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醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  514号  白井一道

2017-09-13 12:55:17 | 日記

 「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」。元禄二年芭蕉四十六歳


句郎 「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」。元禄二年芭蕉四十六歳『おくのほそ道』しのぶもじずり石で詠んだ句として知られているのかな。
華女 「しのぶもじずり石」はなぜ有名なのかしら。
句郎 河原左大臣、源融が詠んだ和歌「みちのくのしのぶもぢずりたれ故に乱れそめにし我ならなくに」によって有名になったんじゃないかと、考えているんだけど。
華女 その文字摺石は今では観音となり、祭られているのでしょ。
句郎 百人一首の歌と芭蕉の『おくのほそ道』によって福島市の有名な観光スポットになっているみたいだよ。
華女 福島市は芭蕉に感謝しなくちゃ罰が当たるわ。
句郎 源融にもね。彼の詠んだ歌によって伝説が生まれたようだからね。
華女 それはどんな伝説なのかしら。
句郎 福島は当時、信夫の里と言われていた。その信夫の里の長者の家に「虎女」という美しい娘がいた。ある日、都から、陸奥出羽按察使(あぜち)として赴任して来た源融が、虎女の家に泊まった。融は美しい娘、虎女に目をとめ、虎女もまた、都の貴公子の姿に目を奪われた。融と虎女は、いつしか結びあったのもつかの間、都から融に帰任せよとの知らせが来る。やがて融は信夫の里から去っていった。融の去ったあと、虎女はもう一度、融に会いたい、と文摺石に百日の祈願をかけた。毎日、麦の穂を文字摺石にこすり、この面に恋しい源融公の顔があらわれることを祈った。
 満願の百日目。石の面は鏡となり、不思議にも、その面には、恋いこがれた融の姿があらわれ、虎女は岩にすがり、泣きくずれた。虎女は病の床についた。都では、このことを知った融が、絹の織物に添えて一首の和歌を送ってよこした。
「みちのくのしのぶもちずりたれゆえにみだれそめにし われならなくに」
虎女はこの歌を抱きながら、息をひきとった。
 それから文字摺石は青麦の葉でこすると意中の人の顔が浮かんでくると言う説話が生まれた。文字摺石は鏡石となり観音になってパワースポットになった。
華女 源融は実際、信夫の里に行ったとがあるの。
句郎 いや、行ったことはないようだよ。
華女 源融は行ったこともない所にある大きな石の表面の模様を写し取った布地があることを知り、想像力を働かせ、歌を詠んだのね。
句郎 そう、その結果、文字摺石は歌枕になり、芭蕉はその歌枕を訪ね、伝説に促され信夫の里を探し求めて訪ねたんだ。
華女 そして芭蕉は文字摺石を訪ね、詠んだ句が「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」だったのね。
句郎 しのぶ摺の巨石を眺め、早乙女たちが早苗を取り、田植えする姿が心に浮んだじゃないのかと思っているんだ。
華女 布地の草木染をする乙女と田仕事をする乙女の姿を思い浮かべたということよね。芭蕉は女好きの男だったのね。
句郎 そんな感じがする。
華女 するわ。当時の男たちが農婦の女に恋することはなかったんじゃないかと思うのよ。だって、ちっとも髪振り乱して働く女が綺麗なはずないでしょ。そうでしょ。


