昔働いていた会社は、わりと古い体質で、会話も古い商売用語で成り立っていた。ところが、新人類という言葉が流行りだした頃からだったか、急に社内でカタカナ語がまかり通るようになった。
特に本社から若い人がやってきて、新しいシステムの説明をする時などは、そのほとんどがカタカナ語で、すでにおじさん世代に達していたぼくには、何を言っているのかがわからなかった。
そのため、その人がカタカナ語で説明するたびに、
「どういう意味ですか?」と聞いていた。しかしその人は、そのくらい自分で調べろと言ったような顔をして、ぼくの問いには答えなかった。
まだスマホなどなかった時代だから、それらの言葉を調べることも出来ず、結局ぼくはカタカナ語の意味がわからないままに、新しいシステムを理解せざるを得なかったのだ。
後になって考えてみたのだが、もしかして彼らや彼女らは、カタカナ語を日本語に訳すことが出来なかったのではなかろうか。つまり、カタカナ語の意味を考えずに、言葉だけを覚えてきたために、日本語に言い換えることが出来なかったということだ。
2,国語の話
ぼくは学生時代、英語が大の苦手だった。人からそのことを指摘されるたびに、ぼくは、
「日本語も満足にできないのに、何が英語だ」と言い返していた。そう言った手前、国語を勉強せざるをえなくなり、徹底的に本を読んだのだった。おかげで国語の点数だけはわりとよかったのだが、所詮それは学校での話。実際、こういった文章を書く時に、縦横無尽に言葉を操れない自分に腹が立つこともある。
さらにもう一つの国語である古文、これも現代文を読むようにスラスラと読めないものかと、昔から取り組んでいるのだが、我流ではダメなのか、いつも挫折してしまう。
国語、これはぼくにとって、生涯の宿題のように思えてならない。ということで、この宿題をやりあげるために、どこかで国語の勉強をしたいと思っている。
3,国語の勉強
昨年末、国語の勉強が出来る場所を調べてみたのだが、その一つに通信制の大学(文学部)があった。これだと学費もそれほどかからない。ちゃんとやれば学士号もとれるという。
ただ難点があって、通信制大学はスクーリングが必須になっているのだ。ほとんどの大学が遠方だし、スクーリングの時間と合わせて、移動のための時間も必要になる。そうなると現在自由に休みの取れない仕事をやっているぼくには、難しい話になってくる。
いくら宿題だからといって、仕事を辞めるわけにはいかない。それほどかからない学費だって、仕事を辞めてしまうと大きな負担に変わってくる。
さて、どうしよう。他の方法を探してみるか。
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