SHISHIRA

「憂きことの 尚この上に積もれかし 限りある身の力試さん」

ルポルタージュにっぽん「恐るべき子どもたち」―中学生暴力白書―

2020年07月31日 | 日記
昔はテレビの録画と言えばビデオテープを機械に挿入して録画・再生するものでした。
「ベータ方式」と「VHS方式」があり、見逃してたテレビ番組は、それぞれの方式同士であれば貸し借りが可能でした。
我が家はソニー製品が多かったので「ベータ方式」でした。クラスでもベータは少ない方でした。
我が家で最初に使っていたのが、「ソニーベータマックスSL-J10」でした。

今のように家電をリモコンで操作することなどできないので、予約から巻き戻し、早送り、一時停止等々は手動です。
ヘッドが汚れると、画面が乱れたり、最悪はテープがぐちゃぐちゃになったりしました
野球中継が延長になったりしたらもう大慌てでした。

ビデオ戦争は「VHS方式」が勝利し、結局「ベータ方式」で撮ったものは使えなくなってしまいしました
その後レンタルビデオ店が増え始め、VHSが店頭に並ぶようになりました。

それからビデオデッキは何台買ったものか・・・。ビデオテープも山のようになりました。
数年前にビデオテープを処分するために、「DXアンテナ 地上デジタルチューナー内蔵ビデオ一体型DVDレコーダー DXR160V 」を買いました。

必要なものはDVDにして、いらないものはそのまま捨てるのですが、これがなかなか進まなかったものの、段ボール3箱分くらいのビデオテープを処分しました。

観ているととても懐かしいものばかり。DVDに保存するまでもないものは、パソコンに画像で残しておきました。その中に興味深いものがありました。

ルポルタージュにっぽん「恐るべき子どもたち」―中学生暴力白書―


1980年04月19日(土)午後10:15~午後10:44 NHKアナログ総合
ルポルタージュにっぽん 「恐るべき子どもたち」 ―中学生暴力白書―


当時の暴走族に属する中学生を追ったテレビ番組です。










1970年代後半から1980年代にかけて校内暴力が社会問題となりました。
「3年B組金八先生」や「スクールウォーズ」が放送されたのもこの時期です。

荒れていた時代です。
校内暴力の後は、あからさまな暴力行為は減少し、その後はいじめ問題がみられ、陰湿な言動で集団による他者を傷つける行為があらわれてくるようになります。

今では考えられないような時代でしたが、この番組に登場する少年たちも今では日本の経済を支える一員になっていることでしょう。
とはいえ、「自分も若いころは…」と「若気の至り」を肯定することはできません。
彼らの振る舞いによって、多くの人たちが傷つき、今でも苦しい思いをしている人がいることに気付いてほしいと思います。


昔の青春ドラマをもう一度!あの4行の詩がなつかしい!

2020年07月31日 | 日記
1970年から80年代にかけて社会現象にもなるような青春ドラマが多く放送されていました。
そして再放送もよく放送されていました。
70年代は、汗まみれ、泥まみれ、甘く切ない純情的な話が多かったのが、金八先生になってから、妊娠や校内暴力、いじめが中心になったように思います。
金八先生は、ちょうど僕の世代ですが、一番記憶にあるのが「ゆうひが丘の総理大臣」や「俺たちの旅」、「俺たちの朝」です。「俺たちの旅」や「俺たちの朝」は、おそらく再放送で観たと思います。
「俺たちの朝」は鎌倉が舞台でした。以前、鎌倉に行ったとき、極楽寺駅に行って感激したものです。





「ゆうひが丘の総理大臣」や「俺たちの旅」は、エンディングに流れる4行の詩がとても印象的で好きでした。


スマホもなく、パソコンもなく、今当たり前に使っているものがない時代。
自分の想いを伝えるのにたくさん悩んだものです。
今こそ、あの「4行の詩」が心に響く青春ドラマを再放送してほしいと思います。
皆さん、そう思いませんか?

