またまた「公明新聞」からです2週間に一度??掲載される
クラシック音楽家 知らなかった ”もうひとつの顔” からです
今日・五月五日に掲載されていたのは【エリック・サティ】です
もう一つの見出しには「伝説的奇人の最後のいたずら」とあります
音楽ジャーナリストの萩谷由喜子さんが担当しています・・書き出しは
~単調なシーソー音型伴奏にのって
「ミ・ソ・ファ・ミ・シ・ラ・シ・ド・ソー」
と弱音でゆっくりと始まるシンプルな音楽、
といったら、お分かりいただけるだろうか。
病院の待合室やリラックス・サロンに良く流され
テレビCMにもしばしば使われている、
癒しの音楽の代表曲である。
あの曲は、フランスのエリック・サティが
22歳の時に書いた「ジムノペディ第1番」という。
この様に、ジムノペディ第1番の紹介から始まっている
ピアノ曲をあまり聞かない人でも、この曲だけは聞いた覚えが
まさに【ミ・ソ・ファ・ミ・シ・ラ・シ・ド・ソー】を聞けば
ああ~、聞いた事あります・・この曲なんですか
と納得が
この作曲者の「エリック・サティ」を音楽界の異端児と云っています
せっかく入学したパリ音楽院も、”退屈すぎる” と退学しています
その上酒場のピアノ弾きに甘んじ、伝統にとらわれることなく
自由気ままで、作風からくる、ユニークなタイトルの作品を描き続ける
~例えば、「ジムノペディ」というのも、古代ギリシャで
裸体の少年たちが繰り広げる踊りの祭典『ギュムノパイディア』を
もじったサティの造語だ。これくらいはほんの序の口、
『犬のためのぶよぶよした前奏曲』
『いやらしい気取り屋のための3つのワルツ』
『嫌がらせ』などと名付けられた曲もある。~
そして、いよいよタイトルに書かせて頂いた画家モーリス・ユトリロが登場
~59年の生涯、結婚したことはなかったが、27歳の時、たった一度だけ恋をした。
相手はシュザンヌ・ヴァラドンというモデル出身の女性画家で、
サティと暮らし始めた時、彼女は以前の恋の形見の10歳になる
男の子を連れていた。ひとりぼっちだったサティは
有頂天になって男の子を可愛がったのに、
ある日、母子は忽然と姿を消して彼を悲しませた。
後年、その子も母親と同じく画家になった、
パリの風景画で知られるユトリロである。~
では、モーリス・ユトリロの作品をご覧ください
最後に掲載されているエピソードが見出しの「伝説的奇人の最後のいたずら」
~彼の最後の作品は、『本日休演』というバレエである。
彼は公演日まで作品名を発表しないでおいて、当日、
劇場の入り口に『本日休演』と大書きした紙を張り出す
劇場にやってきた人々は、この張り紙を見て憤然と帰っていく。
その様子を物陰からこっそり見学し、サティは腹を抱えて笑った。~
サティが恋をした女性「シュザンヌ・ヴァラドン」を調べたら・・ナント
若かりし日の「シュザンヌ・ヴァラドン」
彼女は貧しい洗濯女の私生児として生まれている。
一時期、あこがれていたサーカスのブランコ乗りになる
ブランコから落ちて負傷した為10代後半に買いがモデルになる
ルノワールの有名な「ブージヴァルのダンス」
シャヴァンヌの「聖なる森」
ロートレックの「二日酔い」 はヴァラドンがモデルである
18歳の時、息子モーリス・ユトリロを生んでいる
実父は誰だかわかっておらず、ルノワールだとの説もあるらしい
1886年ごろから、ヴァラドンと同棲していたロートレックが
彼女の正確で力強いデッサンを評価し、画家への道を開いた
彼女を庇護したエドガー・ドガのもとで、油絵と版画を学ぶ
1893年にエリック・サティと交際したが半年で破局
男性遍歴の多い彼女・・・1896年に資産家ポール・ムージスと結婚
1909年、息子より3歳年下の画家志望の青年アンドレ・ユッテルを恋人にし
ムージスとは離婚。1914年にユッテルと正式に結婚。
では、この時代に色んな画家が描いたシュザンヌ・ヴァラドンを
ルノワールの描いたヴァラドン 「二日酔い」を描いた、ロートレックのもう一枚の彼女
ナント・
・エリック・サティもヴァラドンを描いている
では最後に、ヴァラドン本人の作品をご覧あれ
エリック・サティの肖像画 ヴァラドンの代表作「網を打つ」
「裸」というタイトルの作品 こちらは「風呂場」という作品
エリック・サティから、モーリス・ユトリロ・・・その母親まで
いや~今回の主役は???シュザンヌ・ヴァラドンだったかも???
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