先生、いつも私に助けてくれてありがとうございます。
  試験の成績はとても心配ので先生にメールで送りますs。日本語の試験の成績は合格しますか。もし不合格ので私に言っていただきますか。一月の試験の日や時間や教室など教えていただきます。お願いいたします。アリ(2005/12/30 19:04)


 このメール文だけで採点したなら、とても合格にするわけにはいかない。アリは、クラスで一番日本語の力が弱い学生です。
 しかし、漢字に強い中国人学生や日本語と語順が同じ韓国語の学生の中にまじって、彼はいっしょうけんめい努力を続け、漢字もずいぶん読めるようになってきました。

 31日までに連絡すると言っておいたのに、心配で心配で、12月30日に問い合わせのメールを発信してきました。

 返信は31日をすぎてから。不可の場合に31日までに連絡と言ったので、合格の連絡は1月1日になってから送信しました。

2006/02/04 土

新年快楽
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(10)新年快楽!!祝!立春

 アリさんへ、教師からの返信
「 新年おめでとうございます。そして、日本事情、日本語作文の成績、合格点獲得おめでとうございます。
 試験前に、学生に伝えたように、2005年12月31日までにメール、電話などで連絡のなかった学生は、合格です。
 今、2006年1月1日になりましたから、不合格の連絡がなかったアりさんは、合格というわけです。12月31日まで心配させてしまいましたね。

 日本事情、日本語作文は、テストの点数だけで成績をつけるのではありません。作文をきちんと提出したこと、「日本の文化」「日本と自国との交流史」の発表を積極的に行ったことなど総合してつけます。アリさんは、作文もいっしょうけんめい書き、発表もしっかりやりましたから、合格です。

 もちろん、アりさんは漢字の力がまだ足りないし、日本史の知識も不足しています。あと2年間いっしょうけんめい勉強して、必ずお国のために、立派な日本語の先生になってくださいね。では、2006年がアりさんにとって、すばらしい1年になりますように。(2006/01/01 00:04)」

 アリは、2年後に国に帰ったあと、すぐ日本語教師として教壇にたつ。公立校日本語教師のポストがすでに用意されている、恵まれた立場の「政府派遣留学生」である。自国政府からの奨学金をもらって勉強するのだから、祖国の期待にこたえるだけの学習はしなければならない。

 他の学生に比べて、日本語力が不足している面もあるのだけれど、努力に免じて、大まけの合格点をあげましょう。

 学生たち、1月中の試験やレポート提出をこなし、春休みはアルバイトや旅行、帰省で忙しくなります。
 試験終了祝いと兼ねて、中国韓国の学生たちは、集まって「新年祝い」のパーティをひらく。1月29日は、太陰暦(旧暦・農暦)の元旦です。

 新年快楽!!中国や韓国などでは、新暦の元旦より、こちらの旧暦新年を盛大に祝います。家族親族が集まって、ごちそうを食べ、友達も旧交を温めます。
 中国や韓国の留学生たち、日本人の友達や先生には、新暦でごあいさつ、そして旧暦正月は、家族や国の友達と楽しいひとときをすごします。

 新暦正月、メールタイトルが「あけましておめでとう」、差出人のなまえが「? ??」というメールが届きました。一瞬あやしいメールかと思ったけれど、添付もないので開けてみました。

 先生、昨年は大変お世話になりました。
ハガキではなく、ネットで挨拶をすること、お許しください。
今年からは授業が聞けなくなって残念ですが、先生の教えだけはちゃんと心にしまっておきます。
くれぐれもお体に気をつけてください。
それでは先生にとって素敵な一年になりますように。。」



2006/02/05 日
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(11)あけおめーる

 ハガキの「年賀状」に対する「メールによる新年のあいさつ」は、「年賀メール」ではなくて、「あけおめーる」という名称が定着しそうです。
 「あけおめ」という簡略賀詞は流行が短期間でおわりそうな気配ですが、「あけおめーる」という言い方は、続けて使われていくようです。

 今年の「年賀状」「あけおめーる」、新しい年の出発に元気がでるようなうれしいたよりがありましたか?
 「出すのはめんどうくさいが、受け取るのはうれしい」という不精者春庭、学生からのメールをみて、学期末の仕事も、もうひと踏ん張りです。

教師からヒョンさんへの返信
「 クヮセ アンニョンハシムニカ?
 ヒョンさん!よいお正月になりましたか。それとも1月に連続する試験勉強で忙しい冬休みだったでしょうか。

 ヒョンさんはとても優秀な人ですから、うっかり忘れたのではないと思うけれど、自分の名前を書いてない年賀状(あけおめーる)受け取ったのは、はじめてです。
 わざと名前書かなかったの?
 私は、優秀な日本語教師ですから、名前書いてなくても、もちろん学生のことは、ちゃんと把握してます!! だれが出したメールか、すぐわかる。

 じゃ、風邪に気をつけて、2006年をよい年にしてくださいね。 」

 「? ??」という差出人のメールを、以前にも受け取ったことがあったのを思い出してチェックしたら、前のメールには「先生、こんにちは、ヒョンです」と、名乗りが書いてあったのでわかったのだけど。

「? ??」からの返信

 えぇ、名前を書かなかったなんてとんでもないことしてしまいましたね。。
すみません。
私はレポートと試験勉強で年末も新年もどこにも行けませんでした。仕方ないですよね^^;;;
先生、もしよろしければ一緒にご飯でもいかがですか?もちろん試験が終わってからで。。
それでは、またご連絡いたします。

 ヒョンさんは、アリと同じ「日本事情」の授業を受けている学生。クラスで一番日本語力があり、大使館から依頼された通訳の仕事もきちんとこなしました。
 市立中学校が行った「国際理解教育、交流のつどい」にも毎年積極的に参加し、日本の中学生との交流を深めています。

 ヒョンさんは、アリと同じく日本語教師になりたいという希望を持っています。
 日本語力が弱くてもポストが用意されているアリと違い、卒業後は自分自身で仕事をみつけていかなければなりませんが、きっと有能な日本語教師になれるでしょう。

 「日本事情」の成績、やっと付け終わって成績表を郵送しました。
 アリさん、日本史のテストはクラス最低点でしたが、日本文化の発表と自国と日本の交流史発表をきちんとこなしたことを認めて「B=良」

 奨学金だけで十分に生活していけるアリは、他の学生がアルバイトに追われている間、せっせと日本各地を旅行してきました。
 「愛知万博」「歌舞伎見物」など日本での見聞をリポートし、旅行のチャンスもなかなか得られない他の学生によい刺激を与えてくれたことを評価しました。

 ただし、作文は「C=可」。アリのメール文をみればわかるように、まだまだ日本語教師として通用するレベルではありません。が、課題の作文をきちんと提出し、文集を完成させたことを評価。

 ヒョンさんは、抜群の日本語力を駆使して、日本史のテスト点はクラス最高点、発表も「夏目漱石の生い立ちと文学」「飛鳥時代の日本と百済の交流」「国立東京博物館法隆寺館の飛鳥仏について」など、たいへん良い内容でした。評価は「S=秀」。A=優より上のレベルになる。

 2月4日は立春。しかし、立春寒波とかで、今朝の朝刊には「八丈島に60年ぶりに積雪3センチ」という記事がありました。
 昨日「南の島に雪がふる」というコメントが届き、昨日のうちにリアルタイムで南の島にふる雪を想像できました。ありがとう。

 「立春の今日、今、爺の住む南の島に雪が降り始めました。
投稿者:r******* (2006 2/4 10:45)」

 立春の一日、自転車での行き帰りにふるえたけれど、明けない夜はなく終わらない冬はない。すこしずつ春も近づきます。


2006/11/11 土

日本語能力試験
ニッポニアニッポン語教師日誌>学生からのメール(12)日本語能力試験合格めーる

 日本語を学んでいる日本語学習者が、自分の日本語能力を確認し、仕事や進学の資格として使う日本語能力試験。
 2006年度の試験日、12月3日まで、半月ほどになりました。受験生は追い込みにかかっています。

 2005年度に試験を受けた学生、目標に達して大喜びの人も、がっかりの人もいました。
 2005年に、私の「日本語教育研究」という授業に、日本人学生といっしょに受講していた留学生のルーさんから、今年5月に届いたメールを紹介します。


 こんにちは、ご無沙汰しております。先生は相変わらずお元気ですか?
昨年、長い一年間大変お世話になりました。(添削:昨年一年間、長らくお世話になりました)
先生のお陰で日本語能力試験一級、受かりました。
だが350点以上を取りたかったですが、やはり事前の勉強が足りなくて~第一部分の語彙・意味のところが悪かったです。読解と文法はよかったです。