「4行の詩」。
どんなものがあったか、保存していた画像をまとめて、中村雅俊の「海を抱きしめて」にのせてムービーにしてみました
是非ご覧ください 僕と同じ世代の方はきっと懐かしく思うはずです

↓MP4ファイルで開きます。
「ゆうひが丘の総理大臣」エンディング
動画はダウンロードができます。ご自由にどうぞ。



ウッディベル(足寄)で大きなアメリカンサイズのハンバーガーを召す。

2020年07月29日 | 日記
足寄といえば、松山千春。
本人は札幌に住んでいますが、実家には古くなった看板があります。


1989年(平成元年)6月4日に北海道ちほく高原鉄道に転換されから、ふるさと銀河線が走っていました。駅舎は、道の駅あしょろ銀河ホール21横に移されています。ふるさと銀河線は、2006年4月21日に廃止されました。


池北線を走る汽車を観て、松山千春は「帰郷」という歌を作ったのでしょうね。僕の好きな歌です。


道の駅あしょろ銀河ホール21は、入り口に「大空と大地の中で」が流れる石碑があり、中には松山千春のコーナーがあり、ギターや舞台衣装などが展示されています。そしてここのソフトクリームはとても美味しいです


ある時、足寄で昼食を摂りたいと思っていたら、道の駅の近くにハンバーガーの看板があったので行ってみました

ウッディベル(Woody bell)

何度か行っていますが、人気店です。

お店の中はアメリカンスタイルです。


せっかくなので大きな、アメリカンサイズの「しあわせラクレットチーズベーコンバーガー」を注文しました。


本当に大きいです
食べるのが大変
大きい分、それなりに料金もしますが、食べて損はしません。
是非、足寄に行ったら、「ウッディベル」のアメリカンサイズのハンバーガーを食べてみてください



日高晤郎「生きるこころと教育」。

2020年07月28日 | 日記
前回、日高晤郎さんの「峠道」を紹介しました。
多くある音源から日高晤郎ショーで印象に残った話をのせます。

ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー』 2018年3月10日
「教育とは、人間が生きていくうえで一番必要な人間としての心構えや気構えや教養を教えることはできるけど、育むのは自分ですよと言ってあげるのが教育です。育まれるだけでなくて、教えられることは世の中にまだいっぱいあるかもしれないと思って自分で探したり自分で勉強したり自分で質問したり同じような道を歩いてみたりして自分というものを養っていくのを教養というんです。東大出てクイズ番組出ているのは教養のある人のやることではないです。学歴なんて学校を出てきた歴史だろ。お前の今歩いている歴史がどこにあるかって話だろ。」

↓mp4ファイルで聴くことかできます。
生きるこころと教育



日高晤郎 独り語り「峠道」を聴く。

2020年07月26日 | 日記
北海道では、土曜日と言えばSTVラジオで放送されていた「ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー」。
パーソナリティーは、日高晤郎さん。


朝8時から夕方5時まで、9時間、長年生放送をしてきた方です。
かつて市川雷蔵、勝新太郎を師匠として数々の映画に出演していました。そして北海道に縁があり、「話芸人(わげいにん)」としてラジオなどで活躍されました。

不手際があるとアシスタントやレポーターを番組中でも叱りつけることもあったり、歯に衣着せぬ物言いで、好き嫌いが分かれる人物でもありました。
僕もいい気持ちで聴くことができない時期がありましたが、それでもいつの間にか"土曜日は日高晤郎"の生活になっていきました。
残念ながら2018年3月24日の放送を最後に、4月3日悪性腫瘍により亡くなりました。
勉強家で話芸人としての晤郎は素晴らしい才能がありました。
機会をみてブログで紹介したいと思います。

今日は、1985年民間放送連盟賞ラジオ娯楽番組部門最優秀賞受賞作品の「峠道」を紹介します。
時代を強く生き抜いてきた一人の女性の辛く悲しい生きざまを日高晤郎さんが当時の情景と女性の心情が思い伝わるように語ってくれた作品です。この作品を聴くと、晤郎さんが"話芸人"であることが理解できます。
言葉ひとつひとつを大切にした話は情景に引き込まれていきます。
45分のお話です。ごゆっくりお聴きください。

↓mp4ファイルで聴くことかできます。
日高晤郎「峠道」