山寺の散歩道

山寺の和尚が綴る風景
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おばあさんの励ましの言葉

2010年04月30日 | 一期一会
『和尚さん!私の従姉妹も肺ガンだったけど
1年大丈夫だったので和尚さんも頑張ってね』と励まされた。

「俺の命は後1年か!」とおばあさんの励ましの言葉で
一瞬私は落ち込んでしまった。
でも、
『頑張ってね』と言うおばあさんの
目や仕草で「私の事を本当に心配してるんだな」と感じる。

そして、多くの方に心配を掛けてしまったと
申し訳なく思った。

「癌」は「死ぬ」と多くの方は思っています。
確かに、「3人に一人が癌で死亡」と
テレビなどで見かけると、癌患者を前に
どのように励ましたら良いのか言葉が
見つからないようです。

先のおばあさんも、どう励ましたらいいのか
分からないので「1年大丈夫だった」と言う
言葉になってしまったのでしょう。

その言葉の奥には
「すぐに別れる事はないのでなんとか病気に打ち勝って」という
気持ちが見えます。

「癌」とは完治しないもので再発や転移があるので
「癌」と言うらしいのですが、
「再発・転移・増悪」も治療で
遅らせる事ができるようです。

「医師・自分・家族」の願いや力が
一つになって同じ方向に進めば時間に関係なく
「すばらしい生き方」ができように思います。

おばあさんの「励ましの言葉」も私には
大きな力です。

見送られる人と見送る人

2010年04月27日 | 一期一会
いずれ「見送られる身」となる私が
最近、気づかされた事があります。

「どちらがつらい」のだろうか?

癌の告知以来「見送られる身」の私は多少なりとも
覚悟ができてしまいました。

しかし、「見送る身の家族」はどうでしょうか・・。

私の家族を見ていると『つらいのだろうな』と
その心中を容易に感じ取ることができます。
それは私にかける言葉や仕草で・・。

坊さんになってすでに五百名以上の方の
弔いに関わって来ました。

葬儀・法要などで、遺族の方々と接するたびに
残された者の悲しや・苦しさは
十二分に感じていたはずなのですが・・・

今とても反省しています。

はたして私は「見送る身」の辛さを遺族と同様に
心に留めてこれたのだろうかと・・。

これも仏さまの仕業かも知れません。

残された時間を仏さまは
『しっかり、見送る身(遺族)の涙を感じて弔いなさい』と
言われて居るのかも知れません。

私を見送ってくれる面々の顔を見ていると
「ありがとう!がんばるぞ!」という
気になって来ます。

「見送られる身」の責任として
少しでも「見送る身の辛さ」を和らげて
あげたいと思います。

治療のすすみ具合

2010年04月26日 | 治療
2009年10月1日に病巣を切除し「肺ガン(腺がん)」と診断され
化学療法(抗ガン剤)に入りました。

シスプラチン(80㎎/㎡)とジェムザール(100㎎/㎡)の
投与を11月から開始。

6サイクル(1サイクル3週間)を行った。
転移していたリンパは40%ほど小さくなりましたが
6サイクル終了の後約1ケ月半で小さいときに
比べ30%ほど増悪してしまいます。

主治医(外科医)の説明通り
増悪した場合は新薬の治療を行う事に
しています。

・・・抗ガン剤の副作用・・・
(シスプラチンとジェムザール)
①嘔吐
②臭いの不快感
③味覚が判らない
④便秘
⑤体のだるさ
⑥動悸や息切れ
などがありました。

投与終了後3週間ぐらいから
手足の先がシビレる。

投与し出して体重も増加(8㎏)
むくみも現れ、ひざや手の関節が痛むように
なった。

かかりつけの先生から利尿剤をいただく。
水分を取りすぎるとむくみや動悸が現れる。

手足のしびれやむくみ以外は
至って元気である。


2010年5月から新薬の投与となります。

癌をなかなかコントロールできないのが
現状ですが新薬に期待したいと思っています。

気持ちも体も元気ですが
癌も元気なようです。
これからが勝負です。

偉いお坊さん!