今年こそ350点以上を目指して再挑戦したいと思います。試験の結果がすぐ先生に連絡できなくて、申し訳ございませんでした。Yahooのアドレスが使えなくなり、今のはケータイからです。
大学院のことも、今年から二年間をかけて勉強して目指します。またご指導よろしくお願いいたします。』(2006年5月5日 23:25)

 私は、非常勤講師。学生とは週に1度授業で出会うだけ。
 留学生担当の専任教授ではないので、授業が終わり、成績を付け終われば、学生と教師との関わりは終わり。それでいいと思っている。
 半年間の、あるいは1年間の出会いの間の時間を充実させることで、完了。
 
 それでも、たまに、こうやって授業を受け持たなくなってからでも連絡をよこす学生がいたりすると、素直にうれしい。
 私が週に一度の授業で関われる範囲などとても小さいもので、ルーさんが日本語能力試験1級に合格したのも、彼女自身の努力によるものであって、私は、日本語教授法の授業をしながら、彼女に励ましのことばをかけただけ。

 日本語能力試験は、日本語を学習している人が受験する。1級~4級は、それぞれ、日本人が英検を受験する1級~4級におおよそ相当すると考えてください。
 英検の1級試験に挑戦したことのある人なら、日本語能力試験1級合格がどれほどたいへんか、分ってくれると思います。

 ルーさんは、日本語能力試験にとどまらず、日本語教育能力試験(日本語教員資格)にも挑戦しようとがんばっていました。
 日本語能力がまだ十分でなかったルーさんでしたが、一生懸命日本人学生の中で努力し、日本語教員の免許を取得したいと言っていました。

 ルーさんがプロの日本語教師になろうと思うなら、難関であっても「日本語教育能力検定試験」に合格したほうが就職には有利です。
 ルーさんは、大学院をめざし、大学院での研究を続けながら検定試験に挑戦することにしたいと言っています。
 がんばってね。応援しています。


2006/12/18 月

日本企業に就職 
ニッポニアニッポン教師日誌>学生からのメール(13)日本企業に就職

 非常勤講師は、授業での関わりがなくなれば、それで学生とのつきあいもとぎれる。
 専任の教授のように、留学生の就職の世話や帰国後の住所を把握することもない。
 しかし、たまには、卒業生からの連絡が入り、卒業後の進路を知ることもできる。

 私が仕事用につかっているメールは、学生にも公開し、欠席連絡などにも使用している。ここ数年間変えていないので、おもいがけず、数年前に教えた学生から「まだ、先生のアドレスが、前のように使用できるかどうか、わからないけれど、送ってみます」というメールがとどいたりする。

 海外への進出著しい日本の企業の現地法人に就職できたという、喜びのメールを紹介します。

( 2006年12月8日 14:24)
先生
大変おひさしぶりです。先生はまだ私のことを覚えていらっしゃいますか?
台湾のOです。
大学二年目のとき、作文を沢山かかせていただいた先生!!
早く(私を)思いだして!お願いします。

このアドレスあってるかなと、送る前にかなり戸惑ったが、無事に届けるならぜひご返信を下さいね.(添削:かなりとまどいましたが、無事に届いたなら)

先生は相変わらずお元気でしょうか?こんな長い間、先生に全然連絡とらなかったことに大変申し訳ないです。

私は今年の4月,台湾に帰りました。
そのあと台湾の商社でしばらく仕事して、主に日本語の翻訳や通訳を担当しました。そして日本商社であるお客先との取引をサポートする役割をしました。

しかし,最近転職しました。新しい仕事は来年1月2日から始まります。
今回の商社はS工業株式会社です。本社は京都にあるらしい。
台湾でも面接は三回させてもらいました。うちの両親はこんなに厳しいんだといってたが、さすが日本の会社ですと驚きました。

今、台北に引っ越しするつもりでいろいろとゴタゴタしてますが、いつかまた日本を訪ねる機会があったら、ぜひあっていただきたいです。

最後、やはり日本語を教えていただいたことに心をこめて深く敬意を送り致します。
ではずっとお元気で。
(添削:日本語を教えていただいたことに感謝の気持ちを持ちつづけていることをお伝えしたいと思います。では、これからもお元気でおすごしください。)


(返信)
Oさん、こんにちは

ほんとうにお久しぶりですね。とても、なつかしくお名前を拝見しました。もちろん
覚えていますとも。と、いうのも、D大学では、大陸からの留学生は多いけれど、台湾からの留学生は、あまりいなかったので。そして、Oさんは、まじめに熱心に勉強していた学生でしたから、よくおぼえていますよ。

Oさんが、週に一回だけの授業だったにもかかわらず、作文の時間を覚えていてくださって、うれしいです。みんな、たいへんだと言いながらたくさん作文を書きましたね。でも、1年たつと、みんな作文がとても上手になりました。

今、Oさんが日本の企業で働くことになったのも、大学での勉強がいかされているのだろうと思います。
S工業株式会社は、IT産業にも進出しているとてもしっかりした会社ですから、ご両親もよい企業に就職できたことを、喜んでいらっしゃると思います。身につけた日本語を生かして、しっかり働いてください。
日本の企業での勤務は厳しい面もあると思いますが、きっとプラスになると思います。

教え子がこうやって、世界各地で活躍していることを知るのは、ほんとうにうれしいことです。
どうぞ、お体に気をつけてご活躍下さい。
===============

 文中の添削部分、作文を教えていたころなら、添削してやれるけれど、今はもうできません。仕事をしていくなかで、よりよい文章表現力を身につけていけるでしょうから、私の出番はありません。

 私が日本語を教えた学生たち、みなが日本留学中に得たことを糧として、元気に活躍して欲しいと願っています。

<おわり>

「こと」と「事」-ひらがなと漢字の使い分け・ぽかぽか春庭ニッポニアニッポンゴ講座表記編

2015-02-19 | 日本語
漢字表記についての質問 事とコト
2005/12/16 金

 k****さんは、40歳以上年下の中国から来日した奥様と、自船での沖釣りを愛する、悠々自適の太公望。奥様の日本語上達のために、日本語学校への送迎と、日本語学習への援助を続ける愛妻家です。

 k****さんからの質問。
お早う御座います!チョッとお尋ね致します。

漢字の事ですが、こと・を漢字では「事」と書きますね。
今は漢字の「事」を使用しないで「こと」と書くのですか?

嫁さんの日本語学校では「事」と書くとバツなのです。今は、ひらがなで「こと」と書かなければならないそうです。
先生、この事はどうなのでしょう。教えて下さい。 (2005 12/12 9:19)
===============

返信)漢字の基準
 現在の文部科学省国語審議会による「表記基準」や新聞社表記基準によると、名詞としての実体を有している単語は漢字で表記するが、文のなかで、単語としての独自性を持たない(自立語ではない)語については、ひらがな表記をする、という方向がしめされています。
原則>自立語は漢字で、文中の機能を担う助詞、助動詞、補助動詞などはひらがなで。

 たとえば、「いる」という動詞。「昨日、寒かったので、ずっと家に居た」という場合、「居る」は、動詞としての実体を有しているから、漢字で書いてよい。
 しかし、「一日中、遊んでいるばかりで、仕事をしていない」というとき、「遊んで居る」と書かない。この場合の「いる」は補助動詞(アスペクト継続相をあらわす)であって、本動詞の働きとは異なるから。

 名詞も同じ。「事を荒立てる」などは名詞としての実体があり「事件」「ことがら」という意味があるので、漢字で書くのはOK。
 しかし、「中国へ行ったことがあります」の「こと」は、「行く」を名詞化するための、補助的な用法であり、「中国へ行くのは来年です」の中の「の」と同じです。この場合の「こと」は、「形式名詞」であり、補助的な働きをしています。
 「の」をひらがなで書くように、補助的な「こと」は、ひらがなで書く方がのぞましいとされています。

 ただし、表記は、あくまでもひとつの指針であり、個々の表現者が「これは漢字で表記したいと思ったとき、「遊んで居る」と書いても「行く事」と書いても、間違いとは言えないのです。表現は自由。

 日本語学校の先生は、原則を原則通りに杓子定規にバツをつけているのだと思いますが、テストの場合、基準を設けて採点しなければならないので、原則優先にしているのでしょう。

 日常の手紙などでの漢字表記は、ひらがなでも漢字でも、自由に書いてよいと思います。(2005-12-12 11:10:45)

