2005年3月10日
ぼくは面倒臭がり屋である。部屋の掃除なんかはまったくしない。散らかっている部屋で毎日パソコンに向かい、時に本を読み、時々歌を録音している。
たまに嫁さんが部屋を掃除しにくるが、掃除するのは床だけで、机の上や、パソコン周り、書棚近辺は手を出そうとしない。なぜかというと、どこから手を付けていいかわからないからだ。
前に一度、遊びに来た友人がぼくの部屋を見て言った。
「こんなに散らかっとるのに、よく気にならんのう」
その時ぼくは、
「全然気にならん」と答えた。
「おまえA型やろ?」
「そうやけど」
「全然A型らしくないのう」
「何で?」
「A型は神経質で几帳面と言うやないか」
「ある面神経質で、ある面几帳面やけど」
「どこがかっ!?」
「おまえの一挙一動を観察するのに神経質で、それを日記に書くのに几帳面なんたい」
「それはおまえが悪趣味というだけの話やないか。そういうことを神経質とか几帳面とか言わん」
「じゃあ、神経質は掃除をするんか?」
「そういうことじゃない」
「几帳面はぞうきんが好きなんか?」
「そういう意味じゃないと言いよるやろ」
そのあと延々と、彼の説教とぼくの屁理屈が続いた。
ぼくは血液型で性格を判断されることが嫌いである。なぜなら当たらないからである。
人の血液型を当てるのが好きな人に、よくお目にかかる。そういう人たちは、人の顔を見ると、決まって「あんた×型やろ?」などと言ってくる。しかし、ぼくの血液型を当てた人は、十人中二、三人くらいしかいない。
一番多く言われるのがB型で、次に多いのがO型である。B型に見る人は、ぼくをちゃらんぽらんでマイペースな人間だとか思っているようだ。また、O型だという人は、ぼくがおっとりして落ち着いた雰囲気を持っているかららしい。
そういう人たちには申し訳ないのだけど、ぼくはそれらの性格、すべてを持ち合わせている。さらに言うと、神経質で几帳面でもある。
一度、そういうものすべてをさらけ出して、「さて、何型でしょう?」と聞いてみるのも面白いかもしれない。そうしたらきっと、AB型だと言われるだろう。
だいたい、たった四つしかない血液型で人の性格を判断しようというのが間違っているのだ。血液型で性格を判断しようとするのであれば、どういう組み合わせのA型なのか、どちらの影響が強いのかまで調べる必要があるのではないか。
ぼくは先ほど言ったとおり、神経質で几帳面なA型であるが、額面通りに捉えられたことはほとんどない。その理由は、母の血液型であるO型が混ざっているからだと思っている。
ぼくの知り合いにも、父親がA型、母親がO型、本人A型の人がいる。その人もぼくと同じく、B型やO型に見られるのだという。
ということは、『A型とO型の組み合わせのA型は、A型に見えない』と判断しなければならない。
人の血液型で遊ぶ人は、本に書いているような大雑把な性格を受け売りするのではなく、そういう細かいところまで突っ込んで研究してもらいたいものである。それが出来ないのなら、血液型占いなどやらないでほしい。
そうしてもらわないと、友人がぼくの部屋に来た時のように、また屁理屈をこねなければならなくなる。
たまに嫁さんが部屋を掃除しにくるが、掃除するのは床だけで、机の上や、パソコン周り、書棚近辺は手を出そうとしない。なぜかというと、どこから手を付けていいかわからないからだ。
前に一度、遊びに来た友人がぼくの部屋を見て言った。
「こんなに散らかっとるのに、よく気にならんのう」
その時ぼくは、
「全然気にならん」と答えた。
「おまえA型やろ?」
「そうやけど」
「全然A型らしくないのう」
「何で?」
「A型は神経質で几帳面と言うやないか」
「ある面神経質で、ある面几帳面やけど」
「どこがかっ!?」
「おまえの一挙一動を観察するのに神経質で、それを日記に書くのに几帳面なんたい」
「それはおまえが悪趣味というだけの話やないか。そういうことを神経質とか几帳面とか言わん」
「じゃあ、神経質は掃除をするんか?」
「そういうことじゃない」
「几帳面はぞうきんが好きなんか?」
「そういう意味じゃないと言いよるやろ」
そのあと延々と、彼の説教とぼくの屁理屈が続いた。
ぼくは血液型で性格を判断されることが嫌いである。なぜなら当たらないからである。
人の血液型を当てるのが好きな人に、よくお目にかかる。そういう人たちは、人の顔を見ると、決まって「あんた×型やろ?」などと言ってくる。しかし、ぼくの血液型を当てた人は、十人中二、三人くらいしかいない。
一番多く言われるのがB型で、次に多いのがO型である。B型に見る人は、ぼくをちゃらんぽらんでマイペースな人間だとか思っているようだ。また、O型だという人は、ぼくがおっとりして落ち着いた雰囲気を持っているかららしい。
そういう人たちには申し訳ないのだけど、ぼくはそれらの性格、すべてを持ち合わせている。さらに言うと、神経質で几帳面でもある。
一度、そういうものすべてをさらけ出して、「さて、何型でしょう?」と聞いてみるのも面白いかもしれない。そうしたらきっと、AB型だと言われるだろう。
だいたい、たった四つしかない血液型で人の性格を判断しようというのが間違っているのだ。血液型で性格を判断しようとするのであれば、どういう組み合わせのA型なのか、どちらの影響が強いのかまで調べる必要があるのではないか。
ぼくは先ほど言ったとおり、神経質で几帳面なA型であるが、額面通りに捉えられたことはほとんどない。その理由は、母の血液型であるO型が混ざっているからだと思っている。
ぼくの知り合いにも、父親がA型、母親がO型、本人A型の人がいる。その人もぼくと同じく、B型やO型に見られるのだという。
ということは、『A型とO型の組み合わせのA型は、A型に見えない』と判断しなければならない。
人の血液型で遊ぶ人は、本に書いているような大雑把な性格を受け売りするのではなく、そういう細かいところまで突っ込んで研究してもらいたいものである。それが出来ないのなら、血液型占いなどやらないでほしい。
そうしてもらわないと、友人がぼくの部屋に来た時のように、また屁理屈をこねなければならなくなる。