吹く風ネット

ボケ始めなんだろうか?

 前にも書いたが、昔の日記はうんざりするほど文字数が多い。編集をスマホでやっているので、字も小さく、読み書きに疲れる。読んでいるうちに、「この日記は、いったい何を書いているんだろう?」なんて思うこともある。きっと字の小ささが気になって頭の中に何も入ってこないのだろう。
 
 そういう2002年1月4日の日記です。仕事中に編集しています。

 大晦日が遠い昔のように思えてならない。たった5日前の大晦日にしてこの状態であるから、クリスマスにいたっては、もう大昔なのである。いったいその時何をしていたのか、また考えていたのかを完全に忘れてしまっている。
 若い頃から、正月になるといつもこの状態に陥るのだが、40歳を過ぎた頃から「もしかして、これはボケの兆しか?」などと思うようになった。その時の記憶をたどるには、日記なんかが一番いいのだが、こんな屁理屈ばかり並べている日記では、記憶も蘇らない。これのどこが「頑張る40代!(2001年当時のブログタイトル)」だ!

 そういえば最近、倉庫に商品を取りに行って、何をしに来たのかさえ忘れてしまっていることがある。倉庫に着いたら頭の中が一瞬真っ白になってしまうのだ。その空白の後、「何しに来たんかなあ?」などと考え込んでしまう。そこにいる他の人への対面上、そのまま帰るわけにもいかず、タバコを吸ったりトイレに行ったりして、いかにもそのことをしに来たんだというふうに取り繕っている。
 ひどい時には、「何をしに来たんかなあ?」とも思わず、ほかの作業をやって、それで満足して帰ったりしている。そして、帰ってから初めて何をしに行ったのかを思い出すのだ。

 以前はぼくも記憶力のいいほうで、覚える必要もないことまで覚えていた。嫌なことや細かいことも、いつまでも忘れずにいた。それらが気になって気になって、いつまでもクヨクヨしていたものだ。おそらく白髪も、そこから来たものではないだろうか。

 ある日中国の古典を読んでいると、物忘れのひどい男の話が載っていた。
【物忘れのひどい男が「これでは困るので、記憶力をよくしてほしい」と神か何かに頼み込み、その願いを聞き入れてもらった。それから、その男は、忘れるということがなくなり、記憶していること一つ一つに囚われ、気を病んでしまった。結局、また神に頼み込み、元に戻してもらった】
 という話だった。これを読んで、ぼくは人間は忘れることが大切なんだ、と思うようになった。それから忘れる努力が始まった。

 いったん忘れる癖がつくと、細かいことが気にならなくなるものだ。それはそれでよかったのだが、ここまで物忘れがひどくなるとは思わなかった。しかし、いったん忘れる癖がついてしまうと、それが大切なことであろうがなんであろうが、見境なしに忘れていく。
「このことは覚えとかないと」と思っていても、5分も経たないうちに忘れてしまう。そこで、「もう忘れることはやめよう」と思ったりもするのだが、また前みたいにクヨクヨするのも嫌だし、そのことで髪の毛に異変が起きても困る。髪の毛の異変、ここまで来ると、もはや残っているのは・・・。言えない。

 ぼくは2年前からパソコンを始めたのだが、その始めた理由のひとつに、ボケ防止というのもあった。ボケ防止には、指を動かすことがいいというのは知っていた。それまでは、ギターを弾いていたのだが、以前に比べ弾くことが少なくなった。
「このままだとボケるなあ」と思い、それに代わるものを探していたのだ。しかし、2年間やってもこの状態では。
 あ、そうか。ぼくはキーボードを打つ時は、2フィンガーなのだ。指全部を使うようにしたらいいのかもしれない。でも、せっかく覚えたその指使いも、すぐに忘れてしまうんだろうなあ。

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