外電
1392.10.5
複数の情報筋によると、半世紀以上、日本を南北に分断していた内戦がついに正式に終了した。
両陣営の首脳によって進められてきた和平交渉は、軍事的に優勢な北側に有利な条件で合意に達したものと思われ、実質的な北側の勝利と見る向きが多い。
和平合意によって、南側の指導者、ゴカメヤマ帝は、北側の指導者ゴコマツ帝に日本皇帝の地位を譲り、合わせて、皇位の象徴として現地人の尊崇の対象だった三種の神器が南側から北側に委譲する儀式が行われた模様。
和平合意の詳細に関して、和平交渉の実質的な北側代表だったイマガワ・リョーシュン将軍によれば、「南北が交互に皇位に就く継承方式と全国の国有直轄地コクガの南側の所有を条件として和平合意に達した」とのことだが、和平合意の履行に関して、軍事的に劣勢な南側がどれほどの影響力を行使できるか疑問視されており、実際には南側の全面降伏であるとも巷間では囁かれている。
今回の和平合意が、軍事的、政治的能力を有する北側に有利な条件で締結されたことは、近年不安定化する日本列島西部周辺海域の治安維持に神経を尖らせる周辺各国にとっても、今後の対応が期待できることから歓迎されると見られており、60年ぶりに誕生した統一政権は北側の主導下で、内外に久しぶりの安定をもたらすことになりそうだ。
(日本-キョート発 フランシスクス・ハビエール)
というような、もし現在であれば、スーダンやユーゴ発で打たれる様な外電が、日本から発せられたことでしょう。という出来事が起こったのが、700年前の今日、キリスト生誕暦1392年、北朝暦明徳3年、南朝暦元弘9年、閏十月の5日でした。
60年に渡り、日本を分裂状態に置いていた南北内戦。暦も二つ。天皇も二人、もちろん首都もふたつ。というまさに内戦だったのですが、北朝の優勢に推移する情勢下、南朝はついに和睦に応じ、南北朝動乱は終焉を迎えます。
この時、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位する、という形で、すなわち、それまでは一応、南朝側が正統だった、という形で和解が図られます。
この原因のひとつが、皇位継承の象徴三種の神器が、南朝側の手にあったからだ、と言われています。事実、この時、三種の神器はようやく北朝側に手渡される事となりました。
三種の神器、というのは、テレビ、洗濯機、冷蔵庫カーでもなく、カー、クーラー、カラーテレビでも、もちろんデジカメ、DVDレコーダー、薄型テレビでもなくて、
天叢雲剣、八尺瓊勾玉、八咫鏡の三種のことです。
この三種の神器を持っていることは極めて重要な意味を持っていて、明治時代、前にも少し話題に出た南北正閏論争の時に、南朝正統説の決め手となったのがこの神器の保有であったそうです。
最も、この三種の神器、南北朝動乱の初期の段階で、北朝に一度委譲されています。でも、後醍醐帝が、後になって「あぁ、あれ?偽物渡しただけだから」とちょっとそれはどうなのか、という発言をして、実は南朝が持っているということになりました。
こんなことがあると、ほんとにほんとにそれが本物だったのかなぁ、もしかしてそれ、言い訳ってやつじゃないのかなぁ、とか思ってしまったりもするのですが、そういう問いは不毛です。
天皇が持ってれば、それが本物の三種の神器です。
そもそも、南北朝以前に壇ノ浦で安徳天皇と一緒に沈んだったじゃないか、とか、南北朝合一後、北朝側が案の定和平合意を履行せずに完全に権力を奪われた南朝側の残党がゲリラ化した「後南朝」が起こした禁闕の変で、剣は奪われたんじゃないのか、とか色々と疑惑はあるんですが、
とにかく、天皇の手元にあるのが正しい三種の神器なんです。別に無くなったり、沈んだり、壊れたりしたから作り直したって全然問題ないんです。
日本書紀にも正直に書いてあります。
「なくなっちゃったので、まずいっていうんで、(三種の神器の一つの)宝剣作り直させた。前よりも霊力が強かった。結果オーライ」
というわけで、安心して、熱田神宮(天叢雲剣を安置)、伊勢神宮(同じく八咫鏡)、皇居(同じく八尺瓊勾玉)にお参りできるわけです。
まぁ、政治利用されている、もしくはされていたご神体の類なんてたいていそういうものですよね。下手に利用されているだけ、余計に怪しくなってしまいます。
仏舎利とか聖遺物なんてまさにその典型でしょうけど。ユーゴ紛争を惹起したセルビアの英雄ラザレの遺体とかもそんな感じですね。あれが本当だったなんて、セルビア人以外ろくに信じていないと思いますが。
ちょっと時代考証というか、演出に手を抜きすぎると、前にコメントでも触れた檀君陵みたいなものになってしまうわけですが。いや、あれは本当に笑えるのでGoogleあたりで検索すると色々出てきます。
レーニンの遺体とか、そのうち絶対紛失したり摩り替わったりすると思います。聖エビータの遺体はまだアルゼンチンにあるんですかね?