醸楽庵だより  513号  白井一道

2017-09-12 13:14:26 | 日記

 「貧山の釜霜に鳴(なる)声寒し」。天和二年、芭蕉39歳

侘輔 「貧山の釜霜に鳴(なる)声寒し」。天和二年、芭蕉39歳。侘びしく寒い芭蕉庵の冬を表現した句のようだ。
呑助 この句には季語が二つ入っていますね。
侘助 「霜」と「寒し」かな。芭蕉は寒さを詠みたかったんだよ。
呑助 「貧山」とは、何ですか。
侘助 寺のことを山という場合があるから、貧しい寺ということになるが、この句の場合は芭蕉庵ということなんじゃないか。
呑助 芭蕉は自分の住いを寺だと自覚していたんですか。
侘助 清貧な生活を自ら選んだことを出家と自覚したのかもしれない。
呑助 冬、釜に霜が降りるんですか。
侘助 釜に食べ残した黒い玄米飯があるとそこに霜が降りることがあったのかもしれない。
呑助 そんなことって本当にあるんですか。
侘助 いや、知らないよ。経験したことはないけどね。中国の地理書『山海経』に「豊山之鐘は霜降りて鳴る」と言われているが深川芭蕉庵では鐘ならぬ釜が寒さに耐えきれずに音をたてている。
呑助 「声寒し」の声とは、誰の声でしよう。
侘助 釜が鳴る音を声と表現したんでしよう。
呑助 釜を擬人化したということですか。
侘助 これはきっと芭蕉自身の声だったんじゃないのかな。これといった暖房設備のない冬の夜、釜を開けて茶碗に盛りつけようとしたとき、半ば凍り付いた玄米飯に杓文字(しゅもじ)を差し込むと霜を押しつぶしたような音がした。この時、芭蕉は釜が鳴いていると感じた。芭蕉自身が寒さに泣いていたから釜の中で鳴る飯粒の音に共鳴したんだと思う。
呑助 それはワビちゃんの想像だね。
侘助 勿論、想像だよ。句は勝手に読者が想像していいもんだろうと思っている。
呑助 釜の中に霜が降りて来るような寒い夜だったんでしようね。
侘助 冬の夜の微かな音に寒さを感じたんだと思う。
呑助 この句には、冬の闇夜の深さのようなものがありますね。
侘助 天和元年に詠んだ「艪の声波を打って腸凍る夜や涙」や「芭蕉野分盥に雨を聞く夜かな」と同じような句だよね。
呑助 そうですね。一種の境涯俳句のようなものですか。
侘助 うーん、言われてみると確かにそんな感じがしないでもないよね。境涯俳句と言われている句の中で有名な句というと何があるかな。
呑助 私か好きな句で言うと「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」でしようか。
侘助 久保田万太郎の句だね。こういう句も境涯俳句なんだ。
呑助 そうなんじゃないですか。老いの境涯が詠まれていますからね。
侘助 万太郎の弟子の真砂女の句「今生のいまが倖せ衣被」もやはり境涯俳句かもしれない。
呑助 「羅(うすもの)や人悲します恋をして」。恋に生きた女の境涯を詠んだ句なんだろうと思います。
侘助 そうなんだろうね。「戒名は真砂女でよろし紫木蓮」。こうした老いや恋の境涯を詠んだ句には芭蕉の影響があるのかもしれないな。きっと芭蕉の精神は生きている。

醸楽庵だより  512号  白井一道

2017-09-11 14:21:09 | 日記

「世の人の見付けぬ花や軒の栗」。元禄二年芭蕉四十六歳

句郎 「世の人の見付けぬ花や軒の栗」。元禄二年芭蕉四十六歳『おくのほそ道』須賀川で詠んだ句として知られている。
華女 『おくのほそ道』本文の須賀川の一節に「世をいとふ僧あり」とあって「世の人の」の句があるからそのお坊さんへの挨拶吟じゃないのかしら。
句郎 そうなんだろうね。「世をいとふ僧」とは、「可伸」という芭蕉の門弟になっている僧侶への挨拶だったんだろうと思う。
華女 曾良の『俳諧書留』には、「世の人の」とはちょっと異形の句が載っているわよ。
句郎 「隠れ家や目だたぬ花を軒の栗」という句だよね。
華女 そうね。『俳諧書留』にある句と比べると『おくのほそ道』に載っている句の方が良いと思うわ。
句郎 「隠れ家や」の句を推敲し「世の人の」を得たのだろうね。
華女 「世の人の」には前詞があるでしょ。同じように「隠れ家や」の句の前にも前詞があるわね。
句郎 「桑門可伸は栗の木のもとに庵を結べり。伝へ聞く、行基菩薩の古は西に縁ある木なりと、杖にも柱にも用ひ給ひけるとかや。隠棲も心あるありさまに覚て、弥陀の誓ひもいとたのもし」とあるね。
華女 その前詞を推敲したものが「世の人の」の前詞になったのかしらね。
句郎 「栗といふ文字は西の木と書て、西方浄土に便ありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此木を用給ふとかや」とあるからそうなのかもしれないな。
華女 栗の木と西方浄土とはどんな関係にあるのかしらね。
句郎 浄土教の開祖法然が念仏を唱え、栗の木の杖をついて極楽浄土に逝きなされと言ったという説話があったのかな。
華女 栗の木は西の木と書くから栗の杖をついて逝くと極楽浄土に往生するという話のなのね。
句郎 阿弥陀様は西方の極楽浄土におられると信じられていたから。
華女 「南無阿弥陀仏」と唱えながら栗の木の杖をついて、逝くと仏さまになれるという信仰ね。
句郎 そう、この念仏を唱えたら誰でも極楽に往生できるという教えのようだ。どんな悪人であってもね。
華女 行基という人は実際にいた人なんでしよう。
句郎 奈良東大寺の大仏製造に力を発揮した僧侶のようだ。その人は死んで後、菩薩として人々から拝まれるような仏さまになった。
華女 仏教では人が死ぬと仏さまになるのよね。
句郎 そこがキリスト教やイスラム教と決定的に違っているところかもしれない。
華女 「世の人の見付けぬ花や軒の栗」とは、可伸のことを述べているのじゃないかと思ってきたわ。
句郎 きっとそうなんだと思う。栗という木は大木になる落葉広葉樹だから、家の軒下に生えるような木じゃないよ。須賀川の駅長だった等躬の屋敷内に可伸は草庵をかまえていたというから、「軒の栗」とは可伸の草庵のことなのだろう。「世の人の見付けぬ花や」とは、世間には知られてはいないが、ここに立派な僧侶がいますよと述べているのじゃないかと思う。
華女 芭蕉の可伸さんへのご挨拶の句だということがよく分かるわ。

