松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

日本に初めて「象」がやって来たのは「609年」も前なんです!

2017-11-02 15:35:42 | 日記

先日、京都文化博物館へ「木島櫻谷」の鑑賞に行った時に同館で見つけました

まだ、この本の中まで入れてないけど、第一回目は「はじめに」から載せよう

それによると、日本には応永15年〈1408〉から文久3年〈1863〉まで8回渡来

いや~八回の渡来で実に450年も掛かっているとは驚きですね、では詳しく・・・

第一回目の応永15年〈1408〉と云えば、室町時代の華やかなりし時代なれど

金閣寺を建立した第三代将軍【足利義満】が亡くなった年でもある

記録には応永15年6月22日、若狭の国「小浜」に南蛮船が・・

第四代将軍【足利義持】に献上する為にもたらされた。

この像は、三年後の応永18年に朝鮮の李王朝に贈られている

第二回目は天正2年〈1574〉7月に、大明国船が像と虎を博多に持ち込んだ。

第三回目は同じく天正3年〈1575〉に大明国船が豊後国臼杵の戦国大名【大友宗麟】に

虎や孔雀と共に贈られたが、この像は来着後、間もなくして死んだと云う

ここでこの時代の歴史的な出来事を・・・ちょっとだけ、紹介しよう

1467年に京の都が焼け野原になった【応仁の乱】が勃発し、76年後には【鉄砲伝来】

1553年には武田と上杉の10年戦争【川中島の合戦】が起こっている

1560年、【桶狭間の戦い】で織田信長が今川軍に圧勝している。

8年後には入京し天下統一が目の前にあったが14年後【本能寺の変】が

第四回目は慶長2年〈1597〉に豊臣秀吉の要求に応じてエスパニア支配下の

フィリピン・呂宋総督の使節が平戸へ、この象京の聚楽第で秀吉が見学している

第五回目は慶長7年〈1602〉に、交趾国〈現ベトナム〉虎一頭が孔雀二羽と共に

徳川家康に贈られたもので、この象堺から伏見に入っている、

家康は後に、大阪城の豊臣秀頼に贈ったとされている。

第六回目が本書の主題である、享保13年〈1728〉に長崎へ渡来した象である。

第七回目は文化10年〈1813〉6月に阿蘭陀船を装った英国船により象一頭が長崎へ

この象は、幕府へ献上したい旨申し入れられたが、長崎奉行の旧法により、

江戸の幕閣で協議された結果、受け入れが拒否され差し戻された

第八回目は文久3年〈1863〉3月にアメリカ商船シタン号によってマレーシアより

開港間もない横浜へもたらされた三歳の牝象である。

この象は香具師の手に渡り、翌四月から江戸両国や浅草奥山で見世物となった

多くの人の目に触れ大人気を博し、河鍋暁斎や歌川芳豊などの絵師により

描かれた浮世絵版画が数多く出版された。

この本には、第六回目の渡来象の、長崎から江戸までの「象の旅日記」が

事濃やかに綴ってある、特に我が京都到着から滞在が詳しく記録されている

後日、少しづつ、ブログにしていきますのでお楽しみに

 

 

 

                  

 

 


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