1392.10.5
複数の情報筋によると、半世紀以上、日本を南北に分断していた内戦がついに正式に終了した。
両陣営の首脳によって進められてきた和平交渉は、軍事的に優勢な北側に有利な条件で合意に達したものと思われ、実質的な北側の勝利と見る向きが多い。
和平合意によって、南側の指導者、ゴカメヤマ帝は、北側の指導者ゴコマツ帝に日本皇帝の地位を譲り、合わせて、皇位の象徴として現地人の尊崇の対象だった三種の神器が南側から北側に委譲する儀式が行われた模様。
和平合意の詳細に関して、和平交渉の実質的な北側代表だったイマガワ・リョーシュン将軍によれば、「南北が交互に皇位に就く継承方式と全国の国有直轄地コクガの南側の所有を条件として和平合意に達した」とのことだが、和平合意の履行に関して、軍事的に劣勢な南側がどれほどの影響力を行使できるか疑問視されており、実際には南側の全面降伏であるとも巷間では囁かれている。
今回の和平合意が、軍事的、政治的能力を有する北側に有利な条件で締結されたことは、近年不安定化する日本列島西部周辺海域の治安維持に神経を尖らせる周辺各国にとっても、今後の対応が期待できることから歓迎されると見られており、60年ぶりに誕生した統一政権は北側の主導下で、内外に久しぶりの安定をもたらすことになりそうだ。
(日本-キョート発 フランシスクス・ハビエール)
というような、もし現在であれば、スーダンやユーゴ発で打たれる様な外電が、日本から発せられたことでしょう。という出来事が起こったのが、700年前の今日、キリスト生誕暦1392年、北朝暦明徳3年、南朝暦元弘9年、閏十月の5日でした。
60年に渡り、日本を分裂状態に置いていた南北内戦。暦も二つ。天皇も二人、もちろん首都もふたつ。というまさに内戦だったのですが、北朝の優勢に推移する情勢下、南朝はついに和睦に応じ、南北朝動乱は終焉を迎えます。
この時、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位する、という形で、すなわち、それまでは一応、南朝側が正統だった、という形で和解が図られます。
この原因のひとつが、皇位継承の象徴三種の神器が、南朝側の手にあったからだ、と言われています。事実、この時、三種の神器はようやく北朝側に手渡される事となりました。
三種の神器、というのは、テレビ、洗濯機、冷蔵庫カーでもなく、カー、クーラー、カラーテレビでも、もちろんデジカメ、DVDレコーダー、薄型テレビでもなくて、
天叢雲剣、八尺瓊勾玉、八咫鏡の三種のことです。
この三種の神器を持っていることは極めて重要な意味を持っていて、明治時代、前にも少し話題に出た南北正閏論争の時に、南朝正統説の決め手となったのがこの神器の保有であったそうです。
最も、この三種の神器、南北朝動乱の初期の段階で、北朝に一度委譲されています。でも、後醍醐帝が、後になって「あぁ、あれ?偽物渡しただけだから」とちょっとそれはどうなのか、という発言をして、実は南朝が持っているということになりました。
こんなことがあると、ほんとにほんとにそれが本物だったのかなぁ、もしかしてそれ、言い訳ってやつじゃないのかなぁ、とか思ってしまったりもするのですが、そういう問いは不毛です。
天皇が持ってれば、それが本物の三種の神器です。
そもそも、南北朝以前に壇ノ浦で安徳天皇と一緒に沈んだったじゃないか、とか、南北朝合一後、北朝側が案の定和平合意を履行せずに完全に権力を奪われた南朝側の残党がゲリラ化した「後南朝」が起こした禁闕の変で、剣は奪われたんじゃないのか、とか色々と疑惑はあるんですが、
とにかく、天皇の手元にあるのが正しい三種の神器なんです。別に無くなったり、沈んだり、壊れたりしたから作り直したって全然問題ないんです。
日本書紀にも正直に書いてあります。
「なくなっちゃったので、まずいっていうんで、(三種の神器の一つの)宝剣作り直させた。前よりも霊力が強かった。結果オーライ」
というわけで、安心して、熱田神宮(天叢雲剣を安置)、伊勢神宮(同じく八咫鏡)、皇居(同じく八尺瓊勾玉)にお参りできるわけです。
まぁ、政治利用されている、もしくはされていたご神体の類なんてたいていそういうものですよね。下手に利用されているだけ、余計に怪しくなってしまいます。
仏舎利とか聖遺物なんてまさにその典型でしょうけど。ユーゴ紛争を惹起したセルビアの英雄ラザレの遺体とかもそんな感じですね。あれが本当だったなんて、セルビア人以外ろくに信じていないと思いますが。
ちょっと時代考証というか、演出に手を抜きすぎると、前にコメントでも触れた檀君陵みたいなものになってしまうわけですが。いや、あれは本当に笑えるのでGoogleあたりで検索すると色々出てきます。
レーニンの遺体とか、そのうち絶対紛失したり摩り替わったりすると思います。聖エビータの遺体はまだアルゼンチンにあるんですかね?