本部町島ぐるみ会議ブログ

塩川デイは2022年11月21日、22日、2023年2月21日、22日に開催されました。

第一回塩川デイ お礼と報告

2022-12-17 04:11:13 | 日記

第1回塩川デイ お礼と報告

「塩川デイ」と銘打った行動が2022年11月21日、22日の両日行なわれた。普段は淋しい塩川港に多くの人が集結し、両日合わせて320人余りの参加があった。1日平均600台~650台、抗議行動をしないと900台以上の埋立て土砂を積んだダンプが入る塩川港に、21日は206台、22日は238台にとどめた。

抗議行動参加者の車が、ダンプの間に挟まれてなかなか進めず塩川港内に入れない中で、辛抱強く待ちながらハンドルを握る人。整然と牛歩をしながらも辺野古以外の離島航路の業務等のダンプは止めずに通す参加者たち。ダンプの台数をチェックする人。マイクを握り歌う者。トイレの送迎車を走らせる人。少し離れた所で救護班として控える人etc・・・。現場にいる全員がそれぞれの持ち場でそれぞれの役割を果たし、2日間の塩川デイを無事のりきった。

塩川港における抗議行動のルールを皆が守り実行したことで、事故もなく、怪我人もなく、逮捕者を出すこともなかった。参加者皆の秩序ある行動に感謝いたします。

このことは実に見事であり、今後の活動においても一番大切なことです。弾圧されることなく運動を続けてゆくためにも、ルールを守りながら楽しく展開していきましょう。

最後になりましたが、多くのカンパや差し入れ等、現場に来られなくてもこの運動を支えてくださっている仲間の皆さんに心から感謝申し上げます。

塩川や安和からはほぼ毎日、辺野古の海へ新基地建設埋立て土砂が搬出されています。勝つまで諦めない日々の抗議行動を続けていくためには、息抜きや休憩も必要。たまに1時間しか行けなくても、一人一人のその積み重ねが支え合いになることを実感しています。日々の行動への参加も呼びかけます。

賛同団体及び参加団体(順不同)

本部町島ぐるみ会議、うるま市島ぐるみ会議、島ぐるみ会議・南風原、普天間爆音訴訟原告団、島ぐるみ会議大宜味、止めよう辺野古基地! 沖縄市民会議、監視社会ならん! 市民ネット沖縄、北中城村民会議、浦添島ぐるみ会議、島ぐるみ会議八重瀬の会、南城市島ぐるみ会議、とみぐすく島ぐるみ有志、今帰仁村島ぐるみ会議、「建白書」を実現する西原町民会議、沖教組国頭支部、命どぅ宝! 自己決定権の会、平和市民連絡会有志、糸満島ぐるみ有志、ティダの会、読谷島ぐるみ有志、辺野古ぶるー有志、辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会

第2回塩川デイは、2023年2月21、22日を予定しています。共にがんばりましょう!

2022年12月10日第1回塩川デイ実行委員会

共同代表 上間一弘、仲宗根須磨子

事務局長 阿波根美奈子

▲「塩川デイ」11月21日は晴れ、県全域から、本土からもたくさんの賛同者が駆けつけてくれました。いつもは本部町民数名だけの日もあり、搬出日すべて(土曜日を含む平日)の行動は厳しいことも少なくないので、気合が入りました。

 

▲ 背景に土砂積出の鉱山(広大な安和鉱山の一角)が見えます。あそこでのセメント鉱石採掘で残った残土(赤土に小石が混ざったもの)が辺野古の海に投入されているのです。ちなみに、安和鉱山の大半を所有する琉球セメントは宇部興産、故安倍晋三氏のお膝元山口県の会社です。

 

▲ ダンプに積まれているのは小石混じりの赤土。埋め立て工事は本来「栗石」と呼ばれる岩石か、場合によって土が少しまとわった「岩ずり」が投入されます。埋め立て地盤の強度と周辺の海の汚濁を避けるためですが、辺野古の海に投入されている「土砂」は大半が赤土です。滑走路が完成したとしても甚だしい地盤沈下が予想されますが、大浦湾側はさらに深刻で、入江の深い海底谷に隣接しており、超軟弱地盤も重なって滑走路が基礎ごと崩落しかねません。そんな事態になれば、大浦湾の「絶滅危惧種262種を含む5334種」という亜熱帯のサンゴ礁生態系としては奇跡のような豊かさも、その美しい景観も永久に失われてしまいます。

 

▲ 牛歩でダンプの行列が長大になると機動隊の規制が入ります。たてまえは「通行者の安全と交通の確保」ですがここは港湾内、「このままだとダンプの搬入数が少なすぎるぞ」という隊長の言葉を聞きつけて「あんたたち、ダンプの心配が仕事なのっ!」「あっ、しまった!」というコントが過去にありました。 

 

▲「塩川デイ」二日目は曇り雨混じりでしたが、さらに多くの支援者が駆けつけてくれました。このように埋め立て土砂の搬出量を減らす実質的な効果も高いのですが、「塩川行動」は開始以来、おおむね本部町民の行動で、辺野古に比べれば認知度は少なかったのです。それが少しずつ広がりを見せています。心強いです。

「塩川行動」はダンプの運転手を敵としません。運転手だけでなく、警察官でさえ祖父母、宗祖父母が北部の人だったら、この場所で起きた戦争と占領の実態を話したかもしれないし、占領時代の体験者かもしれないからです。じっさい、手を振り挨拶をすると、少しホッとした顔で話しかけたり、のど飴をくれたりする運転手がいるのです。本部町民には、向かいに浮かぶ伊江島の語り部であった阿波根昌鴻氏(1955年に起きた伊江島の強制土地接収に反対する運動を主導。反戦平和の語り部)が唱えた絶対平和主義の影響があるのかもしれません。

 

阿波根昌鴻氏が伊江島に開設した反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」より。阿波根昌鴻氏が伊江島に開設した反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」より。阿波根昌鴻氏が伊江島に開設した反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」より。

 

▲ 沖縄の反戦平和への切望は日露戦争以来のもの。そして、西太平洋で起こった海の民を巻き込んだ戦争は、ハワイイではじまり沖縄で終わります。日本の防衛政策が軍備拡張へと大きく転換する中、滅亡した近代日本の廃墟で誓った反戦と、19世紀国民国家の文明的限界(ウクライナ・ロシア戦争みたいな)を超える「反戦平和主義日本」への決意が、沖縄にはまだ残っていると信じます。

 

▲(沖縄タイムス 11月30日)「塩川デイ」抗議行動に対する規制に県土木事務所職員が参加。

 

▲(沖縄タイムス一面 12月15日)

ペシャワール会の板尾さんは、土砂搬出の開始から反対行動のレギュラーメンバーです。

 

 

▲(沖縄タイムス 12月15日)

塩川港は本部町管理の港です。土砂の搬出前、防衛局の説明は「午前8時から午後5時、石材を1日あたり10トンダンプ160台」としていましたが、実態は土砂の搬出ダンプ500~900台。晴れた日は粉塵にかすみ、雨の港は赤い濁水が溜まって結構な勢いで海に流れ落ちています。

町民が説明を求めると「事業の業態が変わったのだから約束違反ではない」「工事上の不都合は土木事務所の問題」。現場の防衛局職員(外部スタッフ?)は「辺野古は総理府案件、防衛局の管轄ではない」沖縄防衛局は米軍のカサを着ると息を吐くように嘘をつきます。


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