いずれ「見送られる身」となる私が
最近、気づかされた事があります。
「どちらがつらい」のだろうか?
癌の告知以来「見送られる身」の私は多少なりとも
覚悟ができてしまいました。
しかし、「見送る身の家族」はどうでしょうか・・。
私の家族を見ていると『つらいのだろうな』と
その心中を容易に感じ取ることができます。
それは私にかける言葉や仕草で・・。
坊さんになってすでに五百名以上の方の
弔いに関わって来ました。
葬儀・法要などで、遺族の方々と接するたびに
残された者の悲しや・苦しさは
十二分に感じていたはずなのですが・・・
今とても反省しています。
はたして私は「見送る身」の辛さを遺族と同様に
心に留めてこれたのだろうかと・・。
これも仏さまの仕業かも知れません。
残された時間を仏さまは
『しっかり、見送る身(遺族)の涙を感じて弔いなさい』と
言われて居るのかも知れません。
私を見送ってくれる面々の顔を見ていると
「ありがとう!がんばるぞ!」という
気になって来ます。
「見送られる身」の責任として
少しでも「見送る身の辛さ」を和らげて
あげたいと思います。
最近、気づかされた事があります。
「どちらがつらい」のだろうか?
癌の告知以来「見送られる身」の私は多少なりとも
覚悟ができてしまいました。
しかし、「見送る身の家族」はどうでしょうか・・。
私の家族を見ていると『つらいのだろうな』と
その心中を容易に感じ取ることができます。
それは私にかける言葉や仕草で・・。
坊さんになってすでに五百名以上の方の
弔いに関わって来ました。
葬儀・法要などで、遺族の方々と接するたびに
残された者の悲しや・苦しさは
十二分に感じていたはずなのですが・・・
今とても反省しています。
はたして私は「見送る身」の辛さを遺族と同様に
心に留めてこれたのだろうかと・・。
これも仏さまの仕業かも知れません。
残された時間を仏さまは
『しっかり、見送る身(遺族)の涙を感じて弔いなさい』と
言われて居るのかも知れません。
私を見送ってくれる面々の顔を見ていると
「ありがとう!がんばるぞ!」という
気になって来ます。
「見送られる身」の責任として
少しでも「見送る身の辛さ」を和らげて
あげたいと思います。
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