醸楽庵だより  511号  白井一道

2017-09-10 15:34:59 | 日記

「髭風ヲ吹いて暮秋嘆ズルハ誰ガ子ゾ」。天和二年、芭蕉39歳

侘輔 「髭風ヲ吹いて暮秋嘆ズルハ誰ガ子ゾ」。天和二年、芭蕉39歳。この句の前詞に「憶フ二老杜ヲ一」。老いた杜甫を想うと前書きしてこの句を芭蕉は詠んでいる。
呑助 髭が風を吹くんですか。そんなことはないでしよう。
侘助 そうだよね。森川許六が描いた「おくのほそ道行脚図」がある。芭蕉存命中に門弟の許六が描いたものだから、芭蕉の顔かたちが忠実に表現されているのではと言われている。この図を見てみると芭蕉には口髭が描かれている。手入れの行き届いた口髭だ。
呑助 実際は無精髭みたいなものだったんじゃないんですか。
侘助 芭蕉が旅を栖(すみか)とするようになるのは、四十一歳、貞享元年『野ざらし紀行』からだから芭蕉庵にいたときには髭を毎日剃っていたかもしれないなぁー。
呑助 どうして芭蕉は髭を毎日剃っていたと想像できるんですか。
侘助 日本には髭の文化がないからね。英語には頬髭、顎髭、口髭とそれぞれ固有名詞があるでしょ。ゲルマン人やスラブ人には髭の文化があるから頬、顎、口にそれぞれの固有名刺がある。
呑助 ゲルマン人やスラブ人が住む地域は寒い所だから髭の文化があったんでしよう。
侘助 東海道を上り、江戸に向かった芭蕉は無精髭を伸ばしたまま、旅をした経験があったのかもしれない。その経験があればこそ、この句が詠めたんじゃないのかなと考えているんだ。長く伸びた無精髭に当たる風を感じると頬の髭によって煽られた風なのかと錯覚することがあったのじゃないかと愚考したんだ。
呑助 それが「髭風を吹いて」なんですか。
侘助 失意の中、年老いた杜甫を芭蕉は思っていた。年老いた杜甫の頬や顎には長く伸びた髭が風に吹かれていたのだろうと芭蕉は想像すると同時に杜甫の詩『白帝城最高楼』を思い浮かべていた。
杖藜嘆世者誰子
(藜(れい)を杖して世を嘆く者は誰が子ぞ)。
泣血迸空回白頭。
(血に泣き、空に迸(ほとば)しりて白頭を回らす)。
呑助 杜甫の詩を下敷きにして「髭風ヲ吹いて暮秋嘆ズルハ誰ガ子ゾ」は詠まれているんですか。
侘助 そのように言われているみたいだ。高楼に上り、杜甫は世を嘆いたが芭蕉は暮行く秋を嘆いた。芭蕉は杜甫の気持ちに寄り添って句を詠んだ。
呑助 誰だって、暮行くを秋を眺めていたら、惜しまない者がいるだろうかと、いうことですか。
侘助 暮行く秋を眺め続けている老人がいる。夕日の中に黒い人影になっている老人。
呑助 芭蕉は「誰ガ子ゾ」と言っていますよ。だから老人じゃないんですか。
侘助 秋の暮、芭蕉が見た人影は老人ではなかったかもしれない。しかしその人影に芭蕉は老人を見たのではないだろうか。
呑助 なるほどね。その人影は年老いた自分の姿、芭蕉自身の年老いた姿を想像したのかもしれませんね。
侘助 きっとそうなんだと思う。一人年老いていく自分を想っていたに違いないようにも思うね。
呑助 風を吹く髭は白く長いものが想像されますよ。そうでなくちゃね。

