承久の乱の後、第85代仲恭天皇が廃されて、
鎌倉幕府が後鳥羽上皇の血筋を嫌った為に、
後鳥羽上皇の兄「守貞親王」の皇子が後堀河天皇となります
守貞親王は平家で養育されたために、
異母兄の安徳天皇と共に都落ちしていました
壇ノ浦での平家滅亡の後に救出されますが、
すでに後鳥羽上皇が即位していたのです
「守貞親王」はこの時すでに出家していたので天皇を継げず
後高倉院と云う特別な法皇の形で院政を敷きますが異例の事です
しかしながら翌年、「守貞親王」はあっけなく亡くなります
まだ幼い【後堀河天皇】は10年間、皇位を維持します。
そして、我が子四条天皇に譲位し院政を始めたが二年で崩御します
後堀河天皇の御陵は泉涌寺にあり、一番最初に葬られたのです
御寺泉涌寺の門を潜ります
この参道が思っていたより、長く続くんです
やっとの事で・・・左に本堂が見えてきました
14天皇の雑居?御陵の【月輪陵】はこの右奥にあります、後堀河天皇陵は左側の奥です
更に、奥へと進みます、最初の東山通りからだと、15分はあります・・やっと制札が
後堀河天皇【勸音寺陵】〈かんおんじのみささぎ〉制札です
拝所は更に石段を上ります
石段の先に・・・拝所が見えてきました
石に刻まれた、後堀河天皇勸音寺陵の文字が堂々と、迎えてくれました
深く深く、御陵に拝礼して、次の第121代【孝明天皇】の御陵にむかいました
さて、天皇御陵とは全く関係ないのですが、【泉涌寺】と云えば・・・
〖楊貴妃観音〗が有名です・・・最後に紹介しておきましょう
私が撮った上の写真は読みずらいので、
ネットから頂きましたので
この観音堂に御安置されています直接写せなかったのでネットからです
50年近く前に観た時の感動が今だに残っています
白檀の寄木造りで中国から渡って来たとの伝承です
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