 明治時代の文章などでは、漢文脈の文章では特にそうだが、今ではひらがなで書くような語も、できる限り漢字で表記しようとしている。
 漢字とかなの混ぜ具合に心をくだいた文章家もいるほどで、どの語を漢字で書き、どの部分をひらがなで書くかは、書き手の文体意識に左右される。

 また、「カナモジ会」運動をすすめた人々のように、漢字で書かないと意味が区別できない同音語以外は、できるかぎり平仮名で書こうとする人もいる。
 
 原則はあるが、ある語を漢字で書くかどうかは、表現者それぞれに任されている。以下、ABC,お好みで。

A: 分かち書きで表記しない場合、漢字は単語と単語を区別する、目で見る「単語」区別の役割も担っている。
B: わかちがきで表記しないばあい、漢字はたんごとたんごをくべつする、目でみる「たんご」くべつのやくわりもになっている。
C:わかちがきでひょうきしないばあい、かんじはたんごとたんごをくべつする、めでみる「たんご」くべつのやくわりもになっている。」
<日本語相談つづく>
00:24 |


2006/01/17 水  

漢字の使い分け(作る・造る・創る)

 a*****さんからいただいたコメントへの返信。「つくる」の使い分けの、より詳しい解説です。

 「造る」と「作る」の 使い分けについて。a*****さんの質問。
 「錠前を作るの「作る」ですけど、時々出てきては、迷うことがありました。手で動かせる比較的小さな物は作る、車や船など大きな物は造るという区分で大体納得していますが、それでも固形の物と量的なもの、無形のもので、違ってきそうで釈然としないこともあります。稲作、作曲/刺身のお造り、木目の浮造り(うづくり)、酒・味噌の醸造・・・・・製作と製造は、慣用的多数派で決まるのでしょうか。 」

 多くの辞書では、つくる対象のものの大きさ、加工の度合いによっての使い分けを解説しています。
 大修館「現代漢和」の使い分けを中心として、解説すると。

作る=偏は「人」。旁(つくり)の「乍」は、木の小枝をナタで切りのぞいて形づくる、の意。人がナタをふるって枝の形を整え、道具として使えるように作ることが基本の語義。
 主として規模の小さいものや抽象的なもの、無形のものをつくるときに用いる。
例)米を作る、規則を作る、小説を作る
  稲作、豊作、秀作、佳作、作詩、作者、作品、作法

造る=繞(にょう)は「進んでいく」の意。旁は告。つげる。屋内で供物をそなえ、祈るさまから、「いたす、すすめる」の意となり、さらに「人工のものが目的の形にいたる」の意味から「つくる」を意味するようになった。
例)船を造る、庭園を造る、酒を造る、
  造船、造園、酒造、醸造、偽造、造花、造詣、造語、造作、造反

創る=旁の「リ(りっとう)」は、刀の意。扁の「倉」は、「傷を受ける、きずつく」刀を入れ、はじめに切り込むことから「工作のはじめ」「新しくものをつくりはじめる」の意となった。今までなかったものを、はじめて創り出す。
例)神が天地を創る、会社を新しく創る、(一般的には作るでもよい)
 新しくつくるの意味で 創案、創意、創刊、創作、創設、創立、独創
 傷の意味で 銃創、創痍(満身創痍など)

 「作る」が一番幅広く使うことができ、創る、造るの意味もカバーする。
 「造る」は、人工的につくり出す、という意味が大きく、造船、造園など規模が大きい場合につかう。
 また、自然にないものを人工的につくり出すとき、小規模なものであっても、造るを使う。「作り花」はあっても、熟語としては「作花」ではなく、「造花」になる。

 「造る」は、人工的に「改変する」という意味が大きく、もとの材料から大きく変化した場合に使用される。

 稲をつくるに当たっては、種籾から稲穂まで自然の推移に従ってつくられるので、大規模農業であっても、「稲を作る」。
 一方、酒は、稲籾から大きな変化をたどって、もとの形とはまったく異なるものに出来上がるので、小規模な家内作業で行うとしても、酒造、「酒造り」のほうが、酒作りよりふさわしく感じられる。

 製作と製造の違いも、人工的な変化の度合いが大きい場合や規模が大きいほうを製造とすることで、よいのではないでしょうか。

 さしみを「お造り」と言うのも、元の魚から見た目に大きく変化した形となり、人の手が入ったことがはっきり感じられることから、「造」を用いる、作詩作曲は、抽象的なものをつくる、という解釈でよいと思います。

<おわり>
00:13 |


2005/12/19(月)

新聞の漢字表記とふりがな

 12/15、漢字で書くか、ひらがなで書くかの使い分けについての相談に対してお答えしました。つづきです。
 「どの単語を漢字で書くか」について、個人的な日記や手紙では自由に表現してよい。新聞や雑誌などでは、内閣告示による「常用漢字表」と「送りがなの付け方」に準拠し、メデイアごとに基準が設定されている。

 私のパソコン上に置いてある『朝日新聞の漢字用語辞典』は、朝日新聞からもらったのではなく、朝日生命が保険加入者へのサービスとして配ったもの。夫の友人が勧誘員であったころ、つきあいで保険に入ったときにもらった。保険料払う金もないので、とっくに解約してしまったが、辞典は残った。

 新聞社などでは、どの語を漢字で表記するか平仮名にするか基準がある。
 植字工が活字を拾って並べた組版によって新聞印刷を行っていた当時、常用漢字以外の漢字を紙面に載せるのは、さまざまな制約があり、漢字表記は重要な問題だった。
 しかし、現在はコンピュータで紙面を編集し、漢字の使用に関しても、技術的な制約がなくなった。使用できる常用漢字人名漢字の種類も増え、ルビ付き(ふりがな)の紙面も簡単に作れるので、漢字表記は多くなっている。

 2005年12月18日の朝日新聞で、ふりがな付きで表記されている漢字を拾ってみよう。記事の文中から人名地名以外の漢字を抜き出す。
 新聞は「義務教育修了の人が読める内容であることが望ましい」とされているので、フリガナがついている漢字は、義務教育では習わなかった読み方や、読むことが難しいと新聞社が判断した漢字であろう。

 新聞社内部の記者が書いたと思われる記事には、ほとんどフリガナはない。社内の漢字基準に従っているのだろう。しかし、外部からの寄稿記事などでは、執筆者の記述をそのまま表記するようにしているらしく、フリガナ付きが多くなる。

1面 槻(つき)=けやきの異名 総苞(そうほう)=花全体を包み込む部分  2面 完璧(かんぺき) 真摯(しんし) 7面 焙煎(ばいせん) 橋梁(きょうりょう) 8面 愕然(がくぜん) 謳う(うたう=紙上では言偏に区) 11面 躾(しつけ) 蒙古斑(もうこはん) 捉える(とらえる) 曖昧(あいまい) 均霑(きんてん) 拡がる(ひろがる) 12面 煌めく(きらめく) 微かに(かすかに) 痕(あと) 掌(てのひら) 真鍮製(しんちゅうせい) 覗く(のぞく)貼る (はる) 椅子(いす) 燭台(しょくだい) 旅行潭(りょこうたん) 爪(つめ) 精緻(せいち) 拮抗(きっこう) 壷(つぼ) 叱る(しかる) 咳(せき) 嚔(くさめ) 蠢く(うごめく) 急遽(きゅうきょ) 臆病(おくびょう) 13面 驚愕(きょうがく) 瞠目(どうもく) 噛む(かむ) 轢かれる(ひかれる) 止む(やむ) 捧げる(ささげる) 推戴(すいたい) 籠める(こめる) 籠る(こもる) 侮蔑(ぶべつ) 具わる(そなわる) 剃髪(ていはつ) 波瀾(はらん) 拠る(よる) 正鵠(せいこく) 14面 辿る(たどる) 審らか(つまびらか) 恣意(しい) 囚われる(とらわれる) 所詮(しょせん) 俺(おれ) 笊(ざる) 失踪(しっそう) 形而上(けいじじょう) 舌鋒(ぜっぽう) 15面 荒唐無稽(こうとうむけい) 山姥(やまんば) 棺桶(かんおけ) 渡守(わたしもり) 27面 戌(いぬ) 32面 明瞭(めいりょう) 嬉しい(うれしい) 傾げる(かしげる) 訛(なまり) 弾ける(はじける) 労る(いたわる) 頷く(うなずく) 37面 忸怩(じくじ) 潮騒(しおさい)

