この本に巡り合ったのは、中京区の図書館であった 今回紹介する「神庭荒神谷遺跡」
あまりに興味をそそったので・・ブログの資料にと買い求めた
2016年の1月5日の発行となっている・・購入したのは昨年である
今回は、この中から出雲の国で何が起こっていた・・いや何が起こっているのか??
誠に興味深いお話なので・・ブログで取り上げてみました
今まで古代史とは全く縁のなかった私が何故 それは長慶天皇陵との遭遇からです
またまた・・横道に逸れていきそうですが・・・本題に入ります 先ずは・・
【銅剣】〈どうけん〉と呼ばれる出土品 こちらは【銅鐸】〈どうたく〉ですね~ 【銅矛】〈どうほこ〉と読みます
今回の主役〈出土品〉が・・同じ場所から発掘され話題に??〈知りませんでした〉
今から34年前の1984年に島根県の神庭荒神谷遺跡〈かんばこうじんだにいせき〉から発掘
その辺のところを・・この本から紹介いたしましょう
⁂ 神庭荒神谷遺跡で見つかった青銅器の衝撃
~ 島根県の東半分に位置する出雲国は、古代史の中でもとりわけ重要な地域のひとつである。
たとえば、「古事記」にみられる神話の三分の一以上は、出雲に関係していると言われている。
また、近年では、旧国別にみると出雲が弥生時代における青銅器保有量の最も多い地域として
注目が集まっている。それは約30年前の1984に神庭荒神谷遺跡から358本の
中細型の銅剣ならびに銅鐸・銅矛がみつかったことに始まる。~
それまでに神庭荒神谷遺跡に近い「神原神社古墳」からは、景初三年〈239〉銘のある
銅鏡が発見されていて、卑弥呼が魏からもらった100枚の銅鏡の一枚かと注目されたとか?
この神庭荒神谷遺跡から出土した青銅器の量が・・・日本中にインパクトを与えた。
それまで日本全国で、300本余りしか発掘されていない銅剣が・・・
神庭荒神谷遺跡からの発掘量が〈358〉軽く上回ったのだから
ましてや、銅剣・銅鐸・銅矛がセットで出土した意味も大きいのだ。
ではもう一つの驚きの・・・出雲の謎を「古代史大全」から・・
⁂ 謎に包まれた出雲と他の地域の関係
~ さらに、1996年にみつかった加茂岩倉遺跡は、あらためて弥生時代における
出雲のすごさを確認させることになった。
一か所から39個もの銅鐸がまとまって発見されたのである。
この数は一か所からの出土としては最高のものである。
位置的にも加茂岩倉遺跡から南へ約1・6キロメートルのところには
神原神社古墳があり、北側の山をはさんで約3・4キロメートルのところには
神庭荒神谷遺跡がある。まさに、日本一の青銅器密集地域なのである。~
最後にこの本は 弥生期における出雲の国は、日本列島でも並々ならない勢力が
あったと想定されると云っているし、・・更に古墳時代にどのように推移していくか?
これらも事柄が今後、古代史研究の重要ポイントの一つだと結んでいる
邪馬台国や大和朝廷・・・近畿圏であって欲しいと地元の私たちは思うが
この様な形で、出雲の国が注目されてくると・・・
卑弥呼の墓と云われている【箸墓】もチョット疑問視されるかも??
いや~、古代史には・・男のロマンが・・また次回を
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