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松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

狩野芳崖【悲母観音図】亡き妻に捧げた渾身の絶筆!

2018-03-14 18:17:10 | 日記

29年前、国立京都博物館で観た【悲母観音図】で ”涙” が溢れた

絵画鑑賞時に ”涙” が溢れてきたのは、後にも先にもこの時だけ

同じ作品でも色彩の濃淡で受ける感じが違うもの・・・

博物館で観た時の記憶は左側の淡い色だったと・・・しかも宙に浮いていたのです???

博物館の演出だったのかもしれないが、見上げる位置に展示していた・・と

   

この展示会は狩野芳崖の没130年を記念するもので有ったように思う

色々調べて驚いたことは、佐久間像山との出会いである

像山に心酔した芳崖は、像山の塾に通い、像山の書を真似した時期があったとか

さて 狩野芳崖がこの作品に取り組んだ理由ですが・・・その陰には亡き妻が

安政4年〈1857〉幕末の動乱期に、近郷の医師の娘 ”よし” と結婚している

芳崖は妻よしの事を ” 観音さん” と呼んでいたと云うのである

この ”よし” が亡くなるのが結婚して30年後の明治20年〈1887〉だった

ここでこの二年間の作品を二点ご覧頂こう 

   

  1886年の作品「獅子図」である    1887年の「不動明王」重要文化財に指定されている

日本画に西洋の色彩を取り入れている、狩野芳崖の特徴を表わした代表作

「不動明王」は、妻・よしが亡くなった年に完成している

30年間連れ添った、愛妻よしの為に渾身の魂で【悲母観音】に取り組みます

愛妻よしの魂が乗り移ったとでも云える・・・芳崖の歴史に残る作品に

もちろん観音は男性である、この観音様よく見るとヒゲが生えている

観音様の下には「嬰児」なのか「胎児」なのかが描かれている

この子を、暖かい慈悲のまなざしで見つめている観音様

この構図と、誠に気品あふれる色彩との調和に感動したのと・・・

やっと念願かなって、今【悲母観音図】の前に立っている喜び・・・

長年この二つの事柄が、”涙” を誘ったと思ってきましたが、今回

愛妻よしの平癒を祈願する為の作品とわかって・・・

本当の ”涙” の原因が此処にあったのではと知った思いが

一つ残念なことが見つかりました・・・ナント5年前に京都で展示されていた

京都近代美術館〈先日ゴッホ展があった〉の開館50周年記念に「悲母観音」が

特別展示されていたとは・・・何故 知らなかったのか、残念・無念なり

20年に一度しか観られないと言われている「悲母観音図」今度は何時京都へ???

 

 

 

 

 

         

 

 

 

 


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