 いかがでしょうか。「カナがふってなくても読めるわい」と思う漢字、「え、これって漢字ではこう書くんだったのか」と思う字、「私はこの場合、漢字は使わない」という字、それぞれにあるでしょう。<つづく>
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2005/12/19(月)

漢字表記現在の基準

 「12月18日新聞、紙上の漢字フリガナを読む」
 w*******さん の感想「 均霑、忸怩、は読めないし、書けませんし使えません。」(2005 12/19 9:44)
 私も同じようなもんです。フリガナがなかったら読めなかっただろうと思うのは、「均霑」「審らか」の2字でした。

 「つまびらかにする」を漢字で書くとしたら、私は「詳らか」の方を使い、「審らか」を書くことはない。「審議する」など音読み熟語は読み書きするけれど、訓読みの「審らか」を読み書きしたことはなかった。

 均霑(きんてん)の「霑」っていう漢字、はじめて見た。「均霑=平等に利益をえること」という意味。執筆者が社会経済学者であることから、おそらく経済学では、ふつうに使われていることばなのだろう。
 これは「霑」という字が常用漢字外なので、雑誌新聞などにこの語が載るときは、ずっと「均てん」と記述されていたのだろうと思う。経済にうとい私は、「均霑」に初めて出会った。

 この語を私も使うけれど、漢字では書かない、というのは、「所詮→しょせん」。
 副詞、接続詞、感嘆詞はできるだけ平仮名で書く。「而るに→しかるに」「寧ろ→むしろ」「嗚呼→ああ」など、私は漢字で書かないようにしている。連体詞も、「所謂→いわゆる」と、ひらがなで表記する。

 また、訓読みの動詞は、できるだけ平仮名で書くのが私の好み。「労る→いたわる」「頷く→うなずく」「弾ける→はじける」「捧げる→ささげる」
 「蠢く→うごめく」は、平仮名で書くこともあるけれど、虫がぞろぞろ動いている感覚を出したいときのみ漢字で「蠢く」

A:たとえば、せつぞくしやふくしなどは、ひらがなでかくほうがおおい
B:たとえば、接続詞や副詞などは、ひらがなで書くほうが多い。
C:例えば、接続詞や副詞等は、平仮名で書く方が多い。

 Aは、分かち書きしないと、読みにくい。ひらがなだけで表現する場合、分節ごとに区切って表記する。
 漢字を習う前の、ひらがなだけで表記してある日本語教科書は、この分かち書き方式。
 視覚障害者用点字も、この方式。
 たとえば せつぞくしや ふくしなどは ひらがなで かくほうが おおい。

 単語を知らない日本語学習者にとって、ならんでいる単語を区切ることはたいへん難しい。「区切ることはたいへん難しい」というこの一文を学習者に読ませてみると、クラスにひとりは「くぎること はたい へん むずかしい」と読む学生が出てくる。そして「ハタイ」を辞書でひいても、意味がでてこない、と悩むのだ。

 Bにするか、Cにするかは、各個人の好みになるだろう。
 何度も書いていることだが、個人の日記や手紙、個人の思想の表現や、小説詩などの創作において、どのような表現をするかは自由であり、漢字の使用も自由でいいのだ。

 現在、新聞社でサイト編集をしているまっき~さんからのコメント。
「 編集やって気付いたのが、「子供」「子ども」「捏造」「ねつ造」とか、使い分けが多いですね。」 (2005 12/19 9:21)

 「子供」の「供」。「供」の、もともとの意味は「寄り添う者、つき従う者、ともだち」の意味である。「部長のお供をして接待へ」など。
 しかし、「子供」という語のばあい、「供」は、「ども」の当て字。「ども」は、名詞につけて複数を表わす非自立語である。非自立語であるので「どもが歩いている」などとは表現できない。

 非自立語は、単独で使うことができず、必ず何らかの自立語に附属して用いられる。
 「ども」は、「私ども」「手前ども」「あそこらにいるガキども」など、他の名詞に附属して用いる。

 そこで、「非自立語はひらがなでかく」という原則に従えば「子ども」になる。しかし、長年の表記慣用から、「子供」と書きたい人も多い。書き手によって、また、表現媒体によって、「子供」と書くか「子ども」と書くか、別れるだろう。

 「捏造」の「捏」は、常用漢字表に入っておらず、「他の漢字による表記さしかえ」もなかったので、長年「ねつ造」と、「ひらがな漢字交ぜ書き熟語」になっていた。
 しかし、近年「捏造」という語を雑誌新聞で使用する頻度が高くなり(「旧石器出土の捏造」など)、「捏造」と、漢字を書いてふりがなをつけることが多くなった。

 「捏造」にするか「ねつ造」にするかも、個人の表現はどちらでも自由。
 ただ、公共の場での公文書やマスコミの文章には、基準があったほうが便利、というだけ。

 何度も書くが、「正しい日本語」とか「美しい日本語」などに、決まりもなにもない。個人にとって「美しい」と感じる表現があれば、それが美しい日本語なのだ。
 社会においては「相手を不愉快にさせない表現」によって「的確に自分の思うところを伝達、表現」できればそれでいいのであって、「正しい漢字表記」などというのも、「現在のところ、決まりに従っている方が便利」というだけである。
 「正しい敬語の使い方」やらも「大多数に不愉快な感じを与えない」ために便利、ということにすぎない。敬語をつかわなくても、みんなが平気になれば、敬語もすたれる。

 これまた何度も登場するが、今から千年前、「枕草子」の中で清少納言は「近頃は言葉遣いが乱れていて嘆かわしい」と書いており、清少納言が聞いたら、今の「正しいとされている日本語」など、世も末の末、とても日本語とは言えないしろもの。
 でも、清少納言がどう嘆こうと、私たちは現代日本語を駆使して表現するしかない。

 漢字ひらがな表記も、今の基準が変わっていくことはありうる。
 敗戦直後のように「漢字も仮名もやめて、ローマ字一本にしよう」というのやら、「日本語は非論理的な言語だから、日本語を廃止してフランス語を国語にしよう」だのという論が出てくることはもはやないだろうが、表記の基準など、今後どんどんかわっていくだろう。

 私は、「どんどん変わる日本語」のウォッチングを続けるのをおもしろがっている一派である。世につれことばも変わっていくのは当然のことなのだ。
 どんどん変わるからこそ、「規範を設けたい」ということにもなるのだけれど。<つづく>
00:28 |

005/12/21(水)

明治の随筆における漢字とひらがな

 12/20に解説した「子ども」の表記について、付け加え。
 「ども」は名詞について複数を表わす、と書いたが、「ども」は、自分より目下の存在を複数にする場合と、自称を謙遜卑下して複数する場合に用いる。

 「私ども」「近所のガキども」「幕府の犬ども」は、よいが、「先生ども」「お母さんども」などの場合、先生やお母さんを低くみておとしめるという語感になったしまう。
 耐震強度偽装の建築屋ども、歳費お手盛りで税値上げに賛成する議員ども、など、意図的に「ども」を使うことはあり得るが、一般の名詞には使わない。
 一般の名詞を複数にするときは、「たち」を使う。「学生たち」「お母さんたち」など。
 
 同じ複数でも、「私たち」と「私ども」は、語感がちがう。「私ども」は、謙遜意識を含む。また、「たち」と「ども」は共起しない。(一つの語のなか、文のなかでいっしょに用いられることを共起するという)
 「私どもたち」とは言えない。

 しかし、「子ども」に関しては「子どもたち」と言える。これは、「子ども」の「ども」が「複数をあらわす接尾辞」から「子ども」というひとつの単語の一部に昇格し、「こども」は、ふたつに分けられないひとまとまりの単語と見なされるようになったからである。
 「子+ども」から、「こども」という一単語になり、それに、さらに複数の「たち」がついて「子どもたち」となっている。
 「子ども」をひとつの単語と見なした場合「子供」という表記でよいことになる。

 そのため、「子ども」「子供」両方の表記が混ざって使われているのだ。「朝日新聞用語辞典」では「こども」の表記は「子供」と出ているが、2005/12/20夕刊一面のコラム「ニッポン人脈記」の中では「子ども」と表記されている。

 このように、漢字とひらがなの表記も「ゆれ」があり、変化がある。
 日本語の文法や発音も大きく変化してきた。文章史においても、古事記の文章から現代の文章まで、さまざまな表現があり、表記があり、変化しつつ現在の文体になっている。