醸楽庵だより  510号  白井一道

2017-09-09 14:32:33 | 日記

 福井の酒「一の谷」山廃特別純米酒斗瓶囲の酒を楽しむ


侘輔 今日のお酒は福井県のお酒なんだ。前にも一度楽しんだことがある。
呑助 「一の谷」でしたね。
侘助 そうそう「一の谷」だった。その「一の谷」の山廃、斗瓶囲という造りのお酒を楽しもう。
呑助 前ゝ回楽しんだお酒は「別誂 山廃仕込特別純米生原酒」だったように思いますが、今回の造りはどんな造りなんですか。
侘助 山廃造り、精米歩合が五〇%の純米酒。
呑助 吟醸の酒ですね。
侘助 そういうことかな。埼玉の純米酒と言えば何といっても有名な酒は何でしたっけ。
呑助 そりゃ、「神亀」でしょう。
侘助 そう、酒造界では有名な蔵元だった。社長の小川原良征(おがわはらよしまさ)さんが今月の二十三日に癌で亡くなられたという話を聞いた。「神亀」の蔵の裏に売店があった。この売店で神亀以外の酒が一点だけ売られていた。そのお酒が福井県宇野酒造の銘柄「一の谷」のお酒だった。
呑助 「神亀」の蔵元が認めていたお酒が「一の谷」の純米酒だったんですか。
侘助 そのような話を坂長さんから聞いた。特に山廃仕込みの造りが実に上手だと小河原氏は言っていたという。
呑助 山廃造りというのはそんなに難しい造りなんですか。
侘助 お酒の酛(もと)、又の名を酒母(しゅぼ)と言われているものを造るのが難しいようだ。なぜなら麹と水から乳酸菌を造り出す過程が難しい。
呑助 その難しさとは、何なんですか。
侘助 蒸米と麹と水をいれたタンクの中に乳酸菌を生成させることが難しい。
呑助 蒸米が溶けなければお酒にはならないですよね。ほっておいても蒸米は溶けるんですか。
侘助 そう、だから半切り桶に蒸米と麹、水を張り櫂で押しつぶす作業を山卸と言ったんだ。この作業を昔は夜を徹して行った厳しい厳しい作業だった。蔵人は皆で声を合わせて行う作業だった。この中から酒造りの歌が生まれてきたんだ。
呑助 この山卸の作業を廃止して造られた酒母、酛が山廃酛なんですね。
侘助 そうなんだ。だから山卸の心得を「櫂でつぶすな麹で溶かせ」なんていう言葉がある。
呑助 蒸米が麹によって溶けるには時間がかかるんでしようね。
侘助 速醸酛と比べて倍以上かかると言われている。だから値段も高くなる。
呑助 速醸酛とはなんですか。
侘助 化学製品としての乳酸菌を酛にいれて造られた酛を速醸酛と言うんだ。
呑助 なぜ乳酸菌が酒造りには必要なんですか。
侘助 私たちの身の回りには雑菌が満ちている。この雑菌が酛の中に入ると酒が生成しないんだ。酛の中に雑菌が入ってきても乳酸菌が酛の中に満ちていれば雑菌は殺されてしまう。だから乳酸菌のある食べ物を食べると我々の腸の中の雑菌を殺してくれるので腸の健康を保ってくれるようだ。
呑助 山廃造りの酒は速醸酛の酒と比べてどのような違いがあるんでしゅうかね。
侘助 山廃酛の酒は時間をかけてじっくり蒸米が溶け、酒になっていくわけだから、酒の旨みや酸味、味わいが深く、豊かになっているということかな。