伊賀市の中心部では、車に積んできた折り畳み自転車に乗っての探索でした。
前回(昨年9月1日)は信楽方面から名阪国道へ出る途中での15分ほどの寄り道だったので、
この地で本格的に鍾馗さんを探すのは初めてになります。
師匠・kiteさんが寄稿している「みちくさ学会」の『江戸人は伊勢を目指した』の中に、
碁盤目に広がる市街地にも、周辺の集落にも
上野風とでもいうべき独特の鍾馗さんが数多く見られます。
伊賀瓦と呼ばれる独自の瓦産業が栄えていて、(中略)
地元の鬼師が独自の鍾馗さんを産みだしたのだと思われます。
と書かれており、奈良や大阪では見られない鍾馗さんがたくさんいました。
“布団”が敷かれており、大事にされてます。
上の3体は、それぞれ剣の持ち方は違っていても親類に当たります。
上の4体は、それぞれ微妙な違いがあります。
師匠の解説ページ
師匠が「二刀流!?」と題してブログ こちら で取り上げています。
兄弟はこちらです。
師匠のブログ
前回(昨年9月1日)は信楽方面から名阪国道へ出る途中での15分ほどの寄り道だったので、
この地で本格的に鍾馗さんを探すのは初めてになります。
師匠・kiteさんが寄稿している「みちくさ学会」の『江戸人は伊勢を目指した』の中に、
碁盤目に広がる市街地にも、周辺の集落にも
上野風とでもいうべき独特の鍾馗さんが数多く見られます。
伊賀瓦と呼ばれる独自の瓦産業が栄えていて、(中略)
地元の鬼師が独自の鍾馗さんを産みだしたのだと思われます。
と書かれており、奈良や大阪では見られない鍾馗さんがたくさんいました。
“布団”が敷かれており、大事にされてます。
上の3体は、それぞれ剣の持ち方は違っていても親類に当たります。
上の4体は、それぞれ微妙な違いがあります。
師匠の解説ページ
師匠が「二刀流!?」と題してブログ こちら で取り上げています。
兄弟はこちらです。
師匠のブログ