 古事記からの文体変遷史となるとさても壮大なことになるので、近代文体史のなかの、漢字ひらがな表記の問題にかぎって、表記の変遷をほんのさわりだけ、見ていこう。
 近代日本語史の流れからいくと、確実にひらがなカタカナ表記が増えていく傾向にある。
 漢字と仮名の割合。時代を追って見ていこう。
 
 幸田露伴が明治時代に書いた「碁」についてのエッセイ。(原文の旧字旧仮名遣いを新字新仮名で表記)
 読まずに、字面だけ眺めてください。エッセイといっても、漢字が多いことがわかる。

 「 棊は支那に起る。博物志に、尭囲棊を造り、丹朱これを善くすといい、晋中興書に、陶侃荊州の任に在る時、佐史の博奕の戯具を見て之を江に投じて曰く、囲棊は尭舜以て愚子に教え、博は殷紂の造る所なり、諸君は並に国器なり、何ぞ以て為さん、といえるを以て、夙に棊は尭舜時代に起るとの説ありしを知る。然れども棊の果して尭の手に創造せられしや否やは明らかならず、猶博物志の老子の胡に入つて樗蒲を造り、説文の古は島曹博を作れりというが如し、此を古伝説と云う可きのみ。」

 エッセイといっても、難しいですね。こういうエッセイを楽しんで読む読者層も、漢文の素養がたっぷりの人達だったのでしょう。<つづく>
10:29 |


2005/12/22(木)

明治大正昭和の文の漢字ひらがな

 ろくじょうさんが紹介してくれた、明治時代の手紙文。
 「お目にかかってお礼を申し上げるべきなのに、熱がでちゃったんで、ゆるしてね」という内容だと思うのだけど、まあ、難しいこと。

 「 小生義 以テ拝趨鳴謝可仕筈之処、先日来 間歇熱状ニテ平臥罷在暫時不敬可 御海恕奉願候 」
 仮名書きは「以テ」の「て」と「熱状ニテ」の「にて」二ヶ所のみ。

 大正7年に、群馬県の蚕種業者である田島信が書いた「欧米旅行日誌」の冒頭。(原文旧字カタカナ書き旧仮名遣いを新字新かなで表記)
 寺や漢学塾で基礎的な教育を受けただけの農民出身の商人であるが、明治時代に書き留めた旅行記に、大正時代になって、序文を書いた。
現在ではカタカナで書く国名地名も、伊太利亜国(イタリア国)未蘭府(おそらくミラノ市)と、できるかぎり漢字で表記していたほか、文全体に漢字が多い。

 大正期になっていても、一般の人は文章を書くとなると、まだまだかしこまって一筆啓上していた。

 「 伊太利亜古国未蘭府於て蚕種売捌の紙数代価及び買人姓名日々明細筆記、明治三十一年水害の節日記浸水汚染す、文字誤謬多く慚愧を忍で書 」

 明治期の言文一致運動を経て、明治後半から大正にかけて、夏目漱石らによって、日本語の書き言葉、文章の規範が確立した。文章史において、漱石以後は、現在の文章とかわらない表現になってきているのである。

 漱石は、漢詩漢文によって教養の基本を築いた人。漢文素養にプラスして英文学研究者として研鑽をつみ、さらに、江戸期の随筆や俳句俳文、円朝らの落語速記録を重ね、近代文体の確立に苦心した。
 これらを総合して現在の「現代文」が成立していった。

 1909(明治42)年の漱石の文章『永日小品』より。
 高浜虚子らとの交友記、正月の一日を闊達に描写している。現在の文章を読むのと、かわりなく読める。

 「 雑煮を食って、書斎に引き取ると、しばらくして三四人来た。いずれも若い男である。そのうちの一人がフロックを着ている。着なれないせいか、メルトンに対して妙に遠慮する傾きがある。あとのものは皆和服で、かつ不断着のままだからとんと正月らしくない。この連中がフロックを眺めて、やあ――やあと一ツずつ云った。みんな驚いた証拠である。自分も一番あとで、やあと云った。
 フロックは白い手巾(ハンケチ)を出して、用もない顔を拭いた。そうして、しきりに屠蘇を飲んだ。ほかの連中も大いに膳のものを突ついている。ところへ虚子が車で来た。これは黒い羽織に黒い紋付を着て、極めて旧式にきまっている。あなたは黒紋付を持っていますが、やはり能をやるからその必要があるんでしょうと聞いたら、虚子が、ええそうですと答えた。そうして、一つ謡いませんかと云い出した。自分は謡ってもようござんすと応じた。」
 (引用者注:メルトン(melton) 肉厚ののケバ立った紡毛地。平織りの生地をフェルト状に仕上げたもので、防寒用のコ-トやブレザ-に用いられる。)

 昭和期の文章のなかで、漢字が多そうな文を選んでみる。
 中島敦も漢文の素養があり、中国の歴史などに取材した小説を執筆した。
1942(昭和17)年、中島敦「盈虚(えいきょ)」より

 「衛の霊公の三十九年と云う年の秋に、太子が父の命を受けて斉に使したことがある。途に宋の国を過ぎた時、畑に耕す農夫共が妙な唄を歌うのを聞いた。
既定爾婁豬 盍帰吾艾(牝豚はたしかに遣った故 早く牡豚を返すべし)
 衛の太子は之を聞くと顔色を変えた。思い当ることがあったのである。
 父・霊公の夫人(といっても太子の母ではない)南子は宋の国から来ている。容色よりも寧ろ其の才気で以てすっかり霊公をまるめ込んでいるのだが、此の夫人が最近霊公に勧め、宋から公子朝という者を呼んで衛の大夫に任じさせた。宋朝は有名な美男である。衛に嫁ぐ以前の南子と醜関係があったことは、霊公以外の誰一人として知らぬ者は無い。」

 昭和になると、中島のように漢文の素養が豊かな作家でも、だいぶ漢字の使用はすくなくなっていることがわかる。
 「寧ろ→むしろ」「其の→その」「此の→この」など、現代ではひらがなで書かれるほうが多い単語も漢字で書かれているが、読みにくくはない。
<つづく>
00:08 |

2005/12/23(金) 

2005年末の雑誌エッセイにおける漢字ひらがな比率

 ごく最近の文章をみてみよう。2005年12月9~15日の「R25」
 「R25」は、25歳前後の男性勤労者を対象としたフリーマガジン。私、25歳でも、男性でもないけれど、無料大好きなので愛読中です。
 巻末に連載されていた、石田衣良のエッセイ。 若者向けのエッセイなので、ひらがな、カタカナがぐんと多くなる。

 「このコラムを読んでいるそこのあなた、つぎの日曜日に簡単な料理をはじめてみませんか。最初はオムレツとか野菜炒めなんかでいいと思う。オムレツなら好きなチーズでもいれてみる。野菜炒めなら肉にちゃんと下味をつける。それくらいでぐんとおいしさがアップする。どちらの料理も火加減が肝心なので、よくフライパンを焼いておくこと。失敗しても自分でつくった料理はいとしいもの。ファッションなんかより、料理のできる男のほうが、ずっと合コンでのポイントも高いのだ。 みんな、がんばれ!」

 カナモジ会の主張ほどカナが多くはないが、一般的には漢字で書かれる「始めて→はじめて」「作った→つくった」など、仮名書きが多いことがわかる。
 近頃のカタカナ外来語の多さ、漢字表記の少なさをお嘆きの方のためにこのエッセイを「できるだけ漢字で」「外来語なしで」表記するなら、

 「 此の囲み記事を読んで居る其処の貴男、次の日曜日に簡単な料理を始めて見ませんか。最初は洋風卵焼きとか野菜炒め等で良いと思う。洋風卵焼きなら、好きな酪酥醍醐も入れて見る。野菜炒めなら肉にちゃんと下味を付ける。其れ位で群と美味しさが上昇する。どちらの料理も火加減が肝心なので、良く揚げ物用平鍋を焼いて置く事。失敗為ても自分で作った料理は愛しい物。流行衣服等依り、料理の出来る男の方がずっと男女合同懇親会での点数も高いのだ。皆、頑張れ 」

 内容は同じこと書いてあるのに、印象がまったく変わってしまうことがわかる。
 この漢字表記だと、おそらく「R25」の読者は、ページをひらいても、読まないだろう。紙面の字面がたいへん重苦しく、おいしいオムレツもお腹にもたれる感じがしてしまう。