2010年04月20日 | 不自信
佐伯市には50ヶ寺ほど既存の寺院があります。
各寺院にはそれぞれの宗旨・宗派のお坊さんがいます。

檀家さんに『どこのお坊さんが一番偉いの?』と
聞かれることがあります。

『どのお寺さんも徳の高いお坊さんばかりですよ』・・

これが私の答えでした。

「上浦の蒲戸」という所に日蓮宗のお寺があります。
ここの上人さんは私と同じ年でしたが、
数年前に突然亡くなりました。

上人さんとは宗旨は違うのですが、宗教講座でご一緒していましたので
良く存じていました。

私が遷化を知ったのは数年後の事でした。
亡き上人さんに焼香をと思い「かまど」のお寺に出向きました。

驚いたのは上人さま亡き後、
奥さんが「尼僧さん」になられていた事です。

奥さんの話しでは、上人さまが亡くなった後、
寺院をお守りする事もできず、
実家へ子供を連れて帰ろうと考えたそうです。

子供達にそのことを伝えたところ、
まだ幼い長男さんが
『僕はお父さんのようなお坊さんになりたいから、お寺を出て行きたくない!』
とけなげに言われたそうです。

近隣に日蓮宗の寺院もなく兼務住職もままならず
お寺と檀家を護り子供の夢を叶えるには私が剃髪する以外
にないと奥さまは考え修行に出られたとのことでした。

女性が髪の毛を剃るのは命がけです。

命がけで尼僧さんに護られている「かまど」の檀家さんは幸せです。
命がけでお母さんに護られている「父親似」の子供さんも幸せです。

尼僧さんと話していると、私のような坊主はつくづく「偽坊主」だと
思い知らさせます。


その尼僧さんの言葉で・・
『亡き上人は朗々とした声で葬儀の時も
一度も声を詰まらせ事は無かったと
檀徒さんが言います。
でも女の私はお参りするたびに亡き
檀徒さんの事を思い出し声が詰まってお経をあげる事が
できなくなります。
男の和尚さん達は偉いですよ』と・・。

まいりました!

檀家さんに『どこのお坊さんが一番偉いの?』と
聞かれることがあります。

「上浦の蒲戸」の尼僧さんと答えます。

女房の誕生月!

2010年04月19日 | 女房
4月は女房の誕生月です。

大分市で娘と待ち合わせ
女房と3人で誕生日プレゼントを
買いに行きました。

女房と知り合ったのが昭和50年(1975)。
互いに19歳の時、すでに35年が経ちました。

「誕生日は必ず来るもの」とごく当たりに
考えていました。

しかし、病気になって、そのごく当たり前の日が
実は「奇跡の日」だった事に気づきます。

誕生日は大いにお祝いするべき日のようです。
「生かされている」それを実感する日だからです。

私の誕生日は1月です。
当然、来年の誕生日にはお祝いをしていただきます。
何度も何度も祝ってもらいたいと望んでいます。

ただ、54歳になる女房は若返りを望んでいるようですが。

お坊さんは動ぜず・・・?

2010年04月17日 | 不自信
お医者さんは私をお坊さんと見ています。
何事にも動じない心を持っている高僧と
勘違いします。

告知をしても「落ち込む」事はないと
思っているのでしょう。

お坊さんだから・・・。

とんでもない!
「大声で泣きたい」・「不安で不安でそして怖くて」
「死にたくない!」・・・。

でも、お医者さんは言います。
「ほかの人とはやはり違います」と・・・。
檀家さんも言います。
「和尚さんは偉いね~」と

なんだか偉いお坊さんに仕立てられた気がします。

仕立てられた私は「仏さまのような生き方」を
しなければならなくなりました。

「仏さまのような生き方」?

なんだか、うかつに死ねなくなってきました。

京都二泊三日

2010年04月16日 | 一期一会
妙心寺は正定寺のご本山になります。
相国寺は私が少し修行させて
いただいたお寺です。

今回の京都行きは、相国寺専門道場の老師お二人の
13回忌と3回忌の法要に出向きました。

指定のホテルではなく、
久しぶりに妙心寺花園会館(通称:花館)に
宿泊して修行中の同輩と合流して
互いの近況話で楽しい夜を過ごしました。

ご本山妙心寺南門



相国寺禅堂前



相国寺書院




「見えなかったモノ」が「見えるようになる」

2010年04月13日 | 
昨日ブログに書いた
「見えなかったモノ」が「見えるようになる」

これは怪奇現象やインチキな宗教家が
「お告げ」とか「私には貴方の心や前世がわかる」などと言って
人を迷わす低俗なモノの事ではありません。

「見えなかったモノ」が「見えるようになる」
とは、
「見過ごしていたモノ」や「気づかなかったモノ」が
素直に心に響いたり目に映ったりする事です。

病室でリンゴを剥いて私に手渡す娘。
普段から良くある光景でしたが、なぜか娘が大人になっているのに
あらためて気づかされる。

この時、初めて彼女の目を見て
『ありがとう』と言った気がしました。

病気になって得した事は
「見えなかったモノ」が「見えるようになる」

そういえば、娘の目が小さく細いのにも気づいた。
私に似たのであろう。

どこから書き始めようか・・・

2010年04月12日 | 
2009年(平成20年)9月に「ガンの告知」を受けました。
ちょうど「秋のお彼岸」の前で暑さも和らいだ頃でした。

かかりつけのお医者さんが「肺にあるわずかな影」を
見つけてくれました。

専門の内科医によるCTの結果は「癌」の診断でした。
この時点では「実感」はありませんでした。

大きな病院に紹介されて専門外科医による詳しい検査の結果
「生存率」の話を家族と共に聞くことになりました。

この日から「見えなかったモノ」が「見えるようになる」
そんな生活が始まりました。

「生死」仏教では「しょうじ」と言います。

告知された日に娘が『お父さんかっこいい死に方をしてね』と
言ってくれました。

「かっこいい死に方」は「かっこいい生き方」と言うことです。
寺の娘らしい激励の言葉です。

さまざまな方からの「ことば」を少しずつ綴って行きたいと
想っています。