29年前、国立京都博物館で観た【悲母観音図】で ”涙” が溢れた
絵画鑑賞時に ”涙” が溢れてきたのは、後にも先にもこの時だけ
同じ作品でも色彩の濃淡で受ける感じが違うもの・・・
博物館で観た時の記憶は左側の淡い色だったと・・・しかも宙に浮いていたのです???
博物館の演出だったのかもしれないが、見上げる位置に展示していた・・と
この展示会は狩野芳崖の没130年を記念するもので有ったように思う
色々調べて驚いたことは、佐久間像山との出会いである
像山に心酔した芳崖は、像山の塾に通い、像山の書を真似した時期があったとか
さて 狩野芳崖がこの作品に取り組んだ理由ですが・・・その陰には亡き妻が
安政4年〈1857〉幕末の動乱期に、近郷の医師の娘 ”よし” と結婚している
芳崖は妻よしの事を ” 観音さん” と呼んでいたと云うのである
この ”よし” が亡くなるのが結婚して30年後の明治20年〈1887〉だった
ここでこの二年間の作品を二点ご覧頂こう
1886年の作品「獅子図」である 1887年の「不動明王」重要文化財に指定されている
日本画に西洋の色彩を取り入れている、狩野芳崖の特徴を表わした代表作
「不動明王」は、妻・よしが亡くなった年に完成している
30年間連れ添った、愛妻よしの為に渾身の魂で【悲母観音】に取り組みます
愛妻よしの魂が乗り移ったとでも云える・・・芳崖の歴史に残る作品に
もちろん観音は男性である、この観音様よく見るとヒゲが生えている
観音様の下には「嬰児」なのか「胎児」なのかが描かれている
この子を、暖かい慈悲のまなざしで見つめている観音様
この構図と、誠に気品あふれる色彩との調和に感動したのと・・・
やっと念願かなって、今【悲母観音図】の前に立っている喜び・・・
長年この二つの事柄が、”涙” を誘ったと思ってきましたが、今回
愛妻よしの平癒を祈願する為の作品とわかって・・・
本当の ”涙” の原因が此処にあったのではと知った思いが
一つ残念なことが見つかりました・・・ナント5年前に京都で展示されていた
京都近代美術館〈先日ゴッホ展があった〉の開館50周年記念に「悲母観音」が
特別展示されていたとは・・・何故 知らなかったのか
、残念・無念なり
20年に一度しか観られないと言われている「悲母観音図」今度は何時京都へ???
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