 私は、石田衣良の「ひらがな多めエッセイ」の表記法、読みやすいと感じた。
 ただし、子どもや学生が漢字を覚えなくてよい、という意味ではない。

 漢字教育をおろそかにすることには、反対。
 漢字語彙は、日本言語文化の根幹ともいうべき財産である。漢字語彙、漢字文化を学び取ったのちに、自分の文章をひらがなで開いていくことは、かまわないが、最初から漢字を知らないのでは、2000年間に培われた知的財産を放棄することになる。
 (「培われた」を「つちかわれた」と、ひらがなにするか、迷ったけど、漢字覚えろという部分なので、一応漢字表記)
 漢字教育とはすなわち語彙教育であって、漢字を知らないと日本語の語彙の重要部分を担う漢字熟語を使いこなせないことになる。

 ろくじょうさんから「渙発」という熟語についてコメントをいただいた。ろくじょうさんの母上から戦地の父上にあてた手紙の中にあった言葉。
 「大詔渙発」という言葉について、戦後生まれは見たこと使ったことなく、知らないままでした。和語でいうと「すめらみこと、みことのりをのたまふ」でもって、取り消しはきかないよ、っていう意味。

 コメントへの返信。
「大詔が渙発されました」の「渙発」、ろくじょうさんの日記ではじめて見ました。
「綸言汗のごとし」は知っていたけど、「渙汗」は知らなかった。ほんと、勉強になります。

 才気煥発の「煥」も、「渙」も常用漢字表からもれて、使われなくなった。それでも才気煥発のほうは、四字熟語の本などに載ることがあったので、忘れられなかったけれど、「大詔渙発」のほうは、歴史を勉強していない私には「死語の世界」でした。
==============
 大詔渙発の渙、才気煥発の煥、常用漢字からはずれた→学校で教えず、印刷物に載ることがなくなる→読める人がいなくなる→死語の世界へ

 私は高校時代、古文は好きだったが、返り点レ点一二点上下点というのが面倒で漢文はさぼった。だから、漢文脈の文体を駆使できる人、すごいなあとその文体に見とれてしまう。
 大学入試から漢文必修がなくなって、今や漢文読解は、高校国語教育においても風前の灯火。
 若い方々、どうぞ、漢字漢文をケギライしないでくださいネー。(自分は棚に上げていう)

<つづく>

誤読から慣用よみへ・ぽかぽか春庭ニッポニアニッポンゴ講座表記編

2015-02-19 | 日本語
誤読から慣用よみへ

2005/02/01 (火)
ニッポニアニッポン語>みんなで間違えばこわくない・誤読→慣用読み①

 留学生のための漢字教育。非漢字圏(漢字教育を学校で行わない地域)の学生にとっても漢字は日本語学習の壁のひとつ。
 複雑な形と表意文字であることに興味をもって「漢字フリーク」となり、どんどん覚える学生もいるし、「私の頭には複雑すぎる」と、拒絶反応を起こしてしまう学生もいる。

 春庭の漢字クラスのようすは、2003/12/22に「漢字クイズ」2004/01/15に「今年最初の漢字の勉強」というクラススケッチを掲載したので、日本語教育での漢字クラスに興味がある方は、過去ログのカレンダーをクリックしてみてください。

 私が担当しているクラスでは、ゼロスタート(ひらがなも知らないまったくの入門クラス)の学生が3ヶ月で300字の漢字を覚える。(30歳前後の大学院留学生、大人相手だから詰め込み教育でもなんとかなり、学生はよくがんばっています)
 漢字教育というのは、「日本語の語彙教育」でもある。日本語の語彙は、和語の総数よりはるかに多くが漢字熟語なのだから。

 留学生にとってだけでなく、日本の子どもにも漢字学習はたいへんだ。
 文部科学省所管の「総合初等教育研究所」が2005/01/27に公表した「漢字の読み書き調査」。
 読みは89%の正答率。書きは72%が正しく書けている。ただし、学年が進むにつれ誤答が増え、「漢字は苦手」という子が増えてくる。

 小学校6年で1000字ほど、中学高校で1000字弱の漢字を覚えれば常用漢字の読み書きはカバーできるはずだが、国語教師にとっても、漢字教育は泣き所のひとつ。漢字書取り毎日出したりすれば「詰め込み教育」と不評を受け、やらなければ「漢字の書き方ひとつ定着させられない無能教師」と責められる。

 さて、今週は漢字の誤読についての話から。みんなが間違えれば、誤読が慣用読みとなり、やがて、慣用読みが正規の読みを圧倒していくという話。

 漢字に自信がある方、ない方。次の漢字読み方クイズ、おためしを。

(1)漏洩(2)稟議(3)捏造(4)貪欲(5)貼付

 ワープロを使い始めてから、手書きで書こうとすると、あれっ?となる私でも、読む方は自信があるとおもっているのですが、、、、

答え、 漏洩:ろうせつ→ろうえい 稟議:ひんぎ→りんぎ  捏造:でつぞう→ねつぞう 貪欲:たんよく→どんよく  貼付:ちょうふ→てんぷ
→の左が元の読み方。右側が現在通用している読み方。左側の読みをした方がいただろうか。

 「日本語が乱れている」と嘆いても「私は使いたくない」と抵抗しても、変わるものは変わってゆくことの例として、慣用読みが定着した熟語例をあげてみた。

 消耗の元の読み方はショウコウだったが、現在はショウモウと読まれるようになった。
 元は「誤読」だったのに、その読み方が定着していく漢字熟語。大半の人が誤読のほうを使うようになれば、辞書に掲載され「慣用読み」として通用するようになる。

 経理に消耗品費を請求して、「ショウモウヒンではだめです。ショウコウ品でないと、お金は出せません」と、つっぱねられることもない。

 新聞のふりがなも「捏造ねつぞう」となっている。元の読み「でつぞう」と、誰も読まなくなったのだ。<誤読→慣用読み 続く>
11:47 |


ぽかぽか春庭のニッポニアニッポン語「誤用→慣用読み②」
2005/02/02 (水)
ニッポニアニッポン語>みんなで間違えばこわくない・誤読→慣用読み②

 「撒水(さっすい)」の誤読についてコメントをいただいた。(投稿者:a****** (2005 1/25 18:25))
 『昔、ある漢文の先生に教わった言葉を思い出しました。
 「水を撒(ま)く」の名詞:撒水(さっすい)を「散らす」の音と間違えて(さんすい)と読み出したことから、「散水」という語句も生まれ、混同されたまま「散水-水をまく」となってしまった、ということです。
 「まく」も「ちらす」も同じようなことだと思われる人もいるでしょうが、コンプレッサーもスプリンクラーもホースもない時代に、手で草花に水を遣っている姿を想像して風情を感じました。』

 「水を撒く=撒水」を「さんすい」と誤読したために、今では水をまく場合、「散水(さんすい)」のほうが多く使われるようになり、「撒水」はあまり使われなくなった。近所の道路に散水車はやってくるが、「さっすい車」は使われない。
「まきちらすこと」を「さんぷ散布・撒布」というのも「撒布(さっぷ)」の慣用読み「さんぷ」が定着し、漢字も「散布」の方が一般的になった。

 洗滌(せんでき)→洗滌(せんじょう)→洗浄 のように、元々の「せんでき」はもはや使われず、「洗浄」が一般的な熟語になったものもある。「胃を洗浄しましょう」というお医者さんはいても、「胃をセンデキする」という医者は、現代のお医者さんにはいないだろう。

 慣用読みの例をA:B:Cのグループ別にあげてみる。

A:慣用読みが定着している熟語例
  情緒:じょうしょ→じょうちょ  消耗:しょうこう→しょうもう  漏洩:ろうせつ→ろうえい 稟議:ひんぎ→りんぎ  捏造:でつぞう→ねつぞう 貪欲:たんよく→どんよく  貼付:ちょうふ→てんぷ  憧憬:しょうけい→どうけい  独擅場:どくせんじょう→どくだんじょう→独壇場  攪拌:こうはん→かくはん(かきまぜること) 呂律:りょりつ→ろれつ(ろれつが回らぬ、など)

B:慣用読みと元の読みが両方使われている熟語例
  早急:さっきゅう→そうきゅう  発足:ほっそく→はっそく 固執:こしゅう→こしつ 重複:ちょうふく→じゅうふく  味気ない:あじきない→あじけない  出生率:しゅっしょうりつ→しゅっせいりつ  世論:よろん→せろん 

C:これから先、慣用読みが広まっていくだろうと思われる熟語
 凡例:はんれい→ぼんれい  一朝一夕:いっちょういっせき→いっちょういちゆう

 「ぼんれい」と入力しても「凡例」と変換されるので、おそらくこちらが広まっていくだろう。凡は、「平凡」「非凡」「凡人」など、ボンという読みのほうがポピュラーに使われるが、ハンという読み方は「凡例」以外に使わないから。

 「夕」の音読みは「セキ」。しかし、夕刊(ゆうかん)夕刻(ゆうこく)などの湯桶読みや、和語の夕立(ゆうだち)などの方が生活になじんだ語であるので、夕映(セキエイ・ゆうばえ)夕影(セキエイ・ゆうかげ)も「ゆう」の読み方が優勢となり、一夕も(イッセキ→いちゆう)の読みが広まっていくのではないか。

D:漫画の吹き出しセリフや歌謡曲などのフリガナから、慣用読みが広まるかもしれないと思われる熟語。(こちらは元の読みも併用されると思うのだが)
 宇宙(うちゅう&そら) 幸福(こうふく&しあわせ) 瞬間(しゅんかん&とき) 電脳(でんのう&パソコン)など。

 どうですか?さすがにDやCは使っていないという人も多いでしょうが、Aは「えっ、この読み方は、昔は誤読だったの?」と思う方もいるのではないでしょうか。「会議の稟議書」を「ひんぎしょ」と読む人は、いないのでは?

 現役世代は、すでに「ねつぞう」「りんぎ」として語彙を獲得してきた。
 私もAグルーープの熟語はすべて慣用読みのほうです。Bは半々。

 熟語の読み方も、大多数の人が誤読すれば、誤読が「慣用読み」として定着し、誤読のほうが優勢になる。<続く>
08:33 |

2005/02/03 (木)
ニッポニアニッポン語>誤読→慣用読み③

 「世論」あなたは、せろん派ですか。よろん派ですか。
 
世論:よろん→せろん・・・は、何となく「せろん」の方が響きが好きなので、そう読んでいます。投稿者:m******** (2005 2/2 10:17)

 元の語は輿論(よろん)だったのに、「輿」の字が当用漢字になかったために代替漢字として「世論」が使われた。そのため「せろん」と読む人がふえ、今では「せろん」「よろん」両方が使われている。

 私は「世の中の論」という感じがすきだから「よろん」と言っているが、m*******さんはじめ、若い世代は「せろん」派が多くなる。こちらは「世間(せけん)の論」というニュアンスで受け取れる。

 元の「輿論」の「輿」は「人を乗せる輿(こし)」→「あらゆるものをのせる台、人をのせている大地」→「大地の上にのっている世間の人々、世の中」という意味なので、世の中でも世間でもどちらの受け止め方もできる。読み方としては「よろん」が元々の言い方だった。

 「せろん」のように読み方が変わったものも、それが広まれば定着する。「撒水さっすい→さんすい散水」「独擅場どくせんじょう→どくだんじょう独壇場」などのように、誤読に合わせた漢字のほうが優先的に使われるようにもなる。

 「総合初等教育研究所」2005/01/27発表の「小学生漢字読み書き習得状況調査」で、「子どもが苦手な字」として、誤読が多かった字があげてある。
「米作農家 べいさくのうか→こめさくのうか」「川下 かわしも→かわした」「戸外 こがい→とがい」など。
 誤記述の漢字。「こかげ 木かげ→小かげ」「らくがき 落書き→楽書き」など。

 私は、これらはあと30年して今の子どもたちが社会の中心世代になったら、「慣用読み」「慣用書き」として定着していくだろうと予測する。

 重箱読み湯桶読みがあるのだから「米作」が「べいさく」でなく「こめさく」でも、みんながそう読みたいのなら、定着する。「らくがき」するのが楽しい子どもたちは、「楽書き」と書き表わしていくだろう。

 変わりはじめた当初の誤読者は「今どきのワカゾーは、漢字ひとつ読めない。消耗(ショウコウ)をショウモウなどと読みおって、けしからん。嘆かわしい」と非難されただろう。今は「ショウモウ」と読んでも、当然とされる。
 「米作」を「こめさく」と読む人がおおくなれば、その読み方が定着していく。

 「楽書き」という書き方が生まれて定着していくかどうか、そのあと「落書き」のほうも残るかどうかは、後の世代にまかせるとしよう。

 「楽書き」って、なんだか楽しそうでいいなあ。決められた紙やノートに書くだけじゃなく、教科書のすみっこや机のうらなんかに、こっそり落書きをするのが、楽しいって子どもの気持ちが出ている。

 読み方の変化、最初は誤読だったものが慣用的に使われて、定着する。誤読自体はこれからも起こりうることだ。

 では、子どもたちの漢字読み書き能力が弱くなっている問題を、どうしたらよいのか。
 漢字文化は日本語言語文化にとって、大変重要なものだ。漢字文化をなくしてしまうことは、私たちのものの考え方感受性にまで影響が及ぶ。

 たいせつなことは、「こんな簡単な読み方をまちがえるなんて、なってない」「漢字書取りを強化しなければ」と憤るだけでは済まないってことだろう。ひとつの漢字を百回繰り返して書取りしても、子どもの心に残らなければ、それは手の運動になるだけで、漢字が身に付いたことにはならない。

 言語文化全体をみわたして、「ことばの学び」をどうしていくべきなのか、考えていくこと。現代の子どもたちをとりまく言語文化環境はあまりにも貧弱です。<続く>
09:37 |


2005/02/04 (金)
ニッポニアニッポン語>誤読→慣用読み④

 総合初等教育研究所の読み書き習得状況調査によれば、5年生の半数が「赤十字」を「あかじゅうじ」と読んだそう。

 自分の生活に身近でない漢字のことばに出会ったとき、知っている漢字や熟語から意味と読みを類推する力はとても大切。
 「赤十字」の活動にも「赤十字病院」にも縁がない生活をしていれば、5年生の多くが「あかじゅうじ」と読むのは当然だ。
 子どもの生活に身近な「赤レンジャー青レンジャー」「赤とんぼ」「運動会の赤旗白旗」のほうに合わせて、「あか十字」と類推したのだ。

 赤ちゃんのときから「赤十字病院」のお世話になっている子どもだったら、親から「ほら、きょうはセキジュージにいって、おばあちゃんの薬もらってくる日だよ」などと、聞かされており、漢字と音が結びついていて間違えない。

 昔の人が近所に赤十字病院がなくても「セキジュージ」と読めたのは、ナイチンゲールやアンリー・デュナンの伝記が今より広く知られていたからかも。(1933年(S8)から1940年まで使われた第4期国定修身教科書に、ジェンナー、ソクラテスらと共にナイチンゲールの話が掲載されていた)

 しかし、「米作」が「べいさく→こめさく」と慣用読みが定着するのではないかと予想されるのとは異なり、「赤十字」については、そうはならない。その存在や活動を学習した時点で「せきじゅうじ」という読み方のほうを採用するだろう。「赤十字」は団体の固有名詞でもあるので、慣用読みの定着はむずかしい。

 子どもが読みを間違えるのは、その漢字が日常生活での会話にも、テレビや、本・漫画から仕入れる語彙にもなじみがない語であることが多い。
 幼児のころから「へんし~ん!」という言葉を見聞きしていたあと「変身」という漢字をならった場合、「へんみ」と読む者は少ないはず。

 漢字の誤読・誤記は、子どもが浸っている生活文化全体の問題なのだ。
 夏の陽射し厳しい中を歩いていて日陰がほしいとき、木の下で憩える子どもは少なくなっている。ビルの間のちょっとした陰や道路におかれたパラソルの下の日陰で休む人にとっては、「木かげ」より「小かげ」のほうが、実感にあっているだろう。

 今回の調査で「高層ビル」「大統領」の正答率が上がったのは、これらの言葉をニュースなどで見聞きし、親世代の会話のなかに出現する頻度も上がっているからだ。

 子どもの漢字力語彙力(ボギャブラリー)を心配するなら、子どもをとりまく大人たちが、子どもの目耳心に、豊かな語彙を、どんどん与えることだ。親世代の言語能力がなくなっているのに、子どもの言語力があがるはずがない。

 昔の子どもたちは、酒屋へおつかいに行かされれば、一合だの一升だのと単位を覚えた。豆腐屋へ豆腐を買いに行って「とうふひとつ油あげふたつください」「はい、とうふ一丁あげ二枚ね。おまちどうさま」というやりとりで、豆腐は丁、油揚げは枚と数えるのだと、自分で覚えた。

 今の子どもは、スーパーで親がだまってパック入りの豆腐をかごにいれるのを見るのみ。いくら「数え方辞典」片手に教え込もうとしたところで、それは「知識」にはなるが、身についた生きた言葉になるのは難しい。
 すべてのものを「いっこ、にこ、さんこ」と数えるようになるのもやむを得ない。

 わかりやすい例として助数詞(ものを数えるときにつけることば)をあげたが、すべての語彙において、同じ現象がおきている。授業で教えテストをするだけでは、子どもたちの語彙能力は高まらない。

 周囲の言葉のやりとりの中で「政治家のオショクジケンは困ったもんだ」と、聞いて誤解し、「お食事券ぼくも欲しい」と、話題に加わってみる。こんなとき「汚職事件」について説明されれば、国語の時間に辞書をひいて覚える以上に頭に入る。

 生きたコミュニケーションのなかでの言葉のやりとりをし、周囲の人の話、本・新聞やニュースで知ったことばを生活で使ってみたり、書き言葉にとりいれたりする、その営みが貧弱になっていれば、子どもの言葉は育たない。<誤読→慣用読み つづく>
07:48 |


2005/02/05 (土)
ニッポニアニッポン語>誤読→慣用読み⑤

 今週は漢字の誤読誤記、言葉の誤用について考えてきた。
 誤読や意味の誤用が多くなり、それについて心配する人が多くなったせいか、テレビ番組「平成教育予備校」と「みんなの問題日本人は日本語を知らない」の両方で同じことばを例にあげて、いかに日本語が誤解されているかを示していた。

 「姑息こそく」がその例。「姑息なやりかたで処理する」というセリフをきいて、「姑息なやりかた」を「ひきょうな手段」「ずるいやり方」と思った人はまちがい、と番組で紹介していた。
 「姑息」は、「一時しのぎの間に合わせ、その場のがれ」の意味だ、というのが「正しい使い方」という解説。

 しかし、姑息の意味が「一時しのぎ、その場のがれ→いいかげんなやり方→ずるい、ひきょうな方法」と、うけとられるようになり、現在は大半の人が、後半の意味で使うようになっている。
 「姑息なやり方で上司にとりいるなんて、いやなヤツだ」というセリフを聞いて、「その場しのぎのやりかた」と思う人より、「ずるいやり方」と感じる人のほうが、多くなり、おそらく誤用のほうが定着していくだろう。

 日本語の変化のなかで、誤用や誤解が定着していく例として、私がよく出すのは、「あらたし」が「あたらしい」に変わったということ。
 「新たし(あらたし)」と「可惜し(あたらし)=おしむべき、もったいない」の混同から変化が起きた、という説が有力。
 現代では「あたらしい」という語が正統な日本語として定着し、「あらたしい年になりました」といっても通じない。

 今、お菓子のコマーシャルで「やらわか~い」と繰り返している。幼児的な発音のいいまちがいだった「やらわかい」が、正規の「やわらかい」を押しのけ、さらに「やらかい」「やらけぇ」という言い方も増えていくだろう。

 「夜空ノムコウ」がはやったときは、♪僕の心のやらかい場所を~について、「やらかい」なんて俗語を歌詞にして、と眉をひそめた人もいたが、CMの「やらわか~い」にクレームつけた人、いただろうか。

 誤解の定着。よく知られたことわざの例をあげる。
 「情けは人のためならず」の意味が、「情けを他の人にかけてやると、周り回って必ず自分のところにもどってくる。だから、情けをかけるのは他人のためなのではなく、結局自分のためになることだ」というのが原義。

 だが、若い世代にはぴんとこなくなり、現代解釈「やたらに他の人に情けをかけると、甘えて自立できないだろうから、情けをかけるのは人のためにならないことだ」と、受け止め方が変わった。誤解のほうが優勢になっていくかどうか、ウォッチング継続。

 「流れに棹さす」も、「棹でこぐ船の船頭が流れに棹を入れ、勢いを増す」という原義から、現代解釈「流れに棒を入れて流れを悪くする」へと変化。若い世代には棹で動かす船が縁遠いから、理解できないのだ。

 誤読の定着。間違った読み方も定着すれば「慣用読み」として辞書に載り、やがては正式なものになる。意味が誤解されたことわざや熟語も、多数が間違えて使用するなら、そちらが優勢となる。

 ことばの意味や読み方がしだいに変化するものであることは、生きた言葉に内在する運命。「あわれ」も「かなし」も「あからさま」も、千年前の人々とは異なる使い方をしている。「姑息」の使われ方が変化していくのも、止められない。

 ことばの意味や発音は千年前とは変わってきても、生きた変化の中で、積み重なったことばの文化は、伝えられてきた。豊かな言語環境があるなら、いくつかの言葉の読み方や意味がしだいに変化していくこと自体は、問題ないことと言える。問題なのは、言語文化を含めた文化全体の貧困化というゆくすえだろう。

 なにしろ一国の首相のことばが「ボキャ貧」と評されたり、「説明責任をはたすことができない」と、嘆かれる国なのだ。

 一度口に出したことばを守らなかったことに対して「首相は公約を1つも守っていない」批判されると、「この程度の約束を守らないことは大したことではない」と公言した1年前の「ことばのいいかげんさ」を忘れるヒマもないうち、今年は、質問に対して、「フッフッフッ」と薄ら笑いをしながら、はぐらかそうとする。

 最も真摯に言葉をやりとりすべき場で、「適切はテキセツです」と、言葉を軽視した発言を繰り返す姿勢が、子どもたちへと蔓延しないことを願う。

 5年生が「あかじゅうじ」と読んだことを心配するよりも、「適切はテキセツです」としか説明しようとしない人を一国のトップにおき、皆がそれでいいと思っていることを心配する私は、「杞憂人」となって今日も一日、空をながめているしかない。<おわり>
10:11 |



「おこし下さい」は「お越しか」「お来し」か

wasureyuki6
> 今、お友達の掲示板に書き込みをしていて疑問に思ったのですが、『またのお越しをお待ち申し上げております』って表現を使ったのですが、これはおかしくないでしょうか?
>
はじめまして。
「おこし」は、
「お越し」ではなく「お来し」ではないでしょうか?
2006-07-09 16:39:22 | ページのトップへ |


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haruniwa
> 今、お友達の掲示板に書き込みをしていて疑問に思ったのですが、『またのお越しをお待ち申し上げております』って表現を使ったのですが、これはおかしくないでしょうか?
>
> 『またのお越しをお待ち致しております』が正しいのか、どちらも使われている様には思うのですが、書き込み時には上の方しか浮かばず、それを使ってしまいましたが、何か変?ですよね?
2006-07-09 18:42:47 | ページのトップへ |


「お越」と「お来し」
haruniwa
 漢字表記にはゆれがあります。

 慣用的な使い方、当て字などがあり、この「漢字表記のゆれ」については、春庭が「誤読みから慣用読みへ」というタイトルでテーマにしたことがありますので、そちらを参照いただければ幸いです。
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/nipponia0502.htm

 「お越し」ではなくて、「お来し」ではないか、というご指摘、漢字表記に関心を持っていらっしゃること、とてもすばらしいですね。

 結論から言ってしまうと、どちらの表記も可能です。

 「今までたどってきた年月とこれからの先の年月」という意味で使われる「こしかたゆくすえ」も、「来し方」という本来の表記のほかに、もともとは当て字であった「越し方」という表記も辞書にでており、社会使用上は、両方とも許容されています。

「来し」は、カ段変格活用の「来」(こ、き、く、くる、くれ、こよ)の未然形「こ」に助動詞「し」がついたものです。

 しかるに、ことばは常に誤用があり、ゆれ動くもの。
 平安時代の女性文学、女流日記などには、すでに「こし」のかわりに、「きし」という誤用→慣用表現が現れています。

 「お越し下さい」という場合も、「越す」の連用形名詞「越し」を丁寧にした「お越し」に「ください」がついたものと考えることもできるし、カ変動詞「く」の未然形「こ」に助動詞「し」がついたものに、丁寧の「お」が加わって、「お来しください」になった、と考えることもできます。

 昨日2006/07/08の春庭コラムに、もともとは「嶮悪」という漢字表記だったのが、「剣幕」に変った、という例をあげました。

 漢字表記に、その時代その時代の「正書法」「ただしいとされる読み方」はあるのですが、ことばが、年ごとに変化し、移り変わっていくように、漢字表記も、誤字誤読を経たり、慣用的な読みかたを経て、かわっていくのです。

 「お越し」と「お来し」は、現在ではどちらの表記も可能となっている、という考え方でよろしいと思います。
2006-07-09 19:05:04